8−5
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
ここなは、出された珈琲に口をつける。
「わ、香りがすごいね。家で飲むのと全然違う」
「だろ?」
京介が嬉しそうに笑った。
背後に流れるクラシック。少しレトロな店内。
京介のバイト先の喫茶店だ。
「初めて来た、ここ」
カウンター席に腰掛けて、辺りを見回す。
「またいつでも来てくださいね。京介くんの恋人さんなら、いつでも歓迎ですよ」
少し離れたところにいたマスターが微笑む。
「はい」
ここなは素直に頷いた。
この商店街の人々は、なんの疑いもなく、ここなが京介の恋人だと信じている。それが少しくすぐったくて、心地よい。
訂正した方がいいのではないかと思ったけれども、京介はどこにいってもそれを当たり前のように受け止めているから、何も言わない。
京介の態度も、くすぐったくて、心地よい。嬉しい。
「それから、これ」
カウンターの向こうにいる京介が、お皿を置く。
「フレンチトースト」
「美味しそう。キョースケが作ったの?」
「一応ね」
「京介くんは、本当料理が上手ですね。京介くんがいてくれて、助かりました」
「いえいえ、俺の方こそ雇ってもらっちゃって」
二人の会話を聞いて、ここなは笑う。
自分の知らない京介の世界を知ることが出来て、嬉しい。
「楽しそうだね」
それに気づいて京介が少し苦笑いする。
「うん」
頷いた。
京介は苦笑したまま、カウンターから外に出てくる。
腰に巻いた黒いサロンを外す。
「似合ってるね」
「ん?」
「その格好も」
机の上に置かれたサロンを指差す。ああ、と京介は少し照れたように笑った。
いただきます、とここなはフレンチトーストを食べはじめた。
「ん、美味しい」
「よかった」
隣に座った京介が微笑む。
幸せそうに食事するここなを見て、京介は目を細める。
そんな二人を微笑ましそうに、マスターは見ていた。
そして、
「京介くん、ちょっといいですか」
頃合いを見計らって声をかけた。
「あ、はい。ごめん、ココ、ちょっとまってて」
言われてここなは素直に頷く。
ここなを置いて、店の奥に向かった。
「どうぞ」
ここなから死角になっていることを確認して、マスターは京介に封筒を手渡した。
「未払い分の、今日までのアルバイト代です」
「ありがとうございます」
京介は両手でゆっくりとそれを受け取る。
「すみません、急に」
「いいえ、構いませんよ」
マスターは微笑む。
「そのアルバイト代は、少しだけ多くいれてあります」
「え?」
京介は慌てて中身を確認する。
「私からの餞別と、それから予約料です」
マスターは悪戯っぽく、微笑んだ。
「またここで働いてくださいね。それまでここは、あけておきますから」
「はい、ありがとうございます」
優しい、と思う。この商店街の人々は皆優しい。
「あの、マスター」
「はい」
「短い間でしたが、どうもありがとうございました」
頭を下げる。きっかり九十度。
「こちらこそ、ありがとうございました。楽しかったですし、助かりました」
「いえ。それから、身勝手なお願いなんですけれども」
顔をあげる。
「ここなのこと、宜しくお願いします」
そしてまた頭を下げる。
「わかっていますよ」
マスターは優しく微笑んだ。




