6−2
どうしても、仕事中も上の空になってしまう。
京介は、帰ってきてくれただろうか。
「ここなちゃん?」
「あ、ごめんなさい、久慈さん」
慌てて微笑み、空になったグラスを受け取る。
京介は、帰ってきてくれただろうか。
仕事が終わって、足早に帰る準備をする。
「お先に」
「あれー」
帰ろうとしたここなを、店の女の子の声が遮った。
「あたしの財布がなぁーい」
「えー」
「あ、あたしのも!」
「うそ?」
一気に広がって行く声に、何が起きているのかわからなかった。
ただ黙って、ここなは周りの子達の騒ぎを見つめる。
やがてゆっくりと、一人、二人、三人と、視線がここなに向けられる。ついには全員の。
「ちょっと、待って」
声が震える。
周りの視線が痛い。その視線が意味することは。
「なんで、私が」
「盗まれてないの、あなただけじゃない?」
「じゃあ、あなたが犯人だ」
「ねえ、そうじゃない? し・ん・じゅ・うちゃん?」
にっこりと赤い唇をあげる。
その呼び名に、かっと頭が熱くなる。
「何を、言って」
言い返すよりも早く、肩にかけた鞄をひっぱられた。
「ちょっ」
身をよじる。
目の前の女がにやりと笑う。この前、嫌いと言ったあの女。
抵抗も空しく、鞄が宙を舞う。
中身がひっくり返る。
ばらばらと出てきたのは、見たこともない財布の数々だった。
「な、んで」
小さく唇だけで呟く。
傍観していた女の子達が、各々の財布を慌てて取り上げ、非難するようにここなをみる。
「盗人」
「違っ」
「さいてー」
「なんで、私がっ」
「言い逃れするの? 証拠も出てきたのに」
「私じゃ、」
「じゃあ、誰かがいれたとでもいうの?」
「被害者ごっこ?」
「し・ん・じゅ・うちゃん?」
目の前の女が笑う。
悪意だけで。
「そんな風に、呼ばないで」
「何言ってるの? いつもあなた自分で言ってるじゃない。名前ネタにして、同情誘っているじゃない。ねぇ、そういうの楽しい?」
「そんなにその名前が好きなら、さっさと死んじゃえば?」
主犯は三人、とこんな状況でもどこか冷静にここなは思った。目の前のこの三人が犯人で、あとはただの巻き込まれただけの人だ。
つまり、それは、他の全員はここなが財布を盗んだ犯人だと思っていて、それを疑ってもいないということだ。
誰も助け船をださない。
それどころか、悪意で見てくる。
「あら、何これ?」
こつっと赤い靴がジッポを蹴った。今日買ったばかりの、京介とお揃いの、ここなの分。
身をかがめ、拾い上げる。
「あら、これ、ペアじゃない?」
「返してっ!」
思わず大きな声がでた。
楽しそうに女が笑う。
「へー、本命から?」
せせら笑う。
「返して」
「返してください、でしょう?」
「盗人猛々しい」
笑う。笑う。笑う。
周りの視線が痛い。
「……返してください」
小さい声で言うと、女は楽しそうに高笑いした。
「いいわよ、はい、どうぞ」
言って女はそれを高いところから、これみよがしに落とした。
慌ててそれを拾おうと身をかがめ、
「あら、よろけちゃった」
とヒールで踏まれた。
「っ」
息を飲む。
少し、蓋がひしゃげたそれを慌てて拾い上げる。泣きそうになるのを、耐えた。
こんなところで泣けない。
消えたはずの自尊心が、どこからか欠片だけでも現れた。ここでは泣けない。泣いてはいけない。
そのまま、散らかった自分の荷物を鞄にかき集める。
「まあ、財布さえ戻ってくれば別にいいんだけど」
「警察沙汰になんかはしないし」
「店長には言っとくから、もう店来ないでねぇ。し・ん・じゅ・うちゃん?」
くすくすと、笑う。
顔をあげられない。
「何の騒ぎ?」
顔を出した店長に、びくっと背筋が強張る。
「……ここな?」
「ご迷惑かけて、申し訳ありませんでした」
何か言われるよりも早く、そういって頭を下げた。
誤解を解くなんて、無理だと思った。ここなの味方なんていない。そんなもの、いたことがない。
「あ、ちょっと」
引き止める声を無視して、そのまま走って家に向かった。