悪女の裏側 2
にこり、と人懐こい笑みで近付いてくる騎士に、サラはぎくりと肩を揺らした。
今はセンチメンタルな気分であって、お前みたいなフランクな宇宙人とコミュニケーションをとれるテンションじゃない。
無視してやろうかとも思ったサラだが、名前を呼ばれて挨拶までされてしまえば、そんな無礼な真似が出来るはずもなかった。
「ご機嫌よう、シェイド様」
にこりと印象のいい笑みを浮かべて淑女の挨拶をしつつ、早くそのまま帰れと心の中で思う。
しかしサラの祈りは神に聞き届けられず、シェイドはサラの元まですぐにやって来て、相変わらず読めない微笑を浮かべている。なにやら、隣に居座る雰囲気だ。
「何だかそわそわしてるね、どうしたの?」
ふふ、とにこやかに笑うシェイド。
サラにはもう、嫌な顔を隠せている自信がない。
まじで今はそういう気分じゃない。
今は取り敢えずディアナ様の心配だけしてたいんだよ、とオーラで訴える。
「……なんでもありませんわ」
「聞かれたくないこと?」
見りゃわかんだろ、とサラは肩をすくめた。
物腰柔らかなシェイドに、優しくどうしたの、なんて聞かれて答えない女なんていないかもしれないが、サラは生憎そういう感情を持ち合わせていなかった。
ーーー利用出来るか出来ないか。
メリットデメリットの人間関係で生きている女だ。
その点で言えば、シェイドはかなり利用出来る男だが、サラは今取り敢えずディアナのことで頭がいっぱいだ。
そして、そんなサラのことを知ってか知らずか。
「じゃあ、俺の話聞いてくれません? 仕事の愚痴だけど」
シェイドが冗談めかしたため息と共に、サラの横へ座り込んだ。
サラは、こいつまじで居座る気だ、とげんなりした。しかし、彼は貴重な情報源だと言い聞かせ、気を取り直す。これも仕事。
(話してくれるというなら、どんな話でも聞いておいて損はないわ。…彼は貴重な情報源、貴重な情報源、貴重な情報源……)
3回言い聞かせて、ようやく精神が落ち着いた。むしろ、大事な情報源を逃すところだった危ない。さっきまでの自分はどうかしていたに違いないとさえ思う。
こういう気持ちの切り替えの早さが、サラの長所でもあり短所でもある。
「エリオットの好き」について知っている貴重な情報源。逃してたまるかと決意も新たに、あら、と驚いた顔を作った。
「わたくしなんかに? シェイド様のお話でしたらお聞きしたいご令嬢がたくさんいますでしょう?」
聞きたいけど素直になれない感じを演出して、シェイドの顔色を伺う。
柔和な顔立ちの騎士は、ふっと目を細めた。
「サラ様に、聞いてほしいんだよ。ーーー俺が」
へえ、とサラは値踏みする。
なるほど、そっちもそういう設定かと思って、やっぱり似た者同士で嫌気がさす。
それを顔に出さず、むしろちょっと頬を緩めて見せて、嬉しいのを隠す乙女の演技。
「なら、仕方ありませんわね」
シェイドの横へしゃがみこんだが、内心なんでこんなことになっているのかはよくわかっていない。
似た者同士なのだから、シェイドも自分から聞き出したい事があるはず。利用する気だろうけど、それすら利用してみせる。
「ふふ、ありがとうございます。最近、あるご令嬢たちが結託して作った会があるんだけど、俺いまそこを壊滅させなきゃいけなくてさ……」
「……は?」
いきなり不穏な話である。
ぶっ飛んだ切り口に、二の句が継げない。
なに? ご令嬢の会を壊滅??
一瞬にしてサラの脳内では、激しいバトルが繰り広げられ始めた。
「普通の会だったらいいんだけど、俺の大事なご主人サマの邪魔をするための会だから、俺も頑張ろうかなって思ってて」
「はあ……」
一体なにを聞かせられているのだろうか。
お仕事頑張るぞの話?
主人の惚気?
「けど、女の子に手を出すのは気が引けるじゃん?」
「まあ、気高い騎士様なら、そのようなことはできませんね」
「そうなんだよ〜、暴力なんてできない、かといって陰気なことはしたくないし」
「……ふむ、なるほど。でしたら、その会はそれ程悪質なものではないのですね。法に触れるようなことをしている方たちならば、なんとでもできましょうから」
「そうなの! 彼女たちにそれ程の罪はないというか……。いや、まあ、うちの王子サマにとっては悪質よ? だいぶ」
「エリオット様にとっては……?」
「それで、どうしようかなーってその会のことを調べていたら、なんと! その会の発足の裏には、ある騎士の存在が!」
「ええっ!」
いきなりのミステリー。黒幕の登場である。
厳禁なメイドは、先ほどまでの憤怒や決意を一瞬忘れ、ドキドキしてきた。
「その騎士はなんと、俺たちにも知恵を授けてくれた存在なのでした……」
「な、なんということでしょう……!」
味方だと思っていたら、敵だった的な!?
ストーリー性の出てきた「仕事の愚痴」に、サラは身を乗り出した。シェイドはその様子を見て、ニヤリと笑う。心なしか声のトーンを下げて、内緒話でもするようにひっそりと囁く。
「俺たちは最初、裏切られたと思ったよ。けど、その騎士は俺たちの味方でも、ご令嬢たちの会の味方でもなかったんだ……」
な、なんと!
声を上げずに驚くサラを見て、シェイドは途端に、にこっと笑う。話を聞いてくれてうれしいとでもいうような、その表情。普通の人なら、自分を楽しませるために話をしているのだと、勘違いをしてしまうだろう。しかし、残念ながら、サラは普通の人ではなかったので、おっとこれも策略かと身構えただけだった。
「騎士には、ある信念があったんだ。どうしても譲れないことが」
「譲れないこと……?」
「そう。だから、騎士は俺たちに助言をしたし、令嬢たちに力を与えた」
「ふふふ…、言い方が大仰ですわね」
芝居がかった口調と仕草を見て、くす、と笑ったサラに、シェイドは拗ねたように唇を尖らせた。
「………む。笑わないでよ。だって、そうしないとサラ様、話聞いてくんないじゃん」
ーーーわあ。
サラは慄いた。
こういう手口か。……いや、どういう手口だ?
私を落としてどうする気なんだ??
思案するサラが、どういう方向性で対応しようか決めかねているうちに、シェイドはさらりと話を戻した。
「で、俺はその騎士からやっつけようかなーて思ってるわけ! なんだけど! その騎士も手が出しづらくてさあ〜〜」
困ったよ、と軽いため息を吐くシェイドだが、サラから見ればそこまで困っているようには見えないし、最終的にはなんで自分がこの話を聞かせられたのかもよく分からない。
と、内心首を傾げていると。
「てことで、悪女と名高い姫のメイドのサラ様! ここはひとつ、俺に知恵をお貸しください!」
ぱん、と両手を合わせたシェイドが、上目遣いで縋るように言う。……が、いってる内容はそこそこひどい。
「ふふ、わたくしに頼るなんて、よっぽど困ってらっしゃるんですのね」
「困ってますとも」
「その騎士様に手が出しづらい理由は、……そうですわね、シェイド様にも助言できる立場ということですから、地位が高い、ですとか?」
「うーん、そう言うことになるかな」
この国では、騎士という職業は国家資格で、その試験に合格したものは、みんな騎士になれる。騎士内のグレードもあるが、それも昇級試験がある。騎士というのは国家資格というだけなので、どこで働くかは自由だ。騎士になったからといって、王家に仕えなくてはならない訳ではないのだ。1番名誉とされていてレベルが高いのが王宮騎士団なので、大抵の騎士は王家に仕えるが、なんなら実家でもいいし、全く別の家でもいい。給料がもらえて誇りが守れる場所なら、ぶっ飛んだ話、平民の家でもいいのだ。ただ、騎士の給料というものはグレードによって最低賃金が決められているので、実際はそんなこと起こりえないわけだが。
「高いのは、その騎士自身の地位ですか? 仕えている家ですか?」
「それは内緒」
人差し指をひっそり唇に当てるシェイド。意味深な流し目までよこされたが、そんな色気にも全くやられない鋼の心を持つサラは、内心頷いて、考えを巡らせる。
(まあ、仕事内容、そんなにぺちゃくちゃ喋られないわよね。いや、しゃべってしまってるほうだけど、それは、これも彼の仕事だからだ)
つまり、それこそ自分を利用していると言う証拠に成り得る。けれど、それが、こんな簡単なお悩み相談な訳がない。
シェイドの周りにはもっと深く内容を知ることができて、尚賢い人間が沢山いるのだから、こんな簡単なお悩み相談ならばその人たち相手にすれば良いのだ。
だから、間違いなく、サラに、何かをさせようとしている。
「その騎士様の弱点は把握しておいでですよね」
「もちろん。けど、その弱点にも手が出せない」
慎重に、けれど利用されていると気がついていることを悟らせない。
サラは何でもないようにシェイドに答えながら、自分の利用価値について考える。
ただの侍女に過ぎないサラにできることは、その侍女として使えている主人ーーディアナに関することだけだ。
つまり、この話は確実にディアナに関係しているはず。
(一体私に何をさせようと……?)
「弱点はおひとつだけ?」
「俺たちが把握している限りでは」
「それはものですか、ひとですか?」
「それも内緒」
つかみどころのない騎士が笑う。
サラはやはり、こいつと話すべきではなかったと思った。疲れるからだ。
(気軽に手が出せない程地位の高い騎士。騎士が作らせた会と、それに邪魔をされる王子。法に触れるようなことじゃなくて、けれど、王子にとっては悪質。信念を持っていて、令嬢と王子の味方にもなる騎士。令嬢と王子は敵対している。弱点はひとつ。……そしたら、きっと、その弱点が信念に繋がっているはずだわ)
ーーーそして、それら全てがディアナ様に関係しているはず。
(まさか。)
ハッとした………、その息を飲み込んだ。
気がついたことを、シェイドに悟らせてはならない。絶対に。
先ほどまでと同じ顔を、意識して作り上げる。
どこの筋肉も、僅かにも、動かさないように。
ひっそりと呼吸をしたが、気がついてしまったその可能性に、腹わたが煮えくり返るほどの激情が押し寄せている。
利用されてたまるものかと気を張っていたが、これは、黙っていられない。利用された形になったとしても、自分はきっと行動してしまうだろう。
それ程の怒りがサラの身を燃え上がらせていた。
(王子とディアナ様が関係していることなんて、婚約しかない。王子は結婚したいのだから、不利益になることは婚約破棄に繋がることの可能性が高い。そうだと仮定すると、きっと、婚約破棄を勧める会が出来たということだわ。最近になって近づいてきたご令嬢……ユルウル家のパトリシア様たち。いきなりだったけれど、そういうことなら好意的だったのも納得。そして、シェイド様が壊滅させたいと言ったのも……なるほど、通りでユルウル家のお茶会からエリオット様が着いてきた訳だわ。それを提案したのも彼だと言っていた。本当にただ邪魔をしにいったわけだ。婚約破棄を勧めるユルウル家のご令嬢たちの会が、法には触れないけれど、王子にとっては邪魔で悪質、という点も合致する。)
いろんなピースがはまっていく。
人は、自分でたどり着いた答えには、疑問を抱かないという。
だから、まだ、確信を得た訳ではないから。
だから、まだ、思い込むのはよくない。
そう言い聞かせながら、サラは拳を握った。
「私、でしたら……、その方の心の支えとなっている方から、攻略しますわ」
にこ、と平常心を取り繕って答える。
きっと、大丈夫。さっきと同じ。何も変わらないように細心の注意を払って、サラはシェイドの反応を伺う。
(信念を持った高い地位の騎士。この話を私に持ってきた上で私を利用できると考えたのならば、そんなの、あいつしかいない。そして、それを考えれば、この人が私にこんな相談をしてきたのも納得できる。そりゃそうだ、私はもう居ても立っても居られないくらい怒ってる。だから、この相談は、私がこの答えに辿り着くことも、大前提なんだわ。)
本当嫌な男ね、と小さく呟いたのが聞こえたのだろうか。
優しく微笑んでいた騎士は、驚いたように笑って、その後、ぶはっと吹き出した。
「ふ、ははっ! そうだよね、俺もそうだと思うよ。まずは、精神的に追い詰めてやらなくちゃね!」
何がそんなに面白かったのか、目尻に涙まで浮かべて軽快に笑うシェイドをそっちのけで、サラは内心絶叫した。
(キース……! お前かあああああああああああああ!!!!)