文學青年不安症
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先生。
ぼくはもう、なにをしたらいいかまるで分からなくなってしまいました。まったくもう、二進も三進も見えやしないのです。だからぼくは、馬鹿みたいに昔を思い出してみたのですが、いよいよ過去すら見えなくなって、不安で仕方ないのです。こうなってくると人間、面白いもので、酷く陰鬱な未来しか思い浮かばなくなるものです。先生。一体全体ぼくはこれからどうなるのでしょうか。考えど考えど、ぼくの濁った眼には、もう凄惨な未来しか浮かばないのです。だから、先生。教えて下さい。教えて下さい。最後の綱なのです。もう後がないのです。なにもないのです。ぼくにはもうなにもないのです。一文無しです。お金を賭ける価値のある未来が見えません。真っ暗なのです。先生。先生。
ぼくが前にこう懇願したとき、先生。貴方は確かこんなふうに答えましたね。
そう絶望することはありませんよ、きみ。わたしにだって、未来など見えはしないのだ。代わりに、長年生きてきたせいか過去ははっきりと見えるのですよ。しかしね、きみ。きみはまだ若いだろう。これから先、きっときみは今まで以上に興味深い出来事と触れ合うことになりますよ、ええ。なのに、きみね。ここでそんなことを言っていては、いけないでしょう。いけないのです。きみ、きみは今生きていますね。呼吸をしていますね。心臓が拍動し、全身に血液を送り出していますね。それを今、説明してご覧なさい。貴方はどうやって呼吸しているのですか。なぜ呼吸をするのですか。どう意識すれば心臓を動かすことができるのですか。血液はどうやって流すのですか。さあ、答えてご覧なさい。
ええ、覚えていますとも。先生。貴方は確かにこう聞きましたね。それに対してのぼくの答えを、先生。貴方が今なお覚えているというのならこれ以上の幸福はないでしょう。
ぼくは呼吸したいと思ったり、心臓に動いて欲しいと思ったことは生まれてこの方一度たりともありません。生かされています。今この瞬間も、ぼくは生かされています。だから先生。ぼくは貴方に問うのです。この不安を取り去るために、ぼくは一体どう生かされればいいのでしょうと。
ああ、先生。その通りです。その通りです。覚えていてくださったのですね。そう、ならばぼくも、貴方のその師たる誇りに敬意を表さなくてはいけないでしょう。
生かされている! ええ、そうですよ、きみ。きみは生かされている。自らの存命の理由を知らない! その滑稽さたるや、過去の重要性が霞むほどだ。そうなのです、きみ。きみは存命していることの因果を知ることなくこの幾百月を生きてきたのです。なれば、過去が見えないことのなんと順当なことでしょうか。そして、きみ。どうやって生きているのか分からない未来を、どうして信じることができようか。しかしだよ、きみ。それを信じられるということが若さなのですよ。そして、信じられなくなるということが、すなわち大人になるということだ。だからね、きみ。存分に迷うがいい。若き日は、げに一刻も万金なのだ。有意義に使えばよろしい。それで構わないのです。
先生、ぼくは未だにあの日の教えを守り子供のままでいます。けれども、先生。最近になってようやく、貴方の気持ちが分かるようになってきたのです。辛いのですね。意味がないと分かった上で動かす心臓は、どろどろの血液しか流せないのですね。先生。先生。
かつてのぼくの質問に答えるわたしの吐く息は、まるで煮詰めたにかわのようです。
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