第一章 ・・・ 3
次の日から少し顔をあげて、周りを見渡すようにした。
そしたら簡単に気づくことができたんだ。確かに稀にではあったが、俺を見ながらヒソヒソと話してる連中がいる。あれから何日か経ってるから、これでも噂話をするやつは減ったのだろう。
そして視線は常に感じるようになっていた。それは学校だけでなく登下校でもだ。家に帰るまで消えない。
(これは、キツいかも…)
気づかなければ良かったと、いまさら思ってもすでに遅かった。一度知ってしまったら、それは無にはならない。
事件に関することといえば、なにも思い出すことはなかった。だからあれから玲華の部屋には行っていない。
(…っていうか、あれがすべてだ。思い出すことなんかあるわけがない)
俺の記憶を占めているのは被害者の情報だけで、加害者については遠くから見た影しかないのだ。
なんとなく学校でも居心地が悪くなり、どこに行こうかぶらぶら歩いていると、校門のところで男が待ち構えていた。
「ちょっと時間いいか?」
それはあの日俺から事情を聴いた刑事の一人だった。事件の日から十日が経っていた。ニュースや新聞を見ても新しい情報はとくに公開されていない。
「なんの用?」
俺は苛立ちをわざと隠さず訊いた。いまさら話すことなどないのに、わざわざ目立つところで話しかけられたのだ。
「聞きたいことがあるんだ。付き合ってくれ、茶でも奢るから」
刑事はボサボサの頭にヨレヨレのスーツを着ていた。見るからに暑苦しい。無精髭が生えていて、実年齢より老けていそうだ。それを差し引いても三十代後半くらいか。
断ろうと思ったが、どうせ時間を持て余していたし、ついて行くことにした。決して奢りにつられたわけではない。
後ろから帰宅部の生徒がざわついている。もう少し後に出ればよかったのかもしれない。でも、もうどうでもいい。なんでも好きに噂すれば良いんだ。
しばらく黙って歩いたあと、刑事が一度だけ振り向いて言った。
「悪かったな」
ええっ。ちょっと反則な謝り方。わかってやってるはずなのに。
それには答えずに、ただ黙ってついて行くと近くのパーキングに刑事の車があった。シルバーのセダン。
「どこ行くんだよ」
「まあいいから乗ってくれ」
「言わないと乗らない」
なぜかヤケになって俺は立ち止まった。
「あのな、誘拐しようってんじゃないんだが」
ため息と同時に刑事は呟いた。
誘拐という言葉で、少し前に出会った怪しい探偵のことを思い出す。そう言えばあいつはどうしてるんだろうか。護衛するとか言いながら、あれから一度も会っていない。
「それとも怖いか?お坊ちゃん」
ふと意識を別のところへ飛ばしているうちに、刑事が近寄ってきてそう言った。
「誰がお坊ちゃんだ!」
ムカついてさっさと俺は助手席に載った。挑発だってわかっていたが、ついて行くと決めたのは俺だ。
「結構」
刑事は嬉しそうに笑って自分も運転席にその身を滑り込ませる。そして車は発進した。
「どうだ?学校生活は」
おもむろに刑事が訊いてきた。あまりに唐突だったから、俺はつい突っ込んでしまう。
「親戚のおっさんか!」
「ははは。こんな生意気なガキは甥っ子にしたくないな」
「俺だってイヤだ。こんなだらしない叔父」
いや叔父ではなく伯父になるか、おそらくだが。親父は何歳だっけ?と、まったくどうでもいいことを考えてしまった。
(じゃなくって)
「親戚でもなんでも、気になったから訊いたんだ。君が日常を取り戻せているか知りたくてね」
前をむいたまま刑事は言った。
日常…。それはどこまでのことを言っているのだろう。まったく支障がないわけではない。油断すると、襲ってくるかのように脳裏に浮かぶあの光景。しかし学校には普通に行ってるし、ご飯も普通に食べている。俺は無神経なのだろうか。
「別に普通」
答えてから少し不自然な間が空いたな、と感じた。
「そうか普通か。それなら良かった」
そのとき笑った刑事の顔は少し若く見えた。やっぱり無精髭が邪魔だと思う。
改めて周囲を見渡して、はたと俺は気づく。この道は―――。
「気づいたか?」
俺の様子を見て刑事が訊いた。わずかに俺の手が震える。
「なんだよ?どっか茶でも飲みながら話すんじゃなかったのか?」
「その前に現場検証の続きだ」
刑事の目が厳しいものに変わっていた。そう、ここは俺が見たあの殺人現場に続く道だったのだ。
「それならやっただろ!あの日に!」
「続き、と言っただろう?もう一度確認したいことがあるんだ」
(そんな…)
あれから、俺は一度もここに来ていない。来れなかったのだ。怖くて…。
容赦なく車は現場に近づいていく。住宅街に沿った道。その割りには広くて、歩道橋があるのだ。いまは交通量が多かった。
俺が通った小さい歩道橋が見えてきた。あの日の光景とフラッシュバックする。だけど今日は晴れているし、いまは夕方だ。全然明るい。
(大丈夫。大丈夫だ……まだ…)
自分の鼓動を確かめるかのように、左の拳を左胸に当てる。
車を少し離れた路肩に停車させて、刑事が後方確認しながら降りた。俺もなんとか降りたが、それ以上進めなかった。足が出ないのだ。
「大丈夫だ。なにも心配する必要はない」
動かない俺に気づいて、刑事は俺の肩を押した。
確かにそうだ。ここにはもう何もない。加害者も被害者の遺体も。
マンションの入り口に奥まった通りがある。その路地だった。隣の壁もマンションだ。規制テープは無くなっていたが、路地に近づくと、白いチョークで型どられた線がうっすらと残っている。
そうだ、こういうふうに倒れていた。こちらに向かって。
「犯人はあっちから来たんだよな?」
刑事が歩いてきた方とは反対側を指差した。
「そう」
「そのときナイフは持っていたか?」
「……わからない。見えなかったから」
「見えなかった、ということは犯人は傘を差してた?」
あの日も何度も聞かれた質問。わざわざまた繰り返すことになんの意味があるのか。
「………いや…持ってない」
「持ってなかった?あの日はわからないと言ったよな?」
静かに…だけど厳しい声で刑事はたたみかけてきた。俺は顔が上げられなかった。ただ深く考えないように淡々と答えるしか出来なかった。
息がしにくい。
「あとから考えたら…刺したあと、…逃げるとき持ってなかったと思って…」
「そうか。では殺された梶剛志さんについてだが…君が駆けつけたあと動いたりしたか?」
被害者の名前を言われて、どくんと鼓動が鳴る。
「わからない。暗くて…」
「ここから見たんだよな?マンションの灯りがついていただろう?」
「わかんねえよ!なあ、もういいだろ!」
叫ぶように発した声に、行き交う人々が何事かこちらを見ながら通りすぎて行った。最悪だ。
「逃げるな!君にしかわからないことなんだぞ!梶さんの無念を晴らしてやれ」
鋭く響く声にどくりと心臓が脈打つ。……知らねえよ、と思った。俺だって望んで目撃者になったわけじゃない。
気づくと、刑事は逃げ腰になっていた俺の腕を掴んでいた。だから、逃げられない。
「ホントに…わからないんだ………」
苦しい―――。苦しく漏れる息の間に、なんとか言葉を乗せようと声帯を動かす。意識しないと呼吸が出来なかった。
「わかった。もういい」
刑事は俺の腕を離し、変わりに肩を掴んで車まで促した。
諦められたんだ。俺の態度が不甲斐なくて、なにも情報を持ってなくて幻滅させた、と感じた。
「なにも気にするな」
だけど刑事はそう言って俺の頭を軽く叩いた。ガキ扱いしやがって。
* * *
それから刑事は本当に俺を喫茶店に連れていった。現場からも俺の家からも離れた国道沿いにそれはあった。刑事はアイスコーヒーを頼んだ。
「遠慮せず何でも頼んで良いぞ」
「じゃあこれ」
俺は写真付きの大きめのパフェを指差した。イチゴがどっさり乗っていて、チョコレートが所々絡めてある。下に二千八百円と書いてあった。
「あ、甘いものが好きなんだなー神崎君は」
引きつった笑いを見せながらも刑事はウェイトレスに注文してくれた。
別に特別甘いものが好きというわけではない。ただ冷たいものを口にしたかった。普通のアイスクリームでも良かったが、まあそれはおまけだ。
「悪かったね今日は。待ち伏せするような真似をして」
「真似じゃなくて待ち伏せだろ」
「悪態つけるほどには元気になったか」
「……………」
嫌な奴だ、こいつは。さっきから見透かすようなことを言ってくる。
「そう睨むな。ほら来たぞパへ」
「パへってなんだよ」
「………」
やっと刑事を黙らせることに成功した俺は、ウェイトレスからパフェを受け取って一番上のイチゴから食べた。
「ウマいか?パ・フェ!」
「わざわざ強調しなくてもいいから」
「奢り甲斐の無いガキだな」
「パフェ代にビビるおっさんよりマシ」
「口の減らねえ……まーかわいい口答えだけどな」
刑事は俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。強めに。
「あっぶねっ!鼻につくだろ!クリームが!」
「それを狙ったんだけどな」
頬杖をつきながら、刑事はにまにまと笑った。どっちが口が減らないのか問いただしたい。
しかし、さっき見せた厳しさはどこにもなかった。
「なにか……、なにが聞きたかったんだ?結局同じことばっかり聞いて…」
本当は、まだ聞くべきことを秘めている気がした。わざわざ現場まで行ってする質問ではなかった気がしたから。
「まあな。でも同じことを何度も聞くことにも意味があるんだ。実際に今日、別の答えを君はした」
刑事の顔がただのおっさんから、刑事のそれに変化した。
「しかしあのままあそこにいたら君がもたないと思ったんだ」
「………」
「だからここで聞く」
こんなところでも俺は大人に守られている。見透かされて擁護されて。どこまで周りに、他人に迷惑をかけて生きなければならないのだろうか。
そんなの俺は嫌なのに。俺が嫌なんだ。
「……………なに?」
「……まずはこれを見てくれ」
刑事はポケットから、すっと何やらテーブルに置いた。小さな透明の袋の中にひとつ、服のボタンが入っている。
「あ……」
見慣れたものだった。西龍学園のカッターシャツの小さなボタンだ。
「あのあと調べたとき、現場に落ちていたものだ」
「え?どこに?」
「殺害された場所から一メートル位離れた溝に、入り込んでいた。君のか?」
あの日帰ったあと、気づいたことがあった。
上から三つ目のボタンが、引きちぎられたように無くなっていたのだ。ちょうどネクタイに隠れていた部分。
「た、たぶん…」
「多分?どうやって取れたんだ?」
「わからない」
「わからないはずないだろ?君のだと言うなら、原因があって取れたはずだ」
俺の記憶には空白の時間があった。遺体を発見して警察に通報するまでの。
おそらくそれはただの数分。だけど、俺は110番にかけた記憶も霞んでいてほとんどない。だとしたらそのときしか考えられない。あの道は普段通らないからなおさら…。
「わかんねえ、覚えてないんだ!」
つい、また俺は叫んでいた。刑事は難しい顔をしてじっと俺を見つめていたが、やがてため息を吐いた。
俺に言いようのない不安が襲う。また、諦められた?
「実はな、これはここだけの話なんだが……」
おもむろに刑事は、ボタンが入ってたポケットとは別の内ポケットから黒光りした手帳を取り出す。 あれが噂の警察手帳か、と一瞬思ったがただの黒い手帳だった。開いて中を見ながら続ける。
「今回の事件だが、通り魔に見立てた別の犯行である疑惑が浮上している」
「え?」
声のトーンを落として刑事は続けた。
「解剖の結果、いつものナイフとは違う凶器が使われたことがわかった」
なんでそんな大事なことを俺に言うんだ。ただの一介の、目撃者でしかない高校生に。
まさか、と俺はひとつの考えにたどり着いた。
「それで、君は梶剛志という男と面識はあったのか?」
(やっぱり、そういうことかよ)
刑事のその言葉に、俺はすかさず睨みつけた。
「俺を疑ってんのか?」
「捜査とはあらゆる可能性をみて、ひとつひとつそれを潰していくんだ。そして残ったものを追及していく」
刑事は慣れたように淡々と語る。
「これはそのひとつの可能性にすぎないよ。わかるか?君は疑われたくなかったら自分の無実を自分で立証しなければならないんだ」
刑事の話し方はまるで、それが大人の世界だと言われた気がした。
「立証って…」
「難しく考えなることはない。ただ事実を俺に話してくれればいい」
事実…。
最初から嘘なんてなにひとつついてない。
「……面識はなかった。名前もあの日初めて聞いたから」
それどころか、浅霧家の使用人だということも後から知った。あとは何もわからない。
「芹沢君の家にはよく行くのか?」
芹沢純平。 あの日遊んだ俺の中学の時の友人だ。
「あんときが今年初…」
「たまたま平日に行った友人宅からの帰りに、たまたま目撃したということか?」
「そうだよ!」
俺はやっぱり苛々した。なぜあの日で、あの時間帯に帰らなくてはならなかったのか、と遠回しに訊かれている気分だった。そんなの俺が訊きたい。
刑事は俺が答える度に手帳に書き込みをしていった。
「では犯人だが…傘を差してなかったと言ったが、レインコートでも着ていたのか?」
「ホントに暗くて遠かったんだ…わかんねえよ」
「犯人の背丈とかは?例えば梶さんと比べてみて」
「……そこまで、真剣に見てなかったから」
「他に、犯人について覚えていることはないか?」
「なにも…」
「路地に駆けつけてから…気づいたことは?」
そんな余裕はなかった。
俺は口を開くことが億劫で、ただ首を横に振った。事実を話すことが立証することになる。そう言われたのに、事件の核の部分になると俺にはわからないことしかない。どうすれば良いか、完全に見失ってしまう。
「わかった。……ほら、手止まってるぞ、食えよ」
刑事の醸し出す雰囲気が柔らかいものに変わった。もう終わりということか。
「梶さん」
ふと俺から喋りかけると、刑事はすごく驚いた顔をした。それに少なからず俺も驚きながら言った。
「浅霧家の使用人って聞いた…」
「ああ…確かそこのご令嬢が同じ学校だったな」
刑事にはすでに調査済みのことだったようだ。
「なんであんなとこ歩いてたんだ」
世羅の家はあの付近にはない。
どこかと聞かれればそれはわからないが、違うことだけは知っていた。あの辺は俺が小さい頃からいるテリトリーだったから。金持ちが住んでるという話しは聞いたことがない。
「自宅があの殺害されたマンションなんだ」
「……住み込みってわけじゃないんだ」
俺は溶けかかったアイスにスプーンを突っ込んで、ようやく食べることを再開させた。
「彼は運転手だからな」
「ふうん。じいやとかじゃないんだ」
勝手にそう思っていた。 しかし庶民の俺にはじいやだろうがばあやだろうが、具体的に何をしているのか知らない。咲田さんのような家政婦とは違うのだろうか?
「ところで、ずっと気になってたんだが…」
しばらく俺が食っているところを黙って見守っていた刑事が、ふと窓の外を見渡しながら言った。
「君の周りに怪しい奴がいるな」
怪しいヤツ…。
「それってもしかして…」
「心当たりあるのか?」
俺も気になっていた。常に感じる視線。家に帰るまで消えない、ということは裏を返せば家にいる間は離れている。
事件解決までお前を護る。あいつはそう言っていた。本気だったのか。
俺は刑事に探偵のことを話した。別に言う義理なんてなかった。だけど………目の前の男にどこかいい人というのを感じたせいか、警察の為せる技とでも言うのか…気づいたら話す気になっていたんだ。
「その探偵の名前は?」
「ええと………くぼ…大久保?…ちがう…………久保田だ!久保田」
「久保田修次か?」
くぼたしゅうじと何回か心で繰り返す。
「あー、たぶんそんなん。…知り合い?」
「俺は知らないが、何度か捜査現場に現れて、ちょっとした騒ぎになってたな」
捜査とかもすんのか、あいつは。俺もつられて窓の外に視線を移した。どこにいるのか全然わからない。
「今回も捜査とかしてんのかな?」
「それはないだろう。神崎君には護ることしか言ってないんだろう?いくらなんでも依頼がなければ調査までしないと思う」
実際俺は会ってないし、と刑事は続けた。
好奇心でしてるんじゃないのか。テレビや漫画とは違うみたいだ。
しかし俺にはもうひとつの問題があった。乗り越えなければならない壁、と言っても今の俺には過言ではない。目の前のパフェだ。
「あー…。もういらねえ。甘い」
半分過ぎたところで俺はスプーンをぶっさして手から離した。匙を投げる、ってこういうことかと冗談じゃなく思った。
「ばっ、食えよ全部!まだこんなに残ってるじゃないか!」
刑事が焦っていた。
「クリーム多すぎなんだよ。あとチョコ邪魔」
「おまえなー2800円だぞ!にせんはっぴゃくえん!」
「ケチくせえ」
「けちっ…………、やっぱお坊ちゃんだなーおまえー」
刑事は項垂れてテーブルに突っ伏した。 なんかその言われ方はムカつく。
「庶民だろ、俺なんか」
「わかってねえな、おまえ」
刑事は頬杖をついて上目遣いで俺を見た。
確かに比べていたかもしれない。学校の連中と。もっと苦労してるヤツはいくらでもいることは知っていた。でも知識として、だ。
なんか悔しくなってもう一度スプーンを握ったら、刑事はそれを見て笑った。馬鹿にしたような笑みではないことはわかった。
「そうだ。連絡先教えてくれるか?待ち伏せしないために」
住所と家の電話番号は事情聴取されたときに伝えてある。刑事の言っているのは、日中とれる連絡先のことだろう。
「俺、携帯持ってないから」
本当は持たせてもらえなかった、というのが正しい。 高校入学と同時に父親にねだったら、お前には必要ない、の一言で一蹴された。
変わりにくれたのが、クロノグラフの腕時計だった。十代の子どもがもつようなものじゃない、高そうで立派な時計。時間を無駄にするなと一言添えて。
「笑えるよな。いまなんて小学生だって持ってんのに」
時間を確認するために携帯電話が欲しかったんじゃなくて、ちゃんと他人と通信したくて、勇気を出して言ったのに。暗に、くだらない友人をつくる暇があったら勉強しろと父親は言っていた。
自虐的な気持ちになった俺に、刑事は優しい笑顔をみせて言う。
「そんなことないだろ?俺の子供も持たせてない」
「子供っ!いんのか?」
聞き返してから、いてもおかしくない歳だと気づいた。多分だけど。なにをそんなに俺は驚いたんだか…。
「いるよ」
「いくつ?……ってかあんた何歳?」
まずはそこからだ、と俺はびしっとスプーンを突きつけた。
「内緒だ」
しかしあっさり刑事はかわした。何が内緒だよ、女か。
「じゃあこれ、俺の連絡先な。なにか思い出したことがあったら連絡くれ」
刑事は手帳にさらさらとペンを走らせて、ビリビリ破って俺に渡した。十一桁の数字の羅列の上にはフルネーム。 池田浩一郎、と書いてあった。変な話だと後から思ったが、このとき初めて俺は刑事の名前を認識した。