奥の手
「よおイース、待ってたぞ」
当然のようにそう告げるのは、まさにイースの暗殺対象であるトーヤ・ヘルト。
「やはり、自分をここに呼んだのはトーヤ様だったんですね」
「まあな、ここなら試合会場からも遠いし、内緒話も存分にできるだろ?」
トーヤの言葉通り、闘技場にはトーヤとイースの二人のみ。
遮蔽物が少なく、だだっ広い第3闘技場には、人の隠れられる場所が少ない。
観客席などに隠れることもできるにはできるが、二人が立っているのは闘技場の中心。
少なくとも二人を中心に半径五十メートルほどには、遮蔽物が一切ない。
これは暗殺の際、他者からの妨害を懸念していたイースにとって、願ったり叶ったりの状況だった。
仮に観客席に隠れている存在がいても、奥の手を発動できれば何の問題もないと判断したからだ。
「トーヤ様……自分は――」
「俺を殺せとでも言われたか?」
「…………」
その言葉に、イースはそれほどの驚きはなかった。
きっとトーヤ・ヘルトなら、すべてを察しているのだろうという謎の確信があったからだ。
「その通りです。自分は……俺は、今からあなたを殺します」
ふざけた発言だ――自分で口に出しながらも、イースにはそれを自覚できていた。
そんなイースの殺人宣言に、トーヤは怒るでもなく、困惑するでもなく、ただ悲しそうに笑った。
「相変わらず馬鹿正直な奴だな。……ったく、そんな泣きそうな顔して言う言葉じゃないだろうに」
「……俺は今、そんな顔をしてますか?」
「ひでえ顔だぜ。お前にそんな顔させるやつらに、飛び蹴りした後ヘッドバットくらわせてやりてえくらいだ」
「やめてくださいよ。俺がこんな顔をしてしまうのは、俺の弱さが原因なんです。あの人たちは関係ありません。あの人たちは、地獄のような環境で生まれ育った俺に、人間らしい生活を与えてくれた恩人ですから」
「恩人、ねぇ……」
イースの恩人という言葉に、トーヤは不機嫌そうに顔をしかめる。
これから殺そうという相手にもかかわらず、たわいもない会話を続けてしまうイース。
そんな会話を続ければ続けるほど、辛さや戸惑いが増していく。
これ以上はダメだ――そう感じたとき、イースは制服に仕込んでいたナイフを抜き、トーヤのもとへと駆け出す。
そして奥の手を発動した。
「その意識は無窮へと囚われる――」
『減速・囚束心』
イースのメインは、正確には加速ではない。
学園ではカモフラージュのために加速ばかり使用していたが、実際のメインは速度変化。
速くすることだけではなく、遅くすることもできる。
『加速』はイース自身やイースの触れたものにしか適用できないが、『減速』には触れずとも発動できる魔法が存在する。
常識外れ故に奥の手。
その奥の手『囚束心』は、半径10メートル以内にいる相手の行動をほぼゼロまで減速させる。
さらには動きだけでなく、『意識・思考』すらも減速させてしまう。
それにより、相手は魔法を受けているということすら気づくことができない。
魔法攻撃に対しても有効であるため、客席からの援護があったとしても減速するため無意味。
イースにこの魔法がある以上、10メートル以内まで近づいてしまった時点で、相手にはなすすべがない。
奥の手を発動したイースは、何の障害もなくトーヤとゼロ距離まで近づく。
しかしトーヤにはまったく動く気配がない。
己の発動した魔法が正常に作用していることをイースは確信する。
イースの持ったナイフが、トーヤの首に触れる。
このまま、トーヤはナイフをあてられていることにも気づかず、気づいたときには首を切られ死ぬ。
無慈悲で、抗いようのない理不尽な殺し。
――すいません
小さくつぶやくように、イースの口から漏れたのは謝罪の言葉。
そんな言葉を吐いたところで許されるはずもない。
だがそれでも、言わずにはいられなかった。
今一度覚悟を決め、イースはナイフを振りぬく。
赤い血が飛び散り、何が起きたのか事態を把握できないトーヤが、困惑のまま地に伏す――
――はずだった。
「どういう策でくるか気になったから無抵抗でいたが、まさか馬鹿正直に真正面から殺しに来るとはな」
動いていた、話していた、イースを見つめていた、まるで正常であるかのように。
ナイフを振りぬこうとしていたイースの手を、微塵も動かないほど力強く、トーヤは握っていた。
――魔法が効いていない!?
「くっ!」
掴まれていた手をなんとか振りほどき、イースはトーヤから距離をとる。
なぜ効いていない?
そもそも魔法が発動していない?
いや、そんなはずがない。
なら原因は?
次から次へとあふれ出る疑問に呼応し、困惑と動揺がイースの胸の内を急速に侵食していく。
その動揺は魔力の制御を乱すまでに膨れ上がり、ついには奥の手を維持することも困難になってしまう。
とはいえ、そのまま奥の手を解除してしまうほど、イースは生温い訓練を受けてきてはいない。
即座に意識を切り替え、心を落ち着かせ魔法を維持させることも可能だった。
だがあえて、イースはそのまま奥の手を解除する。
どのような理由にせよトーヤに奥の手が通じない以上、発動したままにしておくメリットはない――そう考えたが故の行動。
しかし、それは間違いなく悪手だった。
『青凍縛獄』
奥の手を解除した瞬間、イースの体が凍った。
「ッ!? これは――!!?」
正確には首から下。
首から上は自由に動くも、それ以外は一切身動きがとれない。
身体強化を使用し、なんとか動こうとするも、ピクリとも動く気配がない。
「やめとけ、マヤの魔法だ。動けやしねえよ。あ、マヤってのは俺の……まあモンペみたいなもんだ」
身動きのとれないイースに、トーヤはゆっくりと近づいていく。
「最初から俺の周囲に魔法陣を張り巡らせてたんだよ。踏んだ瞬間に発動するように。なぜ今になって発動したのかは疑問だが、大方お前の魔法が関係してるんだろ。加速を使えるんだ……速度変化の応用ってところか?」
どんどん独り言のように声量を下げ、ブツブツとつぶやきながら近づくトーヤだが、その歩みを制す者がいた。
「トーヤ様、こいつは未知の魔法を行使します。あまり近づかれるのは避けるべきかと」
その人物にイースは驚きを隠せない。
なぜならその人物が現れないと確信したからこそ、トーヤ・ヘルトの暗殺を実行しようと踏み切ったためだ。
「おいおいツエル、いいって言うまで姿を見せない約束だったろうが」
つい先ほどの試合会場で放ったものとなんら変わらないオーラを纏いながら、少女はトーヤの手前に立つ。
イースが絶対に勝てないと悟った相手が、凍った体がさらに凍てつくような鋭い瞳でイースを睨んでいた。
「いやいやトーヤ様、ツエルさんそれでもかなり我慢したんですぜ。トーヤ様の首にナイフが当てられそうになった時、今にも怒り爆発って感じで飛び出していきそうだったんでこっちがひやひやしましたよ」
「主の危機に静観していろなんてのは酷というものだ。私だって作戦を聞いて君の無鉄砲さにあきれたんだから」
ツエルだけではない。
さらに一組の男女がトーヤ達のいる会場中央に姿を現す。
「フーバー、ヴィエナ、お前らまで」
氷漬けにされた自分の現状に加え、次々と現れる存在にイースは理解がまったく追い付かない。
ただわかったのは、ここにいる人間がみなトーヤの味方であるということだけだった。
「ったく、二人きりで話したかったってのに。まあいいや、話の邪魔はすんなよ」
そう言うとトーヤはイースへと視線を向ける。
トーヤの瞳は相変わらず、つい先ほど己の命を奪おうとした相手に向けるものではない。
「さて、こうして暗殺は失敗に終わったわけだが……ああいや、回りくどいのはなしにするか」
ほんのわずかな静寂の後、トーヤからイースに告げる。
「イース、コクマと縁を切れ」
「それはできません」
イースの返事は即答だった。
だがトーヤもそのことに動揺することなく、まるで予想していたかのように言葉を続ける。
「コクマが恩人だからか?」
「ええ、その通りです」
「エトノール……だったか?」
「……そこまで調べてたんですね」
トーヤの口にした言葉は、ミシュレンという国の首都の少し外れにある世界最大規模のスラム街の名称。
イースが生まれ、幼少期を過ごした場所でもある。
「どうしようもなく、ひどい所です」
「それは過去の経験からか?」
「ええ、誰もかれもがその日を生きることに必死で、いつだって自分以外の存在は敵でしかなかった。数少ない物資を奪い合い、弱いものから死んでいく。そんな世界に生きていた俺を、コクマは救い出してくれたんです」
親の顔は知らない。
自分という存在を個人として自覚できるようになった時にはすでに、奪い合う日々に身を置いていた。
信頼できる少女が一人だけいた気もするが、今や顔も名前も思い出せない。
ゴミをあさり、盗みを働き、弱者である子供には常に死が身近にある。
「そんな俺を助け出してくれたのが、コクマだったんです。君には才能がある……そう言ってくれた」
残飯じゃない食事を与えられた。
綺麗で仕切りのある寝床を与えられた。
一般的な知識を与えられた。
力を与えられた。
コクマはイースに人として持つべきもの全てを与えた。
そんな神のような存在に対し、縁を切ることなんてできない。
「コクマに受けた恩を返せるのなら、命をかけてもかまわない――本気でそう思えるんです。だから俺は、コクマを裏切れない」
強固な決意とわずかな悲しみをおびたその眼をトーヤへと向ける。
あなたの提案を受けることはできない。
だから、ここで殺されてもかまわないと、イースは暗にそう告げていた。
「……聞けば聞くほど胸糞が悪くなるな」
揺るぎない覚悟をぶつけられたトーヤ。
しかし、イースを見るどこか悲し気な、どこか憐れむような表情が変化することはない。
「わざわざ辛い過去をイースが話してくれたんだ。俺も一つ昔話をしよう。といっても、俺の話じゃないけどな」
そう言って前置きをすると、イースはある一つの貴族家の話を始める。
「10年程前のことだ。歴史ある貴族家、それこそヘルト家以上に長く続く名家で事件が起こった。当主および一族、さらにはその貴族家の屋敷で働いていた使用人たちまでもが皆殺しにされる事件があった」
多くの貴重品の類が消えていたことから、強盗殺人とされ調査が行われたが、犯人は今だ見つかっておらず未解決。
残った親族により家の再興が図られたが、それが叶うことはなかった。
凄惨な事件として10年経った今でも語り継がれるほど有名な話だが、なぜ今その話を始めたのかイースにはわからなかった。
「本題はここからだ。さっき皆殺しだったといったが、ただ一人死体の見つからなかったやつがいる。イース・トロイスト、殺された当主の嫡男だ」
イース――なるほど、自分と同じ名だ。
しかしだからなんだというのだ。
自分とはまったく関係がない。
まさかそれが自分だとでも言うのだろうか?
バカバカしい。
だというのに、その名を聞いたときイースの心臓がはねた。
「なあイース、自分の記憶に疑問を覚えたことはないか? そうだな例えば……大切なはずの思い出を思い出すことができない、とか」
『おーい、××くん――』
遠くで小さな少女が、自分に向かって手を振る。
なぜか顔が見えない、名前を思い出せない。
自分をなんと呼んでいたかも不鮮明で聞こえない。
まるで記憶のその部分だけモヤがかかっているかのように。
「……何が、言いたいんですか?」
先ほどと同じようにイースはトーヤを睨む。
だが先ほどの迷いない瞳には、わずかな疑念が浮かんでいた。
「さっき言ったろ。ただの昔話だって。気になるならその先は自分で調べてみろ」
そう言ってトーヤが指を鳴らすと、イースの体に自由が戻る。
凍りついていた体は何不自由なく動き、まるで逃げてもいいと言われているようだった。
「殺さないんですか?」
「殺さないさ。お前は自由だ。どこへなりとも好きな場所へ行く権利がある」
「今日このことを、コクマに伝えるかもしれないのに?」
「その時は俺の考えがあまかっただけだ」
「…………」
イースはトーヤの真意を量りきれない。
一体この人の目的は何なのか。
一体この人は何を見ようとしているのか。
湧き出た己の記憶に対する疑念以上に、目の前の相手のことを知りたがっているという事実。
そのことにイースは違和感をおぼえることはなかった。
「トーヤ様、先ほどのトーヤ様との会話を、イースは本当に報告しないと思われますか?」
イースが去り、トーヤ、フーバー、ヴィエナ、そしてツエルの4人になった闘技場で、ツエルがトーヤに尋ねる。
「しないと思うぜ。『伝える』じゃなく『伝えるかも』だった時点で迷いが生まれてるのは確かだ。強固な信念に亀裂は入った。コクマに対する恩が偽物だったらいいのに――そう思う気持ちは学園生活で芽生えている。あいつが救われるか否か、後は自分次第だ」
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