第三章 ・・・ 1
初めて彼を見たのは入学式のときだった。
まだ教師でさえ全員は来ていない時間帯に、彼は隠れるように体育館の裏にあるベンチのところで寝ていた。朝陽に透けられ、際立った色素の薄い茶色い髪。閉じられた目には長い睫毛。すっと整った鼻に形のよい唇。
………あたしは一目見て思ったんだ。
(ナニコレ。新手の家ナキコ?)
とても朝早かったし、つい天気が良くて寝てしまったぜ…という感じではなく、ヨダレまで垂らして爆睡だったから。
着ている制服が新品で新入生だとわかる。左腕にはクロノグラフの時計がキラキラと反射していた。
あたしは新入生代表の挨拶があったし、理事であるお父様と一緒に来ていたから早く来なければいけなかったのだけど、他の生徒はまだ一時間以上は余裕があったはずだった。
そのときはそのまま立ち去り、式が終わってから教室に入ったら同じクラスだと知った。
―――神崎悠汰。彼は面倒くさそうに自己紹介でそう名乗った。
というか、悠汰はなにをするにもつまらなそうにしていて、気力がなく面倒くさそうだった。そして誰ともつるまない。なんかピリピリしてるところがあるから、周りの人も近寄り難いんだろうな、と思う。
いずれにせよ、あたしはどうこうする気はなかった。どこにでもいるじゃん。クラスに一人は、こういうウルフタイプ。
だけど放課後、教室に一人で音楽を聴いているところを見かけた。
(やっぱ変なヤツね。そんなにメンドイならさっさと帰ればイイのに)
最初感じた訝しさが浮上する。
担任の杉村先生も気になっているみたいで、学級委員の仕事を頼まれたついでにぼやいていた。
「神崎の気迫に怖がってる生徒がいるんだ。なんとかならないかな」
「大丈夫ですわ。こういうことは無理に動けば歪みが生じます。そのうち成るように成ります」
「そういうものかな…。先生はそのうち何か問題を起こしそうで用心してるんだが」
「そうでしょうか。わたくしには彼は迷える子羊に見えますわ」
なぜか絶句している先生に笑みを残して去った。無闇に関わるつもりはなかったから。こっちの方がメンドイわよーって気分。
先生も先生で、生徒に別の生徒のことを愚痴るのはどうかと思った。まだまだ若いのね。
気になりだしたのは、テニスのとき。初めて悠汰の本気を見た。絶対にあれはそうだ、と思う。
フォームもめちゃくちゃで動きに無駄も多かったけど……目が違った。なにより足が速い。どこにボールを落とされても追いついた。
喜多川くんは気迫にのまれてミスが増えた。ただそれだけ。
技術で負かしたわけじゃなかった。でもそれはある意味テクニックよりも凄い才能。誰もが持てる能力じゃない。
なのに…周りの声援に悠汰が気づいた途端、彼は失速した。
どうして? もったいない!勝てたのに!
そう思ったら止まらなかった。その日の放課後、教室に駆け込んだ。………駆け込む気持ちで、本当は優雅に教室に入ったんだけどね。
最初になんだ?コイツって目で見られて、内心驚いた。それから初めてちゃんと(起きてる悠汰と)対峙したんだわってことを思い出す。
「神崎さま」
思いっきり愛想よく声をかけてみた。すると悠汰はぶっきらぼうに「なんだよ」と一言だけ答えた。真っ直ぐ、睨んだと言っても過言でないほどに見返された。
正直、猫をかぶったあたしにこんな目をするやつはいなかった。だから驚いた。
だいたいはトロンとした危ない目か、真っ赤になって逸らされるかだから。
その後の態度も悪くて、あたしのなかで、神崎悠汰はナニコレ?からおもしろいヤツに変わったんだ。
神崎さまと呼ぶ度にイヤぁーな顔を見せるくせに、なにも否定してこない。(これは後から、いちいち否定すんのが疲れてたっつってたけど)
教室で寝ているところを見かけて、iPodにイタズラしてやったのに気づかない。(二十日もよ?信じらんないわ!)
……っていう、打っても響かない加減もまた良かった。調子に乗ってるわけじゃないけど、本当に押しの強いヤツには嫌気がさしてたから。(某綾小路とかサイアクー)
それから、話しかければ話しかけるほど、悠汰が時折みせる寂しそうな顔が気になっていた。わざわざ馴染んでない学校に、遅くまで一人でいるのも不思議で…。
そして気づいた。悠汰はウルフタイプじゃなくて、ただ他人に無頓着だってことを。
だって彼が周りに目を向け始めると、だんだん空気が丸くなったせいか、友達もできたみたいだし。
…だけどあたしの部室に招待するきっかけが、梶さんの死だなんて皮肉すぎる。最近世羅は勝手に一人でなんかしてるし、悠汰は悠汰でまた一人で抱え込んでいるし。ちょっと寂しい。
「玲華さま見ていただけました?ぼくの華麗なるスリーポイントシュート」
(あーヒデがいたわね)
でもなぁヒデなぁ…とか考えながらも、ビシッとあたしは言い放った。
「うるさいわね、今日から三日はあんたは敵よ!わざわざ関係ないクラスの試合なんて見てられないわ」
「そんなぁ…」
そう、とうとう球技大会本番になった。悠汰がいないのはイタいけど勝つしかない。最初っからあたしのデータは完璧だったから、メンバー入れ替えする気は毛頭なかった。まー、一応練習風景見てまわったけど、結局はこれでバッチリじゃん、っていう最終確認になっただけだったし。
それなのに悠汰がいないから、ちょっとメンバーを調整するハメになってしまった。
「玲華、玲華」
総本部席にいる父親が声をかけてくる。あーもう、忙しいのに。
お父様は自分がやるわけでもないのに、某有名なメーカーのポロシャツにジャージという出で立ちだ。
「聞いたよ昨日のこと。綾小路君を全校生徒の前でひっぱたいたそうだね」
どこに全校生徒がいたのか説明してもらいたい。ちょっと脚色して伝わってるようだ。
「あら嫌ですわお父様。噂話する殿方は嫌われますわよ」
お父様がいるテントは他にもPTAの父兄がいるから、猫をかぶることに決めた。
生徒の前ではあれをきっかけに地でいくことにした。もう隠す必要はない。綾小路亨の件はこれからグチグチ言われるかもしれないが…。
(…んなことよりホントは、悠汰を落とすまでは本性隠していようと思ってたのになぁー。あーあ)
でも悠汰は地のあたしを見ても態度が変わらなかった。他人では唯一の人だ。
やっぱしあたしの目は確かだわ。
「なんてこと言うんだい?玲華ぁー噂じゃなくて報告があったんだよー」
「わたくし学級委員などで忙しいので失礼いたしますわ」
嘆く父を無視して離れる。構ってらんないわよー。冷蔵庫がかかってるんだから。
冷蔵庫をあの部屋に入れたら、もっと悠汰も来てくれるかもしれないし。
そのためには全種目の敵の動向をチェックだわ。
今のところなかなか好調な滑り出しだ。ただ、女子はともかく男子は三年生相手になると、少しビビっているフシがある。 気合い入れにいかないと!
あたしはそんなわけで頭に叩き込んだスケジュールで綿密に校庭と体育館を往復していた。
「玲華」
なのに、またあたしを呼ぶ声がする。他の生徒が誰もいない渡り廊下だった。もー誰よっ!と声の主を睨むように振り向くと、なんと綾小路が突っ立っていた。
ゲッと思い、文句を言おうとしたけど…やめた。綾小路があまりにいつもと感じが違っていたから。
どこか申し訳なさそうに、眉尻を下げて俯いている。いつもの自信たっぷりの彼はそこにはいなかった。
それはいいんだけど、名前を呼ばれてから次の言葉がなにも出てこない。
最初はあたしもちゃんと聞かなきゃって気持ちで待ってたのに、何秒いや、何分待っても出てこない。
「ちょっとあたし忙しいんだけどぉ」
さすがに苛立ちを覚えて急かす。すると弾かれたように綾小路は顔を上げて……また俯いた。
もう逃げてやろうかしら、と考えたときに、やっと綾小路は口を開いた。
「あ…僕は…そ、その……君のことが本当に好きで、そうなると周りが見えなくなって……」
モゴモゴしてる!あの綾小路亨がモゴモゴしてどもってる!
それはあたしには衝撃的なことだった。子供のころから綾小路を知っているけど、いつも鼻につく感じでナルシストだし…とにかくこんなになにを言ってるかわかんないような態度は初めてだったのだ。
「その……すまなかったと思ってる…」
プライドの高い綾小路にとっては充分すぎる謝罪だと思った。
だからあたしは言ってやった。
「いーわよ、もう。あなたがあたしにしたことは許します。でも悠汰にしたことは悠汰に謝ってね」
「待ってくれ。僕が玲華に謝らなければならないことってなんだい?」
「は?」
一瞬あたしたちの間にすきま風が吹いた気がした。
見直したと思ったらこれかー!じゃあなんで謝ったのよ?と、あたしは眉を寄せながら叫んだ。
「したじゃない!部室で!押し倒そうとしたじゃない!他にもイロイロ」
「だって僕は大好きな君に精一杯の想いを伝えただけだ」
「ちょっと開き直る気?」
「だって本当にそうなんだよ」
なにがだってよ! あたしは相変わらず噛み合わない相手に頭を抱えた。先ほど思った言葉をそのまま聴く。
「じゃあなんで謝ったのよ?」
「あれは…君が怒っていたから……僕もやり過ぎたと反省して」
再び綾小路の肩が落ちる。
まったくそれはもういいわよ。いや、聴いたのあたしだけどさ。
「じゃあそれは悠汰に謝ってくださいね」
「玲華はあいつっ…!神崎悠汰のことが好きなのかっ?」
焦りながら綾小路が詰めよってくる。ちょっとちょっと、とあたしは後退った。これじゃ何も変わってないじゃない。
「えーとつまり、綾小路…さま…は、まだあたしのこと好きなワケ?」
「僕は君が本当は口が乱暴でも!たとえば実は庶民の出でも、たとえ犯罪者でもたとえ男でも、好きっ…」
「ダマれ」
どんどん寄ってきたのと、聞き捨てならない台詞に、綾小路のスネを蹴っ飛ばした。
「いっっ…!」
喉をつまらせて、涙目で綾小路は苦しんでいたけど、急所じゃないだけ感謝してほしいもんだわ。
あたしは腕を組んでため息をついた。
「まったく全然わかってないようだから言うけど、あたし、あなたのそういう見境ないところキライよ」
「そんな…」
綾小路は秀和のように垂れた目をした。でも秀和より可愛くなかった。キャラにないのよ。
「では見境があればいいのかい?」
「あんたさ、じゃあたとえばで訊くけど、あたしが悠汰のこと好きって言ったら諦めるの?」
「諦めない」
綾小路の目がマジになった。鼻の下を伸ばしたような腑抜けの顔でも、ふっとキメたナルシストの顔でもなく、真剣と書いてマジというような顔だった。
その表情と言葉の内容に、少し驚く。
「もう諦められないよ。僕には昔から玲華だけだったんだから」
なんだ、こんな顔もできんじゃない。でもそれはね、恋じゃなくてただの思い込みなのよ。あたしもあんたも何も分からない子供のときに、周りの大人に面白がられて囃し立てられただけ。あたしはそんなので人を好きにはならないし、嫌いにもならない。他人に影響はされない。あたしの気持ちはあたしが決めていく。
だからあなたも早く気づいてね。自分の望みに、気持ちに。
………あたしはそう想っていた。最後の想いは、綾小路はもちろん、もうひとり――ここにはいない男にも、向けられたものだった。
* * *
球技大会はリーグ戦のものとトーナメント戦のものがある。あたしが二日目に一番応援を外せなかったバスケットボールはリーグ戦だった。男子は昨日終わってるから、今日は女子バスケ。
そう世羅が出場していた。いつもなら安心して見れるのに、今回はどこか心が騒ぐ。
いつもの世羅ならしないミスを、今日は多発させていたのだ。それはささやかな小さなミス。失点に繋がるようなものではないけど。
(やっぱり体が硬いわ。あ、いまのちょっとファールくさい)
審判からは死角になってたけど、世羅がボールを相手から奪うとき、軽く接触したようにあたしには見えた…。
* * *
「ハラハラしたわ」
なんとかあたしたちのクラスが勝利を収めたけれど、我慢ができなくなったあたしは、まずそのことを世羅に告げた。
「私はいつも通りにやったつもりだが?」
タオルで汗を拭き取りながら、世羅は答えた。シャワー室に向かっているところだ。表面上はいつも通りよね、確かに。
「全然集中してなかったじゃない」
「勝てたから問題ないだろう」
「そう?ホントに?」
「らしくないな。なにが言いたい?」
どっちがらしくないのよ。やっぱりいつもと違う。いつもの世羅ならこんなところで苛立ったりしない。
あたしはいい加減うんざりしていた。
「気が散る気持ちも分かるけど、ほどほどにしてよね。迷惑だから」
「なんの迷惑がかかってるって?玲華に」
「とりあえずは精神的に。あたしが変な気の遣われ方するの、嫌いって知ってるでしょう!」
悠汰がまえに言ったことが本当なら、世羅はあたしに気を遣ってる。だからなにも言わないんだ。確かにそうだ。というか、それ以外考えられない。
「相変わらずたいした自信家だな。私が玲華を気遣ってるとどうしてそう思えるんだ?」
「………何年の付き合いだと思ってんのよ」
「十年以上だな。……だからこそ、玲華はもういいんじゃないか?」
一瞬、世羅の言いたいことがわからなくなって、あたしは次の言葉を失った。もう、いい?
「もう、私にばかり気にかけなくていい、ということだ。おまえは神崎悠汰とでも普通の高校生活を楽しめばいい」
「なんでそこに悠汰が出てくんのよ!あたしと世羅の話をしてるんじゃない!」
頭にきた。
あまりに世羅がはぐらかすから。
(普通の高校生活って…!)
だったら世羅は普通の高校生活が送れてないとでも言うの?それであたしをそちら側に連れ込まないように、なにも話さないと言うの?そんなの酷すぎる。他人行儀だ。
「あんたっていっつもそうね。そんなことされてあたしが感謝するとでも思ってんなら、勘違いもハナハダしいわ!あたしをカヤの外にするんなら絶対に許さないから!」
「仕方ないね」
あたしが啖呵を切っても世羅は態度を変えなかった。そのすらりと伸びた長身を背筋を伸ばしたまま、あたしから距離をとりシャワールームに入っていった。
(やっぱり、おかしい…)
悠汰が戸惑いながら話してくれた教室での一件。あのときも感じた。
いくらトラウマがあると言っても、常に冷静な世羅ならあの程度であんなにあからさまな態度にはでないことは知ってる。見たわけではないから、想像の域はでないけれど、今の世羅は明らかに心を乱されているんだ。ポーカーフェイスが出来なくなるほどに…。
あたしは感情をぶつけた側だったはずなのに、まったく胸のつかえがとれなかった。世羅の本気が伝わって、ただ哀しいだけだった。
* * *
「あ、いたいた。玲華さまあー」
校庭のベンチに座って目の前のクリケットを観戦していると、サッカーを終わらせたばかりの萩原拓真が走ってきた。
すごく真っ直ぐなやつで、あの悠汰でさえ気を許した男だ。今日も爽やかに手を振ってる。
吹奏楽部だし、あたしのデータではそんなに運動神経がいい方ではないけど、ムードメーカーになると思って団体競技を選んだ。順応性も高くて、悠汰のだけじゃなく、あたしの本性にももう慣れたみたいだった。初めのころに感じた崇拝する念がない。
「お疲れ。なかなか良いプレーだったわよ」
「でもボクは一点も入れてないよ」
「ちゃんと見てたわ。いちばん良いパス出してたのは間違いなく萩原くんよ。他の人はダメね。自分が自分が、だもん」
「ふふ、手厳しいね。でもありがとう。玲華さまのラクロスは勝ったの?」
「当たり前でしょ。明日決勝に出るわ」
「さすがっ」
「それよりなにかあたしのこと、探してたみたいだったけど?」
「ああそうだ」
萩原くんがパンと手を打って、思い出したみたいだった。古典的な動作だ。
「玲華さまと話したいっていう人がいるんだ。あそこにいる人」
萩原くんの指差す方を見たら、ゆっくりとした足取りで歩いてくる男性がいた。長めの髪をひとつに束ねてだらしない格好をしている。でも端正な顔立ちで勿体無かった。キチンとしたら絶対イケメンだわ。
その人には見覚えがあった。
(あ、悠汰と一緒にいた)
苦しんでいた悠汰を献身的に支えていた人だ。
彼が気を失った悠汰を保健室まで運んだ。謹慎処分を受けると親を呼ぶことになってるけれど、自分が親代わりだと言い張って、連れて帰ったと後から校長に聞いた。
(そんな人があたしに用事?)
訝しく思いながら、その男が近づいてくるのをじっと見ていた。
「はじめまして。って言っても顔は合わせたよな。オレは久保田修次」
見つめられてるのにまったく動じず、男はそう名乗って名刺を出してきた。歳上にきっちり挨拶されたから、仕方なくあたしも立ち上がる。相手がこういう態度に出ることが予想つかなくて、対応が遅れたことをやや悔やんだ。本来ならば先手を打つべきだったのに。丁寧に両手で名刺を受けとると、そこには久保田探偵事務所、所長という文字が刻まれていた。
探偵が悠汰の親代わり?なんだか納得がいかない。
一瞬迷ったあと、地でいくことに決めた。どうせ彼にもあのとき聞かれてる。
「それで、その探偵さんがどういう用?くだらない用事なら、あたしいま構ってられないからあとにして」
「なるほど、なかなか活発なお嬢さんだ」
手を腰にあてて先制したら、久保田探偵は薄く笑ってかわした。
「いま君とオレが話をするとしたら、その内容はただひとつだと思うが」
ただひとつ…。
そう、それは悠汰の話だ。あたしが言ったくだらない用事というのは、それ以外のことに該当する。
わかってる。わかっているけど言い方が癪に障った。どこか上から目線だから。まぁ確かに歳上なんだけどさ。
「わかりました。じゃーまあ、とりあえず座りましょ」
あたしの隣のベンチを促す。
少し離れたベンチに、萩原くんがそわそわしながら座ったのが見えた。離れすぎず邪魔にならない距離。察してるんだと思う。それから彼もやっぱり心配してるんだ。悠汰を。
久保田探偵はベンチに座るや否や態度悪く足を組んだ。悔しいけど脚が長い。
「悠汰は元気?」
挨拶代わりにあたしはさらりと訊いた。一緒に帰ってたから、ホントに何気なく訊いただけだったのに、久保田探偵は眉をひそめた。
「さあな。多分元気じゃないだろう」
「なにそれ。親代わりなんでしょ」
「聞いたのか。あれは仕方なくああ言っただけだ。悠汰のためを思ってな」
「どういうこと?」
「今日は簡単に入れんだな…一昨年もこれくらいスムーズに入れればこんなことには…」
あたしの質問を無視して、探偵はどこか遠くを見ながら物思いに耽っていた。 ちょっといい度胸じゃないの。
「普段は不審者が入らないように万全の体制でいるのよ、あなたみたいな?」
「オレは不審者じゃない」
ちょっと明るめに切り返したつもりだったのに、久保田探偵は真面目に否定した。冗談だったのになーもう。
しかもなかなか本題出さないし。
仕方がないから、別のところからあたしは攻めてみた。
「それで?あなたはなにをそんなにヘコんでいるの?」
なのに、オレのどこが?っていう顔をされた。自覚なしかー。無理に高みを目指して、越えられなかった人みたいに見えるんだけどな。それもきっと一昨年のことで。
「ヘコんでるといえば悠汰だ。……彼は君や浅霧世羅に言われて二度、動いた」
いきなりきた。これが本題なんだって、久保田探偵の顔を見て分かった。本人は自然に話の流れに乗ったつもりみたいだけど、気まずそうな表情だったから。きっと言いにくいんだ。
「動いたって…事件のことね?」
「察しがいいな」
「あたしと世羅のことで悠汰が絡むといえばそれしかないわ」
あたしがそう言うと探偵は頷いた。そして、自分が悠汰のボディーガードをしていることと、その二回のことを事細かに話してくれた。
話を聞いている間、あたしはずっとクリケットの方に目を向けていた。小さく綾小路が見える。相変わらず派手なプレーだ。だけどあたしの視覚まででそれは止まっていて、記憶までにはこない。記録はされない。
だって、久保田探偵の話が…あまりに……。
(あまりにもムカつくから)
「だから悠汰は、君たちが期待すると無理をしてしまうんだ。頼むから悠汰を唆すようなことを言うのはやめてくれないか」
「ソソノカすってねー…」
あたしは髪をかき上げながらため息を吐く。なんだって大人はこういうことしか言わないんだろう。いくら子供のことが心配だからって、なにも聞かずに個人同士のことに口出されるのは腹立たしい。大人にも大人の都合があるってのもわかるけど。
「悠汰本人から言われるならともかく、あなたに言われてハイ分かりました、って答えるわけにはいかないわね」
「君は悠汰がこのまま過換気症候群で苦しみ続けても構わないと言うんだな」
わざとそんな、責めるような言い方を選んで言わなくてもいいのに。
あたしの心はその術中にはまって揺れた。だけど、それは違うと本能が告げる。
「わかってるくせに…とてもキタナイ言い方をするのね」
「なんだ?」
「そういうのって過度な不安とかからなるんでしょう。過呼吸になったそもそもの問題を解決しないと、なにも終わらないわ。それにあなた肝心なことを話してくれてない。その大元の問題、悠汰の心の闇よ」
「それは………」
あたしの主張に、久保田探偵は組んでた脚をおろして前屈みになった。両腕を腿におき、項垂れたように見えた。
「まー普段の悠汰を見てれば分かるわ。っていうか、いま分かった。家庭の問題ね、違う?」
入学式の早すぎる登校。いまから思えば、家で眠れず仕方なく早目にでたところ、つい爆睡したように考えられる。それから、馴染めてないときから、なかなか帰りたがらなかった悠汰。学校だって実は一日も休んでない。どんなに辛くても。
今日だって……昨日だって本当は、謹慎になんてならなければ、今ごろここにいるんだろう。リンチされた次の日でも。
「だったらいま、悠汰が元気じゃないだろうっていうのもわかるしね」
「嫌な言い方してるのはどっちなんだか。……悠汰が逃げ切れない気持ちが少しわかった気がする。君は鋭い」
「大人が子供になに言ってんのよ。それくらいかわしなさいよ」
あまりにあっさり泣き言を言うもんだから、ついあたしは顔をしかめた。だんだん歳上に見えなくなってくる。てゆーか、コイツは愚痴を言いにきたのかしら?だったら相手にしてられない。
「確かに…悠汰は両親のしがらみから抜け出せずにいる。オレは悠汰の母親に依頼されたから、悠汰の依頼は受けられないし、そっち方面では助けてもやれない」
悠汰の依頼。事件解決――。
あたしたちのために。
(違う、あたしたちの期待に応えるため、か)
そして自分が乗り越えるため。
「オレは悠汰が一番嫌がることをした。暴行された日に母親に告げ口したんだ。あのあとから、悠汰はまったく家から出ていない。だからオレは今ここに来れたんだけど…」
聞いているとだんだん独り言を言ってるのかと思いだした。まったく男ってこういうところ情けない。
「ちょっと懺悔なら他でやってよね。あたしはマリア様でなければシスターでもないわ」
「君がシスターか。向いてるかもな」
「こんな口の悪いシスターがどこにいるのよ…って、そういうことを言いたいんじゃないわ。話の腰を折らないで」
ピシッと人差し指を突きつけて、言ってるうちに、はたとあたしはひとつの疑問が生まれた。
「ところで、じゃああたしがあなたに依頼したらどうなるの?」
「なにを?」
「事件解決よ!もちろん悠汰のボディーガードは最優先で良いけど」
あたしだって本気だ。世羅の言う通りにはならない。あたしの行動だってあたしで決める。
「なにを言ってるんだ。断るに決まってるだろう。オレは悠汰にこの件から手を引かせたいんだ。オレが関われば必然的にあいつも…」
「ふーん。なんだかんだ言って犯人みつける自信がないんでしょ」
「どうとでも。オレはそんなに単純じゃない」
(うーんダメか)
挑発には乗らないみたいだ。
「じゃあ悠汰を守る自信がないんだ」
これならどうだ、と言い換えたら、久保田探偵は虚をつかれたような顔になった。うーん、こっちだったか。
「とにかく、悠汰にはこの事件から手を引かす。警察ももう別のところに向いてるようだからな」
「だからそれはあたしが彼に聞きます。悠汰がそう言うなら初めからそうしてたし」
「駄目なんだよ。君に言われたら悠汰は断れない、きっと!」
久保田探偵は諦め悪く声を荒げ立てた。ついあたしもつられて周りの目を気にせず叫ぶ。
「それは悠汰が頑張りたいって思ってるからでしょ!」
「壊れたらどうするんだ!責任なんてとれないだろう!」
どうやら探偵の心配は奥が深いようだった。多分守る自信がないのは、身体の方じゃなく心のことなんだ、ってわかった。
でもあたしだって逃げられないんだよね。
お互い責任を感じるのはやめようとあの日言った。あたしから言った。なんて浅墓だったんだろうっていまなら少し思える。頑張りすぎた結果なんだ、あれは。
(でもそんなんで気を遣われるのはイヤだったんだ。あたしがイヤだから)
「あたしが壊させない」
気づいたら先に口が動いていた。全然構わない。本心だから。
「あなたに出来ないことがあたしには出来る。どうしても止めたいんなら、力ずくでなんとかしなさいよ。そのときはあたしもあらゆる手を使って成し遂げるから」
探偵の顔が複雑に歪んだ。やや沈黙があいて長いため息を吐き出す。
「この学園は高貴な出のヤツらが多いと聞いたが……悠汰といい生意気なヤツばっかりだな」
「そんなことないわ。あなたの後ろにいる彼なんてとっても素直よ。あなたも見習うべきね」
探偵が振り返って萩原くんを見た。萩原くんは心配そうな顔をしていたのが、突然話を振られて慌てていた。なんでもない、というふうにあたしは小さく手を振りながら言う。
「悠汰はいつまでも一人じゃないわよ」
あたしがそう付け足しても、探偵はすっきりしてない顔で懐から煙草を出した。中から一本だけつまんで取り出したけど、指で挟んだままでいる。
「いままでだって、別に悠汰に友達がいなかったわけじゃない。君が思ってるより、アイツの闇は深いんだ」
落ち着きなく煙草をもてあそぶ。その手元をなんとなく見ながらあたしは聞いていた。
「逃げるな、って言っちまったけど、そんなことじゃなかったんだ。逃げられないことで苦しんでるんだ。アイツは」
探偵が口元に煙草を持っていく。ライターを取り出し、ちょうど火をつけようとしたところであたしは言った。
「学園内はすべて禁煙よ」
久保田探偵が慌てて少しむせた。気まずそうに箱に戻すところを横目で見ながらあたしは立ち上がった。
「どうやら平行線のようね。これ以上話しても時間のムダだわ。こんなところで愚痴る暇があったら、他の手を考えることね」
「ちょっと待て!」
離れようとするあたしの腕を久保田探偵が掴む。ものすごい力だ。それだけ必死ってことね。
(でもあたしだって引けない)
あたしはわざと振り払わずに、痛くなる腕を耐えて久保田探偵と対峙して睨みあげる。
相手の身長が高くて見下ろされるけど、不利には感じなかった。だって彼の目がすでに弱い。綺麗な造形の顔が歪んで、余裕もなくて負けている。
「痛いわよ」
あたしが冷静にそう言うと、探偵はあっ、と呟いて力を緩めた。だけど離さない。
「なにを…するつもりなんだ?おまえ、悠汰になにをさせるつもりだ?どうせ素人が犯人探ししたって出来ることなんて限られてんだよ!中途半端に関わって、さらに状況が悪化したらどうする!悠汰だって、浅霧世羅のことだってそうだ」
饒舌になるにつれて、腕がキリキリと痛み出した。無意識に力がこもってるんだ。
だけどそれよりも、探偵が世羅の名前を出したことで、そんなことは気にならなくなった。
「世羅がなに?」
あたしの声は小さなもので風に乗って散った。自分で口について出たことも気づかないものだったから。
どうして探偵が世羅の名前を出すの?いまこのタイミングで!あたしが動くと世羅になにか起こるとでもいうの?それも悪い方向に?
……探偵はなにか知っている。事件のことを。調査しないなんていって、実は調べているのかもしれない。
「おまえ自身後悔することになるぞ!それでもいいのか?」
「やめてください!もう離して!」
悲鳴に近い萩原くんの声であたしと探偵は我に返った。いつの間にか萩原くんはあたしたちのところまで近づいて来ていた。
(痛っ!)
今ごろ腕の痛みが襲ってきて、あたしはようやく気づく。探偵の爪が皮膚にまで食い込んでいて裂けていた。少し血が滲んでる。
探偵がすまないと謝って手を離した。その手をあたしが掴む。
「聞き捨てならないわね。いまのどういうこと?」
「………平行線なんだろ?話す義理はない」
探偵はあたしの手をいとも簡単に振り払って、もと来た方向へ歩いて行った。
「さんざん愚痴っといて最後がそれ?ずいぶん無責任ね!」
あたしの叫びは捨て台詞みたいにむなしく探偵の背中に響いた。今日はこんなんばっかりだわ!ちくしょう!
「玲華さま。消毒しないと…」
あたしの怒りのオーラが伝わったのか、恐る恐る萩原くんが言ってくる。
「ちょっと」
それを無視して萩原くんに声をかける。
「な、なに?」
「どう思った?あの男の話」
「ボクたちが知らないなにかで恐れている…と思う」
萩原くんは探偵が去った方向を見て言ったから、ちょうどあたしにはその顔が見えなかったけど、もうあたしに怯えた声じゃなかった。ただなんの混ざり気もない、素直な悲しげな声音だった。
「やっぱりそうよね。同感だわ」
それがなにか…あたしは知らなければならない。なんの疑問もなくあたしはそう思った。それは必ず悠汰に繋がる。そしてこの事件にも………。
* * *
「えっ?」
素っ頓狂な声ってこういう声か、ってあとから思うような声があたしから出た。
なぜあとからかって言うと、やっぱりそんな声を出すようなときって、他のことを考える余裕がないからで…。
「パーティするって?世羅ん家が?」
あたしはその夜、執事の葛城さんから受け取った手紙を、お父様からさらに受け取った。
「ああ。月曜日の夜だそうだ。今回はパパ行けないんだけど、玲華はもちろん行くよね?」
ニコニコ笑ってお父様が内容を告げる。確かに招待状と書かれたその白い手紙の内容と相違ない。リビングのソファで、1日の疲れを取ろうとくつろいでいたのに、またドッと疲労感が増した気がした。
「なに考えてんのよ?あのおば様は!」
「あの奥方はパーティが大好きだからね。一応慎んでたみたいだけど、まあ血の繋がりのある身内じゃないから不謹慎とも言えないよ」
お父様は梶さんの話をしているのだと分かった。
そう、浅霧家はもともとパーティをよく開く家だ。世羅の母親がパーティ好きなのだ。だけど梶さんのことがあって、ずっと自粛していた。
でもあたしが言ったのはそういう意味だけじゃない。梶さんが亡くなってから、あたしがいくら訪問しても一切家に上げなかった。誰にも会わせてもらえず、ゴタゴタしてるという理由で追い出されてきたのだ。あんなことは初めてだった。いつ行っても親戚のように、いや、それ以上に親しみを持って接してくれていたのに。
それほど閉ざしていたのに、ここへ来ていきなりのパーティだから驚いたのだ。
なにかの罠か、それともたんにおば様が我慢の限界を感じたのか…とぶつぶつ考えてると、お父様が「あれ?行かないのかい?」と言ってきた。
「もちろん行くわよ」
浅霧一家の様子を窺えるチャンスをみすみす逃す手はない。
「あ、ねえ。お友達も連れて行きたいんだけどいいわよね?」
いいかな?ではなく、いいに決まってるわよね、という含みを持たせて訊いた。
「オープンなパーティみたいだから良いだろうけど…誰だい玲華?まさか男じゃないだろうね?」
お父様の顔色からサーって血の気が引いていた。まー、予想通りの反応だ。
「男じゃいけないの?エスコートさせてやるのよ」
「エスコートなら綾小路君がいるじゃないか」
不気味な名前を聞いてあたしの方が、ざわりと全身を総毛立たせた。まだ固執してんのか。
「なによ!お父様は娘に幸せになってもらいたくないの?」
「もちろん玲華の幸せは願ってるよっ!だから綾小路君は完璧な男じゃないか」
「どこがよ!性格に難有りよ。じゃなきゃ今回暴力事件なんて起きてないわ」
「玲華…まさか………」
はたとお父様の動きが止まる。何かに感づいた顔をした。
「君が連れていきたい男って」
さすがにこの流れで気づいたか。あたしはあーあ…と思って髪をかき上げた。名前は出さないようにしてたのに。
「別に良いじゃない誰でも」
「良くないよ!神崎君っていう子だね。報告は受けてるけど問題ある子だそうじゃないか」
「報告って校長からでしょ!あのコーチョーがなにを見抜いてるっていうのよ!今回もバカな判決言い渡しやがって…」
「玲華!言葉づかいに気をつけなさい!とにかくパパは反対だからね」
お父様は激昂していた。普段穏和で甘い父だけに、久しぶりにみた怒りで、ちょっとたじろぐ。
「あら?いいじゃないの。ママも見てみたいわその子」
突然ソプラノの高い声が響き渡った。
お母様が愛猫のシルバー(♀、アメリカンショートヘアー)を胸に抱いてリビングに現れたのだ。いつもなら、面倒くさい展開になりそうだと敬遠するところだが、今日は違った。思わぬ味方が現れた、というところだ。
「ママ!玲華が危険な子と付き合っても良いというのかい?」
「玲華ちゃんはそんなおバカじゃないわ。ママは玲華ちゃんの選んだ人が見たいの」
この母親もあたしに甘い。しかも自分も良家出身のせいかどこか暢気でマイペースだった。この母親と情けない父親のもとで、しっかりしなきゃ!って物心ついた頃には思っていたのよね。
…ってゆーか、まだ友達としか言ってないんだけど。早とちりはお母様の特技だったりする。
「ママ!神崎君というのは一般家庭の子だよ。パーティなんてマナーも知らないよ」
慌てながら言ったお父様の言葉に、あたしとお母様がピクリと反応した。
「信じらんない!お父様は家で判断するようなオトコだったのね!」
「パパ!ひどいわっ!お義父様の事業を継がないで学校やりたいっていう夢を語ったときは尊敬したのに!もうあの頃の気持ちとは変わってしまったんだわ」
「これじゃあ校長と変わんないじゃない!さいてー」
「玲華ちゃん!ママが許すわ。連れてきなさい神崎くん。吉野さんの見立てで立派な紳士にしてあげます」
「わぁーい!ママ大好き!」
あたしたちの怒涛のごとく浴びせた責め言葉を、口を挟む暇なくお父様は聞いていた。目が点になって、徐々に青い顔になっていく。
ちなみに吉野さんとはお母様専属のスタイリストだ。こういうパーティなどのときに駆り出されている。そしてあたしは普段お父様、お母様と呼んでいるのだが、おねだりするときだけパパとママになる。どうでもいいけど。
お母様と勝手に完結して二人でリビングを出ていくと、とうとうお父様は声を張り上げた。
「誤解だよ!パパは玲華のことを心配しただけなんだああぁぁぁ!」
お父様の悲痛の叫びはあたしたちの心には届かず、葛城さんの慰める声を最後に耳にした。
* * *
それからお母様と吉野さんと打ち合わせして、夜は更けていった。 自室にひとりになり、あたしはパソコンを開ける。寝る前にはいつもネットサーフィンなどをして楽しんでいた。
でも今日は目的がある。あたしは昼間もらった名刺を取り出した。ある情報は久保田探偵の住所と電話番号とメールアドレス。
でもあたしの欲しい情報はこんなんじゃない。久保田探偵の情報ではなく、彼が持っている情報だ。
(ホントは気がすすまないんだけど…)
* * *
球技大会三日目は円滑に終わっていった。
結果は…三年二組のクラスが優勝した。一年生全体では一番を取れたものの総合では三位。
「現実はこんなもんよねー」
三年二組には文武両道の生徒会長がいる。表彰台の上にはその生徒会長が理事長、つまりお父様からトロフィーを受け取っていた。
「まあまあ、充分凄いよ三位でも」
あたしの隣で朗らかに萩原くんが笑った。あーちくしょう。悔やんでるあたしがバカみたいじゃんか。
「冷蔵庫…」
「え?なに?」
「なんでもないわよぅ」
まぁいいわ。あたしは気持ちを切り替えることにした。綾小路のクラスには勝てたし。
(いまは明日のことだけ考えよう)
悠汰のメールアドレスはひょんなところから手に入れることが出来た。というか、久保田探偵の情報を盗んだのだけど。さすがに探偵のデータは鉄壁で、本来欲しかった情報は手に入らなかった。探偵が怯えているもの。
(だけど………あれは………)
「玲華さま。MVPに選ばれましたよ!」
あたしの思考をぶち壊すようなテンションの高さで、萩原くんがあたしの腕を振って揺らした。
ん?って周りに視界を広げると、確かにあたしの周りにいたクラスメートも、はしゃいで拍手を送っていてくれたりしている。
まったく放送を聞いてなかったあたしは、つかの間呆然としていた。MVPが男子と女子、1人ずつ選ばれるのは知ってたけど、ふいをつかれたわ。
すぐに姿勢をただしてケンカしたままのお父様の前に行く。
「おめでとう玲華」
「ありがとうございます」
一応口ではお礼を言いながら目ではお父様に釘を刺していた。
(んな笑顔には騙されないわよ)
すぐに壇上から下りたから、お父様の顔は確認してないけど、多分青ざめてんだろうな、って思った。
壇上を下りるとき、綾小路が手を振ってるのが見えた。口元がおめでとうって言ってる。あたしは人前だというのに、ついため息をついた。
* * *
悠汰にメールしてみたけど、返信が返ってこない。 筆不精なのか読んでないのかわからない。いや、メール不精か…。
お父様は最後まで反対していた。あたしとお母様がタッグを組んで勝てるはずないのに…。
「着きましたよ玲華さま」
運転手の眞鍋さんとあたしは悠汰の家に来ていた。
眞鍋さんが先に降りてドアを開けてくれる。 眞鍋さんは同じ職業ということもあってか、梶さんと仲が良かった。だけど決してあたしたちには悲しみを見せない。できた人だと思うけど、なんか寂しい。
「ありがとう。眞鍋さん」
きっと立場をわきまえて自由な行動が出来ないんだ。だからあたしが変わりに動くから。あたしは改めて決意を固めた。
(この事件はこのままにしておかない)
悠汰の家のチャイムを鳴らす。なぜか心が早鐘のように鳴った。そんなに会わなかったわけではないのに、すごくドキドキする。
「どちら様ですか?」
対応してくれた声は女性のもので無機質に聞こえた。
―――長年の勘が告げる。この相手には猫を被った方が良いと。
「わたくし悠汰さまのクラスメートで西龍院玲華と申します。悠汰さまいらっしゃいますか?」
その勘を頭で考えるよりはやく、あたしの口は動いていた。
「悠汰さんは誰ともお会いしません」
しかし問答無用というように、相手はガチャンとインターホンの通話を切った。
(なろー、やるじゃないの)
あたしだって負けてられない。構わず再度インターホンを押す。するとしばらく経って玄関が開いた。凄く嫌そうな顔をした四十代くらいのふくよかなエプロンをした女性が出てきた。
(この人、母親じゃないわね。お手伝いさんってとこか)
瞬時に品定めを終わらせて、あたしは閉められる前にその女性に詰め寄った。
「どうしても悠汰さまにお会いしてお話したいことがあるのですが」
「言付けなら私が承ります。学校のことですか?」
なかなか引かない女性の態度に少し怪訝に思う。これでは最近までの浅霧家と同じじゃないの。
「直接お会いしてお話したいのです。とても大事なお話ですので」
「悠汰さんは謹慎中です。誰とも会わせるなと、主人に言われてますので」
この言葉でやはりお手伝いさんだと確信した。そしてかなり忠実に家の主の言い付けを守るようだ。 西龍院家の葛城さんだって眞鍋さんだってそれは変わらないけど、明らかになにかが違った。こんなに心を閉ざしてない。
「悠汰さまはいらっしゃいますのね。でしたら少しだけで構いません…どうかお願いいたしますわ」
「私はただの家政婦ですので、いくらクラスメートさんとはいえ、この家に他人様を上げるわけにはいかないんです」
「わたくし悠汰さまとお会いできればそれで良いのです」
いい加減苛々してきた。こんなこと繰り返し言うだけならロボットだって今時できるわよ。なにがなんでも会ってやる、と意気込んだときに、女性の後ろに現れた人物を見つけた。
「あ、悠汰さま」
やった!って思ったのと同時にあたしは目を瞠った。確かに現れたのは悠汰だったのだけど…。
(ダレ?これ………ホントに悠汰?)
彼の顔は生気と呼ばれるものがすべて剥がれ落ちたみたいだった。無精髭が伸びてて、やつれている感が際立っている。憔悴してるってこういう顔を言うんだって初めて実感した。
―――君が思うより悠汰の心の闇は深い…。
今ごろになって、探偵の言葉が浮かぶ。
「悠汰さんは謹慎中ですよ」
怒りが混ざった声で女性が間に入ってきた。
その声にはっとなる。
そしてあたしはなんでか泣きそうになりながら、それを耐えて言った。なんとかしなくちゃ、という気持ちが増える。是が非でもあたしがなんとかしたい――。
「わたくし謹慎の邪魔はいたしません。でしたらわたくし悠汰さまのお部屋でお話しますわ」
悠汰だって一応、家の主の一員なんだから悠汰が了承すれば良いのよ。
そう思ってわざと悠汰に向かって言う。
「構いませんわよね?悠汰さま」
かなりびっくりして固まっていたかと思うと、悠汰はその顔の状態のまま……頷いた。あたしはすっごい長い、ほっとした息を吐いてしまった。
あたしが気を抜いたところで、変わりに女性が慌てていた。
「いけません悠汰さん。奥様の言い付けが」
「俺には…外出禁止としか言われてないから……」
ここへきて初めて悠汰の声を聞いた。今にも消え入りそうな弱い声。
(なにがあったの?)
悠汰から目を離せないでいると、その顔が女性からこちらに向いた。悠汰と目が合う。
ドキリだかギクリだか分からないけど、鼓動が鳴る。
あたしは自分がいま、どういう気持ちになっているのか、初めてわからなくなった。