悪女の混乱 3
気高い悪女、ディアナ・アルゼ・ド・シルヴァ。
権力を振りかざしてやりたい放題、その美貌で男を虜にしてはあらゆるものを貢がせて、気に食わない女は徹底的にいじめる。
婚約者のエリオットへのごますりには余念がなく、すきあらば下克上を狙うハンター。
そうです、この私のことです。
ほら、私のことだよ!
なのに、なんなのこのザマは!
元気を出していじめの計画でも練るのよ!
ーーーああ、強い私は一体何処へ……。
季節の変わり目を愛でる会などと言う馬鹿げた名前の夜会、あれからというもの、私は三日三晩泣き明かした。
お気に入りの枕を涙でしとどに濡らし、大好きなクッキーもくすねに行かなかった。
ーーーそう、絶望感に打ちひしがれていたのだ。
何もかも、うまくいかない。
エリオットからあらゆる妨害を受け、悪口を言えば喜ぶご令嬢に付きまとわれて、何もいいことがないではないか。
数ヶ月前これから先、計画が順調に進むに違いないと期待に胸を躍らせていたのが、ひどく遠い出来事のように思える。
だって、今だに協力者は得られていない。
そしてエリオットに付きまとわれ、私の唯一の仕事であるいじめですら真っ当にこなせない。
しかも、季節の変わり目を愛でる会、第2弾までやると言うではないか。
神は余程、私を不幸にしたいに違いない。
脳内では、あらあらいやですわと囁くパトリシア様が分裂して襲いかかり、逃げた先には落とし穴。そして、その漆黒の闇の淵にはエリオットがいて、落下する私を嘲笑っている。
………ああ。
もうこのまま婚約破棄などできないのかも、などと悪女にあるまじき弱気な考えまで浮かぶ。
だめよ! だめだわ!
強くなるのよ!
一体何にここまで心がやられたというのディアナ!
キースに殺されかけた時も、エリオットに骨を砕かれようとした時も、パトリシア様に悪意を軽くあしらわれた時も、弟のセイラにゴリラと馬鹿にされた時も、ここまでの絶望、そして虚無感と無気力に苛まれたことはなかった。
いや、違う。
どれが、というものではないのだ。
これら全てが私の行く手を阻むのだ!!
それらは積み重なり、私の精神を蝕んで、今にも飲み込もうとしている。
およよ。
愛するセイラのゴリラ発言でさえ、私の心を不安定にした一因に違いはない。
こんなに好きなのに、報われないなんて、世の中のなんて遣る瀬無いことか。
悲劇のヒロインぶってレースのハンカチで目尻を拭い、しかも、と思う。
しかもだ。
好きと言えば、そうなのだ。
私の心を不安定にさせる要因が、もうひとつある。
ーーーそれが、私の侍女、サラの元気が目に見えてないことだ。
いつもやる気に満ち、私を叱咤激励して夜会へ送り込む快活な彼女。甘い顔立ちに似合わず、そんな苛烈な性格を持ち備えている私のメイドは、近頃、時折「好き…、」と呟いては、ふと窓の外を眺めて、いやいやいや、とかぶりを振るのである。
これを毎日10セットはやる。
私の見ているだけでもそうなので、きっとそこらでもっとやっているに違いない。
私が三日三晩も泣き続けていられたのも、こうしてサラの元気がないからだ。
何分初めての事だったので、泣いて引きこもったはいいが、止め時が分からず、三日三晩泣き続ける羽目になり、憂いに浸るのも悪くはなかったが、3日も経つとそれにも飽きてしまい、サラの前でこれ見よがしにレースのハンカチなど持ち出して涙を拭う始末だ。
「好き……、あの人の好きとは一体……。いやいやいや、考えても仕方ないことですわ……」
今もまた、わざとらしく泣き真似をする私の横で、憂いのため息を吐く。サラの瞳は、今まで見たことがない翳りを見せている。
なるほどやはり、と確信をする。
ーーーそうだ、やはり、サラは恋をしているに違いない!!
自分で言って、自分で悲しくなる。
私のことなんてどうでもよくなったのか、サラ!
お前をそんなに悩ませているのは、一体どこの馬の骨だ!?
もはや、こうなっては、嫉妬で絶望感も吹き飛んだ。未だかつて見たことのない幼馴染の姿にやきもきし、歯ぎしりをする。
何時もならば、私が閉じこもった2日目で、何をなさってるんですか!いい加減うざいですわ!と喚いて、私を布団から引きずり出し、演技のスパルタ稽古を行うところなのに。
悲しい気持ちを利用して、涙を滲ませる。
しかしながら、およよ、と再び泣き真似を始めた私など視界にないかのように、サラはドレスのチェックをし始めた。
うう……っ!
気づいて、サラ! ほっておかないで!
さみしいから……!
しくしく嘆いても、恋する乙女には届かない。
とどまるところを知らず、嗚咽混じりの本格的な泣きの演技に入ったところで、サラはようやく私に気が付いた。
「な……っ!? 一体どうしたんです!?」
びっくり飛んできたサラは、もはや淑女のカケラもない私の様子を見て、少し……そう、少しだけ引いた顔をした。
「ちょ、きたな……」
………嘘をつきました。すごい顔をされています。
彼女はだいぶドン引きのご様子ではあったが、ポケットからハンカチを取り出すと、優しく私の顔を拭ってくれる。
「あらあら、どうなさったんですか。またエリオット様にいじめられたんですか?」
まるで母親である。
ようやく気が付いてもらえて満足した私は、鼻をずずっと吸った。
「……私がいじめてやったみたいなものよ」
「あらあらあら……」
なんでしょうもない嘘つくんだとでも言いたげな表情。
腹立つ。
泣いてたのは、あんたのせいだよ!
唇を尖らせて不機嫌を伝えても、幼馴染には響かなかった。
きっと、恋に目覚めてしまって、幼馴染の主人のことなど眼中にないのだ。恋は盲目。ああ、なんてことだろう! またしても果てしない絶望感が私を包む。
数々の男を手玉にとってきた……ということになっている私だが、もちろん悪女になることとエリオットへの対抗戦で忙しく、色恋にうつつを抜かす暇もなかった。
ねえ、好きってどう言う感情!?
それ何味!?
サラはほんとに私のことどうでもよくなったの!?!? それほどまでに恋ってすごいものなの!?
サラの好きなタイプや彼氏の話なんて今まできいたこともなかったし、そんな気配が微塵もなかったからと油断していた!
サラを射止めるなんて、一体どんな男なんだ!? サラはこんなにいい女なので、きっと男の方も好きになってしまうに違いない!
そしたらきっと、私のことなんて忘却の彼方。
忘れ去ってしまえば最後、私が泣こうが喚こうがそっちのけで、定時ダッシュで家に帰って、男のためにご飯を作ってお風呂を沸かすようになるんだわ!
想像もしていなかった未来。
めまいがした。
なんてことだろう!
この可能性を考えてこなかった自分に失望すら覚える。
サラはさっぱりした性格なので、こんなに恋の虜になるとは思いもしていなかったのだが、それは言い訳だ。私はサラのこと、何も知らなかったんだ………。
「どうなさったのですか、本当に。元気がありませんわね」
目の前のサラが心配そうに私の顔を覗き込む。
うう、こうやって心配してくれるのも今だけなんだわ……。
「…………サラの元気も、ないじゃないの…」
「ディアナ様……」
私が気づいていたことにびっくりしたようで、サラは大きな目をぱちくりさせた。
そして、妙な静けさの中、大きな深呼吸が聞こえた。
私の手が優しく持ち上げられて、ぎゅっと握り込まれる。サラは落ち着いた口調で、きいてください、と囁いた。
はて、恋愛相談かしら……。
え!?
まさか、恋愛相談かしら!?
あわや混乱。
そんな私を握るサラの手に力が入った。
「ディアナ様がなさること全て、私は応援しておりますわ。誰に嫌われても、誰に酷いことをしても、私は味方です。……どんな辛い目にあったとしても、そしてその可能性があったとしても、ご自分の信念を曲げない強い意志、それを尊敬しているからです」
ひえ!?!?!?
私は心底びっくりした。
え、こ、こここここれって、そういうシーンなの!?!?
これって、侍従関係深めるイベントじゃん!!!?!?
なんて答えるべきか、内心てんやわんやの私。
先ほどまで捨てられると思っていた私は、心の中で諸手を挙げて喜んだ。
対して、サラは落ち着き払った様子。慈愛に満ちた表情で優しく微笑んでいる。
「私は、ディアナ様のことが何より大事です。だから、何があっても、くじけないで下さいませ」
………。
え………。
何があっても……?
え、めっちゃ嫌なフラグ立てられたんですけど……。