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第五章 ・・・ 3

 緊張する。

 それは従来感じていた重圧を含むようなものとは、やや一線を画していた。

 これまでの期待に押し潰されそうになっていた感覚は、重くてじわじわ広がっていくものだった。今はどちらかといえば心臓が飛び出そうな、キリキリ痛むような、そんな感じ。

 急激な極度の緊張。俺が止めなきゃいけないという。

(失敗したら…)

 止められなかったら…どうなるんだろう…。

 久保田の車に乗り込み移動しながら、その緊張をなんとか紛らわそうと口を動かしていた。 なるべく意識しないように。

 俺にはおなじみのコンパクトカーは、四人で座るといっぱいいっぱいな感じになった。

 どうしても世羅が後ろがいいと言い張り、そうなると自然と玲華が隣に乗り込んだから、やっぱり俺は助手席に座った。

 車を走らせてすぐ祥子さんのことを聞いたら、事務所に返したと答えた。

 少しバツが悪そうな表情をしたように見えたのは、気のせいだろうか。

「で?言い訳あんなら聞くけど?」

 俺の後ろで玲華が対角線上に冷ややかな声を送った。玲華もなんだかんだ言いつつ心配していたんだろう。

「言い訳って…いろいろ事情があってな、いまはそれどころじゃないだろ。惣一の位置が分からなくなってる」

 あ、逃げた。

 そう思ったけど確かにいまは兄貴のことが最優先だ。

 こいつがどこまで知ってるのかはわからないが、おそらく事態は把握してるんだろう。そして兄貴の発信器もやっぱり腕時計だったのだ。

「おまえさ。本当は兄貴がどこに向かったのかわからなくても、見当くらいついてんじゃねえの?」

「さあな。おまえはどこだと思う」

「親のところだろ。どっちかは知らねえけど……」

 だけど両親は揃っては一緒にいない。母親の所在地も、少なくとも俺にはわからない。

 となると。

「父親の病院?」

「そうだな。オレもそう思って向かってる」

 俺の予想に久保田は頷いた。

「母親の居場所は知らない?おまえの依頼人だろ」

 久保田は一瞥俺に向けてすぐに前を見る。その状態で、すごく言いにくそうに口を開いた。

「もう連絡した」

「……ふうん」

「それだけか?」

 今さら驚かない。それが久保田の仕事なんだろう。

 それが……、母親に知らせることが、これから吉とでるか凶とでるかはまだわからない。

(吉って…)

 どうせあの女は一人大騒ぎするだけだ。役にも立たずに……。いや、むしろ兄貴の殺意を深いものにするかもしれない。

(それとも逃げ出して来ないか)

 そこまで思い立って嫌になった。考えがあまりに陰気だ。

「なあ、おい。なんとか言えよ」

 考え込んで何も答えなかったら、久保田に急かされた。

 また俺がまいってるとでも思ってるのかも知れない。前みたいに。

 だけど今はそれどころじゃない。

「別に…いいんじゃねえの」

「どうした?おまえ。なんか悟ったか?」

 そんなんじゃない。今さらごちゃごちゃ言ったところで状況は変わらない。そんな状態が続いたから慣れもする。

「うっせえ。全部終わったら一発殴らせてもらうからそれでチャラにしてやる」

 一瞬はあ?って顔を久保田はした。だけど俺が冗談で言ってないって気づくと、ふっと笑う。

「やれるもんならやってみろよ」

 なんでそこで笑うんだ。マジなのに。ビビりもしないで余裕かまして。

 最初からコイツには舐められまくってるから仕方ないか。

「なあ、後ろの二人先に送ってやって」

 運転中の久保田に近づきこっそり耳打ちする。

 したはずだったけど、玲華はぬっと後部座席から顔を出してきた。

「ちょっとなに寝ぼけたこと言ってんの!」

 それからヒールのままで、ゲシゲシ後ろから蹴られた。シート越しだから痛くはないけど、不快な感触はくるんだよ。

 その音で状況を察知した久保田が不満を漏らした。

「あっ、コラ蹴るな。汚れるだろ」

「清潔感を気にしてるとは思わなかったわ、コレで」

「悪かったな!だからってさらに汚さなくてもいいだろ」

 確かにこの車内は汚い。シートも座る部分だけなんとか綺麗にはなってるが、他はシミとかあるし、下には小さいゴミが落ちてたりする。

「とにかく悠汰。あたしたちを先に帰すですって?この期に及んでなんなのよ」

 俺の家族はずっとぎりぎりのところで保ってきた。それが兄貴という起爆剤でこれから爆発する。きっと壮絶な展開になるだろう。

 そんなところ見せたくない。

「危険だろ」

「あんたまさかそれで今朝も呼ばなかったんじゃないでしょうね」

「だって危険だろ」

「なによ!あたしのこと護ってくれるって言ったじゃない!あれは嘘だったの?」

 確かに言った。あのときは本心で想ったことだ。だけど…。

「おまえの方はもう解決したんだろ。あとはウチの問題だ」

 世羅のこと。仲直りしたんだから良いだろう。犯人だって分かったわけだし、もうわざわざ危険な場所に自ら身を投じなくても良いんだ。

「ふざけたこと言うんじゃないわよ。もしかして護る自信がないの?それともそんなにあたしが邪魔?」

 玲華がさっき来たとき同様の怒りのオーラを放ち出した。そういうことじゃない。

「万が一ってことがあるだろ。心配してんだよ」

「だったら無用よ。今さら乗り掛かった舟、降りれるわけないじゃない」

「そんなこと言って、さっきだって実際来たのがコイツじゃなかったら、今ごろどうなってたと思う?」

「おまえ…絶対オレのこと歳上だと思ってないだろ」

 唐突に久保田が口を挟んできた。コイツってところで人差し指を差したせいかもしれない。

「思ってるよ」

 思ってるに決まってる。こんなムカつくやつだけど、実際尊敬できるところあるし。絶対言ってやんねえけど。

「そうだな。神崎は言葉遣いを知らない」

 ずっと黙っていた世羅が攻撃に応戦してきた。それに久保田が頷く。

「だろ、オマエとかコイツとかきてさっきは呼び捨てだもんな」

「だったら玲華だってタメ口だし()()()だろ」

「あらあ、だってあたしは久保田さんのこと歳上だと思ってないもの」

 玲華の一言で久保田が凍りついた。…ように見えただけだけど、たぶん絶対そうだ。

「玲華は良い。ちゃんと敬語も使える」

「でしょう?やっぱり世羅が一番解ってくれてるわ」

「俺だって使えるよ」

 使わないだけで、たぶん。

 俺が否定したら久保田がどこか遠い目をした。ちゃんと前見ろよ。

「そうだよなー。ちゃんと功男さんには敬語だったそうだからな…」

「は?」

 なぜそこで功男氏の名前が出る?つーかなんで知ってる?

「てめえ、功男さんって………」

 そういえば玲華の情報によると、コイツ浅霧家にいたんだった。

 久保田がヤバいって顔をしたけどもう遅かった。俺の言葉を押し退けてすかさず突っ込んだ人がいた。もちろん玲華だ。

「もしかして久保田さんって浅霧家に潜り込んだところで功男様に見つかって閉じ込められたの?」

「ちっがう!あれは不可抗力だ」

 じゃあ当たりか。さすがは玲華だ。敵にまわすと恐ろしいが、こちら側なら的確に突いてくれる。

「どういうことなんだ。潜り込んだって」

「世羅が持ってった裏帳簿よ。あたしたちも狙ってたの。すっごく張り切って俺が行くって言ったまま行方をくらましたの」

「うるさいな、しょうがねえだろ。調べて行ったけど、あるべきところになくて。功男氏には見つかったんじゃなくて会いに行ったの!取り引きするために」

「そうね、世羅が一足先だったから」

「取り引き?」

 世羅がぴくりと反応する。

「そう。功男氏はすべてわかっていた。息子達と使用人の行動を、だれが裏帳簿を持って行ったかもな」

 だから“柳田はいかん”と言ったのか。

(にしてもあの人…)

「だから玲華嬢はともかく世羅嬢は返さない方が良い。今ごろあっちでも一悶着あるからな」

 ここでまったく話が見えなくなった。

「一悶着?」

「まああちらは功男氏に任せよう。こちらの問題だけ考えていればいい」

「待てよ。じゃあ警察は?兄貴を追ってたはずだけど」

「気になるか?あの刑事の動向が」

 意味深な物言いを久保田はした。

 刑事って池田のことだ。確かに俺は警察全体より池田のことを気にしていた。叱ってくれたし、助言もくれたのに、俺は何も言えないで逃げたままだ。

「ちょっと待って。そっちだけで話を進めないで」

「そうだ。取り引きとはなんのことだ?なぜお祖父様は私のことをご存知だったのだ」

 後ろから二人の声が飛ぶ。そういえば、また久保田に誤魔化されるところだった。

「ああ。それは功男さんに聞いてくれ」

 なんかその言い方に、前に作戦会議と称して探偵事務所で名前を出したときよりも、功男氏に対しての気安さを感じた。

「もしかして俺が世羅の家に行ったとき、あんた功男さんになんか言った?」

「ああ、それ。悠汰が近づいてきているって受信機で分かったんだ。オレがそれを功男さんに教えたらさあ、功男さんから会いたいって言ったんだぜ」

 久保田が思い出したようににやけている。

「なんで?」

「どんなヤツか見てみたかっただと。世羅嬢の過ちをちゃんと止めてくれるかどうか」

 かなり深い話を久保田と功男氏はしていたようだ。ということは、功男氏はすべてわかっている状態で俺と会話していたことになる。

(やっぱりあの人…)

 なにがさあな、だ。なにが一理だ。

「あんのタヌキ爺いー!」

 言えよな。知ってんなら!腹に一物の理由も含めてさー!

「おまえ!お祖父様に無礼は許さんぞ!」

 俺の憤りたっぷりのぼやきに、世羅が鋭いキレのある声で切り裂いてきた。

(だけど)

 功男氏が世羅のことを憐れんでいたのは本音だった気がする。本気で想っていた。あの後悔も。

「何を見ている。こっちを向くな!」

 世羅の方を見ながら考えていたら、ものすごい拒絶をされた。まったく…。

「だいたいお祖父様もヤキがまわったようだな。こんな男に託すとは。実際に私を止めてくれたのは結局玲華だ」

 それから腕を組んで窓の外を向いてしまった。世羅の方が無礼なこと言ってる…。

 隣で玲華が呆れたような、力ない笑いを含めていた。

「世羅…。でもほら悠汰が来なかったらもっと危なかったわけだし、悠汰とお兄様の反応が同じ場所で止まっていたから、久保田さんもヤバいって思って、あたしも来たわけなんだしさ…」

 玲華のフォローにも、納得できないといった態度でこちらを向こうとしない。いや()()()フォローするから余計に気にくわないのかもしれないが。

 長くため息を吐きながらようやく俺は前を向いた。

 功男氏がなぜ好評価をしてくれたかなんて、俺にも解らない。

 こんなやりとりをしている間にも、兄貴は着々と両親に近づいている。

(間に合うだろうか)

 もし俺たちの予想が見当はずれで、すでに前もってどこかへ呼び出すなりなんなりしていたら、今ごろ………。

 勝手なイメージが様々なシチュエーションで浮かぶ。

 そのすべてが、駆けつけたときにはすでに遅く息絶えた両親の顔。自分の想像力が嫌になる。妄想の様な画に神経が蝕まれていく。やめなければ、無心にならないとヤられる。

「大丈夫だ。絶対間に合わせる」

 俺の様子を見ることなく前を向いたまま、久保田は言い切った。

 久保田のこういうところ………ちゃんと気づいてこういうことを言い切れるところが、時にムカつくけどそれは嫉妬心からきていて。だから内心では尊敬している部分なんだなと、ふと思った。


   * * *


 病院の独特のにおい。

 俺はそれが苦手だったりする。嫌なことを思い出すから。

 父親の病院には一度だけ来たことがあるんだ。まだここじゃない、別の、もう少し小さい病院にいたときだ。

 呼吸器科でも内科でももしくは精神科でもなく、外科に。

 小学校高学年のときに自転車で転んだんだ。そのケガがわりとひどくて、膝がぱっくり割れていて…それで来た。

 そうだ、近所の人が救急車を呼んでくれたんだった。

 俺が来てると聞いて父親は慌てていた。

 その時は心配してくれてるんだと思って嬉しかった。普段見せない顔だったから。

 だけどそれから少しだけ大きくなって、解ってしまった。あれは父親や母親が俺にシツケだと言って殴った痕を、周りに見せたくなかったんだ。

 今なら解る。それが社会的に問題視されてることも。隠したいと思うほどには、ヤバいと認識していたことも…。

 結局、俺よりも周りの目を気にしていたんだ。()()()()()()()()()

 ―――おまえにはがっかりだ。

 その時に言われた。周りにバレたのを俺のせいにしたんだ。

 それからだと思う。

 両親がさらに家に寄りつかなくなって、金によって手懐けた家政婦を雇うようになったのは。

 病院に来ると、薬品のにおいに満ちた場所にいると、あの時の落胆した気持ちを思い出す。だから苦手。

 それ以来一度きりで病院という名のつくところには来てない。

 だけど今は逃げるという選択肢はないんだ。

 病院まではやっぱり玲華と、それから世羅まで一緒についてきた。世羅が「私だって惣一さんを心配する権利と義務がある」と言い張ったからだ。

 玲華は今さら帰る気も無さそうだし、言っても無駄だと思ってもう何も言わなかった。また怒られるだけだからと、ビビったわけではない。断じて違う………と言いたい。

 でかい総合病院だからまず受付で父親の所在地を確認した。

 神崎の息子だと名乗ったら、ちょっと年輩な受付嬢に少しびっくりした顔でこっちを見られた。

 なんなんだ一体。

 胸にわだかまりを感じていると、それを読み取ったのか目の前の女性は焦りながら取って付けたような笑顔になった。

「あ、内科医長の神崎先生ですね。ええと今の時間でしたら新館二階の医師室か、仮眠室か…ですねえ」

 内科医長なんて肩書きだったのか。それにしても受付の人の歯切れが悪い。所在がわからないのだろうか。

 そう思っていたら後ろの方から三人、同じ制服…薄いピンク色の白衣を来た若い女性が話しに加わった。

「きゃー神崎先生の息子さんだって」

「あー面影あるー、似てるわね、やっぱりー」

「なんかカワイー」

 なんだなんだ一体。やや俺はたじろいだ。明らかに先輩の女性がそれを(いさ)める。

「こら、静かにしなさい」

「あーでもー、さっきもうひとり神崎先生の息子さんって人が来ましたよー」

「あーあたしも見たー」

「えーズルいー」

「だから静かにしなさいと言ってるでしょ!」

「どこに行きました?その人!」

 俺より先に久保田が、受付の薬とか受けとるための台に手をついて身を乗り出した。

 兄貴もやっぱりここに来てたんだ。

「ええと…神崎先生に連絡したら院内のどこかに連れて行っちゃいましたけど」

 なぜか久保田に赤面顔で、女性の一人が体をくねらせながら答える。

 俺はそれを聞き終わらないうちに走り出していた。

「悠汰?」

「病院内は走らないでください!」

 玲華と誰かの声が後ろから聞こえたけれど止まれなかった。

 この中のどこかにいる、そう思ったらいてもたってもいられなくなった。

 自分の理性と切り離されて、歯止めなく脚が動く感じはあのときと似ていた。事件を目撃するまえの。既視感。

(どこにいる)

 だけどあのときより望んでいる。前に行くことを。臨む。

 早く見つけないといけない。

「待て悠汰!落ち着け!」

 それが拒まれて、ガクンって俺の体が止まった。

 新館だか本館だかわからないけど、階段で二階に登ったあたりで久保田に腕を掴まれたのだ。前に、行けない。

「闇雲に走ってどうする!ちゃんと考えろ!体力無駄に使うな!」

 正論だ。まったく間違ってない。

「でもっ!早く探さないとっ!」

「わかってる!わかってるから、一人で突っ走んな!」

「悠汰!あっち、あっちに行ったって」

 玲華が通りすがりの看護師に聞いたようで、階段の上の方を指さしている。

 そっか、人に聞くっていう手段があったんだ。全然頭になかった。これはホントに落ち着かないと。

「どこ!?」

 聞きながらもすぐにまた階段を駆け上がる。

 落ち着こうとする意識は車の中では確かに持っていた。だから逆にいま余裕のない自分自身が信じられないほどだった。

「ああ…もう!」

 久保田の舌打ちが後ろから微かに聞こえた。でもついてくるのが気配でわかったからそれで良かった。久保田の心配は身に染みてわかる。

(もう前しか見ない)

 だけど今はもう、前しか見れない。いま行かなくていつ行くんだ。

(そうだろ)

 もう他のことに気がまわらない。不安だとか恐怖とか、そんな余計なことに今は構ってられないんだ。

(兄貴!)

 だから兄貴、間に合ってくれ。

「悠汰!こっちよ!」

 玲華がまた後方から誘導の声を上げる。彼女はいつのまに確認してくれてるんだろう。

 俺はどこをどう走っているのか認識できないまま、何人かの病院関係者に、すれ違うたびに叱られたり驚かれたりした。

 その表情の印象だけ残像のように残って、そして消えていった。

 たぶん別の館に渡った。その三階の奥の方。病室とかもなくなってきて、関係者しか歩いてないような領域(テリトリー)

 脚を止めざるをえなかった。行き止まりだ。

 後ろから数秒遅れて追い付いてきた玲華と世羅が、僅かに肩で息をしていた。

「この辺に来るのを見たって、さっきすれ違ったお医者さまがっ」

 さっきっていつ?どの人?ふと思ったがその疑問もすぐに消える。

 熱くなっている頭のどこか片隅で、芯が冷えるみたいに冷めてる自分がいた。

 目の前にある扉。

 上の方に会議室って室名札が掲げてある。

(会議室…)

 そういうの、病院にもあったんだ。どういう会議をするんだろう。

 そんなことを考える間もなく、俺の腕が動いていた。

 会議室のドアノブをまわす。

(!)

 だけどそこは鍵がかかっていた。予感がした。勘とかそういう本能的な部分で思った。中にいる。

「兄貴!いるんだろ!」

 恥も外聞もなくドアを拳で叩く。

 必死だった。

 ここで失敗したら、間違えたら二度と修復できない。崖っぷちの瀬戸際。そんな危機感を感じていた。

「おい、悠汰」

 久保田が戸惑っていた。

 ()()()

 理由がわからない。

(だって中にいるのに)

「ここ開けて!早く!」

 開けてくれさえすれば、あとはなんとかするから。俺がちゃんと兄貴を止めるから。

 また軽く舌打ちをして、久保田は方向を変えた。同時にしっかりと俺の目を見ながら言う。

「鍵借りてくる」

 久保田の走り行く背中を最後まで見ずに、俺はまたドアに向かって叫んだ。

「兄貴!兄貴!兄貴!」

「悠汰」

 玲華が俺の右腕を掴む。それから拳を包むように触ってきた。

 気づかなかったけど、酔っぱらいの頬のように、手が真っ赤になっていた。

(熱い)

 空調の効いてる病院内で俺の拳が一番熱かったんじゃないかと、そんな気がする。

「だけどっ!兄貴が…」

 整理のつかない頭のままで玲華に泣きつくように口を開いたとき、ドアの鍵の部分からガチャガチャと音がした。

 反射神経が猛スピードで反応して、俺の意識がドアに戻る。視線がノブに集中してると、そこはゆっくり開いた。

 まず目に入ったのが中から開けた人物の手元。

 地下室に置いていった、今は俺が持っているナイフより大きい、タガーナイフが握られている。

 血が滴り落ちていた。

 俺は視線を上げる。

「どうぞ」

 たった一言。

 そう言って、中から兄貴が微笑を浮かべながら俺たちを招き入れた。

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