第三章 ・・・ 4
それから数時間みっちり指導を受けて、改めて俺たちは着替えをすませて西龍院家を出た。
玲華は悩みに悩んだあげく真っ白いドレスに決めていた。俺は黒いタキシード。男性は黒か紺と決まっていたらしい…。なんであんなにイロイロ着せたんだろう。
(首…苦しい)
着慣れない服はいつもの制服のネクタイより締め付けられる感じがした。
会場は世羅の家の本邸ではなく、同じ敷地内にある別館だった。パーティ専用に建てられたものだと玲華に聞いた。
広間は二階にあって、一階にはサロンとか気分がすぐれない人用の個室まであるのだそうだ。ここまでくると感動を通り越して呆れてくる。不景気はどこへ行った?
そして広間に集まった紳士淑女も、同類の世界のきらびやかなオーラをまとっている。なんと…というかやっぱりというか、綾小路も来ていた。他にも見た顔が数人いる。学校のやつらだ。
(俺浮いてる…)
居心地が悪い。いま玲華は会う人会う人挨拶とか軽い会話をしている。
来て早々に、どうしてもと玲華に言われたので、主催者には挨拶に付き添ったが俺はすぐに邪魔にならないように隅に引っ込んだ。
主催者とはもちろん世羅の両親だ。母親はパーティ好きと言われていたが、それがにじみ出ていて、メイクもドレスも派手だった。そして父親は薄くなった頭髪に、でっぷりと脂肪の乗った肉体。先入観があるのせいかもしれない。なぜこの女性はこの男を選んだのだろう、と考えてしまった。顔に出ていたらしく、そのとき玲華に肘で小突かれた。
そしてまだ世羅はちょっと遅れているとのことだった。
――並んでいなくてもわかる。父親は血が繋がってないからもちろんだが、母親にも世羅は似ていない。おそらく彼女は実の父親似なんだろう。
そして隠れるように小学高学年くらいの男の子が母親の後ろにいた。可愛らしくも一丁前にタキシード姿だ。この子はこの二人の子供だとわかる。よく似ていた。
テーブルにはたくさんのご馳走があるけれど、居づらくてほとんど食べる気がしない。
綾小路は一度玲華に声を掛けていたが、それだけだった。玲華の拒絶が効いているのか、反省したのか俺には分からなかったけど、もう危うい目をしてないからアホな真似はしないだろう。
(はぁ…帰りたい…)
何度も思ったことだけれど、またついそう思ってしまう。だけどその都度、すぐに思い直すんだ。
―――どこに?
「どうしたの?また暗くなってるわよ」
いつの間に挨拶を終わらせたのか、玲華が近くにいた。
「いや、なんか俺浮いてない?」
「そんなことないわよ、この中で一番格好良いわ」
「社交辞令は腹イッパイ」
俺は玲華に片手を上げてウンザリ感をアピールした。ほとんどの人が一癖も二癖もありそうで、本音を別のところに持ちつつ誉め合っているのだ。話す会話といえば、ほぼ女性はドレスや装飾品で、男性は事業や趣味の自慢話。
「何が楽しいかわかんねえ…」
「まぁまぁ、みんなそれでストレス発散してんのよ。お互いわかって会話してんだからそれで良いの」
俺の言わんとしてることがわかったらしく、玲華がそう解説してくれた。うげっ、ますますわかんねえ。
「それよりほら、あの人。あそこで一際オーラを放ってる人いるでしょ。あの人が世羅のお母様のお父様。浅霧家の当主で浅霧功男様よ」
玲華の指差す方を見ると、一人タキシードではなく和服を身にまとったご老体が、そこにいた。額にシワが濃く刻まれている。確かに威厳がありそうだ。 ニコリともせず、厳しい顔のまま二人の男性と会話している。
「ちょっと顔を出しに来ただけみたい。さっき挨拶したらすぐ帰るって仰ってたわ。頑固な人でね、こういうパーティ嫌いなの。西洋カブレだと批判なさってるのよ。でも娘、世羅のお母様には甘くて何も言わないの」
なるほどそれで和服か。
しかしあんな怖そうな人と対等に挨拶とかする玲華はやっぱり凄い。
「で、一緒にいる人がお母様のお兄様たち。世羅にとっては叔父ね。手前にいる頭が薄い方が長男の雅男様。今では功男様の事業をほとんど受け継いでるわ。奥にいる太めな方が次男で功二様。一応ひとつ会社を分け与えてもらってるけど、あまり手腕はないわね」
様とか呼びつつ、玲華の紹介の内容が雑になってきたのに気づいた。あまり尊敬してないのだろうか。
「で、近くのテーブルにいるスラッとした青いドレスの方が雅男様の奥様で礼子様。とっても厳しくて怖い人よ。で、あっち、あそこにいる紅いドレスのふくよかな方が功二様の奥様で朋美様。スッゴいお金使いが荒いの」
わざわざ一言ずつ特徴を含んで紹介することで思い出した。俺がここにいる理由。
世羅の家の誰かが犯人かもしれない。この中の誰かが……。
そう考えると見方が変わる。いけないことだと分かってるのに、あの日の犯人とダブらせて一人一人を当てはめてしまう。そんなことをしても判るはずないのに。
「あと、あそこの奥の扉の前でこっそり控えてる人いるでしょう?あの人が執事の柳田さんね。あまり梶さんと接してるところは見てないわ。それからメイドが…」
「もういい」
俺はまだまだ続きそうな紹介に低く唸って止めた。全員疑えというのか?気分が悪くなる。
「まだ世羅の従兄弟とかーそれぞれの秘書とかもいるんだけどぉー」
恐ろしいことを冷ややかな眼で玲華は言うし…。
「闇雲に言われてもわかるかっ。第一、覚えられねえ…」
「だめねぇ。まあ全員いるわけじゃないから…あっ」
喋っている途中で玲華が手を口元に当てて、凄く驚いた顔をした。
なんだろう、と思って振り向いたら、真正面の出入口付近に世羅が来ていた。
世羅はこんなときでも真っ黒いドレスを着ていた。黒がよく似合うとはいえ、ドレスまで漆黒とは。でも髪をまとめていて、やっぱり学校とは雰囲気が違う。
「世羅が男性とパーティに出席するなんて…」
玲華のこぼれるような言葉に、ようやく俺は世羅の隣にいる人に目を向けた。背中しか見えないが確かに男だ。しかもオジサンじゃない、若い男。
なんとなく見ていたら、世羅が男に何かを話しかけ、それに答えるように男が頭を動かした。顔がこちら側に向く。
「え?」
今度は俺が驚く番だった。驚くっていうより固まった。目の前の状況を理解できない。
「なんで…」
「悠汰?」
その男を凝視する。
見間違いなんかじゃない。見間違えるはずがない。長年ずっと見ていた顔だから。
いくら見慣れないタキシード姿だからって、いくら外用の、眼鏡なしの顔だからって…。
「なんで、兄貴がここにいるんだよ…」
そう。そこにいたのは、間違いなく実兄である神崎惣一だった。
「兄ぃ?ウソ…イケメン兄弟…」
兄貴は部屋で勉強している。俺にはそのイメージしかなかった。
学校に出る時間も帰る時間も合わないから。合わないようにしてたから、俺が。
その兄貴がこんなところにいて、俺を嫌っている世羅といる。
「なんで…どこで……?」
どこで知り合ったんだ?世羅と。なんでいるんだ?ここに。
俺は知らず知らずのうちに、パニックに陥っていた。
「ちょっと悠汰?」
気づいたときには、駆け出していた。兄貴の姿がだんだん近くなる。近くなって、大きくなって、こちらに振り向いた。
「…っんで兄貴がここにいるんだよ!」
そして怒鳴っていた。会場の雰囲気とか、人の目とか無視で。思考能力皆無で。
だから空気を読んでる余裕なんてない。兄貴は驚きもせず、なんの感情もない眼で見返してきた。
「お前こそ、なにしてる?謹慎中だろう?」
静かな声。だけど呆れ返ってるのがわかる。
「答えろよ!なんで世羅と?」
「お前に言う必要はない」
それだけ言うと背中を向けて遠ざかっていく。世羅を見ると鼻で嗤われた。嘲笑って、兄貴のあとについて行った。二人の背中だけが残像のように見える。
冷たくあしらわれた。それがわかって追えなかった。何度もあの眼を見る勇気はなかったんだ。
「待って世羅。あたしにも挨拶しないつもり?」
気づくと前に玲華がいた。庇われているように感じてしまう。世羅だけが立ち止まり振り向いた。
「まさか君がこの男を連れてくるとは思わなかったな」
「悪い?あたしの同伴者よ。バカにしないで」
その会話にまた驚く。いつもの仲の良さじゃない。なにより玲華が…。
(玲華が怒ってる…)
「馬鹿になんてしてないさ。今日は楽しんでいくといい」
言葉とは裏腹に世羅は馬鹿にしていた。そのせいか玲華はもう何も言わなかった。
* * *
パーティも中盤に差し掛かり、とうとうダンスタイムになった。絶対踊らないといけないのかと思ったが、合間に休憩を入れる人がいた。踊らなくても浮かないのは助かる。
「いつの間にケンカしてたんだよ」
玲華も踊る気がないのか、俺と一緒にあの二人を見ていた。兄貴と世羅は遠くにいて、やはり踊らずに、何もなかったように談笑してる。
「ちょっとね」
玲華の口が重い。こんなことは初めてだった。ダンスミュージックがうるさいせいかとも思ったけど、曲と曲の間も沈黙してたから、もしかしたら落ち込んでいるのかもしれない。
そんな感じで数曲流れたあと、俺たちのテーブルに近づいてくる人がいた。
「こん、ばんは。あの…礼儀知らずとは思ったのですが…神崎さまと……」
淡いピンクのドレスを着ていた櫻井だった。来ていたのか。
俺とも玲華ともどちらとも取れるように話しかけたあと、もじもじしている。玲華は彼女の言いたいことが解明できたようで、安心させるような笑顔を浮かべて頷いた。
「とんでもない。このご時世、女性からダンスを誘うってのも有りだと思うわ。ということで悠汰踊ってあげなさい」
「げえっ」
すでに踊らなくて良いと安心していた俺は、不意打ちを食らって気持ちが態度に出た。
「げっじゃないわよ。女の子に恥をかかす気?」
「あの……一曲だけでいいので…」
そう言われてしまうと、しぶしぶ俺は櫻井に向き直った。
「言っとくけど下手だからな」
すると櫻井の顔が赤くなって、それからはにかむような笑顔を見せた。
ここまで来たら仕方がない。俺は腹を決めて櫻井の手を引っ張りダンスフロアの端っこを陣取った。
生演奏で曲が流れ出す。様子を窺うように会場全体を見渡していると、下からクスクス笑う櫻井がいた。
「ワルツです」
読みを当てられて、今後は俺の顔が熱くなる。まだ曲を聞いただけでは、種類がわからない。それがバレたのだ。
ステップを頭で思い出しながら、曲に合わせてぎこちなく動いた。
「もうお怪我は大丈夫ですか?」
気を遣って櫻井が声をかけてきた。だけど必死であまり深く考えられない。
「ああ…」
「良かった。心配してました」
「そう…」
「………西龍院さまと、ご出席なんですね?」
「まあな」
「やっぱり……」
「え?」
不自然に櫻井が黙って、俺は自分より小柄な彼女を見下ろす。
櫻井は踊り慣れてるだろうに足元ばかりを見ていた。
「なんだよ。途中でやめんなよ、気になるだろ?」
怪訝に思ってそう言うと、パッと櫻井の顔が上がった。ぎこちない表情。
「西龍院さま、素敵ですよね。わたしのような者にまで優しくて…。あの日もわたしが保健室のまえでウロウロしてたら入れてくれたんです」
「……………」
この場合のあの日とは、俺がみっともなく意識を失った日だ。保健委員だからいたんだと思ってた。
「他にもワラワラいた生徒をすべて散らしたんですよ。神崎さまが気にするだろうからって」
「なんで玲華の話なんかするんだ?そんなに気を遣わなくてもいいだろ」
「でもわたしの家はしがない一つの会社の社長で、今日も友人のツテで来てますし。財閥のお嬢様と話が出来るだけで…」
櫻井の声が徐々に小さくなる。そんなこと気にしてたのか、と思う。いや、おそらくそう思うのは彼女だけじゃないんだろう。クラスメートの心酔した目が浮かぶ。
「くだらねえな。そんなこと思われて、本人だって嬉しくないだろう」
「え?」
そのとき意識が散漫になっていて、別のペアと櫻井の背中が接触しそうになるのに気づいた。慌てて櫻井の手と背中を引き寄せる。
「あっぶね…」
―――いいこと?うまくすり抜けて踊るのよ。それでもしぶつかったら謝るの。
玲華の教えが頭に響く。
(はいはい…)
心の中で返事をして、再び櫻井と周りを見渡した。
「あの…いまのお話…」
なぜか赤い顔に戻りながらも、櫻井は先を聞きたがった。
「ああ…だからさ、おまえはおまえで玲華は玲華ってことだよ。もう比べんな」
何回も同じステップを繰り返していたら、だんだん慣れてきた。ホッと息を吐く。
「それと様と敬語はやめろよ。同い年だろ」
「でも」
「でもじゃねえ。ハナッから馴れ馴れしいヤツもムカつくけど、ずっと丁寧なのも変だろ。空しいだろ、そういうの」
端から馴れ馴れしいってとこで、自分のことを棚にあげてるって、ちょっと頭を霞めたけど無視することにした。
やっと櫻井に笑顔が戻る。
「やっぱり神崎さまは優しいです」
「あのな…」
聞いてたか?俺の話。
「西龍院さまが好きになるのがわかります」
「…………」
俺にはわからない。櫻井が言うその内容も、どういうつもりでそんなことを言ったのかも、わからなかった。
「空しいだけだって神崎さまがわたしに言ったとき……、神崎さまが空しくなるんだと思って……ああ、わたし失礼なことを言ったんだって思って、苦しくなってつい逃げたけど…。違うんですね。あのときの言葉は、お試しなんかで付き合うと、わたしが空しくなるっていう意味だったんですね」
勘違いしてたんだ、って今ごろ気づく。確かに俺が言った意味は後者だ。
櫻井は俺の幻想を追ってると思っていたから、幻想が真実と違う姿だったとき、本当の気持ちに気づいたとき、空しくなると思ったんだ。
「だからやっぱり神崎さまは優しかった。それが再確認できただけで、わたし充分です。今日を想い出にできます。ごめんなさい困らせて。もうワガママ言いませんから」
少しだけ目に涙を溜めて、口元には笑みを浮かべて櫻井は言った。しっかりと俺の目を見て。
女ってみんなこんなに強いのだろうか。
そう思っているうちに曲が終わった。櫻井は自分から俺の手を離し、ありがとうと言ってお辞儀した。俺は元いた位置に戻るべくその場を離れた。
やっぱり残るのは罪悪感だけだ。応えられないから、なにも言えない。
(玲華がいない)
辺りを見渡しても元いた場所にいなかった。それどころか、兄貴と世羅も見えない。
(どこいった?)
焦って探して回る。嫌な想像が勝手に頭を巡る。会場内にはいないことを確認すると俺は身をひるがえした。
そのとき前に女が三人立ちはだかった。突然で一瞬固まる。
一番右にいるやつはクラスメートだ、と俺の中のデータから呼び出される。確か澄川なんとかだ。残念ながら下まで名前は出てこない。
澄川が真ん中の子を指差しながら言った。
「神崎さま。この方と踊っていただけるかしら?」
真ん中の女は緊張しているのか俯いて険しい顔をしている。この状態を一気に理解できて、俺は顔をしかめた。面倒くさいことこの上ない。
「悪い。俺ちょっと…」
「櫻井さまとは踊ってらしたのに、不公平ですわよ!」
澄川が厳しく言い放ってきた。それに俺は苛立つ。
(んな暇ねえのに)
だいたい当の本人が何も言ってこない。左のやつも澄川に任せているのか、ついてきてるだけだった。
「この子はね、あの澤登さまのご令嬢なのよ」
どの?、と突っ込みそうになって俺はギリギリ黙った。雰囲気を大事にしろと言い続けた玲華の言葉が、思い止まらせているのだ。苛々がつのる。
「いや、俺はそういうのわかんないから」
「お待ちなさい。無礼は許しませんよ」
そのとき俺の中のなにかが切れた。
「うるせえんだよ!櫻井はちゃんと自分で言ってきたんだ!家の話なんか関係あるか!」
ビクリっと体を強張らせて立ち尽くす澄川を無視して、そこを通り抜けた。ちょっと遅れて後ろから声が届く。
「まあ!ヒドイ!澤登さま、あんな無礼な方相手にすることはないわ」
「そうですわね、サイテーですわ。ああ涙をお拭きになって……」
すぐにフロアを出たから最後までは聞こえなかった。構ってられるか。
櫻井の勇気には少なからず敬意を表していたんだ。そんな櫻井まで引き合いに出してきたから、許せなかった。
それより玲華だ。
気持ちを切り替える。一階の長々と続く同じような個室の扉側の廊下に出る。しかしまさか個室を開けてまわるわけにもいかなくて、外から聞き耳を立てながら判断するだけで精一杯だった。
静まりかえっている部屋がほとんどだ。なかには怪しげな…というか、夜を満喫する楽しげな男女の声が聞こえてしまって慌てて離れる。そして一番奥の部屋からは数人の会話が聞こえてきた。
「こんなパーティを勝手に開いたかと思えば、そんなことを考えていたのか」
ちょっとしわがれた大人の男性の声。
「しょうがないでしょう?玲華ちゃんが怪しんでるのよ。何度もうちに来たわ」
こちちらは世羅の母親の声だった。玲華の名前が出て、つい俺は立ち去るタイミングを逃した。
「もう遅いんだよ。噂は水面下で広がりつつある。あの刑事達がこそこそかぎまわっているからな」
また、別の声が聴こえる。先ほどよりはちょっと高めの男性の声だ。おそらく浅霧家の誰か。
俺は玲華について挨拶にまわらなかったことを後悔した。
「このままじゃまずいぞ。おい、世羅はどうした?」
世羅の義父の声もした。かなり余裕のない声音だ。
「帰したわ。勝手な行動ばかりするんですもの」
「確かにな、どこの馬の骨かもわからん男に唆されおって」
馬の骨…兄貴のことか。世羅の義父の台詞に、知らない間にムカムカしてきた。兄貴はそんなふうに言われなければならない人間じゃない。
「馬の骨、か。ここにもそういう出のやつがいたな」
「なんだと?義兄さん!それはどういう意味ですか!?」
「やめてあなた。揉めてる場合じゃないのよ。とにかくお父様にバレる前になんとかしないと…」
バレる?なんの話をしてるんだ?俺がさらに扉に耳をおしあてようとしたとき、カツカツという足音が聞こえた。
(誰かくる…)
本能で隠れないといけないと脳が命令するが、廊下には隠れられるような場所がない。焦って隣の部屋に飛び込んだ。静かな部屋だったそこは、やっぱり無人でホッと胸を撫で下ろす。
足音はこの部屋を通りすぎ、例の部屋で止まった。扉をノックする音が聞こえる。
「皆様そろそろお戻りになられた方がよろしいのではないかと」
「わかったわ柳田。そうね、主催側が揃っていないと不振に思われるわ」
誰も居なくなったことを確認して俺も部屋を出た。
やっぱり浅霧一家はなにかを隠している…もしくはなにかを企んでいる?噂ってなんだろう?
俺にはその内容は解明できなかったが、いまの人たちがなにかに危惧していることはわかった。
それから少なくとも今の大人たちには、兄貴は招かざる客だということも。そして世羅は独断で動いている。
(あー、頭がクラクラしてきた…)
考えても解決しないから、俺はとりあえず玲華探しを再開することにした。
「うわっ!」
廊下からロビーに出る角で、突然目の前に男が現れて俺はみっともなく声を上げた。
その相手はあらかじめ俺の来ることを予想してたみたいで、出会い頭にぶつかりかけたことはまったく動じず、上着を両手で整えただけだった。だけど顔には汗をダラダラかいてて、余裕がない。
「顔を貸せ…ではなく、話をさせろ…でもなく……話がしたいんだが、良いかな?神、崎、君!」
がっしり俺の肩を掴み、その男、綾小路が瞳孔を開いた顔のままひきつりまくった笑みを見せた。怖すぎる…。