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第四章 ・・・ 6

 功男氏と別れて、祥子さんに携帯を返しに行ってから帰宅したら、もうすっかり夜だった。

 とても長い一日だった気がする。

 玄関からノロノロと歩いて行ったら、ちょうどダイニングで兄貴が夕食を食べていた。

 条件反射でギクリとする。咄嗟にうんざりしてしまう。あまりに不甲斐なくて。

 功男氏はああ言ってくれたけど。覚悟が足りない。まだ。

 俺が近寄って行っても、やっぱり兄貴は知らん顔で黙々と食べていた。顔すら上げない。兄貴、って呼び掛けても見向きもしない。

(またか)

 またここからのスタートか。嫌気がさす。いい加減ウザい。

 でも投げ出すわけにはいかないんだ。

 今日はカレーライスみたいだ。玄関を開けた時点で香っていたから、予測を立てたら当たった。まったく難易度の低い問題。

 俺は冷蔵庫を開けて半分くらい入ってる牛乳を取ると、棚からグラス制のコップを反対側の手で持ちテーブルについた。カレーには牛乳ってのが俺の暗黙のルールだ。まだカレーを食べる気はしないけど…。

 とぷとぷとコップの八割りくらいを白く染める。それをグイッと一気に飲み干して、よし、と気合いを入れた。

「さっき、さ。世羅のお祖父さんと話をしてたんだ」

 兄貴はカレーをすくうスプーンをピタリと止めた。

 イキナリ反応アリ。

「兄貴のこと腹に一物抱えてるって。……バレてんぞ」

 自分の言葉が届かないからって、他人を引き合いに出すなんて本当に卑怯だ。だけどもう後がない。そんな気がしていた。

「浅霧家に行ったのか。なぜ行った?」

「兄貴は秘密で、俺だけ言うのって不公平だよな」

「対等のつもりか」

 はっと息を吐き出しながら兄貴が笑った。

「対等っていうか一応心配してるんだけど」

「なるほど。下に見られているわけか」

 なんでこの人はそういう言い方しかできないんだろう。

「兄貴って友達いんの?」

「おまえ以外にはこんなこと言わない」

 あっそう。

 そういえば久保田メモによると、よく友達と高校生が行っちゃいけないような店に出入りしてるんだった。頬杖をついて、俺はふてくされてみた。

「とにかくさあ、なに企んでるか知んないけど、刑事が見張ってんのに世羅と会うのは自殺行為じゃねえの?」

「なに?」

 本気でギロッと睨まれた。ちょっと怖じ気づく。だけど止められなかった。

 いい加減終わらせたいんだ、俺は。

 なるべく兄貴の目は見ないようにして続ける。

「梶さんと会ってた店で世羅と会ってたら誰でも不信に思うよな」

 ガチャンってスプーンが皿に落ちる音と、ガタって兄貴の椅子が鳴ったのが同時だった。

 えっ、て俺が顔を向ける前に回り込まれて。

 肩だか胸ぐらだかを掴まれて、そのまま床に投げ出された。咄嗟に受け身をとって頭を打つことはなんとか免れたけど、上に乗られ動きを封じられた。

 兄貴の顔に余裕がない。初めてこんな切羽詰まった兄貴を見た。怖い顔。

「おまえ、どこまで知ってる?」

 低く唸るような声。

「や、やめろよ。どけよ」

 なんとか身を起こそうとしたら、がっちり首を締め付けるみたいに右手で捕まれた。

 左手は、俺の右腕をギリって握り潰されるんじゃないかと思うくらい、強く押している。嫌な汗が背中を伝った。

「言うんだ。おまえは…刑事はいつから見張ってた?」

「つけられてるの、気づかなかったのかよ…」

 なんとか絞り出した声は驚愕に震えた。

 信じられない。兄貴ならとっくに見抜いていて、わかったうえで世羅と会ってるんだと思ってた。

「つけていただと。おまえもか?」

「俺は……」

 尾行していたことはしていたが、実際には一度離れて、親が取り付けていた発信器でまた来ました。なんて言えない雰囲気だ。

「俺は…ずっと気になっていて…」

「だからつけたのか最低だな」

「兄貴がなにも言わないから……そのくせ、俺が殺したとか言うし!真実が知りたいんだよ、俺は!」

 身体に力を込めて、叫びながらなんとか体勢を整えようとしたけど。さらに兄貴も力を込め、両手で首を締めてきた。

 ヤバい。息が、できない。

「この期に及んで俺のせいか?……おまえ、知り合いの刑事がいるんだってな。言え、警察はどこまで気づいてる?」

 本気だ。

 兄貴の目は脅しとかポーズではなかった。本気で絞めていた。

 息を吸い込もうとしたができなかった。

 戦慄を覚える。

 自由に動くはずの手はなんとか喉にくい込んでいる兄貴の手に触れたものの、引き剥がすことはできない。下腹部に乗られているから、脚はばたつくだけで兄貴には届かない。

「言わないならここで死ぬか?」

「ぐっ……」

 怖い…。殺される…。

 これ以上絞め続けられたら…マジで死ぬ。

 息苦しさから思考が止まる。

 だけど血がせき止められているのは感じた。うっ血する。視界が赤みを帯びてなにも見えない。耳鳴りがしてなにも聞こえない。

 ()()()()苦しさとちょっと違った。いつもより苦しい。僅かな酸素さえない。

 明らかに敵意を持った人間に、それもたったひとりの兄貴におとしめられている状況は、苦しくて悲しかった。

 なにがそこまで追い詰めたんだよ。

 言えよ。そんなんになるまえに、吐き出せよ!バカ!

 気力だけで左手を動かしたけど、兄貴の力に勝てるはずなかった。むなしく空を切って、パタリと床に落ちた。

 それがきっかけになった。

 諦めの念が俺に渦巻く。

 ああ、死ぬのか…俺は。くだらない人生だったけど、何度も過呼吸に陥るたび命の危機を感じたけど、それもとうとう終わるんだ。

 苦しみから解放されるんなら、それもいいのかもしれない。 死んでしまえば、馬鹿にされることも、殴られることも……、何かに気を病むことが、ないんだ。

(もう、だめだ―――)

 意識が限界にきて、完全に途切れそうになったとき。

 突然。

 兄貴の手が、離れた。

 大量の空気が一気になだれ込んできて、喉が耐えられないとでもいうように俺は激しく咳込んだ。 肺が、全身が酸素を欲している。

 いつの間にか兄貴の重みもなくなっていて、身を横に向けてもしばらく咳が止まらなかった。

 それでも兄貴が気がかりで顔をあげる。兄貴はこちらに背を向けて、あぐらをかいて座り込んでいた。頭が項垂れている。

「あ…」

 喉がつぶれて咄嗟に声がでない。兄貴、って呼び掛けたいのに。真意を確認したいのに、出るのは咳ばかりだ。

「違うんだ」

 体は動かさず、ぽつりと兄貴が言った。抑揚のない声で。

「俺が殺したいのはおまえじゃない」

 殺したい。って言ったか、いま。

 俺じゃなくてもなんでも、殺したい人間がいるってことか…?それが腹に抱える一物なのか?

「俺もお袋の血を引いていたというわけか」

 自分の拳を見詰めながら兄貴は笑った。笑ったように聞こえた。

(馬鹿野郎!)

 そんな兄貴は見たくないんだよ。

 いまなら…いまならなんとか、思い止まらせることができるんじゃないか?そう思って腹に力を入れて上半身を起こした。

「兄貴…池田さんは、刑事はパーティより前から張ってたって」

 声を出すことには成功したけど、まだ(かす)れていた。

「もともと世羅がアリバイなかったから注目されたみたいだけど、その中で兄貴が世羅と接触したから…。刑事がどこまでつかんでるかなんて、俺も知らない」

「………………」

「それにこの事件のこと調べてんの警察だけじゃねえよ。……兄貴、気づいてた?()()が俺たちのこと探偵に見張らせていたの…」

「なに?」

 兄貴の体がややこちらに向いた。

「気づかないよな。俺だって今日知って驚いた。俺と違って兄貴はデキが良いし好かれてる」

 だから。

「その探偵もこの事件調べてるんだ」

 だから、思いとどめてほしい。そういうことが伝わればいいと思った。

「いつから?」

「わからない。少なくても探偵は四月からだけど、俺の場合は中学のときに気づいた」

「どういう、意味だ?」

 完全に兄貴は俺を見ていた。俺も見据える。

 俺は中学のときの教師の話をした。やるせない想いがよぎる。

「そうだったのか、やけに事情通だと思ったら…」

「だからさ、もうやめろよ!何やったって結局全部バレるんだよ」

 まだ立ち上がれないでいると、少し蛍光灯の光が遮られて一瞬暗くなった。兄貴が近づいてきていて、俺と同じ目線になってたんだ。

 怖い顔のままだ。馬鹿にしたり蔑んだりっていうのはもうなかったけど、目がつり上がっていた。

 逸らさないで、無視しないでまっすぐ俺を見てる。

「もう遅いんだよ。おまえは止めたいのかもしれないが、話していてわかった。おまえに俺は止められない。……俺は明日決行する」

 決行って…なにを?わかったってなにが?

 考えないといけないのに、頭がうまく回らない。

「いいか、絶対についてくるなよ。大人しく家にいろ。次に邪魔するときには、本当におまえを殺す」

 なんだよそれ。殺す殺すって簡単に言ってんじゃねえよ。

 ……って言いたかったけど、言えなかった。きっと簡単には言ってない。

(本気だ)

 これも。本気の言葉だった。

 兄貴は食べ残したカレーを片付けて、そのまま部屋に戻った。

 その間、俺はやっぱりなにも言えなくて、みっともないけど座り込んだままだったんだ。


   * * *


 あんなこと言われたからって引き下がれるはずなかった。

 違う。あんなふうに言われたからこそ、なんとかしないといけないんだ。

  出掛けさせないようにリビングにその夜はいた。廊下に続くドアをすべて全開にして、いつ出掛けても気づくようにした。

 ……だけど、やらかした。

 いつの間にか眠っていたみたいで、起きたときには兄貴はいなかった。

(まだ六時…)

 きっとつけられないようにするためだ。深夜のうちに出たのか早朝なのかはわからない。

 三時ころまでは記憶があるが、やっぱり疲れが溜まっていたみたいだ。

 でも奥の手がある。

(たぶん…)

 何につけられてるか知らないが、発信器のことはまだ言ってない。

(たんに言い忘れてただけなんだけど)

 俺は一呼吸おいてから、急いで身支度をした。

 それから祥子さんに、というか探偵事務所に家から電話してみたけど、日曜日の早朝のせいか誰もとる人はいなかった。探偵に日曜とか祝日の概念はないと思うが…、やっぱり朝が早いせいかもしれない。

 俺はじっとしてられなくて家を飛び出した。

 睡眠不足と、クーラーをつけたままだったせいか体がダルい。そんな体に初夏の朝の陽射しは疲労感を加速させた。

 駅に行こうと方向を決めたときだった。どこから現れたのか見てなかったけど、目の前に池田がいて走り寄ってきた。 昨日より厳しい顔をしている。

「神崎惣一はどこに行った?」

「は?尾行はどうしたんだよ?」

 警察は尾行のプロだろ?俺と違って。

()かれた。昨日までと彼の動きが違う。明らかに尾行に気づいていた」

「俺のせいだ。俺が言ったから…」

「なぜ言った」

「それはこっちの話だけど。悪い、そこまで深く考えてなかった」

 警察のことまで頭がまわらなかった。ただ、思い止まってくれたらって、それしか…。

「いい加減にしろ。君がしてることは捜査(かく)(らん)だぞ」

 いやだなあ。また叱られてる。

 キレられたり、責められたり、怒られたりってのはガキの頃からあったけど、本気で()()()()ってのは最近になってから、よくある。

 違いが判りはじめてきている。少なくても親のは違ったんだって。

(つらい)

 叱られるのも、怒られるのも。

(痛い)

「どうした?」

 黙ってしまったせいで、池田が近づいてきていた。顔をあげる。

 あ、違う。

 池田と視線が合わなかった。目線が俺の顔より下にある。池田の手が俺の首元付近にきた。

「どうした?この(あざ)

 昨日の息苦しさが蘇る。

 いまにも触られそうな池田の手にゾクリとする。直射日光で暑いはずなのに、全身が急に冷えた。

「なんでもねえ。悪い。用事、あるから」

 なんとか言えたのがそれだけで。 俺は池田とは反対側に走り出していた。

 池田はちゃんと相手をしてくれてる、俺に。

 ひとりの人間として。ガキだとぞんざいに扱わないで、誠意をみせてくれてる。それはわかる。だけど、兄貴のことは言えない。

 ―――いい加減にしろ。

 しない。まだいい加減にできないから。もう少し足掻かせてくれ。

(お願いだから…)

 スニーカーの靴底がアスファルトを蹴り続けている。自分の意志とはかけはなれてるかのように、慣性の法則みたいに、脚はただ走り続けていた。

 遠回りをして駅につく。親がくれた磁気タイプの乗車カードを通して電車に乗っても、しばらく頭がまわらなくてぼうっとしていた。電車内は朝早いのに割りと混んでいた。座りたかったけど出入口付近を確保して外を眺める。

 iPodを取り出すことさえ忘れてる。三駅ほど過ぎて気づいたけど、そのままにしていた。

(お願いだから、間に合ってくれ)

 兄貴が誰を殺そうとしているのかは分からないけど、相手が誰かなんて関係ない。

 やめさせないと。抑止力にならないといけない。

 俺は目的の駅を降りて、また走り出した。止まっていられない。気持ちだけが焦る。

 だけど、やっぱり探偵事務所には誰もいなくて、ドアもかたく閉ざされていた。何かの役に立つかもしれないと思って、つけずに持ってきた腕時計で時間を確認する。それでもまだ八時。

 何時から祥子さんは来るんだろう。そもそも来るかどうかもわからない。家か連絡先を聞いておけばよかった。昨日あんなに携帯電話持ってたのに、番号を確認するのも忘れた。

 なんて失態。

 この失敗が命運を別けることになったらどうしよう。

(玲華…)

 そうだ、玲華がいる。玲華なら祥子さん家も連絡先も知ってる。でもどうしよう。玲華に言えば必ず聞いてくるし、必ずついてくる。危険だから来るななんて言葉は届かない。

(余計に来る)

 まだ落ち込んでるんだろうか。

(いま、なにしてんだろう)

 メールはあれから、まだきてない。

「っ…」

 不安が息苦しさを呼び起こした。

 胸が張り裂けそうになる。息が吸えない。

 そしてそのまま崩れ落ちても、飛んで来てくれるやつは誰もいなかった―――。


   * * *


 どれくらい、そうしていただろうか。

 扉のまえで、いままで走っていたのが嘘みたいに俺はうずくまっていた。動くと呼吸が乱れるとでもいうかのように、微動だにしなかった。

 脚を折り曲げ膝を抱えて、いわゆる体育座りの格好で顔を埋めていると上から声がかけられる。

「神崎くん?いつからそこにいたんですか」

 わずかに驚いた声の主はやっぱり祥子さんで、バッグを腕にかけて立っていた。

 あー、良かった。日曜日だから今日は来ないっていう最悪なパターンじゃなくて。

「頼む、はやく開けて…」

「あ、はい。そうでしたね。すみません、もしかしたらって思ってたのに…もっと早く来るべきでした」

 言いながらバッグからごそごそ取り出して鍵を開ける。

「それってつまり、予想してた?」

「今日もお兄さんを尾行するのかもって。そしたら必要ですよね、パソコン」

「ごめん、本当は休みだった?今日」

 ノロノロと立ち上がって中に入れさせてもらいながら俺は聞いた。本当は休みなのに、わざわざそれで来てくれてんなら申し訳ない。

 祥子さんは自分の机にバッグを置くと、さっそくパソコンを立ち上げてくれた。

「いいえ。それがなくても来るつもりにしてました。いつ先生が帰ってくるかわかりませんから」

「あ、そっか」

 あいつがまだ帰ってないことはわかってた。待ってる間に気づかされた。呼吸を正してくれるいつもの声がない。

「神崎くん。その首どうされました?」

 パソコンの前の椅子に座ると、祥子さんが目ざとく見つけた。

 ヤバい。もしかすると電車の中でも見られたかもしれない。

「そんなに目立つ?」

「まあ、前から見れば…。とくにいまはTシャツですからね…。制服なら大丈夫だと思いますけど」

 しどろもどろになりながらぎこちなく気遣ってくれた。つまりいまは目立つんだろう。兄貴の爪が食い込んだ部分とかは、とくに。

「それよりそのアトってもしかして…」

「大丈夫だから。気にしなくていい」

 あまり触れてほしくなくて即座に俺は打ちきった。祥子さんは空気を呼んだくれたみたいで、もう突っ込んで聞いてこない。

 悪い、って思う。自分のことしか考えてなくてごめん。祥子さんは優しいのに、恩を仇で返してるみたいな気分になる。

 いつになったら優しくなれるんだろう。自分のことを後回しにして気遣える人が、実際にいるのに俺はできない。

「お兄さんかなり早く移動されてますね。車、でしょうか」

 パソコンを覗きながら祥子さんが言う。

 はたっと我に返った。

(集中しろ)

 いまはただ、兄貴を追うことだけを考えるんだ。

 パソコンを見直すと、兄貴のものと思われる光りの点滅がすごい速さで移動していた。

「どこ行くんだろう?」

「高速に乗られてるようですね。まずいですよ、このままだと発信器が受信できるエリアを超えます」

 なんてことだ。これさえあればとりあえず行き先だけはわかると思っていたのに。点滅が止まるのを待っている余裕はないみたいだ。

「推理をしてみましょう」

「推理?」

「神崎くんのお兄さんがどこに行くのかではなく、誰に会いに行ってるか、もしくは何をしに行ってるか考えるんです」

 何をしに…。

(殺しに)

 人を殺しに行ってる。誰になんて、俺が聞きたい。兄貴には兄貴の世界があって、そのほとんどを俺は知らないから。

 でももしかしたら。ここまできたら。

「浅霧家の人の誰か?」

「わたしもそう思います。昨日世羅さんと会われてたんですよね?今日のことの打ち合わせとは考えられないでしょうか」

 昨日のことは、携帯電話を返しに行ったときに話してあった。でも兄貴が誰かを殺そうとしているかは祥子さんに言ってない。

 だけどそんなことを言うもんだからギクリとした。それだと、兄貴が人殺しをすることを世羅も知っているということになる。

(世羅も共犯…)

 バカバカしい考えだと思いながらも完全に否定してない自分がいた。

 もしかして…梶さんを殺した犯人は兄貴ではなくて、別にいるんじゃないか。兄貴と世羅の共通の人物といえば梶さんだ。

(兄貴が殺したいのは、梶さんを殺した犯人?)

 それなら納得がいく。梶さんの最後の言葉の意味が、それだとまた雲にのまれてみえなくなるけど。

「あ、消えてしまいました」

「え?」

 祥子さんの呟きに慌てて画面を見る。確かに、光りはどこにもない。

「くそっ…!まだなんにもわかってねえのに」

 無念さからテーブルを叩く。安定して置かれてなかったキーボードがガタッと鳴った。

 すると、祥子さんが自分のバッグからなにかの鍵を取り出して、満面の笑みで言った。

「とりあえずわたしの車で近くまで行きましょうか。その間に推測を続けましょう」

「続けましょーって…」

「ここでじっとしているよりはいいと思いませんか?」

 確かにそうだけど。有り難いけど。

「なんでそんなに良くしてくれるんですか?久保田さんは?」

 不思議で仕方がない。ここにいなくて久保田はいいのだろうか。

「んー…。そうですね。この件に関わっていればいずれ先生には会えると思ってます。………あとは、神崎くんと先生って似てるからほっとけないのかも」

「はぁ?誰と誰が似てるってぇ?」

 心外すぎる。

 思いも寄らない内容に俺が思いっきり嫌な顔をしたら、祥子さんはほくそ笑んでた。あぁっ?


   * * *


 真っ白い、丸みのある小柄な車体で、祥子さんはイメージ通り丁寧な運転をしていた。

 たまにうひゃっ、とかあらっ、とか独り言が多いのが気になるけど…。

 俺としては、車内でいくら考えたところで“会うのは浅霧家の誰かで、梶さんを殺した犯人”っていうところから突き進んだりしなかった。

 当たり前だ。要はスタートラインに戻ったってことだから。犯人がわかっていれば、最初から苦労してない。

「もうすぐで光りが消えた位置になります」

「とりあえず近く走ってみて」

 はい、って祥子さんが言ったけど…これからどうしよう。だいたい会う相手がわかったところで行く場所が特定できるとは限らない。

「このあたりは倉庫街ですね」

「ああ…。じゃあ、この辺は違うか…」

「そうとも限りませんよ」

「どういうこと?」

「このなかに浅霧家所有の倉庫がいくつかあるはずです」

「マジ?」

 ええ、マジですと大真面目に祥子さんは答えた。

 それなら可能性があるのかもしれない。だいたい倉庫街なんていかにも怪しいじゃないか。勝手なイメージだけど。

 車は速度を落として倉庫街を徐行した。数分走っていると一台の車が不自然に止まっているのを見つけた。

 なにが不自然って……停まり方は普通に、いや少し建物に隠れるように停まっていたが、つまりこういう場所に不似合いな高級車だったのだ。怪しい…。

「ちょっと離れたところで止めて」

 祥子さんに頼む。その通りに、別の倉庫に用事があるみたいにそこに寄せて祥子さんは停めてくれた。

「ここで待っててください。ちょっと様子見てきます」

「あ、でしたらわたしも…」

「ダメ。危ないから」

「危ないのは神崎くんも同じではないですか?」

「そうだけど!祥子さんになにかあったら俺が久保田さんに怒られるから!」

 まだ不本意そうな顔をしていたけど、なんとか納得してもらって俺はひとりで怪しい倉庫へ向かった。

 あんなこと言ったけど、嘘じゃないけど、理由は他にもあった。だからちょっと胸が痛んだ。

 いまの兄貴を誰にもみせたくないんだ。見せられない。

 兄貴の間違いはちゃんと俺が止めるから。そしたら無かったことになる。形だけでも。間違いは起こらなかったってことになる。そうする。

(まだ間に合うよな?)

 ここまで決意して、すでに幕が引かれていたらシャレにならない。祈るような気持ちで近寄った。

 そこは倉庫と呼ぶには、綺麗な建物だった。出来てまだ新しいことがわかる。コンクリート剥き出しの色で高さは三階建てくらい。屋根は角度が浅い。いかにも倉庫という感じだが、ひとつひとつが新しかった。

 一番近くの窓に近づき中を覗いてみる。大小さまざまな大きさの木箱が置かれていた。その隙間から、棚がありそこにも小さめの木箱が並んでるのが見える。人影はない。

 なんとか入れないか?と思ったが窓は鍵がかかってる。

(やっぱりな…)

 開いてたらバカだろ。あーくそっ。

 俺は頭を掻きむしった。焦燥感が増す。なかばヤケになって全部の窓を確認して行った。

 もうダメかと諦めかけながら、最後の窓に手をかける。

「あ、開いちまった…」

 ここのセキュリティ、だめじゃん。

 俺には有り難いけど。ここがアウトなら、真正面から行かなければならなかった。っていうか右回りで試せば良かった。

 とりあえずその窓から中に入った。新しいと思っていたが、わりと充分ホコリっぽい。倉庫独特の臭いがする。

 建物の中は、二階まで突き抜けで高さが確保してあった。確かに一階分では収まらないほど高い何かがある。布で覆ってあって中身はわからないけど、布にロープがグルグルに巻いてあって開けることは不可能だ。

 それを見上げながら、棚と棚の間をすり抜けてどんどん奥に入っていく。途中で開きそうな小さい箱があって、手にとって開けてみたら鏡だった。隣のそれより大きい箱の中身は掛け時計。

(輸入家具、か)

 株式会社シュウリスの品物だと、ピンときた。これはもしかすると…アタリかもしれない。

 知らず知らずのうちに頬が緩むのを感じる。でもすぐに引き締めて、足早にだけど静かに歩いた。視線は注意深く辺りを見渡す。

 このフロアには一番肝心な、人影がどこにもないようだ。それでも進んで行くと、奥に鉄色をした階段があった。地下に続いている。

 迷わず俺は足を踏み入れた。二、三段降りたところで、ガンガンと甲高い音が響いたから、ヤバいと立ち止まる。それから、恐る恐る爪先立ちで降りた。

 降りきって少し進んだところに深緑色の鉄の扉があって、重々しく行く手を阻んでいた。

 それでも近づいていくと、何かが何かに激しくぶつかる大きな音がした。

 人がいる?

「恩を忘れて勝手なことしやがって!」

 それから激しい怒号。この声には聞き覚えがある。

 浅霧邦春のものだ。

 それからなるべく聞きたくないと思うバキッという重い音。これも馴染みのある音だ。人が人を殴る音。しかも平手ではなく拳で。開けたくない想いが浮上する。

 イヤだ。怖い。

 入って行ったら自分も殴られるような、そんな気迫さが扉を通してもわかった。

「なにが脅迫だ!自分がどういう立場かわかってんのか!てめえは!」

 またガンガン聞こえる。恐らくこれは近くにあるなにかを、蹴っ飛ばしているんだろう。

 物に当たる人はこんなにも周りの者を不快にさせていくんだ。

(相手は誰だ?)

 脅迫って言っていた。兄貴か?

 俺はハンドルレバーに手をかけた。だけどまだ引けない自分がいる。

「おれが一言いえば、てめえなんかウチにいられなくなるんだよ!」

「!」

 この一言ですべてを悟った。さっきまでの躊躇(ちゅうちょ)が嘘のように勢いづいて扉を開く。

 中を見ると蹴飛ばされて無惨にへしゃげている箱たちがまず目に付く。そしていきなり現れた招かれざる客、つまり俺の方を振り向く浅霧邦春。

 その先には地べたに倒れている―――世羅が、いた。

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