望まぬ決意と覚悟
ナディアから告げられた命令に、イースはただただ困惑する。
「暗殺……ですか? しかしそれはトーヤ様の容疑が確定してからのはずでは――」
「ええ、だからつい先ほど確信したの。トーヤ・ヘルトは黒よ。仮に実行犯でなくとも、何かしら襲撃事件に関与しているのは間違いないわ」
「……」
鋭い瞳で睨まれたイースは何も言うことができない。
ナディアは己の上司、それも副支部長という格上。
目をかけられているため、こうして直接話すこともできているが、本来なら何人もの人間を挟んでやっと意見が伝わる程度。
会うことさえままならない。
そんな相手に、イースが反論などできるはずもなかった。
そもそも、トーヤ・ヘルトがコクマ支部襲撃事件の容疑者としてマークされているのには理由がある。
単純明快な理由、それは――事件が起きた全ての時間帯において、トーヤ・ヘルトのアリバイが一切存在しないこと。
襲撃されるのは基本的に平日の真夜中、人が最も少ない時間帯。
そのような時間にアリバイも何もないかもしれないが、トーヤは襲撃が起きた日の学園を全日欠席している。
トーヤは普段から学園をサボりがちなため、それを知っている周囲の人間は気にすることすらしなかった。
だが、そんな前提知識のないコクマはトーヤの欠席が襲撃事件の日とリンクしていることに気づいたのだ。
簡単なアリバイ工作すら行っていないことに疑問は残ったものの、コクマはそれでトーヤを容疑者候補の一人に、それも最有力候補として認定した。
「もともとほぼ黒に近かったのが、完全に黒だと確定したに過ぎないわ」
「それは、理解できます……しかし、今すぐでなくとも、もっといい機会が――」
「試合の勝利者はインタビューやメディカルチェックでしばらく拘束される。あなたもそうだったでしょ? つまり必然的に、あの護衛の少女がトーヤ・ヘルトの傍を離れるということよ。確かに、今朝の様子を見れば護衛を付けずにぶらぶらしていることもあるみたいだけど、だからといってこれからもそうするとは限らない」
「……」
「実行には早過ぎる。まだ機会はいくらでもある。次のチャンスを待てばいい。そんな悠長なことを言って、絶好の機会を取り逃し、あの時やっていれば――そんなどうしようもない後悔を抱えてきた人間を何人も見てきたわ。『今できるならやりなさい』そう考えて行動するように教えたはずよ」
「…………はい」
反論したいことはいくらでもあった。
しかし、イースにはそれを上手く口にする力はなく、ただ力なく肯定する。
「……まあいいわ。それと、周囲に人がいないときはトーヤ・ヘルトに『様』をつけるのはやめなさい。どうやら任務でヘルトに近づきすぎてしまったみたいね。わかっていると思うけど、あなたがこの学園で築いたヘルトとの親交は全て偽りのものよ。ヘルトとコクマの確執は、どうやったって埋められやしないんだから」
貴族家ヘルトと、企業組織コクマの確執。
500年近くに及ぶその確執は、シール王国に住む全ての人間が知るほど。
「ヘルト家二代目当主オーガ・ヘルトから、現当主ホクト・ヘルトに至るまで、常にヘルトとは諍いを起こし続けている。今回の一件もきっとそれ絡みなんでしょう。証拠がない今の状態じゃ、ヘルトを訴えることもできやしないのだけど」
――仮に、トーヤ・ヘルトが本当に襲撃犯だったとして、本当にそんな確執のために起こしたことなのだろうか?
今までに感じたトーヤ像とに乖離があり、少し疑問を覚えるイース。
いや、これもトーヤに近づき過ぎたため、無意識にかばってしまっているだけなのかもしれないと自嘲する。
もはやどこか投げやりのような状態だった。
「命令の内容と意義を理解できたなら、今すぐ実行しなさい。護衛の子が自由になるまで、少なく見積もって30分ってところよ」
「わかりました」
心を入れ替えろ。
迷うな。
ただ殺せばいい。
コクマから受けた恩を思い出せ。
その恩は、例えこの手を血で染めようともお釣りがくる。
そうだ、全てはコクマのために――
無垢で透明な少年は、暗殺者としての覚悟を決める。
殺すと決めた、命令に従うと決めた。
そう何度も、自分に言い聞かせるようにイースは心の中で繰り返す。
まず冷静になって考えた。
トーヤ・ヘルトの居場所はどこか?
単純に考えれば闘技場の観客席、それも貴族や富豪のために用意されたVIP席にいるはず。
しかしトーヤの行動は予測ができないため、本当にVIP席にいるかは確信が持てない。
とはいえ他に候補がない以上、そこに向かう以外ないと考えイースは歩みを進める。
会場前の入り口付近は、試合と試合の合間ということもあり、人であふれかえっていた。
ごった返す人の群れに、イースは思うように進むことができない。
そんな中、イースは己の制服のポケットをまさぐられたような感覚を得た。
――スリか?
思わず振り返るが、この人混みでは犯人の特定もできない。
おそらく混雑を狙った犯行だったのだろう。
貴重品は内ポケットに入れておいてよかったと安堵しながら、まさぐられたポケットに手を入れる。
すると、その中には一枚の文字が書かれた紙が入っていた。
『第3闘技場』
書かれていた内容はそれだけ。
誰が書いたのかの署名すらない。
それでも、イースには理解できた。
自分は呼ばれているのだと。
踵を返し、イースは迷いなく第3闘技場へと向かう。
「イース」
目的の闘技場へと向かう際中、イースは一人の少女に呼び止められる。
「ロゼ」
「試合会場はそっちじゃない。迷子?」
本名ローゼリッタ・ストラウド、魔眼持ちの少女が不思議そうにイースを見つめていた。
「迷子じゃないさ。ちゃんと目的をもって行動しているよ」
「そう」
ロゼは短く返事をすると、また黙ってイースを見つめる。
思考しているのか、それとも返事待ちなのか。
ロゼが生み出すこの独特の間には、最後まで慣れることがなかったなと、何とも言い表せない感情がイースの胸中に広がる。
おそらく、この少女と会うのもこれが最後になるのだろう――そんな考えが頭に浮かぶと、決心に迷いが生まれるような気がしたイースは、すぐにその場を去ろうとする。
「悪い、急いでいるから俺はこれで」
ほとんど強引に離れようとしたイース。
だが、その手を掴まれる。
逃がさないように、引き留めるように、されど割れ物を扱うように。
普段は自分から積極的な行動を起こすことのないロゼが、イースの手を握っていた。
そんなロゼの行動に、少なからずイースは驚きを見せる。
「どうしたんだロゼ? 一体――」
「悲しそうな色してる」
ロゼの輝く魔眼が、イースの瞳を見つめていた。
「決意を決めた色をしてる。心を痛めている色をしてる。泣きそうな色をしてる。……消えてしまいそうな色をしてる」
「ロゼ……」
普段から変化の乏しいロゼの表情に、“不安”の感情が見て取れるほどに表れている。
それを見て、心を痛めた少年は嘘をつく。
「大丈夫だ。俺は消えたりしないから」
その場しのぎの、誰も救われない嘘を――
それに安心したのか、ためらいながらもロゼは掴んでいた手を離す。
「今のイースは、いろんな色が混ざってて、複雑で、わかりにくくて、でもすごく、その……悩んでて、そんな気がして……」
ロゼの口調はたどたどしいながらも、悲しい色をした友人を励まそうと、必死に考えながら言葉を紡いでいく。
「――でも、イースの根本にある色は、何も変わってないから。無色透明な、どんな色にでも染まれる色だから」
『透明』――それはイースがロゼと初めて会った日に言われた言葉。
それが励ましの言葉になると思っているロゼ。
魔眼を通して色を見ているロゼにしかわからない励ましの言葉であり、ロゼ以外には理解しがたいそんな言葉が、イースはなぜだかたまらなく嬉しかった。
「ありがとう、ロゼ」
約束は守れない。
また会える保障もない。
だからこそ少年は、心からの感謝の気持ちだけを伝えた。
自分の色が透明ならば、トーヤ様は一体どのような色をしているのだろうか?
特別なものが見え、なおかつ恐ろしい精度を持つ魔眼で、己の監視対象がどう見えるのかという疑問が湧くのは至極当然のこと。
だからイースはロゼに尋ねたことがある。
トーヤ様は一体どんな色をしているのか? と。
その質問に対し、ロゼから帰ってきたのは意外なものだった。
『色が見えない』
イースのように透明というわけでもなく、色自体が全く見えなかったという。
ロゼにしても初めての経験だったらしく、かなり困惑していたのをイースは覚えている。
直接相手の魔力を視認して色を認識するその魔眼は、魔力隠匿魔法でも誤魔化すのは不可能。
にもかかわらず、トーヤの色を魔眼で認識することができない。
妹であるカナン・ヘルトでさえ、ロゼは色を視認していた。
ヘルトというわけではなく、本当にトーヤのみが見えない。
――分からない人だ、初めて会った日からずっと。
初めてトーヤ・ヘルトと会ったときから数えて、たったの2週間。
されどどこか感慨深く感じながら、イースは第3闘技場に立つ。
その闘技場の中心に、イースの探していた相手が、背中を向ける形で立っていた。
イースの存在に気づくと、その相手は笑いながら振り向く。
「よおイース、待ってたぜ」
少年は少年を殺すため。
少年は少年を救うため。
二人の少年が、明確な目的をもって向かい合う。
あと数話で五章も終わりです。
最近感想がよくくるのでとても嬉しいです。これからも投稿し続けます。