幼少期編 八話
「やぁ。僕はアヌス・レイブンボルト。君は?」
「僕はランス・フュリエットだよ。よろしく。」
アヌスの差し出した手に対し、俺は応じる。
アヌスは満面の笑みでこちらに笑いかけた。
一見、普通の挨拶かと思ったのだが、俺は妙な胸騒ぎがする。
アヌスの背後に控える女の子達のまるで見世物を見るかのような無邪気な瞳。
そして、部屋で固まる男達の俺を哀れむような目、そして、なによりも気になったは…。
「…っ!」
俺はアヌスの手を瞬時に振り払った。
手からは血が滴り、床に落ちる。
血で赤く染まった俺の手のひらを無理矢理開けると、金属片の物が深く突き刺さっている。
何故このような事をされたのかは知らないが、分かる事は故意にやられたという事だ。
血が出た手を強く握り締めて、伝わってくる痛みに耐えながら俺は彼を睨みつけた。
「あーらら、そんな顔しないでくれよ。挨拶だよ。あ、い、さ、つ。」
背後の女の子達は血に怖がることなく傷付いた俺を笑っていた。
先程の一緒に部屋にいる子の哀れむような目をみる限り、俺が初めてじゃない。
本当に挨拶代わりに毎回やられている出来事なのだろう。
傷付けられたのも腹が立つが、何よりも俺が腹が立ったのはアヌスの目。
俺の事を見ているようで見ていない。
水を飲むように当たり前の事だと本気で思っているであろう目だ。
「このっ…!」
俺は怒りのままアヌスに殴りかかる。
俺の放った拳はペチン。と虚しい音と共に彼の額を突いただけだった。
開いた脇腹に蹴りを入れられ、蹴りの勢いで俺は扉にぶつけられる。
「大丈夫だよ。ハニー達。痛くも痒くもない。だけど、僕の髪が血で汚れちゃったね。誰か一緒についてきてくれないかな?」
アヌスは血の付いた額を手でさすりながら面倒くさそうに言った。
彼の言葉に数十人の女の子達は全員声を揃えてアヌスのお供をしたいと言い出した。
それに満足した様子でアヌスは気を良くしながら壁にもたれかかる俺の横を通り過ぎる。
「待って。」
「ん、なんだい。僕忙しいんだけど。」
「なんで逃げるの?」
俺の問いにアヌスは歩みを止める。
女の子達は俺が何を言っているのか分からないとばかりに首を傾げるだけだ。
「僕、まだ負けてないよ。」
一瞬、アヌスの人形のような表情が崩れた気がした。
多分その事に気付いたのは俺だけだろう。
取り巻きの女達は扉にもたれかかる俺の姿を見て笑い出したくらいだ。
それにつられてアヌスも無邪気な顔で笑い出すと、Uターンして俺の目の前まで戻ってきた。
「君、日本人だろ。」
「母さんが日本人だよ。」
俺の返答にアヌスはまた笑い出した。
何事かと思った俺に対して、彼は話し出した。
「日本はアメリカに負けたんだ。圧倒的な力の差も分からずに挑んで、無様に。まるで誰かさんみたいだよね。」
「だから!俺は負けてない!」
そう叫ぶ俺を見て、アヌスは呆れた顔をした。
興味が失せたのか、彼は再び女の子達に合図をして、扉を出て行った。
「それ、負け惜しみって言うんだよ。」
最後にそう言い残して、アヌスは出て行った。
負け惜しみがなんだか分からないが、とりあえず馬鹿にされたのだけはなんとなく分かる。
悔しさで俺は奥歯を噛み締めた。
「だ、大丈夫?」
アヌスと取り巻きの女の子達がいなくなったのを見計らってか、残りの男の子達が俺に近寄ってくる。
彼等は俺に哀れみの言葉を投げかけてきた。
「あいつは君みたいな新しい子が来たら毎回挨拶としてするんだ。でも、あそこまでされるのはなかなか無いよ。」
「それは褒められてるのかな?」
俺は傷だらけの身体を動かそうと踏ん張る。
しかし、身体は思うように動かない。
これって、結構ヤバいんじゃ……。
「アヌスく〜ん、居るか〜い?」
「ぐえっ。」
丁度俺のもたれかかっていた方の扉を開けられ、俺は通路に体を投げ出した。
身体中に激痛が走る。
「おっとごめんよ。ってあれ。血だらけじゃん。まさか私の所為!?」
白髪で短髪の彼女は血だらけの俺を見るなり焦り出した。
それを弁論しようにも、意識を手放すのを我慢していた俺はすでに耐えきれずにのびていたので説明をしようにも難しい。
気を失った俺は彼女に持ち上げられ、医務室に向かった。
「………。」
再び目を覚ますとまたベッドの上だ。
目を開けると目の前には、見覚えのある女性。
「起きたかい。」
「…貴女が僕をここまで?」
「ち、違うよ!私じゃない!ただ扉を開けただけで、あのー。」
感謝の言葉を述べようとした俺に対して彼女は凄く焦り出した。
何を怖がっているんだろうか。なんだこれは。
「えっと。とりあえず説明した方がいいですか?」
「嫌、いい!私をこれ以上責めないでくれ!」
「え。あの……。」
埒があかないと思った俺は嫌がる彼女を無理矢理宥め、経緯を話した。
話していくうちに彼女の態度は明らかにほっとした感じになったので、相当な食い違いが発生していたのだと分かった。
「じゃあ私の所為じゃないんだよね?」
「はい。…ってか当たり前じゃないですか。」
まさか彼女は血だらけの俺を見て自分がやったと思い込んでいたのか。
自信が強いのやら、妄想が凄いのやらもう分からない。
「でも、君面白いね。」
「え?」
彼女は突然笑い出す。
「そこまでされてやり返すなんて、相当にぶっ飛んでるよ。それに、負けてないだなんて。」
「だから負けてません!」
俺の言葉に耐えきれなくなったのか、大声で彼女は笑い出した。
俺の言っている事も結構強引なのだが、こう笑われると結構心に来るものがあるなぁ。
「その通り!君は負けてないよ!」
笑っていた彼女は突然真面目な顔で俺に言った。
その真剣な顔を見て、ネタじゃない事が分かる。
「君の体を見る限り、アヌスに負ける理由は無いよ。技術では格段にアヌスの方があるだろうけどね。」
「それって、どういう事ですか?」
「あはは。自分では分からないかもしれないけど、君は特別なんだよ。私には分かる。」
彼女の眼差しは決して嘘ではないと言っている。
彼女の長年積み上げてきた勘、そして洞察力で裏付けられた事実に近い事なのだろう。
俺は彼女の言葉に言い返す事ができなかった。
「万全の状態になったら、私がアヌスに話をつけてあげる。…なんの言い訳も出来ないようなガチンコ勝負をね。」
「でも、彼が勝負してくれるかなんて分からないんじゃあ…。」
「心配ないよ。」
彼女は再び俺に笑みを浮かべる。
「私はアヌスの師匠だからね。」
彼女はニッコリとした顔で俺にそう言った。
恐らく、これも嘘じゃないのだろう。
何故か分かる。
「そういや、聞いてなかったね。勇敢で逞しい君の名はなんだい?」
「…ランス・フュリエット。」
「ランス・フュリエット。素晴らしい名前。私はマリア・ライトロード。この土地の対不老者戦闘隊長よ。」
白く短い髪に白い肌。
幻想的な容姿をした彼女は、笑顔で俺にそう言った。