かつてはこの学び舎で
「初戦突破おめでとう」
見事勝利を収め、選手控え室へと戻ってきたイースを祝福したのは、送り出してくれたエマ達ではなく、後からかけつけたカナン・ヘルトだった。
「カナン、わざわざきてくれたのか」
「当然だろう。友の大切な試合に顔も出さないほど薄情じゃないさ」
ほとんど身長差のない二人は、同じ目線でお互い軽く笑みを浮かべる。
「それはありがたいが、少し情けない試合を見せてしまったな」
「仕方ないだろう。ハルク、彼があれほどの成長……成長を見せるなんてなかなか想定できるものじゃない。纏う雰囲気すら別物だった。むしろすぐに気を入れ替え、立て直したことこそ素晴らしかったと思うよ」
隠すことの無い直球なカナンの褒め言葉に、イースは照れくささを覚える。
ついカナンから顔を逸らすと、イースはあることに気づいた。
それは、試合前に自分を送り出してくれたエマやロゼ達、さらには上司であるナディアの姿が見えないこと。
不思議に思うイースの心情を読んだかのようにカナンが口を開く。
「ロゼ達なら私が来ると同時に、鬼のような形相をした生徒会長に追いかけられていったよ。おそらく、また余計なことを口走ったんだろう」
その光景を簡単に想像出来てしまったイースはつい苦笑いをうかべる。
「それとイース、君は姉がいたのか」
カナンの言う姉という人物が、ナディアのことであるのはすぐに察せた。
「ああ、応援に来てくれたんだ」
「私は兄弟が男ばかりだから、女兄弟がいるのは少し羨ましいな。姉面をしてくる使用人ならいるが」
そう言って笑いかけるカナンだが、実際には兄弟どころか、自分のことを産んだ両親の顔さえイースは知らないため、作り笑いで返すことしかできない。
「で、その姉から言伝を預かっている」
「言伝?」
「学生時代の友人と待ち合わせをしていて、これから会ってくるとのことだ。あと、初戦突破おめでとう――そう伝えて欲しいと言われたよ」
カナンの言伝で、ナディアが控室に居ない理由をイースは理解する。
「悪いな。わざわざそんなことさせてしまって」
「いやいや、私が無理に聞いたんだ。少しそわそわしていたから、なにか伝えたいことがあるなら伝えておく――と、半ば強引にな」
茶目っ気をきかすようにウインクしながら話すカナン。
イースはそれに少しドキリとしてしまうも、なんとか動揺を隠すことに成功する。
学園でのカナンはクール系美少女として有名なのだが、親しい知り合いに対してはこんなふうによく気安さを見せる。
それがまた男女問わず魅了させる仕草なのだが、本人は友人同士のスキンシップ程度にしか考えていない。
特に同年代女子に対する耐性が皆無なイースは、その仕草によくドギマギさせられているのだが、当の本人はそれを知る由もない。
試合会場から少し離れた休憩場で、二人の女性が向き合う。
二人をまとう空気はとても穏やかなものだった。
「久しぶりねエルナ、少しやつれたんじゃない?」
「ちょっとナディア、久しぶりに会った第一声がそれってのもひどくない?これでも去年よりはマシになったんだから。……飲酒量は増えたけど」
ボソッとつぶやかれたエルナの最後の言葉に、ナディアはつい吹き出してしまう。
エルナはそれに反応して怒りの態度を見せるが、本気ではなく冗談めかして。
コクマ所属のナディアとSクラス担当教員のエルナ、彼女らはこの学園でかつてクラスメイトとして4年間、共に切磋琢磨してきた親友同士である。
学園を卒業してからはお互い会う機会がなく、今回久しぶりに再会できるとあって、事前に会う約束を取り付けていた。
「卒業してからもう何年になるかしら?」
「5年くらいじゃなかったっけ?卒業したらすぐに結婚したりして家庭を築くんだろうな~なんて思ってたけど、今だお互い独り身のまま。寂しいものね」
「……そうね」
エルナからの言葉に、ほんのわずかばかり返事が遅れるナディア。
そのわずかなナディアのためらいを、エルナは見逃さなかった。
それと同時に、エルナの心の中で尋常ではない焦りが生まれる。
――まさかコイツ……!!私がガキ共の相手をしている間に、遥か高みへと行ってしまったのか!?
ただでさえ、最近よく同年代の知り合いから結婚式の招待状が送られてきており、祝福する気持ちと同時に、なぜか辛さと飲酒量が増えるエルナ。
お前まで私をおいていくのかと、腹心の部下に裏切られた気持ちだった。
「ちょ、ちょっとエルナ、そんなに睨まないでよ」
冷や汗をかき、エルナから視線を逸らすナディアだが、エルナの追撃は止まらない。
「何を隠している?正直に話せ、きりきり話せ、さあ話せ」
「エルナ、素が出てる」
「話さないのならナディアが学生時代、セーヤ様に告白して撃沈したことを全知り合いにばらす」
「ちょっと!それは女同士の秘密だって昔に約束したじゃない!!」
「女友達に秘密を打ち明けるなんて、王都のど真ん中で全裸になりながら秘密を叫ぶようなものよ」
「全裸になる必要ある?」
その後もさらに詰め寄られ、観念したかのようにナディアは隠していた事実を話し出す。
だがいやいやといった様子を見せながらも、どこか照れくさそうに、嬉しそうに秘密を語りだした。
そんなナディアの姿に、結局話したかったんじゃねえかこのアマと青筋を立てるエルナだが、なんとか口に出さず我慢する。
「実はその……コクマで働きだしてから好きな人ができて――」
「私からアタックしたら告白してくれて――」
「すぐに同居も初めて――」
「もう3つになる子供がいて――ってエルナ!?」
エルナは倒れた。
無理だった、もう聞いていられなかった。
自分と同じ立場だと思っていた親友が、まだ見ぬサンクチュアリへと到達していた。
あまりのショックに目の前が真っ暗になっていく。
――ああ、このまま現実が見えなくなってしまえばいいのに
別に理由があるわけではないが、呪いの分野について学ぶことを決めたエルナだった。
「ごめんなさい。内縁関係だったから、ちょっと言いだしづらくて……」
「……ま、そこらへんは深く聞かないでおくわ。あんた自身幸せそうですしぃ」
わずかにまだとげを残しながらも、エルナは立ち上がり祝福の言葉をかける。
「おめでとう、ナディア」
「ありがとう、エルナ」
そうして二人はまた優しい笑顔に戻る。
「あ~あ、ほんと卒業してから私だけが取り残されていく気がする。ダルクは弟子といちゃいちゃしてるし、セーヤ様にはきれいな婚約者がいるし、シルヴィとラージアはすでに結婚してるし」
「でもシェルナはまだ独身よ。たまに職場で一緒になるけど、恋人がいるって話も聞いたことないし」
「そうかもしれないけど、ほら、シェルナはあれだから……」
「まあ、たしかにあれだけど……」
共通の知人のことを思いだし、二人は苦笑いを浮かべる。
「あ、ごめんなさいエルナ。私そろそろ行くわね。また後で」
「了解、日が暮れたら飲みにでも行きましょう。おごるわよ」
「楽しみにしてるわ」
そう言ってナディアはその場を去っていく。
一人になったエルナは物陰の方に顔を向けると、その方向に向かって言葉を投げかける。
「うら若き女同士の会話を盗み聞ぎなんて、趣味が悪いんじゃないですか? リリアーナ様」
エルナの呼びかけに対し、名を呼ばれた人物――シール王国第三王女リリアーナがお忍び用の変装姿で現れる。
そんなリリアーナの表情は困惑に満ちていた。
「なんですかその顔、私が気づいてないとでも思いましたか?」
「……うら若き?」
しばく――そう考え実行しようとしたところで目の前の相手が王族であることを思いだし、なんとか踏みとどまるエルナ。
「王族の方が一人でぶらぶらするのはどうかと思いますよ。と言っても、リリアーナ様の場合は今さらですけど」
「あなたには去年、よく注意されましたからね」
去年までこの学園の生徒会長であり、同時に問題児でもあったリリアーナは、1年間世話になった教師に笑顔を向ける。
「彼女は親友ですか?」
「そうですけど……ナディアがどうかしたんですか?」
去っていく親友の後ろ姿を興味深そうに見つめるリリアーナ。
そのリリアーナの瞳は、どこか冷たさを覚えるものだった。
「もし仮に――大切な家族が、恋人が、親友が、国を揺るがすような大犯罪に関わっていたとしたら……あなたはどうしますか?」
唐突に、その冷たい瞳がエルナに向けられる。
お忍び娘ではなく、王女としての顔。
意味深なその発言は、状況的に考えて間違いなくナディアのことを暗示している。
「……」
疑念と焦燥が入り交じり、エルナは何も答えることができない。
「……なんちゃって、冗談です。忘れてください」
いつもの表情に戻り、言い捨てるようにして去ろうとするリリアーナ。
そんなリリアーナをエルナはつい呼び止めてしまう。
「あ、あの!……ナディアは何に関わっているんですか?」
何の根拠もなく、突拍子なリリアーナの言葉を信用する理由がエルナにはない。
なのに、くだらない冗談だと切り捨てることができなかった。
信じたくない、考えたくもない。
共に肩を並べた親友が、大犯罪に関わっているなどと。
何も関わっていない――ただその言葉だけをエルナは待つ。
だが、リリアーナの返答は要領を得ないものだった。
「機会は与えます。もし友人を助けたいのなら、絶対にその機会を逃さないでください」
それだけを告げると、それ以上何も言うことはなかった。
リリアーナの言葉は、エルナの心に引っ掛かり不安を残す。
一方そのナディアは、トーヤ・ヘルトと一対一で対峙していた。
「……トーヤ様?なぜこちらに?」
ナディアが試合会場に戻ろうとしていたところで、まるでナディアのことを待っていたかのように姿を現したトーヤ。
しかも周囲の人影がない場所での待ち伏せ。
トーヤはイースの試合で解説をしていた。
解説が終わってすぐこの場に来たとなると、明確な目的意識があってのことであるはず。
さらにはコクマ支部連続襲撃事件、その容疑者候補であり、重要参考人としてコクマがマークしている人物の一人。
ここまで要素が揃って警戒するなという方が無理だろう。
ナディアの心臓の鼓動が速くなる。
一方のトーヤは、そんなナディアに緊張感のかけらもなくゆったりと言葉をかける。
「まあまあ、そんな警戒するなよ。少し伝えたいことがあっただけだ」
「……なんでしょう?イースのことでしょうか?」
「ん?ああいや、イースは関係ないさ。コクマ関係者のあんたに関係があることだ」
トーヤのその言葉にナディアは特に驚くこともなく、むしろ少し安心する。
自分がコクマ関係者だとバレるのは予定範囲内であり、何の問題もない。
そしてイース関連の話でないのならば、トーヤに対し行っていたスパイ行為に関する可能性も低いと考えた。
しかし、そんな安心と考えを全て吹き飛ばしてしまうような発言が、トーヤの口から漏れる。
「ケイ・シロバからの連絡はちゃんと受け取ってるか?」
――トーヤの口にしたそれは、コクマが学園に送り込んだもう一人の密偵の名だった。
セーヤたちの代は超がつくほど優秀な学生が多く、黄金世代と言われてたり言われてなかったり