第一章 ・・・ 2
次の日も普通に学校はあるわけで。
俺はサボる理由も見つからなかったから今日も学校へ行く。
耳にはiPodのイヤホン。すりきれるほど―――何年も前のテープじゃないんだからこの表現は妥当じゃねえよな。でもぴったり当てはまるからまあ、いいか―――聞いている曲がランダムによって選ばれて、またかかっていた。
(意外と真面目だなー俺)
あの日の次の日も俺は学校へ行った。本当に神経図太いのかも。
「ごきげんよう」
たまにすれ違う顔見知り…っていうかクラスメートがそんな挨拶をしてくる。
「朝はおはようでいいじゃんか」
欠伸を噛み殺しながら俺はぼやいた。
「おもしろいひとだね、神崎くん」
誰にも聞こえないように言ったつもりだったのに、気づいたら隣の席の男子生徒が、上品な、それでいて無垢な笑顔で横にいた。
ええと…。
「荻原」
「萩原ですよ!はぎわら!」
オギワラじゃなくてハギワラだったか。
「悪い。二択だったんだけど」
「もしかしてまだクラスメートの名前覚えてないの?」
萩原は短めのサラサラのヘアーを揺らして呆れながら俺を見た。まだ萩原は会話を続けるつもりだと雰囲気で気づいて、仕方なくiPodを引き抜いた。
「………悪い」
別に自ら孤立しようと思っているわけではないが、あまり人の名前を覚えるのは得意じゃない。
「もう忘れない。ハギな、ハギ」
「まったく…萩でも荻でもいいけどね、名前も覚えてね。拓真だから」
どこか怒ったような顔を見せつつも萩原は屈託なく笑った。
いいやつじゃん。
ああ、とかうん、とか答えてそのまま二人で教室に行った。そういえば、初めはこいつも様をつけて呼んできたことを思い出す。最初に萩原にそう呼ばれたから必死で抵抗したんだった。
「そういえば知ってるかな?」
教室のドアを先に開けて萩原は振り向きながら訊いた。俺より背が低く、見下ろすかたちになった。
「なにが?」
「今度ある球技大会の希望者を今日のホームルームで決めるらしいよ」
「……………それはまた……」
玲華が喜びそうなことだ。俺は球技大会なんてものがあることも知らなかった。
席につくと視線を感じて前の方を見た。俺たちの会話を聞いていたかのように、真ん中の自分の席から玲華が綺麗な笑みを見せていた。
「うわっ玲華さまの微笑みだあ」
なぜか隣の萩原が赤面している。
「心酔しすぎだ、ハギ」
「お、覚えられないからって略さないでよ!いいだろっ憧れなんだから」
「ふうん」
「神崎くんはいいなあ。笑いかけてもらって」
「ちょっと待て!その表現はなんだよ。かなりの誤解が含まれてる」
「良いじゃないか。あの笑顔を見れるならなんでも!」
だんだん萩原がむきになってきた。鼻息が荒い。
そんなもんかねえ…と俺は頬杖をつく。
萩原はもう他のクラスメート達と挨拶していた。あの人懐こい笑顔で。彼は男女問わず好かれるタイプだな、と容易に分かった。
それに比べて俺はまったく社交的とはいえない。
(どこかおかしいのかもしれない)
大事なネジを一本か二本どこかに置いてきたのかもしれない。
とにかく何もやる気が起きないんだ。
(めんどくせ…)
最近教室にいて座っていると、こんなことをしていて良いのか、という気分になる。
人が一人、目の前で死んだのに。眼を閉じるといまでも焼きついて離れない、血に染まった死体。こちら向きに倒れていて、見開かれた眼は俺を捕えていた。あのとき、あの男に意識はあったのだろうか。
例えば俺がもっと早く歩道橋を降りていたら、彼は死ななかったのではないか。俺がもっと早く気づいて声を上げていれば、殺人犯を思い止まらせることが出来たのではないか。
考えてもしょうがないことだっていうのはわかってる。
(でもまとまりつく…忘れようと思うのに)
あの眼がそれを許さない。
ぼうとそんな事ばかり考えていると、担任の杉村がいつの間にか教壇にいて喋ってた。
杉村は二十代後半の若い男の先生だ。女生徒の受けがいい。
俺はチャイムすら気づかなくなったのか、とわずかながら危機感を覚えた。これは重症かもしれない。
「……ということで、これから球技大会のメンバーを決めるために抽選をしようと思う。西龍院さん」
「はい」
玲華が杉村に変わって教壇に立つ。背筋が伸びていて凛、としていた。
黒板に競技名をずらずら書いていく。チョークの字でも達筆だった。本当に彼女は完璧なのだろうか。どこかに欠点はあるのだろうが、少なくともいまの俺には無いように見えた。
書き終わると振り向いて皆に一枚ずつ紙を配った。そしておもむろに白い箱を教壇に置く。
「まずは皆様のご希望の競技を伺いたいと思います。やりたいスポーツを書いて今日中にこの箱に入れてください」
前の席のヤツから紙が回されて、俺も一枚取って後ろに回した。用紙には第一希望から第三希望まで書く欄があって、一番下には名前の欄があった。
(なんでこんなまわりくどいやり方…)
挙手させれば良いじゃないかと思う。何で黒板にわざわざ書いたんだ。もしかしたら、まわりくどいのが玲華の欠点?
どうでも良いことを考えながら用紙を机に押し込んだ。
「ご希望の多かった競技は、僭越ながらわたくしが厳選なる抽選をさせていただきますわ」
それで良いかしらと、完璧な笑みを浮かべた彼女に、逆らう生徒はいなかった。
いや、それどころか萩原を筆頭に男も女も、教師である杉村も見惚れている。
(ダメだこいつら…)
情けない。とくに心動かされていないのは、俺と世羅だけだった。一番廊下側の前から二列目の席にいる世羅を何気なく見ていたら、一回眼が合ってぷいっと逸らされた。
(はは…嫌われたもんだな)
前から視線を感じて再びそちらを見ると、玲華がまた悠然と微笑んでいた。
(……………)
俺が一抹の不安を覚えたのは言うまでもない。
* * *
その不安は案外早くかたちになった。
いつものようにひとりで放課後の教室で時間を潰していると、玲華が入ってきたのだ。
「ごきげんよう神崎さま」
「今日もかよ」
俺は隠すことなく深いため息をついた。ある意味予想できたこととはいえ、二日続けて襲撃に来られることは今まで無かったことだった。
「ふふ。そんなに嫌なお顔なさらないで。今日は別のお話ですの」
「別のハナシ?」
少しだけ興味を惹かれた。運動関係以外で話をしたことがない。
「ええ。ここではなんですので、わたくし達の部室に来ていただけませんか?」
「いやだ!」
「ま。はっきりおっしゃるのね」
断られることは想定内だったらしく、玲華は本当に可笑しそうにクスクス笑った。いくら睨み付けても、彼女が動じたことは今までに一度もない。それも気にくわない理由のひとつだ。
「俺はひとりで過ごすのが好きなんだ。ほっといてくれ!」
「それは困りますわ」
「知らねえよ。話あんならここで話せば」
「あら。それでは神崎さまが困ってしまうわ」
「は?」
言っている意味が解らなくて、ついまじまじと玲華の顔を見た。すると玲華の口元の笑みはそのままで、形の良い目だけが細められた。
「四日前、のことですの」
「!」
俺は絶句した。
* * *
玲華について長々とした廊下を歩く。
俺たちの教室は西の棟にあるのだが、部室は東の棟にあるとのことだった。北側までは実験室や音楽室などの移動教室で行くことはあるが、東側はあまり用がない。
だいたい文化部の部室は東の棟にあるらしい。校内は本当に広かった。
「そういや何の部活やってんだ?」
あまり興味はなかったが、話すことが無くてとりあえず訊いた。他に問いただしたいことはたくさんあったが、確かにあの話は誰にも聞かれない場所でしたかった。
(いや、本当はしたくないんだ)
忘れたいのだから。でも、この期に及んで逃げ出すわけにはいかないのも確かだ。
「部活…とは言えないかもしれませんわね」
「どういうことだ?」
「憩いの部とでも言いましょうか…活動内容はそう、憩いですわ」
わかんねえ。俺は頭を押さえた。
「つまり、なんにもしてないってことか?」
「ふふふ。あまりお気になさらず…。なんでしたら入部してくださってもよろしくてよ?」
「いや、いい」
面倒くさそうなのは断るに限る。もう一度玲華はふふっと含み笑いをした。
「ここですわ」
玲華が案内した場所は普通の教室ではなかった。
左右に向かい合わせになるように、金箔の龍が二匹―――龍は匹、なのか?―――小さいけれど、存在感があってまず目についた。全体的には真っ赤で豪華な扉。
中と言えば、あきらかに生徒というよりどこぞの社長が使ってそうなデスクが二つ窓際にあった。その上にはそれぞれパソコンが置いてある。その手前にはこれまた大きく、真っ赤なソファ。俺が足を伸ばして寝れそうだ。床にはふかふかの絨毯。
間違いない。大企業の社長室だ。実際にはそんなとこ入ったことないけど。用がないから。
「趣味わりい」
つい悪態をついてしまったが、玲華は怒ることなくやっぱりクスクス笑った。
しかし変わりに奥に世羅がいて、こちらを睨んできた。なにも言わないが、何となくわかる。
(はいはい、無礼でしたね)
もうどうでもいい。ここまでくると驚きを通り越して呆れてくる。
「あれか、理事長のコネか?」
気づいたら、ついまた無礼なことを言ってしまっていた。だけどそれにも玲華は動じることがない。
「神崎さまはこういうの、お嫌いそうですわね」
「別にいいんじゃねえ」
俺は関係ないし。
そう思いながら奥に入るともう一人男子生徒がいた。隅っこにあてがわれた2人よりは小さめの机に座っている。そちら側にはたくさんの本棚にびっしり本が埋まっていた。
俺に気づくとそいつは慌てて立ち上がって近寄ってきた。眼鏡をかけていて年下に見える。でもネクタイの色で同い年だということが判断できた。おそろしく童顔だ。
ちょっと地味めの彼は、尻尾があったら犬みたいに降ってるだろうと思えるくらい嬉しそうに言った。
「うわあ、あなたが噂の神崎さまですね。ぼく、隣のクラスの高田秀和って言います!よろしく」
高くうわずった声を出して、そいつは何の躊躇いもなく右手を差し出してきた。握手しろっていうのか…。
「噂ってなんだよ!」
変わりに俺は秀和の頭を小突いてみた。
「痛っ!ひどいっっ」
涙ぐんで秀和は額を両手で押さえながら後ずさった。なんつーか、反応が新鮮…。
「知らぬは本人ばかりか」
その時やや低めの女性の声が聴こえた。ため息混じりに呟いたその声は世羅だった。
男の秀和より低いんじゃないだろうか。いや、秀和は特別かもしれないが。だけどチラリと違和感が生まれる。わざと低く、抑えて出してるような声。
(昨日もそういや低かったか)
しかし昨日はたった一言で、ちゃんと声を聞いたのは初めてかもしれない。
「無礼な振る舞いをする場違いなやつがいる、という噂だ」
(こいつ…)
世羅は鼻で嘲笑って言ってきた。それはまるで挑発しているように見えた。
「くだらねえ。用が無いなら帰る」
女の挑発に乗るほど愚かではないつもりだ。俺は怒鳴りたいほどの、ムカつく気持ちを押し殺して踵を返す。
わざわざ来てやったのに。
「お待ちになって。世羅もダメよ。まだあの話を聞いてないわ」
間を取り持ったのは玲華だ。あの話、この二人も関わってるのか。
「申し訳ありません神崎さま。二人の無礼はわたくしが謝ります。だからどうかソファにお掛けになってくださいませ」
お嬢様に、というか女に頭を下げられて俺はビビった。調子が狂う。それと同時に、どこまで完璧なのかと恐ろしくもあった。
「別に、そんなんいらねえけど」
仕方なく俺はソファにどさりと座った。顔がふてくされたようになるのが、自分でも止められない。
悔しいかな、ソファの座り心地が硬すぎず柔らかすぎずで、最高に良かった。
「ありがとうございます。お茶をお持ちして」
俺に礼を言って、後半は秀和に言っていた。
お茶とかもあんのか。本当に俺が知ってる部室とは天と地ほどの差がある。
玲華も向かいのソファに腰を落ち着かせたが、世羅が近づくことはなかった。ふんっとそっぽを向いている。
(あっちの方が人間っぽいかもな)
また聞かれたらひと騒動起こりそうなことを考えていたら、秀和が紅茶をテーブルにおいた。
「どうも…じゃない、サンキュー…」
一応気にしながら俺は秀和に礼を言った。少し落ち込み気味だった秀和は、見て分かるほど喜びを表情に表した。やっぱり犬みたいだ。
「で、四日前って?」
まずは相手の話を聞きたくて俺から切り出した。玲華は無駄ひとつない動作でミルクを紅茶に入れると、優雅に一口飲んで口を開いた。
「ええ。神崎さまが目撃されたあの事件ですわ」
やっぱり、その話か。
俺の動機が速くなった。
「なんで知ってんの?」
「噂になっているの、ご存知ではなかったんですね?」
「え?」
「あの事件はいま世間の誰もが注目しています。とくにこの界隈は被害地ですもの。これだけいろいろなお家のご子息ご令嬢がいる学院で、漏れない方がおかしいですわ」
ああそう。
口に出さなかったが俺は嫌悪感を覚えた。軽く考えすぎていたようだ、と気づかされる。では先ほど秀和が言った噂の中に、このことも含まれていたのか。
「でもぼくは疑ってませんからね!神崎さまのこと」
なぜか必死の形相で、ソファの横から秀和が尻尾を振る…ように見えた。
「疑われてんのか?俺は」
むぎっと秀和のほっぺをつねってみる。もち肌でよく伸びた。
「いひゃっ。ひはいはふ。らはらうらはっふぇはふぇん」
痛っ。違います。だから疑ってません、と聞こえた。
手を離しながら、構いたくなるタイプだなーとしみじみ思った。
「で?」
玲華に向き直りつつ紅茶を飲む。熱かった。
「あまり、お噂のことをお聞きになっても驚かれませんのね」
「まあ…注目されんのはイヤだけど、馴染めてない学校でなに言われてもどうでもいいし……」
強がりでもなく本音だった。それよりも気づかなかった自分に腹が立つ。
もっと周りに目を向けるべきだった。おもしろおかしく語られてるのかもしれない。
通り魔事件の初めての目撃者が、学校で無礼なやつだったら、無責任に騒ぎたくなる気持ちも分からないではない。だけどもし馬鹿にされてんなら、黙ってられない。こっちから特別なにかする気はないけど、言われてんのに気づかないなんてもっと情けないじゃないか。
一瞬玲華に哀しみに似た表情が陰った気がした。しかしすぐに話に戻ったから、真相は分からなかった。
「それでは、これもご存知ないかしら」
玲華がティカップを置く。
「神崎さまが目撃した被害者のことですわ」
「…………」
―――被害者のこと。正直あまり考えないようにしていた。知るとどんどんリアルさを増す気がして、聞きたくなかった。
考えると、あの眼が浮かぶから。
「……名前、なら刑事に聞いた」
「そう、梶剛志さん。浅霧家の使用人の方でしたわ」
「えっ?」
ガチャンとティカップが音を立てた。
俺の右手が当たったんだ。みっともなく取り乱してしまった。
浅霧家って…世羅の家だ。
(その使用人って…)
「本当に何も知らないんだな」
世羅が呆れたようにこちらに向かってきた。しゃがみ込んだままでいた秀和の隣に、腕を組みながら立った。
「そのようなこと言うものではありませんわ」
「玲華はその男を過大評価しすぎだ。彼は結局なにも知らない」
「ちょっと待てよ。つまり何か俺から聞きたいのか?」
俺が目撃者だから?
世羅は見下したように俺を見た。
「玲華はそのつもりだったようだが、もういい。事件のことはもう忘れたいのだろう?」
見透かされてる。
蔑んだ眼は、臆病者と言っていた。それが分かって俺はカッとなって立ち上がった。
「勝手に期待して勝手に見切りつけてんじゃねえよ!」
「怒鳴ればすむと思っているのか。やはり下劣だな」
「やはりってなんだよ!すかしてんじゃねえ!」
「ちょっと……」
玲華が止めようと立ち上がったのが眼の端に映る。
その時。
前触れもなく、扉が勢いよく開かれた。
「おお!麗しの僕のハニー!今日も元気かい?」
そして同時に現れたのは、ふわふわの髪の毛を首の辺りまで伸ばして、アクセサリーをいっぱい着けた男子生徒だった。ネクタイが青だから2年生だ。瞳も青かった。不自然な蒼。カラコンだ。顔はへにゃへにゃ笑ってる。というか鼻の下が伸びていた。
一瞬俺たちは固まった。なに、こいつってのが俺の第一印象。あんまり近づきたくない。
「あ、綾小路さま」
あの完璧だと思われた玲華も一瞬怯んでいた。おそるべし。
綾小路と呼ばれた男子生徒は、空気の読めないままズカズカと入ってきた。玲華のまえで、ふにゃふにゃした顔から瞬時にきりっとした表情に変わる。
「一日ぶりだね。寂しかったかい?マイハニー。僕は寂しかったよ」
「綾小路さま。も申し訳ございませんが只今取り込み中でして…」
「ふむ」
綾小路はようやく周りに目がいったようだった。固まったままの俺のところでそれが止まる。
「なんだい?この男は。見ない顔だね」
それはこっちが言いたい、とキレかけたが、なんとなく言わない方が良いと思った。関わりたくない、こういう人種。
「あの、ですから、ね。また今度お話しましょう」
玲華はぐいぐい押しやって、綾小路を外に出そうとした。
「嬉しいよ玲華。デートの約束だね」
そう言って玲華の両手を握りしめる。
なんというか、綾小路はめげなかった。ある意味強い!見習いたくはないが。
玲華の顔は俯いていて髪の毛で見えなかったが、捕まれた手がふるふると震えている。
(おいおい、大丈夫か?)
玲華も誰も歓迎してないことが分かったから、なんとかしないといけない気がしてきていた。しかし一歩踏み出そうとしたところで、世羅に肩を押され止められた。
「そうですね。いまはお互い、いろいろとお忙しいようですから!また、今度、時間が合ったときに!」
ひきつりながらも笑顔を保ち、玲華はとうとう綾小路を追い出した。重そうな扉がやはり重い音を立てて閉じる。
室内につかの間、静寂がながれた。玲華は握り拳を両手に作っている。
あれ?ってやっとそのとき俺は違和感を覚えた。そして―――。
「んもーーー!ちょームカつくーーー!」
(あ?)
一瞬我が耳を疑った。いま発せられた言葉はいったい…………。
「なにあれえ?すっげ鳥肌!見てよ世羅ー」
玲華が腕をまくりながら世羅に愚痴っていた。世羅はぽんぽんと玲華の頭を優しく叩いた。
「偉い偉い。よくかわしたな」
「ホントにもう、いい加減しつこいのよーあのバカ」
「しかし毎日これでは身がもたんだろ」
「そうよね。なんとか対策練らないと、こっちが参るわ」
「いっそのことはっきり言ったらどうだ?」
「ダメ!分かってるくせに世羅、意地悪よ!もうー」
「あのー、玲華さま。とりあえず神崎さまにフォロー入れた方がよろしいのではないか、と…」
秀和が俺を見ながら代弁してくれた。
情けないほどに俺は呆気にとられて、何も言えなかったのだ。
「あー…。ちっ、あのクソ綾小路のせいでっ」
玲華は髪をかき上げながらぼそぼそ呟いていたが、悲しいことにすべて俺の耳には届いていた。
俺はやっと状況を理解した。やっぱり、完璧な人間などいないということだ。
「つまり…それが地か……」
覚悟を決めたようで、玲華は元の位置に戻り座り直し、脚を組んだ。なんか態度も違う。
「そうよ!悪い?」
「いや…悪くねえけど」
とりあえず俺も座る。
「別に言いたきゃ言えば?」
「言わねえよ」
「あたしは困らないわよ」
「だから言わないって…」
なんかどっと疲れて俺は紅茶を飲み干した。ぬるくなっていたけど、猫舌だからちょうど良い。
「意外ね」
玲華は指を絡ませ頬杖をつくように身を乗り出してきた。
「どうせ俺は信用されねえタイプだよ」
「そんなことないわよ」
「うそつけ。たった今まで疑ってただろ」
「そうじゃなくて。まだちゃんとあんたのこと知らないからさ」
よく気の利く秀和が紅茶のおかわりを持ってきた。玲華にも入れ直す。
「だって、あたしが話しかけてもすぐ逃げてたじゃん?」
ふふんと玲華は笑った。
「逃げてねえだろ」
「逃げてたわよ。いつもめんどくさそうだし」
「ぐっ……」
地を解放させた玲華は容赦がなかった。
でも変わらないところもあった。昨日と同じで、その目には責めも何もなかったのだ。純粋に会話を楽しんでいるだけなのかもしれない。
「とりあえず、この本性を知っているのは学校ではここのメンバーだけよ。だからよろしくね」
「わかったって」
(結局バラされたくねえんじゃねえか)
わざわざ念を押すぐらいには、そうなんだろう。なんだかアホらしくなった。
「メンバーって…ここって結局なんなんだ?部活?」
「言ったでしょ、憩いの部」
「三人で?」
「そうよ」
素っ気なく言い張る玲華に秀和が助け船を出した。
「理事長が与えた玲華さまの居場所です」
「ヒデ!あんたなに余計なこと言ってんの」
秀和は玲華に鼻を摘ままれていた。痛い痛いとわめいている。やはり秀和は構われキャラか。
へえ、と俺は意外に思った。玲華でも居場所を欲したりするのだ。
「ああ、そうだ。バカのせいで話それちゃったわね。事件よ事件」
秀和を解放しながら玲華は言う。そのとき気づいたが、世羅はもう自分の席に座ってパソコンをいじっていた。無口だと思われていたが、そうではなさそうであることは分かった。しかしやはり何を考えているのかは掴めない。
「ああ、でも俺本当になんも知らないんだけど」
「うーん、それは分かるんだけどー。ただ、あたしたち犯人探しをしようと思ってるのよ。それで協力してもらおうと思って連れてきたんだけど…世羅が暴走しちゃって」
犯人探し―――。思いもよらない発想で俺は目を瞠った。金持ちの子供の暇潰しか?
「やめとけよ。警察に任せればいいだろ」
俺の言葉は弱々しく発せられた。
動揺してる……?だけど何に対しての動揺なのかが自分でも分からない。
「その警察がだらしないから!もっと早く捕まえていれば梶さんは死ななくて良かったのよ!」
対して玲華の言葉に、目に、力がこもる。やがてその瞳は僅かに潤んで赤くなった。
「親しかったのか?」
「あたしんちと世羅んちは昔から仲良くて、よく遊びに行ったりしてたの…梶さんはあたしにも優しかったわ」
「そうか」
それしか言えなかった。目の端に世羅がぴくりとこちらを見たのが映った。だけどとくになにも言ってこない。自分の方が近い存在だったろうに、全部玲華に任せてた。
俺を引き込むことに反対だからだろうか。
「関係者が身内にいてね、あなたが警察に言ったことまでは知ってる。………それ以外で、なんでも…どんな些細なことでもいいの。なにか思い出したことがあったら教えてくれる?」
「わかった。いまはなにもないけど、思い出したら言う」
気づいたらそう、答えていた。
警察で言ったこと以外の情報なんて、なにもない。玲華はほっと息を吐き出した。笑みが戻る。
「ありがと。じゃあここを捜査本部にするわ。いつでも来ていいからね」
あまりに玲華の目が真剣で、俺はそれに押されたんだ。熱い想いで。
でも俺は怖かった。いまも忘れられないあの眼。血の臭い。もしも……と考えてしまう思考。だけど本当に怖いのは別のところにある気がする。
そう思うのは、犯人が捕まれば少しは安心できるはずなのに、本音ではやめてくれ、という気持ちがあったからだ。そっとしておいてほしいんだ。波風たてずに、凪のように。
ただ、その一番の恐怖の原因がかたちになっていなかった。もやもやと、だけど確実に重く俺に圧し掛かる。
「大丈夫ですか?顔色悪いですよ」
秀和が顔を覗き込んでいた。
「なんでもない」
俺は秀和の眼鏡を取って頭に乗せた。
「うわっなにするんですか!?」
秀和は眼鏡を直しながら怒った。せっかく心配したのに、とぶつぶつ呟いている。
その姿を見て和んでいると、玲華が立ち上がりながら言った。
「あー、そんでさー神崎さまー?」
俺は間延びした口調と呼び方のミスマッチにずっこけそうになった。
「やめてくんない?それ」
「ああ。神崎さまってやつ?いいじゃない。気持ちよくない?」
「寒気が走るんだよ!呼ばれるたびに!」
「日本語おかしいわよ」
玲華は机に行き、そして引き出しを開ける音がした。
「日本語?」
「寒気がする、でいいんじゃない?まー意味は通じるけど」
間違いに俺はちょっと赤面した。寒気は走らないのか!悪寒は、走るよな…。
「じゃあさ悠ちゃん?悠汰ちゃん?」
とくに面白くもなさそうに玲華は続ける。
「馬鹿にしてんのか!?」
カッとなって怒鳴りつける俺の目の前に、ぽんと真っ白い箱が置かれた。それを見て勢いが半減する。 サッカーボールくらいの大きさで、上の面にだけポストのような細長い入り口が設けてある見覚えのある箱。そう今日の朝一番に見た箱だ。今日一日は教室の後ろに置かれていた。
「悠汰くーん。あたし今日中って言ったんだけどなー」
腰に手を当てて、中腰になり俺の目の前で玲華は不敵に笑った。玲華様は口が悪くてもお綺麗でした。
俺は完全に消沈した勢いを、力ない笑いで返す。
「いや、あの…、俺なんでもいいから」
「うわぁ、あの神崎さまを完全に押さえつけてるぅ」
少し離れたところで、感動したように目をキラキラさせて秀和が両手を口元にもっていた。
「ヒデてめえ」
俺は玲華から逃れるように秀和に飛びかかった。
「いま言ったのはこの口か」
後ろから動きを抑えて両方の頬をつねる。
「ひゃ!やへてー」
「ちょっと逃げんじゃないわよ!」
「だから!あいたところに入るから、それでいいだろ?」
「それだと厳選なる抽選にならないのよ!」
「勝手に決めたことだろ、変えろよそこだけ」
「とにかく、まだ少し時間あげるから考えといてよね。一番得意なやつよ!」
玲華はそう言うと箱を机に片した。音を立てて引き出しをしまう。
「……………」
なんでそんなにこだわるのか、俺にはわからなかった。まわりくどいやり方も、もしかしたらなにか意味があるのかも知れないと思えた。
「いひゃいれす!おうはなひへふはあい!」
抗議の声を秀和が言い、やっと俺はまだ掴んだままだったことに気づいた。
「あ、悪ぃ」
手を離すと、頬をさすりながら秀和はさっと俺から離れた。