プロローグ1【今日もまた】
――憎い。
この家に俺を産んだ両親が憎い。
そして、俺のことを恵まれていると妬む奴等が憎い。――でも違うんだ。
俺は何も恵まれてなんかいない。あるのは背負うには重すぎるくらいの期待とそれを成し得ようとするために課される周りからの束縛だ。
……消えたい。
もういいだろ。十八歳にしては頑張ったよな。
――そうじゃないよ――
「だ、誰だッ!!」
俺は勢いよく上体を起こし叫んだ。
誰も居ない……
少年の声だった、それも聞いたことのない。
「……夢か」
目に映るのは窓から差し込んでくる朝日とそれを受け止める壁。壁は一面真っ白なので、眩しい光をうざいくらいに反射させ俺へと放ってくる。
受け止めたなら吸収してくれ。
こんな独りツッコミを入れる俺に「君おもしろくないよ」と蔑むかのように、チュンチュンチュンと、小鳥の囀りだけが部屋を通り過ぎていく。
「…………」
まさか俺がマンガのように叫びながら飛び起きるとは……
しかも夢がよりによってあれだ。夢とはいえ誰だか知らない奴に、心の中を全て見られている気がして不愉快だ。
「でもまぁ気にしても仕方がないしな、このことはきれいさっぱり忘れよう」
若干自分に言い聞かせるように呟き、制服に着替えて自分の部屋を出る。リビングを覗くとテーブルの上には飲みかけのコーヒーと今日の新聞が置いてあった。
どうやら父さんはもう仕事へ行ったようだ。
「くーちゃんおはよ~」
「おはよう母さん」
くーちゃんとは母さんだけが使う俺の呼び名。しかし俺の名前は木暮つくし。
普通に「つくし」と呼んで欲しいよ。もう十八だし。
「今日は学校なんだ」
俺が高校の制服を着ているのを見て、そう言ってくる。
「ああ、大事なことは大方昨日の内に終わらせたよ。会社の人達には残りの指示を出しておいたし、何かトラブルが起こっても優海さんがきっちり対処してくれるよ」
優海さんとは俺の産みの母親。木暮優海だ。つまり、今俺と会話しているのは本当の母親ではなく、父さんが連れてきたお世話係みたいなものだ。
優海さんはずっと父さんのサポート役をしていて会社に籠りっきり。それはもう、会社に優海さんの部屋があるくらいの籠りっぷりらしい。
実際、家に来ることはほとんどないからそうなんだろう。
だから父さんは、俺を一人にしまいと母さんを世話役として連れてきたんだ。
名前は確か千尋。小さい頃から「母さん」と呼ばされていたせいか、姓は忘れてしまった。
今更になって優海さんのことを「お母さん」とは呼ばないし、逆に母さんのことを「千尋さん」とも呼ばない。血が繋がっていないとかそんなことは関係ない。俺にとっての母親は母さんだけだ。だからもし父さんと優海さんに感謝するとしたら、母さんに出逢わせてくれた、ただこれだけだ。
「そう、よかったー。今日のお弁当はちょっと匂いが強いものにしちゃったから、会社に持っていったら次期社長としてかっこつかないかなーって心配だったの!良かったね、くーちゃん!」
と、にこにこ笑顔の母さんは俺の弁当を作ってくれているみたいだった。毎朝こうやってお弁当を作ってくれるのは本当ありがたい。でも、いったい何が良かったのだろう……匂いの強い弁当は学校でも迷惑がられるんだが……
朝は家族そろって皆パンなので、俺はパンを取りに母さんのいる台所へ向かう。
「母さん、いい加減その呼び方やめてくれよ。俺が大人になっても続ける気か?」
と、弁当を作る母さんに目をやると――
そこには弁当箱には決して入れてはならない物が詰められていた。いや、正確には流し込まれていた。ラーメンである。
「母さん!?何してるの!?ラーメンなんか入れたら食べる頃には麺が伸びてるだろ!」
想像もつかなかった弁当を目の当たりにして、つい声を荒げてしまった。
母さんは料理が得意じゃない。というか料理というものをわかっていない。お腹が膨れたら、食べられたら何でもいい。そんな考えで料理を行っているのでよりおいしく作ろうとかTPOなんて全く頭にないのだ。
いつもこんな調子というわけじゃないのが唯一の救いだ。そうじゃなければ父さんに頼んで、別に家政婦を雇っているだろう。
兎に角、俺はすぐにその奇行を止めにかかる。
「だいたい、こんな普通の二段弁当に入れたらスープが零れてくるだろ?これは今から俺が食べるから、母さんは後片付けしてて!」
「はーい、わかりましたよー」
口を尖らせてふてくされながらも片付けに切り替えてくれた。
俺はこの、お弁当箱にラーメンという奇妙な組み合わせをテーブルに持っていき、時間もないのでさっさと腹に流し込む。
朝からラーメンなんて初めてだ。しかも食べて解ったがこのラーメン、人気チェーン店「こってり屋」の濃厚こってり豚骨じゃねーか。通販か何かで買ったんだろう。朝にこれはすごく重たい。
よし、お昼はうんとさっぱりしたものを食べよう。
これを今日唯一の楽しみにして、俺は玄関へ向かう。
「いってきます」
力のないか細い声。やはり元気がなくなってしまう。
「はい、いってらっしゃい」
母さんは俺とは対照的に心の込もった言葉だった。
ああ、また始まってしまうんだ、くだらない今日が。息苦しい世界が。
また辛い日々を繰り返さなくてはいけない。
玄関の前に立つといつも考えてしまう。そして、外への一歩が踏み出せなくなる。
ちらりと後ろを振り返ると、母さんが「どうしたの?」と言うように首をかしげる。
ここでうじうじしていたらだめだ!母さんに心配をかけてしまうッ。
俺は腹をくくり、母さんに聞こえないように小声で、いつものように自分に言い聞かせる。
「――明日よりはマシ」
俺は玄関のドアを開け、重い足を前へと進める。
外へ出ると、すぐさま日光に視界を奪われた。
なるほど、どおりで部屋の壁は日光を吸収出来なかったわけだ。
今にでもとんぼがえりしたい俺に追い打ちをかけるように、今年一番の輝きで、太陽はギラギラと光を放っていた。