第三王女の暗躍
暗殺の任務を失敗したイースはまずナディアのもとへ向かった。
あらかじめ予定していた場所へ辿り着くと、すでにナディアはそこにいた。
「お疲れ様イース。任務のほうは……その顔じゃ、うまくいかなかったようね」
今のイースは自分でも自覚できるほど、ひどい顔をしていた。
「すいません……」
「顔は見られたの?」
「……はい」
「わかった」
その報告にナディアはほんのわずかな思考の後、判断を下す。
「詳細は後で詳しく聞くわ。それより今すぐに王都から脱出するわよ。おそらくあと数時間もすれば、あなたはトーヤ・ヘルト暗殺未遂として指名手配される」
少なくとも、二度と王都には戻ってこれないでしょうね――そう続けられた言葉に、イースの胸が痛む。
学園で育んだ友情が全て無に帰すという事実に、動揺が隠しきれない。
自分の記憶に疑念が生まれた今だからこそはっきりとわかる。
彼らとの温かく優しい日常は――偽りじゃなかったと。
「ナディアさん、俺は……」
一体何者なんですか?
その短い言葉は、ついぞイースの口から発せられることはなかった。
「どうしたの?」
「いえ……なんでもありません」
「なら急ぎなさい。まず一度下宿先に戻って、コクマに繋がりそうなものを処分するか持ち出すの」
淡々と行動を支持する上司に、弱々しい返事をするのがイースにはやっとだった。
ナディアの命令通り、下宿先へと戻ったイースは自分とコクマを結びつける品物を処分していく。
連絡用の魔道具、コクマから支給された物、メモ用紙等々。
次々と魔法で燃やして処分していく中で、机の上に置かれた植木鉢だけが残った。
それは変化草――王都に来て一番初めに親交を深めた相手からもらった植物だった。
『この学園生活で、あなたがなりたい自分を見つけてください』
その時言われた言葉を、今でも鮮明に思い出せる。
「リリーさん……結局俺は、見つけることができませんでした」
誰もいない部屋の中で、イースはひとりつぶやく。
『なににでもなれる』――その言葉を主張する変化草の花は、まだ咲いていない。
ーーーーーー
学園内頂上決定戦より数日――
サラスティナ魔法学園から一人の学生が姿をくらましたが、そんなものは国単位で見れば些事。
今日も何事もなかったかのように世界は回る。
そんなシール王国において、剣聖の称号を与えられたダルク・アーサリーが王城へと参上していた。
理由は『王国最高議会』からの呼び出し。
国の方針を決定するその機関は、名実ともにシール王国における頂点であり、そこで決定された事柄が国王によって施行される。
そのような機関からの呼び出しに、剣聖であるダルクはもちろん、彼の部下を含めた軍部全体にも緊張が走る。
護衛など通常任務を除き、軍部の象徴である剣聖を王城へと参上させるというのは、それほどまでに珍しいことだった。
もちろんダルクには拒否する意思も権利もなく、命令通りの時間に城へ到着すると、ダルクはすぐに謁見の間へと通される。
謁見の間にて待つのは、国王および有力貴族の面々。
リハーサルも何もなく、ダルクは国王からの勅命を下される。
『国際魔法究明機関、通称コクマの支部連続襲撃組織を【ミスフィット】と呼称し、これを討伐せよ』
国王からの勅命を受けたダルクは、考え事をしながらゆっくりと城の階段を下りていく。
考え事の内容はもちろんその勅命について。
階段を下りた先の広間では、ダルクのことを心配そうに見つめる部下達の姿があった。
「ダルクさん!!」
その部下達の中から、ダルクの一番弟子であるシータ・メルイが代表してダルクへと駆け寄る。
「此度の呼び出しはどのような要件だったのですか?」
弟子から問われたダルクは、事の詳細をその場にいた全員に向けて伝える。
「実は――」
ダルクからすべてを聞き終えたシータ達は困惑する。
「えっと……つまりその、ミスフィットというグループを我々で捕らえろということですよね?」
「生死は特に問われていないが、その認識で問題ない」
「……しかし、それは――」
言葉の続きを言いづらそうにするシータの代わりに、ダルクがはっきりとその続きを断言する。
「ああ、シール王国が直接的にコクマの味方をするということだ」
シール王国が公式にコクマの味方をする――それがどのような意味をもつのか、ほとんどのものが理解する。
しかし、全員が理解できたというわけではない。
「あの~すいません。味方すると何か問題があるんですか?」
一部のものは頭の上で疑問符を浮かべている。
今質問をした剣聖の弟子、ロウイルもその一人だ。
「そうだな……ヘルト家とコクマが不仲だというのは知っているな?」
「はい。そういや、ホクト・ヘルト様も昔コクマと諍いを起こしてましたね」
「そして言うまでもなく、ヘルト家はシール王国の象徴だ。何度も国の危機を救ってきた。シール王国としてもヘルト家の意志は最大限に尊重すべきだと考えている」
「……つまり、ヘルト家がコクマを嫌ってるから国も嫌いになれってことですか? そんな子供みたいな……」
「大きく間違ってはいないが、事態はそう簡単ではないんだ」
「と、いいますと?」
「国に対してめったに意見することのないヘルト家が、コクマに関しては異常なほどに口を出すんだ。『コクマとは縁を切れ』と。どれほどの年月が経とうと、どれだけ当主が変わろうと、コクマに対してはアレルギーのような拒否反応を見せている」
ダルクの言葉で、ロウイルもその異常性をなんとなく理解する。
「しかしコクマとの取引が国に少なくない利益をもたらすのも事実。だからこそ、今まではあくまでビジネスパートナーという立ち位置に収めていた。だが――」
その続きをダルクが言うよりも速く、ロウイルは理解する。
今回の件において、何が問題なのかということを。
「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあコクマの味方なんてすれば、ヘルト家が黙ってないんじゃないですか!? いや、最悪ヘルト家に対する敵対行為ととられることだってあるんじゃ……」
慌てるロウイルに対し、ダルクは静かにうなずく。
「ヘルト家と敵対するなんて、シール王国において何の得もないはずです。一体誰が主導となってそのような意見を通したのかわかりますか?」
どのような過程があってその結論に達したのか。
議会の様子を知ることのできないシータはダルクに尋ねる。
「僕もすべてを知ってるわけじゃないが、信頼できる情報筋によると、最初にその提案をしたのはリリアーナ様らしい」
「……? リリアーナ様?」
予想外の答えに、先ほどは察しの良さを見せたものも含め、今度は全員が疑問符を浮かべる。
「いくら王女とはいえ、議会で意見する権限なんてあるんですか? 議会に参加できる王族は国王と、国王から承認された王子だけのはず……」
「それにリリアーナ様はセーヤ様の婚約者です。敵対する理由なんて万に一つもないはずでは?」
思い思いにあげられる疑問の言葉。
ダルクはそれらに丁寧に答えていく。
「もちろんリリアーナ様が議会で直接発言したわけじゃない。リリアーナ様の息のかかった者を通してということだ。しかもその意見に対し、ほとんどの有力貴族が迷う素振りすらなく同意したらしい」
「ッ! ちょっと待ってください! そんなの、議会そのものがリリアーナ様に乗っ取られて――」
思わず声を荒げるシータの口をダルクが手のひらで塞ぐ。
「シータ、城の中でめったなことを口にするな」
「――すいません」
ダルクに諫められたシータはなんとか落ち着きを取り戻す。
「……ダルクさん、これからどうするんですか?」
「命令には従う。ミスフィット自体は犯罪集団だ。僕たちが討伐することに何の問題もない。準備だけは進めておこう」
「しかし……」
シータだけではない。
言いようのない不安を抱えた部下達の視線がダルクに向けられる。
「正直言って、僕にもリリアーナ様の思惑はわからない。けれど異常事態なのは確かだ。もし機会があれば、不敬を承知で国王様に直接尋ねて――」
そこまで言い、突如ダルクは言葉を切る。
「……ダルクさん?」
部下からの言葉にも一切振り返ることなく、ダルクは階段の上段を見上げていた。
シータや部下達もつられるように上を向く。
すると――カツン、カツン――まるでどこか別世界から聞こえてくるような、しかしただ階段を下りるだけの音が鳴り響く。
下りてきたのは一人の少女。
その少女の姿を確認したダルク達は、すぐさま片膝をつきこうべを垂れる。
輝くほどの金色の髪をなびかせながら、王女としての正装をまとった少女はゆっくりとダルク達の目の前まで歩いていく。
「顔を上げてください。『剣聖』ダルクさん。そして、この国の剣であり盾でもある騎士の方々」
穏やかで、なおかつ威厳のある声で少女は言葉を投げかける。
それに対し、ダルクは皆を代表して言葉を返す。
「我々には身に余るお言葉です。リリアーナ様」
「あら、謙虚なんですね」
突然の第三王女リリアーナの登場に、シータ達は顔を上げることができない。
恐れ多いという理由ではなく、リリアーナが先ほどまで噂をしていた相手であり、それに対する動揺を隠すことができない故だ。
「リリアーナ様はどうしてこちらに?」
「ミスフィット討伐の命をあなた方が受けたとの報告を聞いたので、激励の言葉をかけようかと……余計なお世話だったでしょうか?」
「いえ、光栄に思います」
「ふふ、それはよかったです」
にっこりと裏表のなさそうな笑顔を浮かべるリリアーナ。
そんなリリアーナに対しシータは、『お前が言い出したことだろ』と内心毒づくも、もちろん口には出さない。
「あなたたちの活躍に期待しています。素晴らしい成果を聞かせてくださいね」
「必ずや」
激励の言葉を終え、その場から離れようとするリリアーナ。
背を向けたリリアーナに対し、引き留めるようにダルクが声を出す。
「失礼ながら……一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
その言葉にリリアーナは足を止めるも、振り向くことはなくそのまま言葉を返す。
「何でしょう?」
「リリアーナ様は、一体何をお考えなのですか?」
ダルク達の抱いた疑問。
その本質に切り込むような質問をリリアーナに問う。
はぐらかされるのだろうか、それとも衝撃の事実を告げられるのだろうか。
わずかな恐れを抱きながらダルク達はリリアーナの言葉を待つ。
ゆっくりと、ゆっくりと振り向き、皆の待つ答えをリリアーナは告げる。
「私はいつだって――――この世界が私好みになるように、そう考えて生きています」
少女は笑顔を浮かべる。
しかし、それは先ほどの笑顔とは正反対と言えるもので。
視るもの全てを惑わしてしまうような、妖艶な笑みを浮かべた少女がそこにいた。
これにて五章は終わりです。
少し番外編を投稿してから、一気に物語が進む予定の六章に入ります。
……そういや四章の締めもリリアーナだったなぁと、書き終わった後に気づきました。