幼少期編 五話
「この男だな。」
「はい。」
男の問いかけにマリベルは頷く。
男は血だらけで壁にへたり込んでいる男を前に、しゃがみこんで観察した。
顎を一回撫でると、確信を得たのか、すぐにその場から離れ先頭集団に向かって歩いていく。
「こいつはもう無理だ。処理は任せる。」
「サー、イエッサ。」
去っていく男の後ろでマリベルは敬礼した。
マリベルに対し、興味がないかのように男は持ち場に戻っていった。
「ふー。ほんとに疲れるわ。」
マリベルは男が見えなくなってからため息をついた。
だるそうにしてマリベルは身体中をまさぐる。
しかし、その難しい顔を見る限り探しているものは無かったようだ。
「そこの腰抜かしてる少年。ちょっとライト返してくれない?」
「え…?どうぞ。」
アッシュはマリベルの言葉に反応して、足元に落としていたライトを拾い上げ、彼女に向かって差し出した。
「ありがとうね〜。じゃあちょっと暗いけど前の大人達について行ってね。お姉さんも、すぐ追いつくからね。」
マリベルはニコニコとした顔でライトを受け取ると、アッシュの頭を撫でる。
明らかに先程までとは違う声色に戸惑っていたが、アッシュはその場から走り、俺の手をとって引きずるようにして前に進んだ。
俺達の姿をマリベルは笑顔で手を振って見送っていた。
「はぁ。」
マリベルは視線を外すと、血だらけの男の方に目をやる。
左の二の腕と首に大きな咬み傷。
しかし、男の目には若干の光が灯っていた。
この虚げな表情が特徴だ。
奴等、不老者の超回復の前兆。
男の血はすでに完全に止まっている。
男は恐らく20歳程の青年だっただろうか。
すでに50歳程に老け上がっている。
傷口もこのままではすぐに塞がり、彼は立ち上がるだろう。
新しい目的を持って。
私は手持ちライトを両手で強く握る。
そして男の頭に向かい、振り下ろした。
「フンッ!フンッ!!」
1発入れると、すぐに2発、3発目と男に向かって振り下ろした。
男の頭は西瓜のようにパックリと割れ、赤い実が飛び出してきた。
返り血に構うことなく、私は一心不乱に殴り続けた。
私は何度目かの与えた衝撃に満足すると、血だらけになったライトを片手に、息を切らしていた。
ハァ、ハァと自分でさえ聞こえるほどに。
これ程息を切らしているのは、確かに重労働ということもあるが、ほとんどは焦りと罪悪感からくるもの。
これだけは何度やっても慣れない。
銃で撃ち抜く方が全然マシだ。
私は男が完全に沈黙したのを確認すると、一息ついた。
大丈夫、大丈夫だから…。
少しずつ鼓動の音は弱まっていくのを感じる。
そう、落ち着いた時だ。
私はその場にいた子供達にようやく気付いた。
先程ライトを渡してくれた少年と、私を助けてくれた勇敢な"男"だ。
黒髪の男は少年の目と口を手で塞ぎ、私の方をジッと見ていた。
私の額から汗が浮かぶ。
「あら。お姉さんの言い付け、破ったのね。悪い子達ね。」
「マリベルさん。なんで死んだ人をもう1度殺したんですか。」
私の言葉は自分の平静を装う最後の言葉。
しかし、黒髪の男は私の領域にあっさりと踏み込んできた。
この雰囲気、私の頭は1人の人物を思い浮かべていた。
そうか、やっぱりこの子が。
私は疑惑を確信に変えた。
再び、心臓は鼓動を速く刻む。
「それは……、……彼を本当に殺す為よ。」
「まさか、生き返ったりするんですか?なら、なんでわざわざ殺したり…。」
「彼が、新しい不老者になるからよ。」
俺はアッシュの目と口から手をどけると、今度は両耳を塞いだ。
アッシュはジダバタと動いていたが、俺が抑え込む。
マリベルの話を聞く限り、男を襲ったのも元々は他の死んだ人間ということになるのだろうか。
彼女からは聞きたい事は山程ある。
「さぁ、お喋りもここまで。はやく列に戻りましょ。ちなみに、君がその子を守るのよ。私は男は過大評価する性なの。」
マリベルはそう言うとみんなが先に進んでいった通路に向かってライトをかざした。
守らないとか言いながら、ちゃんと僕達を先に行かせるんじゃないか。
漏れ出た笑いを咳で誤魔化す。
それをアッシュは恨めしそうに見ていた。
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どれほど歩いただろうか。
暫くすると前の列が前進を止める。
「また待つみたいだね。」
アッシュはため息を吐いた。
俺も我慢しているがクタクタだ。
少しでも気を抜くとその場に倒れこんでしまいそうなくらいに身体は我慢の限界になっている。
真後ろにはマリベル。
彼女は先程からずっと下水道を見渡していた。
先程のこともある。気を抜けないのだろう。
地下の中でも、外の仕事をする人間の多くは男だ。
それゆえに女は弱いという意識は地下内でもあった。
しかし、マリベルを見るとそのような意識も消え失せた。
本当に頼りになる人だ。
「ランスくん。進むのが遅くないかな?」
「そう思ったら全然進まないね。」
「僕、もう限界かも…。」
そう言ってアッシュは鼻をつまんだ。
1時間以上はここにいて、多少はこのキツイ臭いには慣れたが、臭いがまるで頭に染み込んでくるように徐々に頭痛に悩まされてきた。
それにしても、進みが遅い。
階段に登ったりするのと仮定しても、このように立ち止まる事など考えられないのだ。
「マリベルさん、なんでこんなに前が詰まってるんでしょうか。」
「避難経路の詳しい場所はなかったかな?実はここの地下水道からは2つの避難場所に行けるの。」
マリベルは警戒する目から優しい目に切り替えて、俺に勉強を教えるような口調で話しだした。
こんな状況なのに、ノリの良い人だ。
だけど今回はツッコマないことに事にした。
教えてくれるんだし、無駄に疲れたくなかった為だ。
「1つ目はここの下水道から近くにあるシェルター。
戦争の核の恐怖とか言ってアメリカの金持ち達が街1つ入るくらいのデカいのを私用で作ったのを使わせてもらってるの。
前、私達が住んでた場所よりも少し快適かも。
もう1つはここから少し歩くけど太陽の光の下で生活できる場所よ。
私的にはオススメは最初に話した方かしら。」
マリベルは話し終わると得意げな顔で俺を見下ろした。
俺の頭には疑問が飛んでいる。
「なんで後のはオススメ出来ないんですか?」
俺の言葉にマリベルは待ってましたと言わんばかりに再び先生モードに戻り、話し始めた。
「今じゃ外に住む物好きなんていないんだし、土地だけは地下シェルターの何十倍もあるわ。
光のお陰で少しだけなら食料を作り出すことも出来る。
だけどね。その恩恵を受ける為に外には巨大な堀が作ってあるの。」
「お姉さん。堀ってなに?」
「分かりやすく言えば深い、深ーい落とし穴よ。そこに化け物が勝手に落っこちちゃうの。」
アッシュは知らない事を教えてもらい、1人首を縦に振っている。
アッシュが色々な事を知っている訳もこれで、彼の謎に対する貪欲な探求心は素直に見習いたいものだ。
満足した様子のアッシュを見ると、マリベルは話を続けた。
「でもね、堀に落としたくらいじゃあいつらは死なない。
危険を取り除く為に毎日"掃除"があるの。
…あそこに行く以上男女関係なくやらされる事よ。
それに、外の仕事も多いわ。
その為に子供達は貴方達の年齢くらいからでも銃を握らせてる。」
マリベルからの話を聞いている間にだいぶ列は進んだ。
前からのライトの光がすぐこちらまで来ている。
「私が女で外の仕事に志願した理由は貴方達みたいな小さい子供に辛い現実を少しでも遅く教える為。貴方達が大きくなった時に少しでも楽に生きていけるように、私は……。」
話の途中、ようやく前の男が道を決め、右の階段を登って行った。
「子供か。安全な方か、危険な方。どちらか選べ。」
そう言ってきた男は先程ホールでみんなの行き先を決め、マリベルに死体処理の命令をした男だ。
髭面の顔からはオーラのようなものが滲み出ているようにすら見える。
それに、この言い方。
行く方なんて1つしかないじゃないか。
「ランスくん…。一緒に…!」
アッシュが男の威圧に負け、体を震わせながら裾を掴む。
だが、駄目だ。
アッシュはまだ意識が足りない。
自分で生きていこう。という意思が。
「マリベルさん達に僕が楽な生き方をさせてくれ。
なんて頼んでません。僕は楽な生活を自分自身で作りたい。
もう、僕が見捨てられないような…。ね。」
俺はアッシュの手を払う。
アッシュは俺の行動で、その先の結果がどうなるか分かったのか目に涙を浮かべ始める。
「危険な方に僕は行きます。」
その言葉に髭面の男の後ろに控えていた男達が唖然としていた。
髭面の男も驚き、目をカッと見開く。
俺を一目睨むとすぐに視線を外し、手で自らの目を隠すように覆い被せた。
「……茶毛の子供を連れてけ。」
男はしばらくして手をもとに戻すと後ろの男達に合図する。
俺の横で泣きじゃくっているアッシュを2人がかり抑えると、引きずるようにして階段に進む。
「ランスくん!1人にしないで!お願い!!」
アッシュはそう叫びながら階段を無理矢理連れられて上がっていく。
次第にアッシュの叫び声は遠くなり、…完全にその声は聞こえなくなる。
静かになった下水道に残っているのは、髭面の男とマリベル、そして数人の武装した男達。
その中にはランドも見える。
「この子を送り届ける。志願したい奴はいるか。」
髭面の男が後ろの男達に問いかけた。
男達は髭面の男から目を逸らす。
態度を見る限り、誰も志願はしない。
少しの静寂の後、手が上がる。
「私がこの子を責任持って送り届けます。」
「マリベルか。」
俺の後ろに立っていたマリベルが手を上げていた。
髭面の男はバッグからアーミーナイフを取り出し、マリベルに差し出した。
マリベルはそれを拒む事なく受け取る。
「ここからもう少し歩いたところの階段を登ると外に出られる。バイクが停めてあるからそれで2人で街を目指せ。ガソリンはバイクの周りの車から取っていい。分かったな。」
「イエス、サー。」
男は頑張れよ。とマリベルの肩を叩く。
マリベルや周りの男を見るに、髭面の男はリーダー格なのだろうか。
「おじさんは来てくれないの?」
俺がそう言うと男は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに素の顔に戻る。
男はバッグを背負うと、俺の方を向いた。
「お前とマリベル以外の全員は地下シェルターにお引越しだ。住む場所はないが食う物に困る。お前1人の為に人材はかけられないってことだ。」
髭面の男は嫌味ったらしく俺に言った。
確かに言っていることは子供の俺でも分かるが無性に腹が立つ。
俺が男を睨むと、俺の前にしゃがみ込み、俺の耳元で小さな声で話した。
「マリベルは女だが俺の後ろの奴なんかよりよっぽど腕が立つ。小僧、マリベルに手を出すなよ?」
髭面の男はそれだけ言うと階段の方に歩き始めた。
男達もそれに続く。
その内の1人が思い出したかのように引き返して俺の方に向かってきた。
ランドだ。
「忘れてたよ。これ、君のだよね?エレベーターにあったよ。」
ランドが手渡してきたのはバッグだ。
母さんと親父がこういう時の為に中身を入れたバッグ。
そういえばエレベーターの中に置きっ放しだった。
「ありがとうランドさん。お元気で。」
「僕の心配なんて大丈夫さ。君とまた会うことを望んでるよ。」
ランドからバッグを受け取る。
ランドは階段を走って駆け上がっていった。
「ほら、行くよ!え〜っと、そういえば名前を聞いてなかったわね。なんて名前?」
俺はバッグを背負うと、マリベルの問いかけに返答した。
母さんと親父から貰った名前と共通のファミリーネームで。
「ランス・フュリエットだよ。」