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モヤッと、やんわり  作者: 田中葵
ルミコの章
1/4

1.おだやかに、闇

 表向きは、やんわり。

 山田琉光子(るみこ)は、その仮面を、ずっと着けてきた。


 けれど、誰かに嫌われるほど正直になったことがなかった。


 教室で、彼女が嫌われているわけではない。

 むしろ、話しかけやすい子だと思われている。

 だからこそ、彼女はいつも、ほんの少しだけ疲れていた。


        *


 彼女は、和歌山県の南のほうで生まれた。

 海が近いわけでも、山に囲まれているわけでもない、取り立てて説明のしにくい場所だ。観光地でもないし、かといって何もないわけでもない。駅前にはドラッグストアとファミレスが一通り揃っていて、休日になると家族連れが車で出入りする。


 琉光子は、そこで高校二年生をしている。


 身長は平均的で、部活帰りに日に焼けたわけでもないのに、肌は健康的だと言われる。ニキビに悩まされたこともほとんどなく、「肌きれいだね」と言われるたび、どう返せばいいのかわからず曖昧に笑ってきた。

 特別かわいいわけじゃないけど、ブスでもない。

 太ってもいないし、痩せてもいない。


 先生からは「おだやかな子」、

 友だちからは「話しやすい子」。


 そういう立ち位置に、いつの間にか収まっていた。


 クラスで揉めごとが起きると、なぜか間に入らされる。

 誰かが泣き出すと、「琉光子が聞いてあげて」と名前が出る。

 断るほど嫌でもなく、引き受けるほど積極的でもないまま、相槌を打ち続けてきた。


 家に帰っても似たようなものだった。

 母は「学校どう?」と聞き、琉光子は「普通」と答える。

 父は「無理せんでええからな」と言い、琉光子は「うん」と返す。


 どこにも嘘はない。

 ただ、どこにも本当がない。


 だから、裏垢があった。


 いわゆる「裏垢女子」と呼ばれるものだけど、琉光子のそれは、写真も自撮りもなかった。誰かを晒したり、悪口を書いたりもしない。

 フォロワーは数十人。ほとんどが知らない誰かで、相互フォローでもなかった。

 書くのは、短い言葉だけ。


 ――今日はちょっと疲れた。

 ――うまく笑えてたかな。

 ――もう少し、静かにしたい。


 それだけで、胸の内側に溜まっていた何かが、少し薄くなる気がした。

 誰にも読まれなくてもいいし、読まれても困らない。

 現実の誰とも、結びつかない場所。


 琉光子にとって、それは避難所だった。


 その日も、帰りの電車でスマホを見ながら、無意識に文字を打った。

 部活の先輩の愚痴を聞き、帰り道でクラスメイトに呼び止められ、進路の話を振られ、愛想笑いをして、駅まで歩いてきた。


 大した出来事はない。

 でも、ずっと、薄く疲れていた。


 ――表向き、やんわり。ほんとは、モヤッと。

 ――もうやめたい。こんなの。


 送信。


 画面が一瞬、読み込みのマークを出した。

 いつもの動きだった。


 そのままスマホをポケットに入れ、電車を降りる。

 家までの道を歩きながら、琉光子は少しだけ呼吸が楽になった気がしていた。


 家に着いて、靴を脱ぎ、リビングを通り抜け、自分の部屋で制服を脱ぐ。

 スマホを見ると、通知がいくつか溜まっていた。


 知らないアイコン。

 見覚えのある名前。

 クラスのグループで見かける名字。


 一瞬、何が起きているのかわからなかった。


 通知を開いた瞬間、心臓が沈んだ。


 ――これ、どうしたん?

 ――大丈夫?

 ――なんかあった?


 投稿の表示。

 アカウント名の下に、見慣れた表示。


 《全体公開》


 琉光子は、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。

 指先が冷たくなり、耳の奥で血の音がする。


 消そうとして、止まる。

 消したら、なかったことになるのか。

 消さなかったら、どうなるのか。


 その間にも、「いいね」が増えていく。

 コメントは少ない。

 でも、見られている感覚だけが、じわじわと広がっていった。


 翌日、教室の空気は、少しだけ違っていた。


 誰も直接、何も言わない。

 いつも通り「おはよう」と言われるし、席も変わらない。

 ただ、視線が一瞬遅れて外れたり、会話が途切れたりする。


 昼休み、隣の席の子が言った。


「昨日のやつさ……あれ、気にせんでええと思うよ」


 責める声じゃない。

 むしろ、慰めに近い。


 琉光子は、やんわり笑った。


「うん、大丈夫」


 その言葉を言えた自分に、少しだけ安心して、

 同時に、どこかが、静かにひび割れていくのを感じていた。

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