ノアの異変
キリンギリルの街の構造は、ビルヒジスタと大きな違いは無い。
大きく分けて外周部と中心部の二重構造になっており、外周部から中心部に移動するには制限がある。まあ、これもどこの門から入って来たかで変わるわけで、北門で通行証を受け取った俺達は何処に行くにも不自由しないが。
俺とノアは、取りあえず自分達がいる中心部を見て回ることにした。
「それにしても……面白味のない街並みだねえ」
隣を歩くノアが、詰まらなそうに言う。
「そうか? 俺は見てるだけでも結構面白いけどな。なんていうか、職場! って感じがするっていうか、まさに経済の中心! って感じだ」
えらく直感的な物言いだが、俺は本気でそう思っている。
何だろうな。日本に例えるなら東京から神田にかけての街並みっていうか、本当にオフィス街って感じなのだ。日本と違って、そこかしこにコンビニや飲食店があったりしない分、その趣はより強い。
生来エリート志向の強い俺にとっては、かなり魅力的な街並みだ。忙しなく動き回る人々、そこかしこで交わされる商談、交渉。
ビルヒジスタの中心街も活気はあったが、キリンギリルはまた別格である。この雰囲気に身を浸しているだけで、何時間でも潰せそうな気すらする。
「はぁー……ハルイチさんはそれでいいのかもしれないけど、僕は退屈なんだけどなあ……。それに、お腹も減ってきたし」
とは言え、今はノアが同行しているのだ。いつまでも一人で悦に入っているわけにも行かない。
「仕方ないな、移動するか」
「うん。まずは、何か食べようよ」
俺達はオフィス街付近の、ちょっとした商店街に向かった。やはり、オフィス街で働いている人々をターゲットにしているらしく、実際に歩いてみればかなり近い。
これは都会の常なのかもしれないが、本当に『うわ! 大都会だな!』と感じるエリアは、実は小さかったりする。新宿だって、駅のデカさにビビっていても、一〇分も歩けば『ここ、本当に新宿?』って思うぐらい牧歌的な光景にたどり着くこともある。
キリンギリルも例に漏れず、俺が本気でわくわくするようなエリアはそんなに長くは続かなかったってことだな。
それは兎も角、流石はオフィス街に隣接しているだけのことはあり、商店街もとても活気に溢れていた。
店内に入って落ち着いて食事ができるような店もあれば、串に刺した肉を焼いた料理等のその場で食べる料理を提供する屋台もある。
ラオネルにもブリンドルにも言えることだが、立ち食いを『見っともないこと』と考えるような風潮が無いらしく、身なりのよさそうな紳士や淑女も平気で歩きながら肉を頬張ばっている。
「さて、じゃあ何を食おうか?」
俺は、特に何が食いたいと言うのは今は無い。だからノアの判断に任せることにした。
「えっと……じゃあ、あれでいいや」
ノアが指差したのは、パンに肉や野菜なんかを挟んだ料理。サンドイッチの類型だな。
まあ、こいつは味やなんかよりも、『早く食べられる』とか『手が汚れない』とかそう言う事を判断基準にするやつだから。妥当な選択と言えばそうなんだろう。
俺は二人分のパンを購入し、片方をノアに手渡した。
「ありがと。頂きます」
俺とノアは、それを食べながら商店街の街並みをゆったりと見て回った。
ノアの表情はそれ程楽しそうでもなかったが、さっきのオフィスがよりは瞳の動きが活発だ。こいつなりに興味を持ったのかもしれない。
「ノアって、キリンギリルに来たことはあったのか?」
何となくその様子が気になって、訪ねてみた。
「昔、一回だけ来た事が有ったらしいけど……よく覚えてないや」
ノアの年齢で『昔』と言ったら、それこそ物心ついてすぐ位だろう。覚えていなくても仕方がないか。
「それじゃ、実際に見てみた感想はどうだ?」
「『どう』って?」
「ノアは言ったじゃないか。『ブリンドルがどうなっているのかが見たい』って。実際に自分の目で見て、どうだった? 安心できたか?」
安心、と言う言葉のチョイスが正しいかはわからないが、ニュアンスとしては伝わると思う。
「そうだね。多分、だけどさ。僕が前来た時よりも、キリンギリルは発展してると思う。首都が発展するってことは、多分国としては栄えてるんだろうね。それ自体は好ましいと思うよ」
何だか微妙な言い方だな。何というか、自分を無理矢理納得させようとしているというか。
「なあ、ノア。君は本当にブリンドルの様子を見に来たかったのか?」
何となく気になって、ついそんなことを聞いてしまった。
「そうだよ。そう言ったじゃん」
「でもさ、ここは君の故郷じゃないだろ? ここにいたって何もわからないと思うんだが。そんなに遠くないなら、君の故郷を見に行ってもいいんだぞ。アーノルドさんには先に帰ってもらえばいいし……」
「いや、いいんだ」
しかし、ノアは穏やかな微笑を浮かべて行った。
「故郷が見たかったわけじゃない。ボクはあくまで、ブリンドルが繁栄している姿見れればよかったんだ」
「だが……」
「しつこいなあ。いいって言ってるのに。大体、ボクの故郷は、ここからだいぶ遠いんだ。わざわざ行くことなんてないよ。それに……」
ノアはそこで口をつぐんだ。
「それに?」
「何でもない……」
明らかに何でもないこと無いのだが、ノアは背を向けてすたすたと歩きだしてしまった。
俺は釈然としない気持ちを抱えながら、その背を追う。
何というか、明らかにノアの様子がおかしい。ノアは、一体何を考えてブリンドルに行きたいなんて言い始めたのだろう?
***
だが、結局俺はノアから無理やり聞き出すような真似は出来なかった。
彼女自身が話したくないなら仕方がない。ならせめて、思いっきり気分転換になるような時間にしてやろう。
俺はそう思って、ノアの好みそうな場所を多く見て回った。
色々な技術書が置かれた書店、工具などが豊富に取り揃えられた道具屋等々。
さっきまでの不機嫌な態度は何処へやら、ノアはいつも以上に瞳を輝かせていた。
彼女は持って来た金の殆どを使って、持ち切れないほどの本や道具を買った。
それらの品々は、俺が持つのを手伝ってようやく宿に運ぶことが出来た。
そんな事をやっていたら時間はあっという間に過ぎ、もう日は西に沈みかけている。
俺達は晩飯を食うために、改めて街に出る必要があった。
今回はちょっと趣向を変えて、外周部に遠征している。
「ボクはお金なくなっちゃったから、晩御飯はハルイチさんのお財布からお願いね」
「まったく……」
こういう後先考えないところは、実にノアらしい。
だがまあ、それだけ夢中になれたというのは、素直に喜ばしいことだ。
ノアの気が晴れるなら、晩飯代など安いもの。俺はそんな満足感を覚えていたのだが……。
「マクファーレン? てめえ……マクファーレンじゃねえか?」
一人の男が急に声を掛けて来た。見るからに素行の悪そうな、中年男性だ。
マクファーレンと言うのはノアのファミリーネーム。間違いではないのだが……相手にしたくないな。
それはノアも同様らしく、俺達は無視して立ち去ろうとした。
「おい! 返事しろや!」
しかし、男はしつこくつけて来て、荒々しくノアの肩を掴んだ。
「痛っ!」
ノアの顔が苦痛に歪む。
「何するんだ!」
俺は反射的に、男の体を突き飛ばした。
男は尻餅をついて転んだが、それでも怒りに満ちた目でノアを睨み続けている。
「なんだそいつは? てめえ、男が出来たのか? いい身分だな。人の故郷を滅茶苦茶にしておいて……」
「違う! あれは……」
ノアは、最初こそ勢い良く反論しようとしたが、すぐに黙り込んでしまった。
「どうした? 今更後悔でもしてるのか? だがもう遅せえ。俺達は絶対許さないからな」
そう言って、男は持っていた笛を吹いた。
すると、いくつもの足音がこっちに近づいて来るのがわかる。
……仲間を呼んだか。
「ノア! 逃げるぞ!」
「う、うん」
俺は放心していたノアの手を取って、急いでその場から逃げ出した。




