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商人は拙速を尊ぶ

 キリンギリル。ブリンドル王国の首都にして、大陸最大と称されることもある大都市だ。

 人口は常に増加の一途を辿り、現在では80万人を突破しているとも言われる。

 実際に目で見てみると、ビルヒジスタを上回る活気を確かに感じることが出来る。大陸の中心と言う看板に偽りはなさそうだった。

 このキリンギリルと言う街は東西南北に4つの門があるのだが、それぞれ通過する際に行われる審査の厳しさが違う。一番厳しいのは北門であり、それなり以上の身なりや所持金などの『格』が要求される。その分、通過した後の行動は制限されることが殆ど無く、王城などの一部を除いて何処にだって行ける。

 俺達が通過したのも、その北門である。アーノルドさんは幾度もキリンギリルを訪れた事が有る常連であり、その同行者である俺達も、何の問題も無く通過することが出来た。

 俺達はそのまま街の中心地へ向かい、アーノルドさんが事前に手配していた宿で一泊。翌日には早速交渉に赴いた。

 

 俺達がやって来たのは、昨夜泊まったホテルに程近い、4階建てのオフィスビル。

……うん。そうとしか表現のしようがないんだ。まさか、俺だってこの世界でそんなモダンな言葉を使うことになるとは思わなかったよ。でも、俺達の眼前にそびえ立っているのは、そうとしか表現できない代物だった。

デリックの持っていた小売店の上にオフィスがあるような物では無く、ここは完全に1階から4階まで『関係者以外立ち入り禁止』の仕事場である。

 俺達はその2階にある、代表の部屋へと案内された。

 とは言え、実際に代表と面談が出来るメンバーはかなり制限された。結局部屋に入れるのは俺とアーノルドさんの二人という事になり、ノアやアーノルドさんの護衛は待合室で待機という事になった。

 俺達は簡単なボディチェックを受けてから、代表の部屋に入った。


「やあ! よく来てくれたね! アーノルドさん、それに君がハルイチ君だね? 僕はジョージ・セルデン! キリンギリル側の全権を任されてるよ。よろしく!」


 部屋に入るなり、大柄な男性が俺達を出迎えた。

 とても人好きのする笑顔を浮かべた、30代ぐらいの男性だ。

 俺はジョージさんに差し出された手を、しっかりと握り返す。


「ご存知頂けていたとは光栄で……」

「あーあー! 堅苦しい挨拶は抜き抜き!」


 そう言ってジョージさんはドカッとソファに座った。


「時間がもったいないよ! 早速交渉に入ろう! さ、座って座って!」


 俺達は勧められるままに、ジョージさんと対面するように座る。

 あまりのハイペースに面食らうが、アーノルドさんの表情に乱れが無い所を見ると、いつもこうなのだろう。


「えっと、確か大規模な保険会社を創るって話だったよね? アーノルドさんから手紙で事前に聞いてるよ」

「はい。お読みいただけましたかな?」

「当然さ。素晴らしい提案だね。キリンギリル商人連合は、全面的に協力しよう」


 驚くほどすんなりと了承を得られた。

 だが、問題はここからだ。実際に事故が起きた際の負担の割合である。俺達は提案する立場という事で、5対5と言う完全なる折半を提案している。

 だが、恐らく相手は負担率の軽減を持ち掛けてくるだろう。後は、どれだけこちらの負担率を増やさずにいられるか……。今回はそういう戦いだと思っていた。しかし、


「では。事故の際の負担率ですが……」

「5対5でしょ? いいよ、それで」

「はい!?」


 流石にこちらまであっさり来られるのは予想外だった。


「何驚いてるの? ハルイチ君達が提案してきた案でしょ?」

「いや、それはそうなんですけど、いいんですか?」


 いや、相手が条件を飲んでくれるのは嬉しいんだが、ついつい聞いてしまった。


「何が?」

「自分達の負担率を下げるように交渉しなくて」

「いいよ、別に」


 あまりにもあっけらかんと言われるので、二の句がつけなくなってしまう。


「いいかい? ハルイチ君。例えば、この交渉に3日掛けたとしよう。それでキリンギリル側が負担する金貨が1000枚減ったとする。それに何の意味がある? たったの1000枚だよ?」

「『たったの』……ですか」

「そうだよ。金貨1000枚なんてどうでも良い。3日あれば、船を3隻は手配できる。その3隻が貿易で稼ぐ利益は1000枚以上になる。だったら、無駄な交渉をしている暇があったら、実際の稼ぎを出すべきだ」


 ……何と言うか。凄い人だな。この人は、稼ぎを絶対値としてしか見ていない。

 他人がもっと儲かるかもしれないとか、そう言う事抜きにして自分の利益だけを見ることが出来る。今まで会った事の無いタイプだ。


「ハルイチ殿。ジョージ殿はいつもこうなのですぞ」

「そうだよ。アーノルドさんも、それがわかっているなら手紙で済ませればいいのに」

「金の話を手紙だけで済ませるわけには行きませんぞ」

「頭固いなあ……。商人てのは早さだよ、早さ。誰よりも先に動くことにこそ、成功の秘訣はあるのさ」

「お言葉ですがな。誰よりも先に動き、失敗したら元も子もありませんぞ」

「そうでもないさ。誰よりも先に失敗すれば、その話は金に出来る。2番目、3番目の体験談は金にならない。この違いは大きい」


 成程。商人らしい、随分と前向きな考え方だ。

 別にアーノルドさんの考え方が間違っているとは思わないが、もし地球に来たとしたなら成功するのはジョージさんの方だろう。この人は世界のスピードが早くなれば早くなる程、きっと可能性を開花させる。この世界ではあまり理解されないだろうがな。

 失礼ながら、そんな感想を抱いた。


「さて、無駄話はこれぐらいにして、本題だ。……と言っても、後は契約書に署名するぐらいかな?」

「そうですな。お願いいたしますぞ」

「はいはいっと……これで良いかな?」

「……はい。結構ですぞ」


 こうして、ブリンドル側との交渉は午前中だけですぐに終わったのである。


***


 ジョージさんのオフィスビルを出てからすぐ、アーノルドさんは俺に頭を下げた。


「ハルイチ殿、申し訳ありませんでしたな。流石に今回はもう少し難航するだろうと思ってお越し頂いたのですが、ここまであっさり決まってしまうとは……」

「気にしないでください。あれは誰にも予想できませんよ」


 確かに俺が来た意味は全くと言っていいほどなかったが、ジョージさんと顔合わせが出て来ただけでもかなりの収穫だ。


「そう言っていただけるとありがたいですな。しかし、予想よりも本当に早く終わってしまいましたな。船の漕ぎ手に休みを与えてしまったので、最低でも明日までは船が出せませんぞ」

「ありゃ、そうでしたか」

「うーむ……ですが、わざわざ小さい港町で過ごす事も有りませんな。あと1日分の宿は我輩が手配いたしますから、ハルイチ殿はキリンギリルの観光などなされてはいかがですかな?」

「いいんですか?」

「構いませんぞ。我輩の要請で来て頂いたのですから、それぐらいはしなければ」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」


 俺は礼を言って、アーノルドさんと別れた。


「話は終わったの?」


 アーノルドさんが俺から離れるなり、ノアが駆け寄って来た。さっきからずっと何もできずに待たされ続けているせいで、ちょっと不機嫌そうである。


「待たせて悪かったな。今日はもう他にすることが無い。自由時間だ。折角だから、ちょっと観光してこうぜ」

「……まあ、いいよ」


 俺はノアを伴って、まだ日も高いキリンギリルへと繰り出した。

本編で書けなかったことですが、前回アーノルドがやたらとブリンドル行きを急いでいたのはジョージの性格に合わせたからです。アーノルドは別にせっかちな人間ではありません。

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