悪女の幼なじみ 1
朝食をとった後、父に呼ばれた。
昨日、私が夜会で起こした騒ぎについてだ。
「……ディアナ」
厳かな当主の部屋で、低い父の声が、私を責めるように響いた。
白い口ひげをたくわえた、その顔に刻まれた深いしわは、公爵家の当主としての威厳を醸し出している。
「いつもいつも…。なぜ、お前は社交界ではそうなんだ」
父の声に疲労が滲む。
父が言いたいことは、つまり、何故、私がパーティーに出る度に同性に対して高飛車で陰湿な嫌がらせをするのか、ということだろう。
私は屋敷内では、令嬢の中の令嬢の振る舞いをしている。
自分でいうのも何だけど。
召使いにも一人一人優しく声をかけるし、わがままを言って困らせたりもしない(……いや、言いすぎた。ちょっとは困らせてるかも)。それに、勉強もできるし、ダンスだって完璧だ。
なのに、夜会にでれば一変して、わがまま横暴やりたい放題な悪女である。
父が溜息をつきたくなるのもわかる。
しかし、いくら父様といえど、私の目的の邪魔はさせない。
この目的を掲げたときから、私は他の何もかもを犠牲にする覚悟はできている。
黙っている私に何を思ったのか、父様は神妙な顔つきだ。
「何も、自分を大きく見せようと、無理に虚勢をはらなくてもよいのだぞ。……きいているのか、ディアナ」
無意識のうちに眉が寄っていた。
こんな的外れな勘違いをしている父様は、私の本来の目的など思いもよらないのだろう。
知られたくないからいいのだけれど、少し腹立たしくも思える。
父様は私が公爵家として威厳を持った令嬢になろうと夜会で張り切って頑張って、あのような横暴な振る舞いをしているのだと勝手に解釈して結論づけているのだ。この勘違いは、7年前から続いている。
今までは否定する気もなかったが、ここらで否定しておかないと、後々面倒臭そうだ。
いらないフォローをされて、計画を邪魔されたらたまらないからな。
やむを得ない。
父様には、悪いけど。
私がエリオットと結婚することで、こんな悪女のいる公爵家が更なる権力を持つなどとんでもないとささやかに言う貴族はいるが、表立って婚約に反対する勢力がいないことで、私は現在少し焦燥感を持っていた。このままでは結婚させられてしまうかもしれない。
私はぐっ、と腹に力を入れた。
7年も悪女をしているのに大して変わらない現状ということは、新たに何かしなければこのままずっと同じということだ。
これ見よがしに溜め息をついた。
父様の顔が、訝しむように歪む。当たり前だ。私は、父様の前で溜め息すらついたことがないのだから。
私は更に姿勢を崩して、肩にかかる髪の毛を傲慢な仕草で払いのけた。顎を上げて、視線も冷たく見えるように。
そう、私は、悪女のディアナ・アルゼ・ド・シルヴァだ。
「……父様は、何か勘違いをなさっているようだわ」
わざと、ゆっくりと話した。相手を小馬鹿にした、幼い子に対するみたいな態度。
夜会以外でこんな生意気な態度をとったのは初めてである。
豹変した私の態度に、父様は目を細めた。
こ、こここわい。だが、耐えろディアナ!
「私、夜会では自分のやりたいようにやっているだけよ。むしろ、今まで屋敷では父様のことを気にしてしおらしくいたのですけど。今、父様は無理をしなくていいとおっしゃったものね? わかったわ、これからは屋敷でも私のしたいように振る舞いますわ。ですから、口出ししないで下さいね。父様」
ノーブレスで言い切った私は、片方の口角だけを上げて、嫌みに微笑む。
「………」
どきどきしながら、どや顔で父様を見下ろす。
すると、父様は眉をひそめて溜め息をついた。
内心びくつくチキンな私。
「……そうか。ならばやりたいように」
ん?
聞き間違いかと思った。
え、認めていいの!? どういうこと!?
なにそのお前のやることなんて興味ないです〜って感じの態度!! 私、公爵家の評判落としてるんだけどな! ……え、そうだよね? 落ちてるよね? え? いいの!?!?
ま、まあいいや、とりあえず、せめて、せめて、何か、変わってしまった娘への言葉はないの!?
「将来は公爵家を継ぐのだ。したいようにできるのは、今のうちだろう。ならば、思う存分やりなさい。許そう」
……と、父様…。
なんだか、寛容すぎてショックである。
なんかさ、そんな子を育てた覚えはないみたいなさ、なんかあるじゃん?
こんな反応されると、まるで悪女が私の本質みたいじゃないか!
私、もしかして、真っ当に育つこと諦められてるわけですか? 悪女してても、そんなん、ふつうに寂しいから!
そして、悪女的には、激怒されたり号泣されたりしたほうがやりやすいのよ!
い、いえ。しっかりするのよ私。平常心平常心。
「あら、父様ったらお優しいのね。よくて? 許してしまえば、何するかわかりませんわよ。公爵家のマイナスになるであろうことだって、私は平気でするわ。…、だって、公爵家を継ぐつもりなんてないのだもの」
「は? 何をバカなことを言っているんだ、お前が公爵家を継がないなど有り得ない。……よい、もう帰りなさい」
初めて言った、公爵家を継ぐつもりはないという言葉は、父に簡単にあしらわれてしまった。はあ、とわざとらしく溜め息を吐いて、父様は私を手で追い払う。
まあ! 失礼しちゃう!
父の態度に対抗するかのように怒った表情を作り、ふんっと、ドレスをひらめかせて書斎から出る。
サラにしか言ってなかった、絶対、誰にも言っちゃダメって思ってた。
何を言ってるんだ、だって。
有り得ない、だって。たった、それだけ。
音を立てて閉まる扉の向こうを睨む。
やっぱりそうだ。
ーーー結局、父様は、私たちのことなんて、興味ないのだ。
下を向きそうになった視線を、気合いを入れて、ぐいっと上げる。
そのまま勢いよく振り向いて、ーーーそこで、サラに続く幼なじみ2のキースと鉢合わせた。踏み出そうとしていた私は、彼の胸元にぶつかりそうになり、慌てて距離をとる。
思わず上を見上げれば、さらりと揺れる黒髪からのぞく深いブルーの瞳が、私を軽蔑するように冷たく光っていた。
…うわ。
私は、いっきに気分が下がるのを感じた。
私とサラとキースは、いつも一緒で兄弟のように育ってきた。
でも、キースには言っていないのだ。私が悪女を演じている理由も、なにもかも。
私とエリオットの婚約が決まって、それをきちんと理解できる年になった頃辺りから、キースはどこかよそよそしくなった。それを疑問に思っているうちに距離ができて、そして、私が悪女になってからは、キースはこうやって侮蔑の眼差しさえよこしてくる。
キースに対して、傲慢な態度をとった覚えはないけど、キースも子爵家三男の騎士サマなので、悪女の私を夜会で見たのかもしれない。噂もたくさん聞くだろう。キースのことを噂を鵜呑みにする人物だとは思ってはいないが、私のことを信じてほしいなんて言えない。だって、私は事実、令嬢を虐めているのだから。
私が彼に事情を話していないからだとは思いつつも、一度拒絶されると、それでも受け入れられなかったらという思いが消えず、話す勇気が出なかった。お兄ちゃんみたいに慕っていた大好きなキースに嫌われて、私はかなり落ち込んだ。親しかった者からの拒絶はつらい。
キースの顔を見ると、あの時の感情を思い出すし、そのあからさまな嫌悪の表情には未だに傷つく。
だから、あまりキースとは会いたくなかったのに。
きっと、キースに責められる前に、私は彼に冷たい言葉を吐いてしまうに違いない。
攻撃は最大の防御なのだ。
自分の内側にいた人からの侮辱ほど、堪えるものはない。
綺麗に整ったその顔から、無理やり視線を剥がした。
久しぶりに見たキースの成長した姿は、もはや知らない人にさえ見えた。
なにも言わず、彼の脇を黙って通り過ぎる。
「……継がない? お前が、公爵家を??」
「…………へ?」
不意に後方からかけられた言葉。
思いもよらなかったそれに間抜けな声をあげて振り向けば、キースが眉をひそめながら、イライラとしたようにまた言った。
「訳のわからないことを……。ここでも、やりたい放題か」
間抜けな声と同様の間抜けな私の顔がむかつきすぎたのか、キースは顔をそむけている。
ここでもって、まあ、そうね。
公爵家に護衛の騎士として仕えているキースにとっては、私がこの屋敷でやりたい放題振る舞うことは大きな問題かもしれない。
「まるで、ガキの癇癪だな」
言い捨てるような発言に、イラッとした。
ガキだって?
そもそも、なぜキースに嫌味を言われているのか理解できない。
そりゃ、悪女になるなんて馬鹿げた発想かもしれないけど、それ以上にいい案なんて今でも一つも思い浮かばない。
キースには事情は話していないから、完全に八つ当たりだとわかっていたけど、父様とのこともあって苛立っていた私はその激情のまま口を開けた。
「……キースに関係あるの?」
きっと、むかつく言い方だった。
関係ないでしょって、突き放したのだ。久しぶりの会話だったのに。
案の定、キースはギンッと私を睨みつけた。
ひっ!
怖い怖い怖い!!
「………何だと?」
「ちょ、顔怖い! 来ないでよ!」
慌てて逃げようとしたら、手首をへし曲げる勢いで掴まれた。
「え、痛い痛い!」
「……関係ない?」
「ないでしょ! ……って、わわわわわっ!」
どん、と壁に押し付けられる。
怒ったみたいな、いつも以上に氷点下の瞳が私を見下ろす。
「キース…?」
キースから冷気が漂ってる気がする。
ぞわぞわする。
え、もしかして、これ殺気?
…殺される!?
「待って、落ち着いて、ね、ごめん、関係ある、キースは関係あるよ、だからさ、ね、離してほしいなー、なんて、、」
テンパりすぎて、久しぶりとか気まずいとかどっかいってしまったみたいだ。だが、昔のように砕けた口調になった私を、キースは見下し。
「………」
無反応。
っ! マジかこいつ…!
そして、私はふと気がついた。
この体制は見た者に勘違いされかねない。
いわゆる壁ドンをされ、吐息が触れる距離で顔を合わせている私たち。
悪女をしているけれど、王子と婚約している身である私は、こういう面でのやっかいごとは避けたい。ふしだらなイメージは挽回できにくいものだ。性格が悪いなどと散々罵られても、大人しくしていれば次第に噂は消えるものだが、浮気のイメージなどというものはどうやってもついて回るし、そっち方面の問題は抱えたくない。
公爵家を弟に譲ったら、今まで私が泥を塗ってきた公爵家のイメージアップに全力で努めようと思っているので、とても、困る。
メイドとかが通る前に、何とかしないと。
「キース…っ!」
叫ぶと、キースはハッとしたように身を引いた。
良かった。正気に戻ってくれたのだね。良かった。生きてるよ。
守られた命に感謝していると、キースがフラフラと私から離れた。
自分の行動が信じられないとでもいうかのような表情だ。
まあ、私もそう思うよ。こんなとこで殺人しちゃいかん。
「……くそっ」
キースが憎々しげに呟いた。
とても、苦しそうな声だ。
………。
……そんなに?!
そんなに、私を殺したかったのか!?
「っ、ぜんぶ、お前がっ、」
「…わ、私が?」
「…お前が悪いんだ、…」
絞り出すような声でキースはそう言うと、走り行ってしまった。
わけがわからない。
あ、いや、私が悪いのは認めるけど、悪女だからさ。ご丁寧にわかりやすく、悪ってついてるしさ。でも、ぜんぶ? 何がぜんぶだよ。キースを巻き込んだ覚えはねえよ!!
釈然としないまま、部屋へと足を進めた。
悪女で陰口叩かれたことはあったけど、なんかわからんけど全部を私のせいにされたことはなかったな。
キースとは修復不可能な溝を感じた私だった。