過去との決別
どれほど時間が経っただろう。
俺とノアは、長い時間を空き家で過ごした。
ノアはもうとっくに落ち着いていたのだが、二人とも言葉を発することなく、ただ時間が過ぎるのを待った。
あれから俺達を追っていた男共は、何度かここに戻って来て互いに報告をしあっていた。
会話を全て聞き取れたわけでは無いが、『町の外』『他の町』などと言うワードが聞き取れたところから察するに、俺達は遠くに逃げたと思われているのだろう。
落ち着いて考えてみれば、男共はラオネルに来てからのノアの変遷を知らないはずである。それならば、ノアが中央部に入れるぐらいに成長しているとは思わないだろう。
「ノア。そろそろ行こう。このまま中央部に向かえば、あいつらから逃げきれるはずだ」
「うん……」
俺はノアの手を取って、立ち上がらせた。
ノアの足取りは意外なほどにしっかりしていた。
「恐らく男たちはもう諦めているか、見当違いの方向を探しているはずだ。遭遇する可能性は低いと思うが……」
俺は念のため折り畳み式の棒をベルトに差して、すぐに取り出せるようにした。
俺に倣って、ノアも武器を準備する。いつものクロスボウだが、矢は先端を丸めてある。かなり痛いだろうが、これに当たって死ぬことはまずあるまい。
「行くぞ」
「うん」
俺達は空き家を出て、中央部を目指して歩き出した。
もう町は完全に寝静まっている。走ったりなんかしたら、とても目立ってしまうだろう。
気持ちは逸るが、俺達は周囲を警戒しつつ、ゆっくりと進んでいく。
住宅街を抜け、商用地域を抜け、中心部まであと少し。最後の直線までやって来た。
左右にいくつかの街路樹が植えられた、中心部と外周部を繋ぐ最後の道だ。
ここを通り抜ければ、中心部への門にたどり着ける。
やっとそこまでやって来たのだが……。
「待ってたぜ……」
街路樹の陰から、一人の男が姿を現した。それは、最初にノアの肩を掴んだ男だった。
「もしかしたらと思って待っていたが……当りだったみたいだな」
『待っていた』って……あれから2,3時間は経つぞ? その間ずっと待っていたのか、来ないかもしれない俺達を? 大した執念だな。
「その女を渡せ」
「断る」
男は懐からナイフを取り出した。
「その女は、俺の娘の仇だ」
……ノアは、爆発や崩落に巻き込まれた人間がいたと言っていた。こいつの娘もそんな中の一人だったのか。
「俺の娘は川に魚を獲りに行っていた。ただ、それだけだったんだ。それなのに、娘は死んだ。殺されたんだ。急に激しくなった流れに飲まれて」
男は狂気に満ちた目でノアの事を睨み付けている。
「お前の母親のせいだ。そのせいで俺の娘は死んだ。なぜお前はのうのうと生きている? お前も償え。死んで、俺の娘に謝罪しろ!」
男はナイフを突き出して来た。
俺はノアを庇うように前に出て、そのナイフを弾き飛ばした。
「うあっ!」
その衝撃で男は手を抑えた。俺は間髪入れず、その足を払って転倒させる。
彼我の力量差は嫌と言うほどにわかったはずだ。それでも男は、立ち上がって俺に殴りかかってきた。
俺はこれも軽くいなし、もう一度足を払う。
男は倒れた姿勢ながらも、怒気に満ちた声でノアを糾弾しようとする。
「お前は……悪いと思わないのか!? 大勢の人を殺し、町を破壊し、それで……」
「黙れ!」
俺は男の顔を思いっきり殴りつけた。棒じゃなく、拳で。
「お前だってわかっているだろう! お前の娘を殺したのは、町を破壊したのは! ノアの母親じゃない! ブリンドル軍だ!
お前はそれから目を背けているだけだろう!? 自分の力が矮小だから、軍と戦う事なんて出来ないから! 弱い者に責任を押し付けて鬱憤を晴らそうとする!」
「違う……俺は本当に娘の為に……」
「何が娘の為だ! 自分の為だろう! 本当は軍に復讐がしたい、でも出来ない。そんな自分が許せなくて、誰かに責任を擦り付けて……それで娘の為だと!? あんたの言い分は、あんたの娘の死さえも冒涜している! それがわからないのか!?」
随分と酷いことを言っていると思う。この男だって、娘を失って辛かったんだと思う。
だが、それでも、それを差し引いても。これ以上ノアを傷つけるのは許さない。
どんなに酷い言葉を使っても、俺はこの男を全否定する。ノアが、自分は悪くないのだと、そう思える様に。
「だ、黙れえええええええええええ!」
男はなおも立ち上がって、俺に殴りかかってきた。
もう一度殴りつけてやろうかと思ったが……。
「ぐあっ!」
それより早く、一本の矢が男の胸を撃った。かなりの衝撃だったらしく、男は胸を抑えてうずくまってしまった。
「もういいよ、ハルイチさん……」
ノアは、悲しそうな表情でクロスボウを下ろした。
そして、そのままうずくまる男に歩み寄った。
「ボクだって、あんたの言う通り、悪いと思ったよ。ボクの母さんが作った爆弾で人が死に、町は壊れた。軍に命令されたからとはいえ、許される事じゃないのかもしれない。
娘のボクを憎いと思う気持ちもわかる。でもね、ボクはやっぱり死ぬなんて御免だ。
ボクには大切な人がいる。ボクの為に、必死に怒ってくれる人がいる。その人とずっと一緒に居たいから、ボクはあんたに殺されるわけには行かない。
……行こう、ハルイチさん」
ノアは、俺の手を引いて歩きだす。
「ああ」
俺達は、その場を急いで離れることにした。
男はもう追ってこなかったが、代わりに聞こえる嗚咽が、どうしようもない後味の悪さを残した。
***
翌日。俺達はキリンギリルを離れ、ビルヒジスタへの帰途についた。
天気は快晴。予定通りに船は出港し、ラオネルへと向かっている。
俺とノアは行きの時と同じように、甲板に出て海を眺めていた。
「やっぱりボク、潮風って好きになれないや」
「なら、中に入っていればいいだろうが」
「それもやだよ。何か中にいると、酔いやすい気がするんだもん。あー、ままならないなあ」
相変わらず文句が多いノアだが、その表情は明るい。
……今なら、聞いても大丈夫だろうか。
「なあ、ノア。ノアは何でブリンドルに来ようと思ったんだ?」
ノアの話を聞いてから、俺は疑問だった。彼女にとっては忌まわしい土地だろうに。
「うん? 最初に言わなかったっけ? ブリンドルの様子が気になったからだって」
「でも、ノアにとっては、辛いことが起きた場所だろう?」
「……確かにね。でも、やっぱり一度自分の目で見ておきたかったんだ。ボクの母さんは、国のために犠牲になったような物だから。この国が繁栄している姿を見れば、母さんが犠牲になった事にも、意味があると思える気がしたんだ」
ノアは寂しげに笑った。
「それで? 実際に目で見た感想は?」
「よくわかんない。でも、いいんだ」
今度は寂しそうな色の無い。満面の笑顔だ。
「ボクはもう、母さんの死を引き摺るのは止める。その死に、無理に意味を見出したりしない。それよりも未来に目を向けることにしたんだ。
新しく出来た大切な人との時間を、もっと笑顔で過ごせるように」
最近、読者の方々に色々なご指摘を受けることが増えています。
私にとっては細かい矛盾点でも、それが読者の方の物語への没入間を妨げているのであれば、改善しなければならないと思います。
これからは今まで以上に自分の文章を読み返し、細かい矛盾や突っ込み所の無い様に心がけます。
その為、更新ペースが少し落ちることになると思います。具体的に言えば二日に一度ぐらいでしょうか。
どうかご容赦ください。




