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大嫌いなあなたと約束を

作者: ねこうさぎ

三日月島の外れにある、医療設備も整った小さな教会。人里離れた静かなそこが私と彼の育った場所だった。

幸せだ、と皆が口に出して、けれど誰も幸せでなかった嘘だらけのあの場所で、私と彼だけは嘘のない、互いに取って『特別』な存在だった。

思えば、代わりなんて効かない特別に私も彼も依存し過ぎていたのかもしれない。誰も愛せない私のことを、誰も信じれない彼のことを私たちはただ『嫌い』だという『特別』な感情に頼って、縋って。己を保つのに不可欠な存在にしていたのだ。


親はいない。それはそこにいる全員がそうだった。死別ではない。かと言って、捨てられたというにはあまりに親が不憫だ。彼らは皆、高い金を払い続けて私たちをここにやっているのだから。

思い返せば、その教会で親の顔すら知らないのは私と彼だけだった。それがより一層、互いへの依存を高めたのかもしれない。

そんな場所だったから、生来誰も信じれない性格だった彼は、けれど珍しいことではなかった。周りよりもそれが激しかったために顕著ではあったが、あの場は誰を信じる場でもないのだ。

それに対して、生来の性質として誰も愛せない私よりも恵まれているかと言えば、それもどうかと反応に困る。


彼は飄々として誰もを愛した。誰もを愛して、誰もを裏切る。信じないように愛せるのだ。孤独な生き方を選んだものだと今もなお思うし理解できない。浅く、広く。孤独でいる時がきっと彼にとって最も幸せなのだろう。


私はいつも無表情だった。故意にではないけれど、私というものを知られるのが酷く怖かった。それもまた、孤独な生き方だとは思うけれど、周囲に人を置かないのだから彼よりはマシだと思った。落差がない、平穏な日々だ。


私たちは進んで孤独を選ぶ。そのくせ、よく怖い夢をみた。


夢を見る時はいつも二人一緒で、孤独を誰よりも望む私たちはけれどその時だけは誰かと一緒であることに酷く安心していた。私たちに確約された明日がないことは誰の目にも明らかで、けれど誰も彼もが満たされない日々から目を逸らしていた。様々なことを禁じられた生活の中、私と、恐らくは彼もただ望む『終わり』だけを己の中で温めていた。


そうしていれば、その『終わり』さえも恐ろしいと思わなくなると、そう切に願っていたのだ。


やがて、私たちのうちの一人に終わりが来た。

その事実を隠して隠して。けれど大人たちがどれだけ必死になったって、子どもは何処からかそれを知って覚悟を決める。その日、その子どももまた既に覚悟を決めていた。


その子どもは数年ぶりに会った家族の前で、ただの一言も交わせずに息を止めた。


私と彼にとって、その光景は初めてではなかった。冷たく硬くなり行く我が子に涙一つ流さずに事後処理の相談に入る親たちも、漸くここを出る元仲間を見送ることも、もう慣れたものだった。


決められた死からその身内を守ること。それがこの教会の存在意義なのだ。


慣れている、はずだった。私も彼も、他の子供達も。亡くなった子どもはたった数日前まで皆の輪の中心で明るく元気だったなんて、それもまた嘘であると知っている私たちには関係のないことのはずだった。亡くなった子どもを抜いて、私たちはまた新しい関係を築いて行く、そのはずだった。


「……」


不意に見た、彼の顔が酷く悲痛そうでさえなければ。私はきっとすぐにあの子どもの死を忘れただろうに。

きゅっと口を結んだ。彼と今日死んだ子どもが特別仲が良かったなんてそんな記憶は微塵もない。けれど確か、彼は数日前、大人に呼び出されていた。


ああ、彼は幸運を得たのだな。


本当に存在するなんて私を始めこの教会の子供達皆が信じていない、所謂『キセキ』とやらを彼はきっと、得たのだろう。

それは、紛れもなく彼の努力のおかげだけれど。

信じられないくせに誰よりも優しい彼は自分だけ、と責めているに違いない。

その日、私は初めて彼に自分から声をかけた。そして二人で話をした。教会の裏手、誰の目にも触れない場所で指切りをした。

私からの約束は、生きることだった。ただ、生きろとだけ伝えた。この教会のもしかしたら初めての生き残り。それはきっと、これからここに来るものたちへの希望になる。

そう言った私に彼は驚いた顔をしてから、涙の滲む目を隠すように伏せて、ポツリと言った。


「僕はずっとお前のことが大嫌いだ」


だから、お前も、その約束に私は当たり前のことのように頷く。


「言われずとも、私だってあなたのことが大嫌いです。未来永劫途切れることなく」


そんな言葉で安心できる。私たちはどれだけ、荒んだ子どもなのだろう。


誰よりもお互いを求めているくせに。


数年後、彼はここを出た。私は驚かなかったが、他の子どもたちは酷く驚いていた。この教会の門を立って歩いて去って行く彼の背をいつまでもいつまでも見送っていた。彼の親はやはり来なかった。このまま孤児院に送られるそうだ。


この生活よりは幸せになるのだろうが、彼は一体、何を思ったのだろう。私はそんなことを、霞かかった思考の中で考えながら彼を見送った。


あの日、あの子どもが死んだ日以来、何人が死のうとも私たちが話すことはなかったと言うのに私の最後が決まったある晩、初めて彼から手紙が届いた。


宛名は、私だった。

私にはもちろん、教会に届いたことも初めてだったが、読んで見ると彼が手紙を書いたこと自体が初めてだったらしい。彼らしい軽薄な言葉で勝手がわからないと断りを入れていた。


手紙を送ってきたのは、何と無くだそうだ。

ただ、何と無く、今送らないともう2度とお前に届かない気がした、と書かれているのを見た時は柄にもなくかなり動揺した。彼のことは特別だとは思いつつ、全然知らないことばかりだったのに彼はなんだかんだで私のことを知っていたのかもしれない。ただ、外の世界に触れてなお私のことを忘れていなかったのだとその驚きよりは衝撃は小さかった。


手紙によれば、元気にやっているらしい。相も変わらず彼は人を信じれず、浅く広い付き合いを、男女の中でさえしているらしく、女性と言う性別を愛しているようだ。そんな漠然としたものでさえ愛せない私が言うことではないが、かなり寂しいことだ。本人も自覚があるのか、外の世界もあまり変わらないと仕切りに書いていた。気の持ちようなのかもしれないとも書いていた。

彼は薬学を修めたようだ。この春から大学で学ぶそうで、随分と楽しそうに薬学のことを書いていた。特に和漢薬に関しては、専門家とも渡り合えるほどの知識を得たらしい。彼は元々頭が良かった。それもおかしなことではないだろうと私は淡々とそこを読んでいた。


手紙は複数枚に渡って綴られていて外の世界の変容性に驚かされた。私がこの数年間送った生活ならば、どんなに飾り立てた言葉を用いたとしてもこんなにたくさんは書けないだろう。彼も知っている、何も変わらない日々を刻刻と送っていただけなのだ。

何も変わらない日々で、私もまた何も変わらなかったけれど、変わる世界で変わらなかった彼に少しだけホッとしつつ、私は最後の一枚を見た。

躊躇いが見て取れるくらい、空虚な言葉が並んでいた。それまで読んできたものからは考えられないくらいの内容のなさに訝しむ思いで読み進めると、最後の行に、久しぶりに会えないか、という言葉を見つけた。私はますます訝しんで続きを探した。けれどそれは何処にもなかった。

一方的な、それも会いたいという旨だけを告げられた言葉に私の疑念は増すばかりだが外に出た彼に会いたいとは私も思っていた。ただ会って、どうというわけでもなかったが、最後を告げられた日、その時から何度も見てきた『見知らぬ親』に『看取られる子』の図が頭に浮かんで離れなかったのだ。私には『看取られる』権利がないことが酷く辛く感じていた。


私は随分年老いてしまった神父に返事を書きたい旨を告げた。快く答えてくれて、したいようにやりなさいとまで告げられた。つまりは、そういうことなのだと私はその言葉にただ頭を下げた。

返事には日時を決めずただ場所だけを書いた。三日月島が見える、今はもう使われていない線路沿いにて待つとただそう書いた。それに返事が来ることはなかった。


迫り来る最後の時に、私はただ覚悟を決めていた。それは随分前に決まっていたはずなのに、いざとなると酷く恐ろしいことに思えた。

幼い頃から温め続けた最後は恐らく叶うことはないだろう。

私は長年使った部屋を片付けながらふと考える。これ以上の迷惑はかけたくなくて、私はここを出ることにした。彼と同じく、生きたままここを出ることになったが、彼とは全く意味の違う行為だった。

ただ、神父は私が門から出る直前に葬儀は私を探し出して必ず執り行うと告げてくれた。いつも通りの嘘だろうが、私はありがとうございます、と返答しておいた。恐らく、信じていないことは気づかれていただろうが、気にしたことではなかった。

部屋のものは下の子どもに皆やった。私は手ぶらの状態だった。着の身着のままで、錆びた線路の上をただ歩く。彼は、本当に来るのだろうか。


やがて夜が更けた。私は初めて寒いということを知った。見上げると零れ落ちそうな光があって、暫し見惚れる。目的の場所まで、あと少し。

星、というらしいそれを見たのは初めてだった。夜にはいつも薬の効果で眠っていたため、そもそもこんな時間に起きていることが初めてだった。


「……」


口元に手を当てると微かに感じる空気の揺れに私は私が生きていることを知って不思議な感覚を覚える。苦しくも辛くもないのに、私は今生きている。それが酷く不可思議で、私は一人首を傾げた。


カンカンと寂しい音を立てながらただ歩く。目的の場所まで、あと少し。


私と彼が初めて会ったのは実はあの教会ではなかったことを彼は知っているだろうか。

私と彼はあそこへ行くまでの列車の中で会ったらしい。らしい、というのは、生後間もない頃のことだから覚えているはずもないからだ。会ったのは、何処かの島の見える、崖の上。


緩やかな登り坂に息が上がる。きゅうと苦しくなった身体に、ポタポタと落ちる汗に、私の最後が近いことを知る。彼は、間に合うのだろうか。日時を決めない待ち合わせに。

私は彼に会ったら伝えたいことがある。異常なほどに欲望なく育った私だけれど、一つだけ、最後だから欲を見せることを神は許してくれるだろうか?

私にとって身近の『キセキ』は彼が得たものだけだった。『神』は『キセキ』以上に信じていない。それでも、もしもいるのなら、どうか許して欲しい。私のたった一つの願いを。


「……」


やがて、夜が明ける。淵から明るくなって行く様を霞む視界に捉える。上がった息は収まらずもはや全身の感覚さえ痛みのせいで鈍いがそれでも足は止めていない。目的の場所まで、あと少し。


カン、カン、カン。

最後の数歩を上がって、話に聞いていた崖の上で立ち止まる。暫ししゃがみ込んで咳き込んで、何とか体調を整える。

変わらず止まらない痛みこそ彼、私は何時もよりも健やかな気分で周囲を見渡した。誰の姿も、存在しない。


私の最後の時が静かに近づく。私はただ、海を見た。少しずつ、朝焼けに近づいていく。

彼は、間に合わないのだろうか。

私の努力で間に合うのなら。

けれど、私にはもう、


諦めの気持ちが表れた時、太陽が漸くその身を表した。さぁ、と未だ残っていた夜の名残を追い払って、零れんばかりの星から光を奪ったような日が海を輝かせ空を美しい色の階調で彩って行く。それを見て、思わず息を飲む。私が初めて触れる『キセキ』だとさえ思った。


「息を飲んだら、そのまま止まってしまうんじゃないの?」


不意に、背後からかかった声に私は緩慢とした動きで振り返る。座り込む私が見上げる先には、細身の、けれど病弱からは縁遠そうな男がこちらを見下ろしていた。

耳から垂れる赤い紐が私の目を引いた。教会でも彼はそれをつけていた。


「…白沢さん」

「久しぶり」


変わらぬ軽薄そうな笑顔とは違いその声は低い。流れた時間の長さを一挙に突きつけられたような感覚に陥って、私は苦い顔をした。


「よく、間に合いましたね」


何にとは言わずとも、わかっているのだろう。白沢は少し笑って見覚えのある紙をひらひらと振り、私の隣に腰を下ろした。


「お前な、日時くらい決めろよな。僕がどれだけ悩んだと思ってるの」

「……」


苦笑しながら告げられた言葉に私は沈黙を返す。白沢の振ったのは私の手紙だった。私が唯一今持っているものがそうであるように、彼も私の手紙を大切にしてくれたなら嬉しい。けれど、もしも、日時を決めなかった理由を言えば、白沢は呆れて帰ってしまうだろうか。


「外、出れたんだな」


白沢は昔と同じ、私に対してだけの粗雑な言葉で問いかける。私はまだ、彼の特別だろうか。


「ええ、昨日に出れました」


そんなことよりも、私には伝えたいことがあるのに。時間ばかりが過ぎて行き、私にはそれを伝える決心がつかない。


「そっか。じゃあ、僕が外を案内してやろうか」


笑交じりに言われた言葉に私も久しぶりに少しだけ笑って答える。


「ええ、お願いします」


答えた声が掠れていても白沢は気づかない振りをして話を続けてくれる。


「何処に行こうか。お前は昔から、童話が好きだったからその舞台となったところにいくのも楽しそうだし、大学に連れて行ってあげてもいい。外は、自由で楽しいよ」

「そうですか。楽しみです…」


声は、しりすぼみになって消えてしまう。ポロポロと目から零れた涙を白沢はただ見つめていた。

神のキセキと言われれば信じられるような不安定な色の階調に、私はまるで箍を溶かされたように、想いが零れた。


「羨ましい」

「……」


ぽつりと、発せられたのはその一言だけ。けれど、想いの全てが乗った一言を白沢は正確に汲んで頭を下げる。


「うん、だろうね」


優しい口調に、もっと泣きたくなる。震える体から力が抜けて地面に身体を横たえた。白沢は、息がし易いように体勢を整えてくれる。

醜く歪んだ、生理的なのか感情的なのかわからない涙で汚れた顔を朝の清浄な日が映し出す。そんなことも気にできないほど、私はぎゅうと目を閉じた。


本当は、ずっと羨ましかった。

彼の、成長した声も身体も、どれだけたっても変わらない温もりも、酷く酷く恋しくて、羨ましい。

私にはどれ一つ得られなかった。身体は成長できるほどに健やかでなくて、声も掠れて潰れて、体温はいつも変動していた。

あなたばかりが得て、羨ましい。

それと同時にきっと、私は嬉しかった。あなたにこの先も未来が与えられていることが、とても、とても。

私は震える手で、白沢の手を掴む。私と違って健やかな、手入れされた手だった。


「私は、あなたの中に残りますか…?」


空気を吐き出したような僅かな声。それでも私は紡ぎ続けた。残された、たった一人の教会の生き残りに何か一つでも残したかった。


「私は、あなたのことが嫌いです」


本当は、多分、ずっと、愛していました。


「未来永劫、嫌いです…」


きっとここで初めて会った時から、最後まで、この日この瞬間まで。人を愛せない、私のただ一人だけの例外。あなたにとって私がそうでありたいと望んだこともあったけれど、


それでも、終わりにするのは私なのですね。


「だから、あなたは生きてください」


約束。教会の裏の、子どもの約束があなたの中に残ることを、私の人生でただ一つだけの我儘を、どうか叶えてください。


あなたの幸せだけを、ただ願って。


「さよなら…」


最後のときがやってくる。思いがけず、それは呆気なかった。


私は、望み諦めた最後の通り『見知らぬ親』ではなく『特別な人』に看取られて、ただ静かに息を止めた。


「…うん、さよなら。愛してたよ、文月」



きっと、これほど幸せなことはない。

私は、満足をした顔で冷たく硬くなって行った。


………

……



歳月が巡って


「…いい加減にしてください、ストーカーですか」


もしまた生まれ変わったなら


「ストーカーなんて、恋人相手に酷いなぁ」


真っ先にあなたに


「ストーカーじゃないですか。少なくとも恋人じゃないです」


会いに行こう。


「やれやれ、わかってるよ、あれだろ?」


そのときこそ一緒に、


「互いにとっての無二、『特別なキセキ』なんだよな?」

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