商人という生き方
いわゆる決着の日。俺達は、ジェフリー侯爵の屋敷での晩餐に呼ばれていた。
レイラは兎も角、他の四人も侯爵と同じ食卓につけるというのはよく考えれば凄い。
この場にはデリックも呼ばれているのだが、侯爵と一緒に食事を獲るのが初めてではないのか、割と堂々としている。
別に俺達が委縮しているわけでもないが、リネットだけは少し緊張しているみたいで可哀想だ。
晩餐会は特に勝負の話をするわけでもなく、白々しい雰囲気で進んだ。
最近のラオネルの情勢はどうのとか、外国との関係はどうのとか、今の俺が聞いてもいまいちピンとこない話ばかりだった。
主に会話をするのはジェフリー卿とデリック、それにレイラのみで、俺達は相槌を打つにとどめる。ミミカとノアは食事に夢中なだけだったかもしれないが。
そして食事も終わり、食後の紅茶が配られた時、すっとぼけたような口調でジェフリー卿が切り出した。
「そう言えば、今日は何か大事な日だった気がするな」
その白々しい態度が気に入らなかったのか、レイラがぴしゃりと言う。
「父上、耄碌するにはまだ少し早いのではありませんか? 今日は私の婚約者、ハルイチとデリック殿、どちらがアルバーン1の商人であるかを決める大切な日ではありませんか」
ジェフリー卿はその物言いに一瞬渋い顔を見せたが、すぐに気を取り直したように言った。
「……そうであったな。アルバーン1の商人。その定義には色々あろうが、総資産。年商。この二つを比べれば、まあ間違いはあるまい」
遂に来たか……!
俺達はいわば挑戦者の立場。先に報告をするのはこちらだった。
「ハルイチ・ヤザワ。年商は金貨22000枚。総資産は金貨18000枚相当です」
あれから金細工をとにかく売りまくって、何とかここまで稼ぎあげた。
後はデリックの売り上げだが……。
「デリック・リットン。年商は金貨30000枚。総資産は25000枚相当でございます」
……届かないか。
「成程。やはりこのような結果になったか。ハルイチとやら。貴様の健闘は認めないことも無いが……」
ジェフリー卿はもう勝負がついた気でいるようだった。しかし、俺はまあ諦めるつもりは無い。少々卑怯だが、この場で状況を覆す策が……、
「お待ち下さい。ジェフリー卿」
しかし、ジェフリー卿に制止をかけたのは、意外なことにデリックだった。
「デリック。どうした?」
「この結果だけを見て勝敗を決めるのは、些か早計かと思いまして」
……こいつ、何を言い出すんだ?
「どうしたというのだ? 私はお前の勝ちを宣言しているのだ?」
『余計なことを言うな』。本当はそう言いたいのだろう。
だが、デリックは怯むことも無く続ける。
「ジェフリー卿。確かに総資産で言えば私はハルイチさんに勝っております。ですが、そう簡単に比較して良いものでしょうか? 彼は、私には無いものを持っております。例えば……金山の採掘権などですね」
……驚いた。これは、正しく俺が最後の切り札として使おうと思っていたものだ。
ジェフリー卿はその意味があまりわかっていないらしく、うるさそうに告げた。
「確かに、今は採掘による利益の一部を税金として納めることを条件に、採掘権を貸与している。だが、あの金山は結局のところ国、ひいてはアルバーン地方全体の所有物だ。
であれば、私が業務停止命令を出せば、ハルイチの権利などないも同然だ」
酷く傲慢な物言いだ。結局すべては自分の裁量一つとでも思っているのか。だが、事はそう簡単じゃないぞ。
「果たして、そう簡単に行くでしょうか?」
「何だと?」
横から俺に口を出され、ジェフリー卿は心底不愉快そうだ。
だが、ここから先の文言は考えてあるのだ、怯む必要は無い。
「ガレル金山は15年前に封鎖されました。あのような魔物が出現したのであればそれも止む無しかと思いますが、ガリアスの労働者がそれに納得したかと言えば話は別です。
鉱夫、御者、錬金術師、さらには金を取り扱う商人。ありとあらゆる職種の者が不利益をこうむりました。
恐れながら申し上げますと、彼らの中には金山を封鎖したことに対し、ジェフリー卿に不満を持つ者もおります」
勿論逆恨みではある。
仮にジェフリー卿が所有する軍隊を派遣すれば討伐は出来たかもしれない。しかし、そうすればまた税金は使われ、戦死した兵士の遺族はジェフリー卿に不満を持つ。
全ての事をなせるわけでは無い以上、どちらかを切り捨てるのは必要なことであった。
だが、俺達は実際に金山を復活させ、彼らに仕事を与えた。
市民と言うのは現金で即物的なものだ。彼らの忠誠心はジェフリー卿では無く、俺に向けられている。
「対して、私は彼らに仕事を与え、彼らに慕われているという自負もあります。その私から採掘権を奪う。そんな事をすれば、ジェフリー卿に不満が向きます。幾ら侯爵と言えど、要らぬ不満を抱え込むのは得策と言えないのでは?」
市民の感情と言うのは馬鹿に出来ない。本当に政治に愛想を尽かせば、街を出る、他の地域に行くなどを選択する市民はいる。そこでアルバーン地方の政治の悪評が広まれば、人口の流入に歯止めがかかる。大げさな言い方をすると、地域の衰退を招くのだ。
「だ、だが、デリックが彼らを継続して雇用すれば、ある程度の不満は抑えられよう」
ジェフリー卿の言う通り、市民にとって一番大切なのは自分の生活である。たとえジェフリー卿に不満が有ろうと、自分が不利益を被らなければ決定的な不満は持たない。
だが、それをデリックが許容するかと言うと話は別だ。
「お言葉ですがジェフリー卿。私はハルイチ殿から採掘権を奪うのに加担せよと言うのなら、お断りいたします。そんなことをすれば、市民の不満の一部がリットン商会に向けられることになる。商人は信用が第一ですので。目先の利益にとらわれ、大局を見失うような真似はしたくありません」
デリックは、俺の読み通りの答えを言った。
結局こいつは根っからの商人なのだ。こいつにとって今回の勝負など二の次、三の次。自分の利益を守ることが何よりの至上命題だ。
「では、採掘権は引き続きハルイチに与えるものとする……」
非常に不満そうな顔でジェフリー卿は告げた。
「それを踏まえて考えるなら、この戦いは私の負けの様でございますね」
「何だと!?」
等々に告げられたデリックの敗北宣言。これにはジェフリー卿だけでなく、俺やみんなも驚いている。
「何故そうなる!?」
「金山と言うのは、まさに大金が埋まっているような場所。そこを抑えられている以上、私に勝ち目はございません」
「だが、勝負の期間は1年だ。これから先ハルイチが利益を出そうと関係は……」
「考え方でございますね。例えば、この場でハルイチ殿が私に採掘権を金で売ると言うのなら、私は金貨10000枚でも購入します。採掘権と言うのはそれほどまでに価値がある物なのです」
「ぐっ……!」
デリックの言った言葉。そして何より、本人が負けを認めているというのが大きい。
「……この戦いはハルイチの勝利とする……」
本当に不承不承、と言う感じではあったが、ジェフリー卿はそう宣言した。
***
その日はジェフリー卿の屋敷に泊めてもらうことになった。
他の仲間達は、一部屋に集まって勝利の祝いをやっている。
確かに俺達は勝利した。だが、何となく気になっていることがあった。
デリックの態度である。あいつ、まるで負ける事を望んでいるみたいだった。
少しあいつと話がしたい。そう思って屋敷を探し回っていたら、廊下から繋がっているバルコニーの辺りに、その姿が見えた。
俺は同じ様に外に出て、デリックに声を変えた。
「デリックさん」
「おや、これはこれはハルイチさん」
デリックは相変わらず気味が悪いほどの愛層の良さで応えた。
「私に何かご用事でも?」
「すこし、あんたと話がしたかった」
「付き合いましょう」
「あんた、もしかして最初から勝つ気が無かったのか?」
俺は単刀直入に切り出した。しかし、デリックは首を振った。
「いえ。最初は勝つつもりでしたよ。そうすればレイラお嬢様と結ばれることも出来ましたし」
「あれは本気だったのか?」
「当然でしょう。レイラお嬢様は美しく、聡明だ。彼女を娶りたいと思わない男はいませんよ」
「侯爵令嬢だから、ではないのか?」
「否定はしません。それを差し引いても魅力的な女性だと思いますがね」
何が本音なのか心底わからない男だ。だが、レイラを娶るつもりがあったのは確かだろう。
「なら、何故負けを認めたりしたんだ?」
デリックは言葉を選ぶように少し沈黙し、こう答えた。
「貴方が怖くなったから、でしょうか?」
「怖い? 俺が?」
「はい。私はこう見えても小心者でしてね。脅威になりそうな相手の動向などは徹底的に探らなければ気が済まないのですよ。
当然、この街に来てからのあなたの行動は大体把握しております」
……知らなかった。
とは言え、不思議では無い。この男はこの地域でずっと商売をしているのだ。顔は当然広いし、独自の情報網を持っていても何ら不思議では無い。
「貴方と来たら、やる事成す事全てが私の度肝を抜きましたよ。
魔法のような瓶を開発したかと思ったら、魔物を調教して売り出す。果ては、金山の復活まで成し遂げる。確かに1年と言う期間で見たら私の勝ちでしょう。しかし、遠からぬ未来、私は貴方に敗れ去ります。
もし此度の戦いに私が勝利し、レイラ様を娶ったらどうでしょう? 貴方は私を敵と認識し、私からレイラ様を取り戻そうと尽力するのではありませんか?」
否定は出来なかった。
「私はそんなのは勘弁です。貴方を敵に回すぐらいなら、レイラ様は諦めます。私にとって、店を守ることは何よりも大切ですから」
言いたいことはわかるが、少し気にかかる事も有った。
「確かに俺はあんたを敵とまでは思わないけど、それでも競合する相手には変わりない。勝負が終わったからって商売を止めるわけじゃないぞ?」
「それはそうでしょうけども、貴方は近いうちにビルヒジスタに移るおつもりでしょう?」
「……何故そう思う?」
デリックは相変わらずの笑顔で応える。
「貴方はロルカ村の出身だ。そして、シリスタ、ガリアスと確実にその商売の規模を広げている。それもここ最近で急速にです。そんなあなたの終着点が、この狭いガリアスとは考えにくい。ビルヒジスタ、もしくはもっと大きい世界へと必ず飛び出していくと私は考えております」
……よくもまあ、そこまで調べたものだ。
「私はこのガリアスで、お山の大将を気取っていたいのですよ。ですから、貴方に勝負を譲り、さっさとこのアルバーン地方から出て行っていただきたい。これが私の戦略です」
……この男。本当に侮れないな。
プライドだとかそう言う余計な物を持たず、完全に利益の事だけを考えている。商人としてはこの上なく優秀な男だと思う。
「という事は、あんたは、いつか俺が採掘権を手放すのもわかっているのか?」
「そして、それが私の手に渡ることもわかっています」
悪びれもせずに言い切るデリック。
確かにそうだ。今のままの雇用形態を維持できる資産家。そんなのは俺を除けば、デリックしかいない。
「譲りはしない。貸すだけだ。上納金は収めてもらうぞ」
「構いませんよ」
「そして、一つ条件がある」
これは、そもそもこの戦いを始めた理由だ。
「人身売買から手を引け。そして、今まで売ってきた子供たちを探し出し、面倒を見てやるんだ。まっとうに生きられるように」
「お約束しましょう」
即答だった。もしかしたら、俺の条件が分かっていたのかもしれない。
俺としても、こいつが約束を破ることは無いと思っている。
人身売買で得られる利益は、金山から得られる利益よりはるかに少ない。俺を怒らせるようなことをすれば、純粋に利益が減ってしまう。
損得勘定がしっかりしているこの男なら、俺との約束を守るのが一番有意義だとわかっているのだ。
こうして、リットン商会との戦いは終わった。
レイラを渡すことも無く、人身売買も止めさせることが出来た。
これ以上望むべくもない。完全な勝利だ。
リットン商会との戦いが終わりました。
ガリアス編もあと少しで完結します。