第一話 化学の終わり 魔法の始まり 1
「──信じない。もう──なんて信じない」
絶望した。
この世の全てに絶望した。
まだ小学一年生の私には、とても乗り越えられそうにない現実が私の目の前にあった。
なら、その壁を乗り越えられるとポジティブに考えてみるのはどうか?
と、自分自身で考え直して見ても答えは同じでやっぱり絶望してしまう。
ひたすら、同じ答えの繰り返し。
まるで選択を間違えてしまったバットエンドの様な結末で、今の私にはそれがぴったりの状況かも知れない。
周りの大人達は泣きじゃくる私を落ち着かせようと、必死に綺麗事でしかない言葉を並べてくる。
二人は私を助けてくれたとか、亡くなった二人の分まで私が頑張らなければならない、そんな無責任な言葉を並べてくる。
そんな綺麗な言葉を並べたところで、結局二人は死んでしまったのだ。
この事実はどう足掻いてもひっくり返る事はない。
要するに、目の前の大人達は考え方を変える様に言っているのだ。
二人が亡くなったのは無駄ではない、だって私が助かったのだから。
確かに、それで次の世代は助かったのかもしれない。
けど、残された私はどうすればいいのか?
結局、私には泣くことしか出来なかった。
この日、私は大切な人を失った。
大切な人は自分の両親で、生まれた時からずっと共に暮らしてきた大切な存在だった。
毎日、当たり前の様に一緒に暮らして。
毎日、お父さんとお母さんの二人に挟まれながら一緒に寝て、いつもは狭いと思っていたけれども、二人がいないところで寝ると違和感があって、失ってみればどれだけ大切だったのかと今更気付いてしまう。
いつもはうるさいと思っていた。
お母さんは、いつも遊びの良いところで邪魔をする様に私に声を掛けてきたり、お片づけしなさいと言って、今からやろうとしていた事を注意したり。
お父さんはいつも臭いし、嫌だと言っているのに私にいつも抱きついてきたりしてきた。
二人共、とってもうるさくて、だけどこの二人がいない毎日なんてありえない。
そんな私の自慢の両親だった。
ある日、家族みんなで遊園地に行く約束をした。
お父さんもお休みの日で、この日は天気も良く空には雲一つ無かった。
太陽も眩しく輝いており、冬の空を明るく照らし続けていた。
まるで、夢の様な時間だった。
私はこの日を二度忘れる事はないだろう。
子供の私は、次はあの乗り物と指を指しながら前を歩いていた。
前を歩いていた私は、その時のお父さんとお母さんの様子がよく分からなかったけどこれだけは言える。
ちらっと少し寂しくなって後ろを振り返った時、二人は手を繋いでいた。
その二人の様子を見て、私は胸の中がもやもやと苦しくなってしまい、そのまま二人の方へ走って両親の間に割って入った。
その時、私の顔を見て二人は困った顔を浮かべながらも穏やかな笑顔で私にも手を繋いでくれた。
この時、私は二人の邪魔をしてしまった事に少しの罪悪感を覚えてしまうも、やっぱり一人は寂しいからイヤという理由でこれでよかったと自分自身を納得させた。
これが最後にお父さんとお母さんと手を繋いだ日だった。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、空は夕焼けに包まれていた。
北風が冷たく、ちらっと周りを見回してみれば一軒家やアパートが立ち並ぶ住宅街で、夕食の準備をしているのか香ばしい匂いが私の鼻に伝わった。
帰り道の途中、私は足元がふらつきながら歩いていた。
眠いと思いながら歩いていると、急に鼓膜が破れそうな大きなクラクション音が聞こえてきた。
ふと、目の前を見るとそこには大きなトラックが一台迫ってきていた。
この時、自分は一番端っこにいてすぐ左には細い小道が見えていた。
一方右側にはお父さんとお母さんの二人がおり、その奥には私と同じ小道は見えずブロック塀で逃げ場はなかった。
私は目の前に迫ってくるトラックが恐怖で何も出来ずにいると、急に右側から強い力で押される。
押される事を予知出来なかった私は、そのまま勢いよく小さい小道の方へ転んでしまう。
突然横から押されて泣き叫びたい気持ちを抑えつつ後ろを振り返ると、そこにはいつもよりもにこやかに笑っている二人の姿があった。
目の前からトラックが迫ってくるのを知っている。
なのに、私は怖くてあの場に戻って二人を助ける事も出来ず、そのまま笑う二人を立ち尽くして見ることしか出来なかった。
私が二人の名前を言う時間もなく、私は二人に向かって右手を伸ばそうとした瞬間、弾丸の様な凄まじい速さでトラックがお父さんとお母さんに衝突した。
二人が轢かれる瞬間はスローモーションの様に見えていた。
細い小道の隙間からでは二人が轢かれた後の様子が見る事は出来ない。
しかし、轢かれた時の衝撃の音と周りがざわつく声を聞き、私は子供ながらにこの時察してしまった。
お父さんとお母さんは死んでしまったと。
その瞬間、私は怖くなった。
いつも当たり前の様に居てくれた存在がいなくなってしまう恐怖。
朝はお母さんに起こしてもらうこともなくなり、お母さんの毎日の手料理を食べる事もなく、お父さんとお風呂に入る時間も、一緒に寝る時間も訪れる事はない。
もう、今までの当たり前だった日々は帰って来ない。
そんな事を考えると、目から涙出てきそうになった。
まだ小学校に入って一年も経っていないのに、ここから先の人生にお父さんとお母さんはもういない。
ここから先の人生を一人で進んで行くかもしれない恐怖に、私は耐え切れる自信はなかった。
私はそんな涙を流そうとする自分の感情を押し殺して、トラックに轢かれたお父さんとお母さんの元へと行こうとして立ち上がり、ふらつく足を引きずりながら進む。
その瞬間、私は驚くべき光景を目にする。
先程まで全く人通りのなかった道が、いつの間にか大勢の人で溢れていたのだ。
二人が轢かれた方角には赤いランプを光らせ、「道を開けてください」と言うアナウンスとサイレンと共に白い車が現れた。
そんな先程までとは打って変わった現実を見せられて、私は先程まで抑えていた涙を止める事が出来なくなってしまった。
先程まで誰もいなかったのに、お父さんとお母さんがトラックに轢かれてからこんなに人が増えた光景を見てしまうと、この非現実的な光景に顔を歪めて泣き出してしまい、声も止まらなくなった。
「──おい、ここに子供がいるぞ!」
「──可哀想に、轢かれたのはこの子の親らしいぞ」
「──子供を庇ったのね、立派な親だわ。でも、この子は可哀想ね」
私がいつも以上に大きな声で泣いているからか、周りには大勢の大人の人が集まって私を囲む。
死んだなんて嘘だって、言い聞かせないとやっていられなかった、お父さんとお母さんがこんな簡単に死ぬはずがない。
きっと、さっき轢かれたのだって──が助けてくれたに決まっている。
必死に自己暗示をしながら、目の前で何やら話し込んでいるお兄さんの左袖を掴んで呟く。
「──は?」
「……一体何を言っているんだい? 早くこっちにおいで救急車の人達が待っている」
私の涙声は聞き取ったものの、私の問いには答えないで白い車に私を乗せようとする。
そんな事を話していた目の前のお兄さんに違和感を感じる。
私は青色の長袖の右袖で涙を拭いて、お兄さんの顔を見る。
ポロポロの作業着を着ていてたお兄さんの顔は何処か焦っていて、必死な形相をしていた。
その顔を見て、本当に二人は死んでしまったのだと理解をしてしまった。
どれだけ自己暗示をしても、お父さんとお母さんが死んでしまった現実は変わらない。
結局、──は助けてくれなかった。
もう、信じない。
テレビの中ではいつも助けてくれるのに、本当に私がピンチの時には助けてくれなかった。
結局あれはただの夢だったんだ、そう自分を納得させる。
その瞬間、抑えていた涙は止まらなくなってしまった。
この日、私は両親と夢をなくした。