動く支部長と副支部長 side統括支部
統括支部指令室――――
指令室内の空気は最悪だった。
ウルシュの指示によって解放された犯罪者集団はほぼ全滅。
結果としてわずかばかりの間、足止めすることしかできなかった。
ウルシュは態度にこそ出さないものの、その身にまとう空気はあまりにも恐ろしく、職員たちはウルシュの方に目を向けることすらできない。
ただただ怯えながら次の指示を待ち続ける。
そして何よりの懸念は、徐々に敵が指令室および地下へと近づいていること。
敵の目的が地下にあるのは間違いないが、その仮定で指令室を狙う可能性も高い。
職員たちの緊張感が増していく中、その懸念は的中することになる。
「……ん?」
魔法陣を操作していた職員の一人は気づく。
砂ぼこりのようなものが自身の頭上から落ちてきていることに。
当然ながらそんなものが自然に落ちてくるわけがない。
職員が不思議に思い上を見上げた時、天井が崩れた。
「うわあぁぁぁぁ!!」
職員が叫び声を上げることで、全員が天井へと注意を向ける。
その崩壊を自然現象だと思うものは指令室内に1人もいなかった。
「ミスフィット……!」
忌々し気にウルシュがつぶやくのと同時に、崩れた天井からフード付きのマントと仮面を付けた3人の人間が降下してくる。
「ほぼ誤差なし! 完璧な位置取りですよイン!」
「大声で名前を言わないでくださいよ!!!」
「うわー! これ楽しい!! 『死んじゃうー!!』」
ミスフィットの3人は全員華麗に着地を決めた――わけではなく、1人は頭から落ちたが何事もなかったかのように立ち上がる。
天井崩壊と共に現れたミスフィットに対し、職員たちはパニックになって我先にと逃げ出そうとする。
「……ナディア、みなを連れて第二指令室へとむかえ」
「わかったわ。けどあなたは――」
「私が相手をする。本気でな」
「っ!? ……わかったわ」
ウルシュの言葉に戸惑いを見せたのは一瞬のみ。
すぐにナディアは職員を引き連れて部屋の外へとむかう。
その一連の行動をミスフィットの三人――リリー、イン、シルエの三人は手を出すことなく見送る。
「……いいのか? あいつらを行かしても」
「いいのよ。だって、私達の狙いは人じゃないんだから、ね!」
ウルシュの言葉に答えると同時に、インは6本のナイフを瞬時に取り出し、ウルシュの方へと向かって投擲する。
すぐにウルシュは構えるが、そのナイフは1本も当たることなくウルシュの背後に抜けていった。
しかしその結果に、インはまったく慌てる様子を見せない。
それどころか指をさして自信満々に告げる。
「命・中」
「なに?」
思わず背後を振り向いたウルシュは見た。
ある物に対して、6本のナイフ全てが命中している光景を。
「魔法陣か!」
指令室内にある魔法陣――連絡用、システムの操作および確認用と様々な用途の魔法陣。
インの狙いはそれであり、インたちが指令室を襲撃した理由だった。
「なるほど。最初から指令室を機能させなくすることが目的か」
「ええ、その通りよ」
「……確かに、これで外部との連絡はとれなくなり、システム自体は生きているとはいえ、ほとんどの機能が使用できなくなった――――だが、それがどうした」
その瞬間、ウルシュによるプレッシャーが跳ね上がる。
「ここまでお前たちのいいようにされてきたが、ここに、今この場に、俺の目の前に現れたのは間違いだったと言わざるを得ないな」
プレッシャーだけでなく、1人称まで変わったウルシュを見てリリーが微笑む。
「あら、そっちがあなたの素ですか? 本能むき出しのその感じ、とてもいいですね」
ウルシュに呼応するように臨戦態勢に入るリリー。
だがしかし、そんなリリーをインが止める。
「待ってリリー。魔法陣を壊したらあなたは先に行く予定でしょ」
「えー、いいじゃないですかちょっとくらい遊んでいっても」
「ダメに決まってるじゃない。まーたあの人にグチグチ嫌味言われるわよ」
「……………ちっ」
以前に言われた嫌味を思い出したリリーは、上がりかけていた気分が底辺スレスレにまで落ちていく。
『まああれかな。しっかり支部内の設計図を手に入れた俺のチームと、何一つとしてまともな情報を仕入れることができなかったお前のチーム。チームリーダーの差かなあこれが。ああいや、別に責めてるわけじゃないんだ。生まれ持った能力の差はどうしようもないし。それが温室育ちとなればなおさら。ん? 不満そうな顔してどうした? 自分の方が実力は上だとでも言いたそうだが……だとすると実力があるくせにそれをうまく使いこなせないマヌケということに――――』
情報収集のさい、自身が結果を残せなかったため素直にトーヤからの嫌味を受け入れていたリリー。
結局この後、嫌味が1分34秒続いた時点で殴り掛かったのだが。
「たしかに、それはいただけませんね。仕方ありません、ここは引き下がるとしましょう」
そう言うとリリーは部屋の入り口に向かって走り出す。
「もし機会があれば、その時は思う存分やり合いましょうね」
「はいそうですかと、素直に見逃すと思ったのか」
ウルシュは走り出したリリーに狙いを定めようと動くが、それと同時に強い衝撃を受けて弾き飛ばされる。
「誰もあんたの許可なんて求めてないわよ」
先ほどまでウルシュの立っていた場所には、片足を上げた状態のインが立っていた。
「いい蹴りしてますねー。じゃあ後は任せましたよ~」
まるで緊張感のない声をインとシルエにかけ、リリーは部屋を後にする。
残ったインとシルエは、弾き飛んだ先で今だ立ち上がらないウルシュの方へと意識を向ける。
「リリーもかなりの戦闘狂よね。あの生まれでどうやってああ育つのかほんと不思議だわ」
「ほんとほんと。『私も変な人たくさん見てきたけど、間違いなく変人トップ10には入るもん。もちろんトーヤも』」
「でしょうね。まあなんにせよ、このまま立ち上がってこなければ楽なんだけど…………そう上手くはいかないか」
インとシルエの視線の先では、険しい表情をしたままのウルシュがゆっくりと立ち上がる。
その表情は静かな怒りをはらんでいた。
「なるほど。犯罪者どもを一蹴した実力はたしからしい」
「うわすごい! インの蹴りを受けたのにピンピンしてる!! 『インの蹴りぜんぜん効いてないじゃん!!』」
「あのねぇ、どいつもこいつも人の名前大声で叫ばないでくれる?」
「痛い痛い! 『頭つかまないで~~!』」
敵を前にしながら今だ緊張感を出さないインとシルエ。
それをウルシュは自身がなめられているのだと解釈する。
「いいだろう。出し惜しみは無しだ――――」
『獣狼技牙・解』
短い言葉と共に、ウルシュの魔力が跳ね上がる。
それはインがかつて対峙した魔人と遜色ないほどの魔力で、プレッシャーだけで肌が痺れるような感覚を得るほどだった。
それでも、インの表情に焦りはない。
「なに? パワーアップでもする気? こちとら鬼の身体強化相手に訓練してるのよ。そうそうたいしたことじゃ――――」
インの言葉が最後まで言い切られることはなかった。
ただそれは言葉を遮られたのではなく、あまりの出来事に二の句が継げなかったためだ。
ボキリ、ゴキリと、人体から鳴ってはいけないはずの不快音が場に響く。
それはまるで膨張するように体の体積を増やしていき、肌が徐々に黒い鋼鉄のような体毛で覆われていく。
特に変化が大きいのは爪や歯。
鋭く尖りながら伸びていくその爪や歯は、獲物を絶命させるためのもの。
インとシルエは目の前で起きていることを理解できない。
現実のものとわかってはいても受け入れられない。
やがて変身とも呼べるような変化は完了し、より鋭くなったその眼でインとシルエを見下ろす。
「この姿になったのは3年ぶりか……」
先ほどもよりも低く、かすれるような声を出しながら、ウルシュは確かめるように自身の体を動かす。
体は倍近くの大きさになり、身長は優に3メートルを超える。
その姿を人と呼ぶにはとうてい難しく、化け物という言葉がなによりもしっくりくるものだった。
「……獣『人』――」
インにもシルエにも、先ほどまであった余裕はすでにない。
目の前で起こった全てが想定外の中、唯一理解できたのは己が窮地に陥ったということだけ。
「あーあ……貧乏くじひいちゃったかも」
絞り出すようにそんなセリフを吐くことしか、今のインにはできなかった。
ーーーーーー
職員を引き連れて第二指令室へとたどり着いたナディア。
しかし彼女の目の前に広がる光景は、自身の記憶にある物とはかけ離れていた。
「やられた……二手に分かれたのはこのためだったのね」
支部内の魔術システムが破壊の限りを尽くされた指令室の成れの果て。
考えるまでもなく、ミスフィットによる破壊工作。
「……どうしますか? 第三指令室は別の建物に移動する必要がありますけど……」
「念のため修復して使えないかの確認だけお願い」
「わかりました」
ナディアの指示によって職員たちは、破壊された支部内のシステムチェックを始める。
移動する時間が惜しいため、できればこの指令室を使いたいという思いからだったのだが――
「ダメです。システム基盤から徹底的に破壊されています。これでは修復も厳しいかと」
「そう…………仕方ないわ。今すぐ第三指令室の方に――」
「待ってください! システムの使用ログが残っています!」
「………使用ログ? この指令室はもう長いこと使っていないのよ。なのに――」
まさかミスフィットが?――そんな考えがナディアの頭に浮かぶが、システムの設計上それは不可能であることを思い出す。
「たしか、システムの制御は魔力登録された人間にしかできないはずよね?」
「はい、その通りです」
「誰がシステムを使用したのか、いつ使用したのか調べられる?」
「それくらいなら……少しだけ時間をください」
部屋にいた職員たちが総力を挙げ、システム使用者を暴くために修復を始める。
そうして10分ほど時間が経ち――
「できました。えっと、使用者は…………スカーさんです」
「………………は?」
思わず素っ頓狂な声とセリフが出てしまうほど、それはナディアにとって意外な名前だった。
にも関わらず、ナディアとは対照的に、職員たちにそれほど大きな動揺はない。
「どういうこと? スカーにはシステム制御の権限なんてないはずでしょ?」
バードの副隊長という肩書であるスカーだが、そもそも戦闘部隊であるバードのメンバーには支部内のシステムを操る権限は与えていない。
もちろんそれは隊長であるシェルナも例外ではない。
「え? でも、スカーさんに権限を与えたのはナディアさんじゃないんですか?」
「待って、何の話?」
「夕方くらいにスカーさんが私たちのところに来て、ナディアさんから許可をもらったから権限を与えてくれと。もちろんナディアさんに直接確認もとりましたけど」
「聞いてないわよそんな報告! 確認をとったのは誰!?」
一連の流れから、最悪のシナリオが頭に浮かんだナディアは声を荒げる。
「たしかフーリエが……あれ? フーリエは?」
「あ、そういえば第二指令室に移動してから見てないような……」
いつの間にか、その場から消えていたフーリエという名の職員。
普段からあまり目立つタイプの人間ではないことや、緊急時で全員が慌てていたため、今の今まで誰も気づかなかった。もしくは誰も気にしていなかった。
しかしこの事実によって、ナディアは最悪の事態が進行していることに確信を持つ。
「……あなたたちは今すぐ第三指令室に向かいなさい。その後の動きは幹部職員の指示に従って」
「わ、わかりました。しかし……ナディアさんは――」
先ほどまでの慌てようが嘘のように、冷静に職員への指示を出すナディア。
そんなナディア姿を見た職員たちは、頼もしさを覚えるよりも先に恐怖を覚えた。
「決まってるじゃない。私は――――」
その瞳はどこまでも冷たく、明確な怒りを内包した殺意が宿る。
自身を裏切り、組織を裏切り、仲間を裏切り、親友を裏切った男への殺意が。
「――――地下に向かう」
役者は今だ揃わず。それでも舞台は着実に、佳境へと足を進めていく。