こぼれ話編 これが彼らの日常 ③
教会において、聖女見習いの少女たちの暮らす寮がある。
少女たちには個人部屋が与えられており、就寝および個人学習の時間などを含め、一日の半分近くはその部屋で過ごす。
肩まで伸びた青い髪と青い瞳のラクラ・レーンという少女も、聖女見習いの一人であり、与えられている部屋で勉学に励んでいた。
そんな中、部屋の窓がコンコンとまるでノックでもされたかのように音が鳴る。
ラクラはペンを走らせていた紙から顔を上げ、窓のほうに目をやる。
するとそこには、ラクラのよく見知った相手が窓の外で手を振っていた。
思わず声を上げそうになるも、手を振っていた人物が人差し指を口の前で立てたため、なんとか思いとどまる。
急いでラクラは窓を開け、その人物を部屋の中に引き入れた。
「リリアーナ様! なぜここに!? いや、それよりもここ3階ですよ!?」
「もちろん、愛しのあなたに会いに来たに決まってるじゃないですか。安心してください。昔もっと高い場所の壁を、背負われてですが登ったこともありますから」
そう言ってラクラに妖艶な笑みを浮かべるのは、リリーの変装をしたリリアーナだった。
「それと、二人きりの時はリリアーナではなくリリーと呼ぶように言ったはずですよ? 敬語は無しとも」
何か言いたそうなラクラを無視し、リリーはラクラをベッドに押し倒す。
「リリア……リリー! 今は儀式の最中よ! 外部の人間との接触は禁止だって知ってるでしょ!?」
「ウフフ、もちろん知ってますよ。会ってはいけない時に会うからこそ、背徳感が生まれて興奮するんじゃないですか。それに――」
さらにリリーは片手をラクラの頬に添え、ゆっくりと顔を近づける。
同性同士のスキンシップ――などとは到底思えないほどの色気を、リリーは醸し出していた。
「儀式期間に入ってもう3週間目です。そろそろ、私のことが恋しくなってきたんじゃないですか?」
二人の顔は熱を帯び、互いの呼吸が触れ合うほどまで迫る。
「……ほんと、あんたってやつは――」
「ん? なんですか? 聞こえませんよ?」
さらにもう片方の手をラウラの体へと伸ばそうとして――
その手をパシンと力強くはじかれる。
「……へ?」
予想外のラウラの行動に、リリーは思わずおかしな声を出してしまう。
「ほんと、あんたには心底あきれたって言ってんのよ」
先ほどまでのどこか緊張の混じった声が嘘のように、底冷えするような冷たく低い声がラウラの口からこぼれる。
「え、え? ラウラ? 一体どうし……」
「最初からあんたは手のひらの上だったってことよ」
そう言うと、ラウラは覆いかぶさっていたリリーを力づくでどかし、ベッドから立ち上がるとその姿を変えていく。
青色の髪は鮮やかな金色に変わっていき、わずかに短くなる。
瞳の色も変化し、さらには身長など骨格レベルで見た目が変化していく。
ここまで見た目を変化させるとなれば、それは幻術魔法しかありえない。
そして幻術魔法をこのレベルで扱える存在を、リリーは一人しか知らない。
「まさか……」
そのまさかである。
リリーの予想通り、その一人が幻術を解き終えて佇む。
「ち、違うんですよラシェル! これは、そのですね……」
名を呼ばれたラシェルは、必死に言い訳を始めるリリーに対しゲスを見るような目を向ける。
「いっとくけど、あんたの煩悩まみれの行動は全部あいつにバレてるから」
「あいつ? …………ッ!?」
ラシェルの言う『あいつ』に心当たりがあったリリー。
勢いよく部屋の入口の方を振り向く。
「よおバカ姫――ここにくると思ってたぜ」
そこには悪魔のような笑顔でリリーをあざ笑うトーヤが立っていた。
「ゴッ! ……トーヤ」
「てめぇゴキブリって言いかけたな?」
「どうしたんですか? こんなところで……婚約者を放置するなんてかわいそうじゃないですか」
「今さら話を逸らそうとしてんじゃねえよ。手紙を探すってのはカモフラージュ。俺を巻き込んだのは合法的に教会を訪れるため。お前の本当の目的は恋人との密会ってわけだ」
全てバレている――それを理解してなお、リリーは抵抗を続ける。
「しょ、証拠はあるんですか!?」
「現行犯だバカ」
「くっ! 一体いつから……」
リリーは自らが考えた計画に自信があったのだ。
手紙を間違えて出したというのが嘘だとバレないように、護衛として傍で仕えるダヴィはもっともらしい理由で遠ざけた。
嘘発見器であるラシェルがいないタイミングを見計らって話を持ち出した。
勘の鋭いトーヤに考える暇を与えないようにするため、突発的に頼み込んだ。
だが結果は完全にゴキブリの手のひらの上……かなり早い段階からバレていたに違いない――リリーはそう結論付ける。
「……あれは去年の秋ごろだ」
「早すぎでは?」
「インによって俺の過去の恋愛事情がお前にバレた」
「ああ、そんなこともありましたね」
「そのとき俺はこう思った――いかん、一方的に弱みを握られるなど由々しき事態だ、と」
「はぁ」
リリーはトーヤの言っていること自体には理解できた。
自身が逆の立場でも同じことを思うだろうからだ。
もし自身がトーヤの立場なら、まず過去から現在に至るまでトーヤの恋愛事情をありとあらゆる手で探り出し、その中で弱みになりそうなものを――
そこまで考えて気づく。
「ま、まさか……!」
本日二度目のそのまさかである。
「ああそうさ、リリー。俺はヘルト家の利用できるものを全て使ってお前の交際関係を調べ尽くした。お前の場合は男だけじゃなく、女も調べる必要があったせいで倍の労力を使ったがな」
「ぐっ! そんな親の権力に頼って恥ずかしくないんですか!?」
お前が言うな――傍で聞いていたラシェルはぼそりとつぶやいた。
「親の力は子の力だ。何も恥ずかしくないねぇ。まあ親の七光りとかいう言葉を作ったやつは許さねえけど」
「あ、それは同感です……って、今はそんな話どうでもいいんですよ!! ……ちなみに、どこまで調べたんですか?」
「全部に決まってんだろうが。お前の交際関係はぜーんぶここに入ってんだよ」
そう言ってトーヤは自身の頭を人差し指でトントンと叩く。
「あとお前の交際関係多すぎてひいたわ。節操無しにもほどがある。しかも8割が年下とか」
「うるさいですねー! ほっといてくださいよ!!」
「で、その交際関係の中には教会関係者もいた。ラウラ・レーンという聖女見習いだ。お前の口から教会に行きたいという話が出たとき、その時点で察したよ。どうせそういうことだろうと」
「……なるほど。それでラシェルに先回りさせていたということですか」
「ええ、そうよ。正直トーヤから話を聞いたときはまさかと思ったけど、実際現れるんだから……ほんと呆れたわ」
腹違いの姉のあまりのバカさ加減に、もはや怒りすらわかないラシェル。
もうこれ以上はないだろうと言えるほどに、リリーに向ける目は冷たかった。
「フフフフフフ、私の……負け、ですか」
自身の敗北を悟り、肩の力を抜いて目をつぶるリリー。
その表情にはどこか清々しささえもあった。
「なにかっこつけてんだこいつ」
「いいでしょう! 今回は負けを認めましょう……ただし! 次もこうはいきませんよ! ではさらばです!!」
お手本のような捨て台詞を吐いたと思うと、急に窓の方へと走り出し、三階から勢いよく飛び降りる。
しかも開いていた窓の方からではなく、閉まっていたもう一方の窓を突き破って。
「……やっぱ、バカの考えは読めねえな」
いや、かなり読めてたと思うけど――ラシェルはその言葉を飲み込んだ。
これは彼らが巻き起こすバカ騒ぎの、数多くあるうちのたった一つである。
ーーーーーー
「さて、くだらない用事も終わったことだし、とっとと帰るとするか」
「ほんとにくだらなかった……」
聖女見習いを襲おうとした害虫の退治を終え、長居する理由も特にない俺とラシェルは帰宅準備を始める。
「ラシェルは先に姿を消して馬車に戻っててくれ。俺は婚約者に帰るって一言伝えてくるから」
「……わかった」
インは了承すると魔法で姿を消しながら、部屋の入り口からではなく、開いている窓から外へ出ていこうとする。
その際、一瞬悔しそうな表情になったのを見逃さなかったが、何かを言う前に完全に消えてしまった。
「……まあいいか、とりあえず講堂のほうに――おっと」
婚約者のラミアを探しに行こうとした時、背後から誰かに腕を首に回され、体重をかけるようにぶら下がられる。
首だけ振り返ると、ちょうど探しに行こうとしていたラミアがいた。
いや、違う――
見た目は完全にラミアだが、こいつはラミアじゃない。
なにより、ラミアが俺に抱き着くような大胆なことをできるはずがない。
「……なんのつもりだ。ラシェル」
「…………」
ラシェルは何もしゃべらない。
だが沈黙はラシェルであることの肯定と受け取っていいだろう。
しばらく無言で抱き着いたのち、やっとラミアの姿をしたラシェルが口を開く。
「魔法の才能も、勉学の才能もあって、綺麗で穢れなき清廉な人気者の聖女様に、浮気によって生まれた犯罪者がほんの少し嫉妬した――ただ、それだけの話よ」
ほんの少しという割に、その泣きそうな声がいやに耳に残った。
きっとここで慰めるなりして、何か行動を移すのが正しい行動なのだろう。
ただ、それは間違いなく無責任な行動になる。
俺は何の行動も起こすことなく、ラシェルが満足するまでその場を動かなかった。
最後に少しじっとりと。
なお、何も知らされていなかったインは延々と手紙を探し続けています。