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中曽根心中の心中  作者: 小高まあな
第一章 地下道にて
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1−2

「はい、どうぞ」

 微笑みながら差し出した温かい紅茶に、男性は明らかに困惑した表情を浮かべた。

 家に着いてすぐに

「お疲れでしょうからどうぞどうぞ」

 と浴室に押し込んだあとだ。着替えは捨て忘れた男物のジャージを押し付けた。捨てられない性格がこんなところで役に立つとは思わなかった。

「紅茶、お嫌い? これ、頂き物のなんか高いやつですよー。よく知らないけど」

「そうじゃなくて」

「じゃなくて?」

 ダイニングテーブルの向かいに腰を下ろして、ここなは微笑む。

「あ、わかった」

 男性が何かをいうよりも早く、軽く両手を叩き、

「自己紹介!」

「いや、そういう問題じゃなくて」

「私は、中曽根ここな」

 男性の言葉に耳を貸さず、ここなは微笑んだまま言う。

「中曽根さんね」

「ここな、って呼んで」

 上目遣いで唇を尖らせる。胸のあいた服なのを理解しながら、ぐっと顔を近づける。そこそこ自慢のEカップ。

「……ここなって変わった名前ですねー」

 視線を逸らしながら男性が答えた。

「うん。心の中って書いて、ここな」

「ふーん」

 男性は相槌を適当に打ち、首を傾げる。

「あれ、心の中って」

 左掌に右手で字を書き、

「心中?」

「そう、心中。なかそねしんじゅう、って書いて、なかそねここな、って読むの」

「それは……」

 男性はしばし口ごもり、

「失礼だけど、とんでもない名前だね。しかも中曽根って名字がまた……」

「曾根崎心中を彷彿させるわよね?」

 ここなは微笑み、小首を傾げた。

「母は学がない人だったから。心の中で心中を意味するとは知らなかったのよ。そもそも、心中という言葉すら知らないんじゃないかしら?」

「じゃあ、なんで、心の中? なんでっていや別にしんじゅうの意味合いでこどもにそんな名前付けないだろうけれども」

「貴方の亡くなったお父様はね、貴方の心の中にいるの」

 ここなは母の言葉を真似し、ふんっと鼻で笑った。

「バカみたい。亡くなったお父様なんて、嘘なのに」

「嘘? でも、以前父親がいないって」

「生きてるわよ。年をとっても美しい奥様と、三人の自慢の優秀な子ども達と一緒に白金で暮らしてるわ」

 紅茶を一口。

「母はね、愛人だったの。子どもが出来て捨てられた。それを子どもには死んだって言ってたのよ、捨てられたことを認めたくないから」

 バカみたい、ともう一度呟いた。

「それは、自分で調べたの?」

「ええ。母は晩年、御伽の国の住人になってしまったし。まあ、もともとメルヘンな人だったけれども。働きはじめて最初の給料で探偵を雇ったの。十五の時ね。当時は年齢、詐称してたけど」

 当たり前のようにここなは答える。男性は困ったような顔をしたまま、ここなを見つめた。

「それで、貴方のお名前は?」

 ここなは表情を作り直し、微笑んで尋ねる。男性はしばし躊躇ったあと、

「神崎京介」

 端的に答えた。

「そう、キョースケね? ねぇ、キョースケ」

「呼び捨てかよ」

「キョースケも、ここなって呼んでくれていいのよ?」

「そういう話じゃない」

「住むところがないのならば、うちに住めば良いわ」

「だから、」

 京介を片手で制し、

「勿論、無条件で、とは言わないわ。それじゃあ、キョースケも居心地悪いでしょ?」

「それは、まあ……」

 そのまま京介の右手を握る。

「ねぇ、キョースケ」

 身を乗り出す。近づけられた顔に、京介が少し身を引いた。

「衣食住は私が提供する。そのかわり」

 一度唇を湿らす。

 ああ、ついに。この時が来たのね。聞いて、私のお願い。

「私と恋仲になって、そして心中して?」

 たっぷりの間があり、

「はぁ?」

 京介がそれだけ言った。

「だから、私と恋仲になって、そして心中して?」

「……それは何か、比喩的表現?」

 かろうじて絞り出された質問に、

「いいえ、文字通り。それこそ曾根崎心中の心中」

 ここなはさも当たり前のように答える。

 京介はなにか変な物を口にいれさせられたような顔をしたまま、

「あー、いくつか確認していいかな?」

「どうぞ?」

「本気で言っている?」

「ええ」

「えっと、死にたいってこと?」

「いいえ」

 ここなは力強く首を横に振り、それから少し不満げに唇を尖らせた。

「死にたいんじゃないの、心中したいの」

「それは、違うの?」

「全然違うじゃない。心中は恋を永遠にするためにあるのよ?」

 どうしてわからないのかしら、と小さくぼやく。

「恋は心中により、死により、終わるの。永遠化されるの。ロミジュリだってそうでしょう? 二人が生きていて、めでたしめでたしだったら、とっくの昔に廃れているはず」

「ロミジュ……、ロミオとジュリエットか」

「心中すれば、心変わりをすることなんてないし、その不安に惑わされることもない。よく死が二人をわかつまで、なんて言うけれども、死だって二人をわかつことはできない」

 頬杖をつき、小首を傾げ、ここなは笑う。

 甘えた声で、

「一人で死ぬなんて、いやぁよ」

 京介は黙ってここなを見つめ、

「……名付けって大事だなー」

 小声で呟いた。

「名は体を表すっていうからね」

 それを律儀に聞き取って、ここなは返事をする。

「私はママみたいに遊ばれて、捨てられる人生なんて嫌なの。わかるでしょう?」

「そこだけ聞くと同意しそうになるが……、やっぱりわからん」

 もうっとここなは頬を膨らませ、

「キョースケのわからず屋」

「誰かわかるやついるのか、その考え……」

「私ね、思ったのよ?」

「無視かよ」

「キョースケが最初に声をかけてくれた時、心中するならこの人だって」

「それはまた……。随分と迷惑な白羽の矢だね」

「キョースケならわかってくれると思ったの」

 ここなは、小首を傾げたまま、微笑んだまま、続ける。

「あの呆れたような物の言い方。気を使っていながらも、ぽーんって突き放したような言葉。キョースケは私と似ているわ」

 京介は一度眉をあげ、返事はそれだけだった。

「キョースケ、今何歳?」

「……二十五?」

「まあ、徳ちゃんと同い年ね! ちなみに私、二十一歳! 初と同い年」

 両手を打ち合わせて、ここなが嬉しそうに言う。

「徳……、ああ、徳兵衛のことか、曾根崎心中の。……友達かよ」

「そう。親しみを込めてていいでしょう?」

「いいのか?」

 京介は眉をひそめ呟き、

「ってか、本当好きなんだね、曾根崎心中」

「うん、まあ、読んだことないんだけどね」

 にこにこと無邪気に笑うここな。

「は?」

「全部、ウィキペディア情報」

「……現代っ子め」

「だってぇ、私三頁以上本読めないんだもぉーん」

「じゃあ、ロミオとジュリエットも?」

「あれは映画」

「あー」

 京介の呆れたような声に、ここなは頬を膨らませて、唇を尖らせてみせる。

「まあ、それはともかくとして。本当におあつらえ向きじゃない。年齢も一緒だし」

 ね? ともう一度笑って、ここなが言う。

「……おあつらえ向き?」

「勿論、今すぐとは言わないわ。まずは恋仲にならなくちゃ。じゃないと心中、できないでしょう?」

「心中するために恋仲になるってなに……」

「つべこべ言わないで。キョースケにだって悪い条件じゃないでしょう? 衣食住は私が提供するんだから」

 ねー、と大げさに首を傾げ、京介の両手を握った。はい、と言うまでこの手を離さない。

「今日から心中するまでよろしくねー」

 京介はここなの顔をしばらく見つめ、盛大にため息をついた。

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