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第二章 ・・・ 1

 足掻きたいとか強く思ったわりには、一夜が明けたとたん、さっそく俺は挫けていた。

 でも考えられなかった事態とか、理解不能とか、そんなことは全然なかったはずなのに、心構えが足りなかったんだ。すごくびっくりした。

(見間違い…とかじゃねえよな)

 でも何度見直しても変わらない。俺の手元には玲華が皆に配った、球技大会の決定通知。内容はバレーボールと……テニスにされていた。

「この日程で練習をしていきます。ご報告が遅れて申し訳ございませんでしたが、さっそく今日から頑張りましょう」

 にこやかに玲華が微笑むとクラス全体の士気が高まった。

「なにかご質問のある方はいらっしゃいますか?」

「はい!」

 なんか黙っていられなくて、俺はすかさず手を挙げた。

 玲華の目が細められる。やだー、無視したいぃって思ってるのが見え見えだった。でもすぐに取り繕い完璧な学級委員長に戻る。

「はい、神崎さま」

「希望と遠く離れてるんだけど」

「確かに皆様のご要望にこたえられましたら、それが一番いいのですが……」

「気にしないでください玲華さま。僕たち頑張ります」

 クラスメートの一人が立ち上がって言ったのを皮切りに、あらゆるところから声が沸きだした。

「そうですわ。西龍院さま、気にすることありません」

「神崎くんは贅沢なんだよな」

「玲華さまにあー言って振り向いてもらおうとしてるんだ」

「イヤー不潔ーっ」

「おまえら喧嘩売ってんのかっ!」

 俺が冷や汗をかきながらその場を制したとき、ぽつりと誰かが呟いた。

「僕も納得できないな」

 ちょうど静かになった瞬間の呟きはとても響いた。周りの注目がそいつに集まる。

 喜多川だった。テニスでかなりの好成績を修めてるやつ、という玲華からの情報が俺の頭に浮かぶ。

「喜多川くん部活に入ってる人は、その競技はできないんだよ。だからテニスは…」

「知ってるよ!」

 おずおずと拓真が先読みして教えたのを、喜多川は真っ赤になって叫んでた。

「そうじゃなくて……どうして僕がひとつで神崎くんはふたつなんですか?」

 数の問題らしい。彼は運動部にさえ入ってないのに…と喜多川がぼやくと、周りも同調しだした。

「確かにおかしいよなあ」

「それなら僕も納得いかない」

「西龍院さま、神崎さまに弱味でも握られてるんですか?」

「もしかして神崎くんが脅してたりして」

「イヤーサイテーっ」

 あのなぁと呆れながらも、俺は何も言わずに玲華を見ていた。

 内心、よしよしもっと言え。もっと騒ぎが大きくなって見直しになれば良い、と思っていたのだ。

 クラスのボルテージが最高潮になったとき、玲華が口を開いた。

「皆さまお静まりください!」

 そこにいる全員を黙らせることのできる、透き通った、力強い声だった。上に立つ人間が持ち合わせている声。ピリっとそれが教室を走った。

「わかりました。では他の希望に添えなくてご不満をお持ちの方も含めて、練習をみて最終決定をします。実力がすべてです。それで調整いたします」

 そこには笑顔ひとつで皆を納得させた、あの日の玲華はいなかった。ただ静かに厳かに()()()みたいに思えた。それでも反論するものはいない。

 悔しかったら力を誇示しろということだ。わかりやすい。わかりやすいけど一番厳しい。

 ごくりと生唾を呑む音が聞こえた。たぶん喜多川とか運動部に入っている連中だろう。


   * * *


 その日の放課後からすべての学年、すべてのクラスの練習が始まった。体育館もグラウンドも使用権利は予約制で、その間は本来使用している部活も時間が短縮される。全校生徒がそれぞれそういうシステムだから、不利だと嘆く者はいないのだろう。

 といってもたかだか約二週間だ。二十日後には大会本番。

(みんな熱すぎ…。ただの球技大会だろ!校内の!)

 俺は流れる汗を拭いながら心だけで愚痴る。それは喋ってる余裕も時間も、体力もないためだった。

向かいのコートにいる喜多川が、ネット越しに俺を睨んでる。その手には白いボール。

 喜多川もバレーボールだったんだ。それをコートにきて初めて知る俺もどうかしているが、本当にそれどころじゃなかった。気持ちに余裕なかった。

(賞金とかないんだろ?)

 喜多川がボールを高々と上げ、ジャンプしながら右手で打つ。まっすぐボールは俺のところに迷うことなく突っ込んできた。

(なのになんでっ………いっ、てえ!)

 なんとか両腕で弾いたが、速くて重いボールは俺の腕を破壊する気だと思った。レベルが違う。

 だいたいバレー部でもないのにジャンプサーブするか?普通、と聞きたい。

 六人制でローテーションでまわってるのに、喜多川は俺ばかり狙うし。いや、喜多川だけではなかった。ほとんどの男子がそうだったのだ。

 侮られているんだ。狙い目だと思われている。もしくは調子にのるなと、制裁をくだしたいのかもしれない。出る杭は打たれる。

(だからってうぜえ!)

 一度敵コートに渡ったボールがこちらに戻ってきた。当たり損ねたアタックで。

 後列にいた(やま)(なか)というクラスメートがレシーブし、それが俺の上に上がった。トスもせずに俺は怒りに任せてボールを打った。バックアタック。

 たまたま喜多川に向かって行き、近くで落ちた。

 フェイントみたいになって、おもしろいくらいに決まった。本当にたまたま、偶然。

「くそっ!」

 喜多川が悔しそうに地団駄を踏んでいた。さらに闘志がみなぎっていく。

(やべ……)

 ひやひやしながらやった初日の練習はなんとかこなせたけど、俺の見せ場は後にも先にもその一回だけだった。


   * * *


 運動不足がたたって疲れきった体を、引きずりながらあの部室に行った。玲華のために用意された部屋。

 おかしな話だと自分でも思うけど、ここしか思いつかなかった。

 人の目がつかない場所に行きたかった。

(違うだろ。そう思うこと自体がおかしいだろ。人の目って…あの三人もいるのに)

 自分の考えに愕然とする。いつのまにか本当に俺にとっても憩いの場になっているとでも言うのか。

 でもいまそんな余裕がない。深く頭を働かせる余裕がなかった。ぐちゃぐちゃと余計なことが頭をよぎったのに、部屋に行くと当の本人も世羅もいなくて、秀和だけだった。

「うわっ!大丈夫ですか?神崎さま!」

 俺を見るなり秀和は慌てていた。そんなにひどい顔をしているのだろうか。

「ちょっと休ませて」

 倒れるようにソファに横になった。衝撃で僅かに体が沈む。

 秀和は慌ててるわりには行動が素早く、すぐに透明なグラスが近くにあった。

「み、水っ、水ですよ。飲めますか?」

「わりい…」

 上体をゆっくり起こしてそれを受けとる。冷たい水が喉を通り、熱くなった体を冷やした。気持ちが少し落ち着く。

 秀和にグラスを返して、再び俺はソファに沈んだ。頭がくらくらして、世界がまわってるみたいになっていた。気持ち悪い。苦しい。意識して呼吸を落ち着かせる。

(まだ…大丈夫……大丈夫だ)

「あの…ぼく自販機でなにか買ってきましょうか?スポーツドリンクの方が良いかも」

 秀和の言葉に、右腕で目を覆いながら顔をしかめる。そんなのは変だ、と思う。

 気を遣いすぎている。秀和は俺のパシリでもないし、もちろん使用人でもない。そこまでする義理はないはずだ。

「いいから、ここにいろ」

「えっ?ええっ?」

 秀和に焦りが加わった。言い方を間違えたな、と気づいた。でも体がダルくて訂正する気力がない。

「あ、寂しいんですね。大丈夫ですよ、ここにいますから」

(違う!)

 予想通りの勘違いをして、秀和は俺の様子を窺いながら側から離れなかった。

「………玲華と世羅は?」

「まだ女子の方は練習中ですよ。バレーより遅くから開始してますから」

 同じクラスの俺より、隣のクラスの秀和の方が詳しいのはなぜなんだろう。

 玲華がラクロスで世羅がバスケだったな、とまわらない頭で思い出した。ラクロスなんてルールも知らない。世羅はあの長身だからバスケに向いていそうだ。

 しかしたった一時間程度、本気で動いてこれだ。体育のときいかにサボっていたのか認識させられる。

「冷やしたタオルお持ちしました」

 やっぱり落ち着きなくパタパタと秀和が動いていた。

「あのさあ、気ぃ遣いすぎて疲れない?」

「いいじゃないですか。気持ちいいんだから」

 さらりと言って勝手にタオルが額に乗せられた。ひんやりしていて、確かに気持ち良かった。きっと性分なんだろうな。こいつの。

「サンキュ…」

「いいえ。神崎さまこそ気を遣わずになんでも言ってください。できないことはちゃんと断りますから」

 思い出したように秀和は付け足した。できたやつだ。同い年なのに、こんなにも心遣いで負けるとは。

(勝てたやつもいないけど…)

 少し自己嫌悪に陥りながらもしばらく休憩していると、二人が帰ってきた。

「ただいまー疲れたー。あ、ひとり死んでる」

「彼はまだ生きてると思うぞ、玲華」

「ひとり死にかけてるー」

「そうだな。それが正しい」

「もっと鍛えないと当日ヤバいんじゃないの?」

「二週間で鍛えさせればいい」

「玲華さま世羅さまもう少し労ってあげてくださいよ。入ってきたときはもっと死にそうな顔色してたんですから」

 女子二人が帰ってきて、一気に室内が華やかになった。

 それはそれでいいけど……やかましい。 内容が(うるさ)かった。 反応するのが煩わしい。

 陰口が嫌なのは以前聞いた。だけどこう目の前ではっきり言われると、応える義務がでてくるような気になる。でも体がそのテンションについていかない。

「あれ?マジな感じ?」

 玲華のトーンが下がって心配そうな声色が混じった。それを聞いて、やっと、俺はぐっと腹に力を入れて起き上がる。意地が八割。心配させたくない気持ちはたったの一割だった。残りは多少体力が戻って可能だったから。

「うるせえよ…。これくらいでくたばるか」

「寝てていいわよ。最初の方だけ見てたけど、ちゃんと頑張ってたからね」

 意外にも優しい言葉をかけられて、思わずぎょっとなった。最近、いろんな人に優しくされてる気がする。

(なんで…?)

 わからない。()()優しくないから。優しくされる意味がわからない。そんな価値ないのに。

「ほらほら寝た寝た」

 玲華が強引に、俺にボディブローを仕掛けてきた。無様なうめき声を漏らして俺はまたソファに倒れた。

「あっ!玲華さまがとどめを刺した!」

 慌てる秀和。

「あっぱれだな」

 冷静な世羅。

 そして俺はもうしばらくソファにうずくまってないといけなかった。殺す気か。


   * * *


 耐性とか、慣れ、というものは実際すごい。一週間も経つと俺は一時間フルに動いても、とりあえず倒れ込むほどバテることはなくなった。

 これは身体の機能だけの話じゃない。心でも言えることだ。 その感じは昔から体感していることではあった。

 例えば過換気症候群、過呼吸だってそうだ。最初はパニックに陥って、本当に死ぬんだと思った。だけど今では予感がするときがある。あ、来るって。そして対処法も知識としてある。いつまでも()()ではない。

 ペース配分だってわかるようになってくる。そんなんでセーブしてたら結局同じじゃないの!って辛辣に玲華は言い放ってたけど。

(優勝、させればそれでいいんだろ?)

 それぐらいには強気に思えるようななってきた。それがただの強がりなのが悔しい。

 まだテニスがしんどいから。バレーは他に5人がカバーしてくれる。でもテニスは俺が全部走らないとボールを逃すんだ。

「その考えがすでに甘いのよー。バレーでも全部自分が決めてやるとか言えないの?」

「じゃあおまえもラクロスで独壇場みたいにファインプレーしてんのかよ」

「否定はしないわね」

「それはスバラシイことで。他のやつらは玲華さまのオカゲでって感謝すんのか?それとも妬ましくて悔しいって泣くのかよ?」

「だからそういう気持ちが大事って言ってるのよ。そうしろとは言ってないでしょ」

「どう違うんだよ」

「あんたはまず団体競技がなんたるかを学ぶのが先ね」

「はあ?だったら卓球やらせろよ」

「まだ言ってんの?ホンっと意外としつこいわね」

 玲華の言いたいことも多少はわかる。だけど言い方がムカつく。

 そう指摘したら、図星だからムカつくだけでしょ、って返されてしまって、もうなにも言えなかった。いつだって男は女に口では勝てない。別に勝負している気はないのに、気づいたら玲華とはこんなことばかり言い合っていた。

 それでも、嫌でも練習時間はやってくる。

 違うな。嫌じゃない。

 だんだんまんざらでもなくなってきてたんだ。しんどいし余計なプレッシャー―――そのほとんどが玲華によるものだ―――はあるけど、体を動かす爽快感やら充足感も確かにあった。

「あれ?」

 そんなある朝、学校に着くと俺の下駄箱に変化があった。ちなみにあれ?って先に反応したのは拓真だった。一瞬立ち尽くした俺の小さな異変に気づいて覗き込んできたのだ。拓真とはよく登校の時間帯が一緒になる。

 俺はどういう()()をしていいかわからず、片眉を上げて拓真を見た。

「なんか古典的だね」

 他人事である拓真は気楽に笑っている。俺は視線を戻した。

 そこには、上履き……は無くなってなかったし、画ビョウとかも別になかったけど、それとは()の……つまり。

「ボク、ラブレターって初めて見た」

 そう一通の真っ白い封筒が入っていたのだ。 俺だって初めてだ。

「待てよ、まだ()()と決まったわけじゃねえだろ」

 言ってさっさとソレを取って靴を履き替える。そのまま教室に向かうと、置いてきぼりをくった拓真が慌てて着いてきた。

「開けないの?」

「おまえの前では開けない」

 好奇心丸出しの拓真を睨んで俺はズボンのポケットにソレを押し込んだ。

「いけずぅー」

 某、マルチャンかおまえは。


   * * *


 ―――今日の練習のあと、第二体育館のうらで待ってます。

 あとからこっそり一人で確認すると、それだけ書いてあった。差出人不明。

 ソレの正体は拓真の言う通りだったようだ。


   * * *


 この日の練習はテニスだった。

 玲華が昨日からさまざまな練習風景を見てまわっている。最終決定をするためだ。それに合わせて空いてるやつらが一緒に連なってきていた。部活もないから暇なんだろう。

 だからといってギャラリーが多いことは問題だ。やりにくくてかなわない。

(集中するんだ)

 余計なことを考えたら駄目だ。体よりも神経が疲れる。周りが見えなくなるほど集中すればなにも問題ないはずだ。

 クラスメートの(しん)(じょう)が相手だった。 新城は喜多川と同じように一種類しか選ばれてないことに不満を抱えている。

(イヤだなあ…)

 すごく苦手な精神を持っている人種だ。体育会系の熱い根性とか努力とかいうやつ。新城は返してくるボールを左右上下に振って揺さぶりをかけてくる。ただのラリーで試合でもないのに、玲華に良いところを見せようと必死だった。

(…んのっ!ジャマくせえ!)

 俺といえば返すだけで精一杯で、落とす場所を狙っている余裕がない。

 とくにバックに来ると辛い。フォームの基礎がなってないから油断するとあらゆる方向に飛んでいくのだ。

「…っ!」

 フォームを意識していると力が自然と抜けていて、ボールの重さでラケットが落ちた。右手首が痺れていた。

 新城から得意げな表情が返ってくる。素人相手になんてやつだ、と思う。でもそんな感情もなんか悔しくて俺はラケットを持ち直した。

(なんでこんなにガンバってんだ、俺は…)

 ふと我にかえる。

 玲華が見てるなら、とくに。わざとできないところを見せて考え直させれば良い。それで楽になれる、はずだ。

(期待されると苦しい)

 迫ってくる圧迫感。喉が締め付けられるようになる感覚。

(ヤバい…)

 こめかみから流れる汗は冷たく感じた。これ以上はダメだ。そう告げる気管。

 それでもここに居続けるのはなぜだ。

 脚が動かないから?期待に応えるため?

(期待に応えたい?)

 それもあるかもしれない。そもそれを含めて前へ進むためだ。

 前へ行け。立ち止まるな。

 俺はボールを持ち直した。次は俺のサーブだ。高々と上げたボールを、しっかり見て振り下ろす。

(え?)

 振り下ろしたつもりだった。

 だけどボールは重力に逆らわずなんの抵抗もないまま下に落ちた。

 腕が上がらなかったんだ。

 周囲が少しだけざわついていた。


   * * *


 身体が言うことを聞かなくなって、俺はそこで練習を切り上げた。新城とか他にも練習していたクラスメートが不満を漏らしていたけど、関係ないみたいにその場を後にした。

 玲華はなにも言ってこなかった。珍しいな、とか思いながらシャワーを浴びた。スポーツクラブじゃないのにシャワーがあるなんて、と思う。

 これで初めてこの学院の恩恵を受けた気がする。他にもトレーニングマシンとかあるのだ。普通の高校にはない。

 制服を着直すと、ポケットから封筒が出ていた。朝から入れっぱなしにしていたことを思い出す。

 正直行きたくない。気分が最悪で、いまは誰にも優しくできない。そう思うから。

 だけど拓真とか秀和あたりの人種なら、自分に余裕がなくても優しいのではないかと思う。

(こんな考えがエゴだな)

 とりあえず行ってみることにした。もしかするとただ、からかわれているだけかもしれない。なんにしても、はっきりしないとスッキリしない。

 だけど体育館の裏には誰もいなかった。

 からかわれていたの決定だな、と思って踵を返した。

 どこに行こうか一瞬迷う。なんとなく玲華には会いたくない。

「あのっ」

 そのとき前から女生徒が走ってきた。見たことある顔だと思った。クラスメートだ。 話したこともないおとなしい生徒。名前が出てこない。

「ごめんなさい。予定より早く終わったんですね」

「ああ、そうか…」

 彼女の言葉で自分が早く来すぎたことに気づいた。ということはコレは本物?

「コレ、あんたが?」

 封筒をポケットから出して見せると彼女は顔を赤らめて俯いた。

「はい、ごめんなさい呼び出しなんて…」

 消え入りそうな声だった。肩が微妙に震えてる。

「ずっと、気になってたんです……あの、神崎さまのこと。言葉は少し乱暴ですが、優しくて……最近、スポーツなさってるときも、すごく格好良くて………ずっと、目で追ってしまうんです」

 ものすごく驚いて、眼を(みは)った。彼女のまえで優しかったことなどないはずなのに。思い当たらない。

「優しくした覚えないけど?」

「わた、わたし保健委員の資料をたくさん持っていたとき…落としちゃったのを拾ってくれて。他の人にもその優しさを見せてて、それでやっぱり怖いだけの人じゃないんだなって……」

 保健委員という単語で思い出した。彼女は櫻井(さくらい)だ。櫻井あやな。でもそれはたまたまその場に俺しかいなかったからで、別に優しさじゃない。

 途切れながらもしっかり櫻井は続けた。

「あ、あの……好き…です。付き合ってください」

 こんなにはっきり他人に想いを伝えることのできる彼女は尊敬できた。すごく勇気がいったことだろう。だけど…。

「悪いけど………」

 いまは目の前の壁にどう対処するかで頭が支配されている。決して優しくない、厳しく重い壁。

 彼女に敬意を感じたから、少しでもちゃんと向き合いたくて、俺は真実を伝えた。

「気持ちは嬉しいけど、いま付き合うとか、そんな余裕ないから」

「西龍院さまのことがお好きなんですか?」

 悲しげな表情を見せながらも言った櫻井の言葉に、俺は呆気にとられた。

 いま、なんて言った?

「あ?」

「だ、だって、神崎さま仲良く話されていたし。最近よく一緒にいるし」

 つい、すごんで聞き返したら櫻井はびくびくしながら答えた。玲華と皆のまえで話すことは確かに増えたけど、それは球技大会のことがほとんどだ。ただそれだけ。

「恐ろしい誤解」

「でも西龍院さまのまえではすごく伸び伸びされてて」

「んなわけないだろ!」

 ダメだ、これ以上話すと玲華の本性をばらしてしまいそうになる。じゃあな、と断って俺はその場を立ち去ろうとした。

「ま、待ってください!だったら、お試し期間でも良いから、あの…もう少しチャンスが欲しくてっ……!」

 意外と櫻井は押しが強かった。でもその目は固くつぶられていて、いまにも泣き出しそうだった。

 なんでもいいから傍に置いてほしい…そう言われた気がした。

「やめとけよ、そんなん……。空しくなるだけだろ」

 やめろよ。俺なんかにそんな必死に夢を見るな。俺は応えられない。だから、期待するな。

 拒絶が伝わったのか、なにも言わずに櫻井は来た道を走って去って行った。 残されたのは罪悪感。

 俺は長いため息を吐いた。

 そのときふと目の端で何かが動いた。見覚えのある背中が一瞬見えて、すぐ大木に隠れた。

 嫌な予感を感じながらそちらに向かう。

「なんでいるんだよ?」

 裏庭の脇にある大きな木の陰にそいつらはいた。

 ……そいつら?

 俺は拓真だけの姿を想像してたのに、その先にはなんと玲華と世羅もいたのだ。

「ご、ごめん。でも君が隠すからいけないんだよ?」

「可愛い子ですね。泣いてらしたわよ、おかわいそうに」

「ばれたな」

 三種三様の反応を見せながらそいつらは俺の前に現れた。

 とりあえず俺の標的は拓真に絞る。拓真は今朝一緒に封筒を見ている。明らかに原因はこいつだ。

「てめえ拓真!だからって、なんでこいつらまでいるんだよ!」

「そこで一緒になったんだよ」

「いいじゃありませんか。滅多に見られるものではありませんわ」

「あのなあ!見せ物じゃねえんだよ!」

「断るとは意外だったな」

 ポツリと世羅が呟く。するとつかの間静まりかえって、それを拓真が破った。

「お試し期間ぐらいなら付き合ってあげたら良かったんじゃない?まだ櫻井さまの良さを知ってないでしょう?」

「おまえなら付き合うのかよ?アホらしい幻想に」

「そういう言い方ないんじゃない?」

 なぜか俺の言葉に拓真はムッとしていた。怒る権利はこっちにあると思うんだけど?

「もういい。帰るわ、じゃーな」

 疲れきってそう締めくくると、俺は鞄を取りに校舎に足を向けた。

 また逃げてるよー、っていう目で玲華が見ていた。

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