望まないもの
「姉さん、こっちです」
試合会場へと戻ってきたナディア。
先に観客席に座っていたイースに呼ばれ近づくも、心はここにあらず。
「どうしたの姉さん?調子が悪そうだけど、姉さ――ナディアさん?」
唐突に名を呼ばれたことで、ナディアはようやく我に返る。
「なにかありましたか?」
ナディアの様子を心配したイースは兄弟の体を捨て、部下として語り掛ける。
「いいえ、なんでもないわ。ほら、敬語になってるわよ」
「……わかったよ」
わかりやすくはぐらかされたことに納得のいかないイースだが、コクマ関連の案件であれば下っ端同然の自分が深く聞き出すわけにもいかないため、おとなしく引き下がる。
二人は席に座り試合が始まるのを待つ。
一見、平静を取り戻したかのように見えるナディアだが、内心は荒れに荒れていた。
――なぜケイの名を出した?
――連絡を取っていることがばれている。となると密偵のことも?
――それをわざわざ私に伝えた理由は?
――ケイからの定期連絡では今のところ問題ない。
――コクマ支部連続襲撃事件にやはり関わっている?
次から次へ、疑問と仮説が思い浮かぶが、確信を持てるだけの情報が足りない。
結局あの後トーヤ・ヘルトは、言うだけ言って制止も聞かず去っていった。
あの男が一体何の目的を持っているかはわからない。
だが、警戒しなければならない相手だとナディアは改めて認識を強くする。
――ひとまず忘れよう。
イースがトーヤ・ヘルトの懐に潜り込むことができれば、より詳しい情報が期待できる――そう考え、これから始まる試合に集中することに決めたナディア。
ちょうど試合の開始時間になり、試合ステージ片側の入場口から選手が登場する。
『さあ一回戦第二試合が始まります!まず登場しますのは、我らが学園の生徒会副会長であり、学園のおかんとも名高い――ナタリア選手!!』
イースとも親交の深い先輩であるナタリアがステージへと姿を現し、歓声に応えるかのように観客席に向かって手を振る。
緊張をおさえることに必死だった自分と比べ、精神的な余裕がある姿を見てイースは感心した。
「へえ……あの子、なかなかやるわね」
まだ現れただけのナタリアを見て、ナディアがぼそりとつぶやく。
「わかるんですか?」
「ええ、仕事柄よく本物と呼ばれるような実力者に会う機会があるけれど、そういう人間って、見た目のオーラとか、仕草とかでわかるものなのよ」
「オーラというのは……?」
「別に魔眼とかそんなんじゃないわよ?感覚的な話なの。こればかりは経験を積まなきゃわからないと思うけど――」
きっとすぐにわかるようになるわ――そう告げられたイースだが、やはりいまいちピンとこない。
しかし、なにかが引っかかるような感覚を覚える。
「とにかく、学生でこれだけのオーラを出せるのはさすがだわ」
感心するようなナディアのその表情は、もはや試合の勝利すらも予測しているかのようだった。
『準優勝の一昨年、三位入賞の昨年に引き続き、三年連続で本戦への出場を決めたナタリア選手!最終学年の今年こそ狙うは優勝でしょう!!』
実況の言うように、結果も残しているナディアは本物の実力者だ。
イースを含めた生徒会内でも一番強く、問題を起こしたSクラスの荒くれ共を、力づくで叩きのめし抑えるほど。
そんな先輩であるナディアの勝利をイースも疑うことはない――相手が彼女でなければ。
この時、やっとイースは先ほどの引っかかりを理解できた。
以前に感じたことがあったのだ。
そのオーラというものを、一度だけ。
Sクラスの建物に初めて訪れたとき、身の毛もよだつ恐ろしいオーラを。
『優勝を狙うナタリア選手に立ちふさがる壁として、もっとも高く強固なのはこの一回戦のはずです! それでは登場していただきましょう!優勝候補筆頭であり、魔人とも交戦経験のある闇魔法の使い手――』
実況に促されるように、ナタリアの対戦相手が姿を現す。
「さて、あの子がトーヤ・ヘルトのご、え――」
ナディアがその対戦相手の姿を認識したとき、顔が驚愕に染まり、言葉を詰まらせる。
「……嘘、なにあれ……?あんなの、学生レベルでいていい存在じゃないでしょ……!!」
怒りと戸惑いが混じり合ったような感情を、そのまま言葉に吐き出すナディア。
そんな彼女の視線の先には、ナタリアが霞んでしまうほど異常なオーラを放つ少女がいた。
『トーヤ・ヘルト様に付き従うただ一人の護衛――ツエル選手!!!!』
ナタリアとツエル。
二人の試合が始まり5分が経過した。
試合会場の観客たちはまるで声の出し方を忘れたかのように静かに、そしてみな等しく息をのむ。
ステージ中央には膝をつきうなだれるナタリアと、堂々と立ち尽くすツエル。
まるで対比のように向かい合う二人。
『……し、試合終了!なんと、なんとなんとなんと、防御魔法の損傷率0%という前代未聞の完全勝利を――ツエル選手が成し遂げました!!!』
実況の言葉に、会場が歓声を取り戻す。
こうなるともう止まらず、とんでもないものを見た観客たちの熱狂は最高潮まで達する。
そんな中で、イースとナディアのみ表情が険しく、冷や汗を流す。
ツエルの見せた試合は、これ以上ないほど圧倒的なもの。
まずツエルからは一切攻撃を仕掛けることなく、ナタリアから繰り出される攻撃やステージギミックを完璧に防いでみせた。
避けることすらせず、ありとあらゆる工夫を加えられた攻撃を真正面から防ぎきる。
そうして3分ほどたったころ、今度は一気に攻勢へと打って出た。
まるで己の力を誇示するように、敵の心を折るかのように、魅せつけるかのように行われた攻防。
にもかかわらず、イースにはツエルの底が見えなかった。
ただただ恐怖する。
ツエルからのオーラを受けて、ただ立ち尽くしたあの日と同じように。
カナンとの特訓で、勝てる見込みが見えたはずだった。
しかし、その見込みは想像していた以上に遠い。
任務の達成、および試合で小さく抱いた希望が離れていくのを感じた。
そんなイースの隣でナディアは考える――勝てるわけがない、と。
軽く見積もっても学生レベルを遥かに凌駕する強さ。
奥の手を使わなければ、どうあがいてもイースに勝算はないと結論付ける。
善戦することすら期待できない。
だがそうなれば、トーヤ・ヘルトの部下として懐に潜り込む計画はとん挫する。
そもそも、トーヤ・ヘルトは二人の実力差がわからないほどマヌケなのか?
いや、そんなわけがない。
わかっていながら、『ツエルという少女から認めてもらえれば部下にしてやる』などと言ったのだ。
そうだ、初めからイースを部下にする気など、情報を与える気などさらさらなかったのだ。
ナディアの中でトーヤに対する警戒心と不信感、容疑者としての疑惑が一層強まる。
「イース、ここにいたのか」
二人が各々の理由で表情を険しくしていると、一人の少年がイースへと話しかける。
その少年は生徒会の先輩であるデイルだった。
「デイルさん、どうかしましたか?」
「生徒会で割り振られた分の仕事だが、今日は残りいくつある?」
「自分が担当するのは第四試合後の観客誘導、それと本戦後の片付けくらいです」
「なら観客誘導のほうは俺が代わろう。決勝への出場が決まったんだ。そっちに集中するといい」
場合によっては不機嫌にも見えるその表情を、一切変化させずイースに提案するデイル。
だが短い付き合いの中で、イースはそれがデイルの不器用な優しさだと理解しているため、素直に提案を受け入れる。
「ありがとうございます」
「なに、気にするな。ところで、そちらの方は知り合いか?」
デイルはイースの隣に座るナディアに目を向ける。
「初めまして、イースの姉のナディアと申します。生徒会の方ですよね?イースがお世話になっております」
先ほどまでの動揺が嘘かのごとく、ナディアはデイルに対し完璧な対応を見せる。
「2年のデイルです。こちらこそ、イースにはよく助けてもらっています」
お互いが挨拶を済ませると、デイルは改めてイースの方に向き直る。
「てっきり会長も含めたいつものメンバーと一緒だと思っていたんだが、どうりで見つからないわけだ」
「一緒に試合を見る約束はしていたんですが……」
「なに、Sクラスの絡んだ約束事は守られる方がまれだ」
あながち冗談とも言い切れないデイルの言葉に、イースは苦笑いを浮かべることしかできない。
「そういえば最近ケイの姿を見ていないな。前はよく君と一緒にいるのを見かけたが」
「ケイなら二週間ほど前から風邪をこじらせたみたいで、学園にはずっと来ていないんです」
「そうだったのか、早く良くなるといいな」
その後、仕事があるからと言ってその場を離れたデイル。
先輩の優しさに感謝しつつ、振り返ったイースが見たのは――顔を真っ青にしたナディアだった。
動揺を必死に隠そうと手を口に当て、その額には焦燥から来る汗が流れ落ちる。
「……ナディアさん?」
イースの問いかけにも、ナディアはうつむいて黙ったまま。
しばらくしてようやく顔を上げると、イースに告げた。
「会場の外に出るわ。ついてきて」
ナディアのその言葉には、今までは感じることのできた温かさのようなものがなかった。
イースは言われた通り素直についていき、人気のない場所まで移動する。
そこでナディアは振り返り、イースと向き合う。
優し気な視線ではなく、真剣な視線が向けられる。
それだけでイースは理解した。
今目の前にいるのは保護者ナディアではなく、コクマの上司としてのナディアなのだと。
「イース」
力強く、威厳のある声でその名が呼ばれる。
「あなたの姉としてではなく、国際魔法究明機関シール王国統括支部副支部長として、命令を下します――」
嫌だ、聞きたくない。
なにか確信があったわけじゃない。
イースは本能的にそう感じた。
だが、そんなイースの思いなど関係なく、その命令は告げられる。
それはイースがもっとも望まないもの。
わずかに抱いた希望の、消えていく音がした。
「トーヤ・ヘルトを暗殺しなさい」
余裕ある系のお姉さんキャラを驚愕させたいと思って前からこのシーンを考えてたけど、余裕のあるお姉さんキャラか?と問われれば微妙な気がしてきた。