5−3
「まあ、確かに、電話があった方がいいですね」
京介のバイト先、喫茶店のマスターはのんびりと言った。
「バイトの連絡とかもありますしね、そっちの方が助かりますね」
「あー、すみません」
テーブルを拭きながら答える。
「というか、本当、すみません。ありがとうございます。俺みたいななんていうかこう、得体の知れない奴を雇って頂いて」
言うとマスターは楽しそうに笑い、
「京介くんは昔のわたしにどこか似ていますから。やんちゃで」
穏やかに微笑むマスターが、若いころはやんちゃで色々と無茶をした、という話は本人から何度も聞いているが、イマイチ信じられない。
「料理も上手だから助かっていますしね。それに」
珈琲をカウンターにおき、微笑んだ。
「君の人柄を信頼していますから」
そういって椅子を勧める。
その言葉に少しのくすぐったさを覚える。テーブルを拭き終わった京介は、休憩がてら素直に椅子に座る。
「俺、電話って苦手なんですよねー、相手の顔が見えないし」
いつものように、豊潤な香りのする珈琲を味わう。
「京介くんは若いのに、少し機械類が苦手ですよね」
マスターがどこか憐れむような口調で言った。
「……マスター、得意ですもんね。パソコンも」
「ええ」
楽しそうにマスターは笑う。
曾孫までいるというこの老人は、それでもスマートフォンを使いこなしていた。
「連れを亡くして、ふさぎ込んでいる時に、孫がくれたんですよ。ボケ防止に」
「お孫さん、優しいですね」
京介は微笑んだ。
からころと、鈴の音がしてドアが開く。
「あ、いらっしゃいませ」
慌てて京介は椅子から立ち上がり、
「なんだ」
入ってきた人物達を見て、ため息をついた。
「あらやだ、何だってなによ、京介くん」
「せっかくのお客さまにその態度はないんじゃないの」
「そうよそうよ」
入ってきたのは店の常連。商店街の奥様達だった。週に一度、木曜日のお昼すぎに彼女達はここに集まっている。週に一度の息抜き、ということらしい。
「ご注文は?」
「いつもの」
代表して八百屋のおばちゃんが言った。
「はい、かしこまりました」
それでもきちんと注文を取る。
彼女達はいつも一番安いブレンドコーヒーだ。
「京介くん、カノジョお元気??」
「ええ、まあ」
カノジョではないけれども、女性と一緒に住んでいるとまで言っている以上、否定できなかった。恋人ではない女性と一緒に住んでいるなんて言ったら、どういうことだとか責任をとれだとか、余計、面倒なことになりそうで。
それに、
「あらやだ、京介くんカノジョ居たの? うちの娘どうかと思ってたのに」
「あらー、あんたの家の娘なんて京介くんだって困るわよね」
「なんでよ」
「だってもう、三十五でしょう?」
「……そうなのよねー」
こういう、無意味なお見合い的なものも避けられるし。
ぺちゃくちゃとした会話をバックに、珈琲をいれるマスターの手元を眺める。
骨張って古そうな傷を持つ、年齢を感じさせる手は、それでもしっかりと珈琲をいれていく。
おしゃべりの合間から、マスターの好みのレコードが流れる。
こういう老後は素敵だな、と京介は少し思っていた。小さくても自分の好きなものを集めた店をやる。自分ならば、小さな料理屋なんてどうだろう。自分に出来るかはわからないけれども。
「はい、お願いします」
「はい」
人数分のいれたての珈琲をトレイに乗せる。いれたての珈琲のいい香りが鼻腔をくすぐる。
「お待たせしました」
できたそれをテーブルに運ぶと、
「カノジョ、連れていらっしゃいよ。見てみたいわー」
と八百屋のおばちゃんがいった。言いながら珈琲を置いた京介の右手をがっしりと掴む。逃げ出せない。
「京介くんの服、その子が選んいでるんでしょう? センスいいわよねー。働いてほしいわー」
とブティックのおばちゃん。
「え、あ、はい、うん」
曖昧に返事をしている間に、話はどんどん膨らんで行く。
結婚式には呼べだの、結婚式のケーキはうちの店で買えだの、着付けはうちの店がやるだの。
「京介くんは、人気者ですねー」
暢気にマスターが呟いた。