片鱗
砂と岩だけの荒野を、辛うじて轍がある事によってそれだと認識できる道をタイレル班長は器用に進んでいった。
西日を背にしながら馬車は砂煙を巻き上げながら東へ向かう。
巨大な4頭の馬たちは疲れを見せず、猛々しく地面を駆っていく。
時折、南の方角に砂漠の主、サンドワーム達が砂を巻き上げながら砂からその巨体をジャンプさせている。
得物を探している時の行動だ。そのおかげで辺りは霧のように砂煙で充満している。
「襲ってこないの?」
セツナは心配そうな顔をタイレルに向けた。
「ああ その心配はない。奴らがいるあっちはほとんど砂だ。ここはすぐ下が岩盤だからサンドワームはここには来れない。当然、奴らからは俺たちが見えてるがな。」
タイレルはニヤリとした。
「良かった。」
セツナはホッとした表情で前を向いた。
「お前、少し笑顔が戻ったな。」
そういってタイレルは少年の頭をその巨大な手でポンポンと優しく叩いた。
◆
太陽が地平線に完全に沈む前、空は紫色に染まった。
この辺りまで来ると、岩場が多くなり、所々に低い木やサボテンが生えている。
「景色がずいぶん変わったね。」
タイレルの左に座るセツナは前を見ながら呟いた。
「そうだな今日はこの辺りでビバークするか。この先に進むとワイバーンどもの寝床だ。起こすと厄介だからな。」
タイレルは馬車を止めた。
そこにはうまい具合に巨大な1枚岩が重なり合い、天然の東屋のようになっていた。
「ここだ。俺はいつもここで一晩明かすんだ」
馬車から降りたセツナは腰を反らすと、背骨がポキッと鳴った。
タイレルは慣れた手つきで馬と馬車を繋ぐ連結具を外した。馬の肩の筋肉がブルルと震える。
続いて馬車の荷台から大きな樽と乾草の束を下ろし、それを馬たちの前に置いた。
馬たちは代わる代わる樽に入った水を飲んだ。
「ちゃんと順番を待つんだね。」
「ああ、こいつらには序列があるのさ。先頭の右を走っていたのが序列1位のボス、タイカンだ。」
「タイカンはまだ水を一口も飲んでないよ?」
「ボスは最後なんだ。見張りさ。見張ってる間、下の奴から順に水を飲ませるのさ。」
順番が来て水を飲むひと際大きいタイカンをセツナは目を輝かせながらしばらく見つめていた。
(まっさらな心……か。)
タイレルは首を振って作業を続けた。
夜食は米に似た穀物と木の実、干し肉を混ぜて煮込んだスープだ。味付けは塩のみ。タイレルが作ってくれた。
食事中も手を休めない。馬のくつわの留め金が緩んでいたのか、修理をしている。タイレルは食事もそこそこに馬車の点検にかかる。
タイレルが落ち着いたのは日もどっぷりと暮れ、虫たちが鳴き、はるか遠くてオオカミが遠吠えを始めた頃だった。
タイレルは馬車の荷台から、大鹿の皮でできた折り畳みの椅子を取り出し、ゆっくりと腰掛けると、小さな水筒を取り出し口に含んだ。
タイレルの瞳は焚き火の炎の照り返しでオレンジ色に染まっていた。
セツナは草の上に毛布を広げ、横になりながらタイレルを見ていた。
「班長、それは何?」
「ん? なんだ、まだ起きてたのか。 ああ…これか、酒だよ。バーボンっていう。」
「バーボンは、トウモロコシを内側を焦がした樽で寝かせる…… あ ごめんなさい!言葉が勝手に……」
「ははは! 面白いな! お前は。」
タイレルは大きな体をゆすって笑った。
「僕は何者なんでしょうか? つい先日までの記憶が無いくらい、あの時から毎日が鮮明で、色んな物事が僕の中に入って来るようになって、でも皆、前から知ってるようで……」
生暖かい緩やかな風が草木を揺らした。
「お前自身がわからないじゃあ 俺にわかるわけないだろう。ただ、お前のその力はきっと意味があるんだろうよ。お前がこの時代に生まれた事に。 ところでセツナ、もう一度、俺と勝負してみてくれねえか?」
夜明け前の薄闇の中、タイレルがぽつりと呟いた。
理由は単純だった。
セツナを疑っているわけでも、恐れているわけでもない。
ただ――戦士として、納得したかった。
セツナは小首をかしげる。
「いいよ。どうすれば……いいの?」
「構えときゃいい。」
◆
漆黒の闇の中、焚火の炎だけがわずかに相手を認識させた。
タイレルとセツナは10mほど離れて対峙している。
タイレルには見えている。
たとえ真っ暗闇でも、相手の行動は手に取るよにわかる。
「いくぞ、セツナ…」
タイレルは砂を蹴り、獣人族特有の爆発的な踏み込みで迫る。
その動きは、先日とはまるで別物だった。
拳が唸り、地面はひび割れ、木々が震える。
――避けられない!――
セツナはほとんど無意識に魔力の盾を出し、タイレルの一撃を防いだ。
しかし、タイレルの一撃はそれをも砕き、セツナを吹き飛ばした。
セツナはゴミのように吹き飛ばされ、転がりながら岩に叩きつけられた。
「ゴフッ……」
岩を背に立ち上がろうとするも、体がいう事を聞かない。
その瞬間、更にタイレルの右こぶしがセツナのみぞおちに叩き込まれる。
岩と拳の間に挟まれたセツナの体は千切れそうなほどくの字に折れ曲がり、後ろの岩は拳の形に穴が貫通した。
この一撃で、もはやセツナの生命は断たれたように思えた。
タイレルはセツナの頭をつかみ、宙にぶら下げた。
「手加減したが……死んじまったか? 坊主。 やはりお前はただの人間のガキだったか?」
セツナの体の穴という穴から血が滴り落ち、血溜りができていた。
もはやただの抜け殻のようにぶらぶらと揺れていた。
タイレルは血の滴るセツナの頭を片手で持ち上げたまま、自分の目線とセツナの目線を合わすようにセツナをみた。
その瞬間、セツナの体から緑色の光がじわじわと染み出てセツナを覆った。
「ウッ……」
セツナが小さいうめき声をあげた瞬間、タイレルはとてつもない倦怠感に襲われた。
「グッ……なんだ? これは」
タイレルは立っていられなくなり、片膝をついた。
するとセツナの体がみるみる元に戻っていく。
セツナから滴る血が、地面に落ちる寸前にスローモーションになった。
まるで時間が止まったように。
タイレルは慌ててセツナを離した。
すると倦怠感は無くなったが、呼吸は荒れ、両手を地面についた。
その時、周りでバタバタと巨大な何かが落下してきた。
――ワ、ワイバーン……?――
1頭や2頭ではない、見渡すと馬ほどもあるワイバーンが100頭あまり辺りに転がっている。
――!? 馬は?――
タイレルは力を振り絞り、馬を見た。 するとブルルと肩を震わせ、何事もなく佇んでいた。
「タ、タイレル班長、大丈夫ですか!?」
セツナが気が付いた時、タイレルは椅子に座り、俯きながら、肩をゼイゼイいわしている。
周りには無数のワイバーンの死骸。
「お お前は一体…… 俺たちの種族でも二人ががりで仕留めるワイバーンだぞ」
「タイカンです。タイカンが止めてくれました。班長を殺さないでって……ワイバーンには悪い事をしました。」
◆
「セツナ、お前とやりあって分かった事がある……相手に殺す意思がないと力が出ないんだな。」
「……」
「最後、俺はお前を殺そうと思った。その証拠に…」
タイレルは静かに息を吸った。
そして――ほんのひとかけらだけ殺意を右拳に込めた。
空気が震える。
その瞬間、セツナの体が勝手に反応した。
意識とは関係なく防御が展開され、タイレルの拳をはじき返す。
地面に半円形のクレーターが刻まれた。
「……やっぱり、とんでもねぇ怪物だな。お前は」
タイレルは笑いながらも、その瞳には僅かな畏怖が滲んでいた。
セツナは胸に手を当てる。
「怖かった……」
「それで十分だ。お前の力は、本能のもんだろう」
「さぁ 少し眠ろう。明日も一日走らねばならん。」
***
トゥランを出て3日目の昼前、太陽がもうすぐ真上になりそうな時
目の前に巨大な城壁が忽然と姿を現した。
(大きい……)
セツナはその巨大さにあっけに取られていた。
フェルザリア――第二王子セファルドが統治する、砂漠の白亜の都。
本来なら光輝く美しい都市だが、
今は空が淀み、風は重く、街道には病人が倒れている。
セツナとタイレルが城壁へ近づいた瞬間――
セツナの視界いっぱいに“魔法陣”が広がった。
小は数メートル、大は三十メートル。
その数――四十以上。
タイレルが怒鳴る。
「何? バカな! フェルザリアの軍にこんな魔法陣はねぇ! どこの連中だ!」
城壁の上に現れたのは、黒甲冑の獣人――
将軍ガルマン=トルヴァ。
「ガルマン! どういう事だ!?」
タイレルは城壁の上に立つ人物に大声で尋ねた。
「貴様はその人間の子供に操られているのだ、タイレル“元”将軍」
したり顔でそう言った。
その声は、獣人とは思えないほど低く濁っていた。
背後には魔術師らしき一団が整列していたが、
フードとローブで覆われた彼らの素顔は確認できなかった。
「様子がおかしい。セツナ一旦引くぞ!」
タイレルは手綱を左手方向に引いた。
しかし同時にガルマンが腕を振り下ろす。
「――全軍、撃て」
騎士の一部は青ざめた。
「た、タイレル様が……っ!」
「な、何も一斉攻撃しなくても……!」
「黙れ。撃てと言ったのだ!!」
声に混じるのは、獣人のものではない異質な響き。
次の瞬間――
矢雨。
爆裂魔法。
雷撃。
投石弾。
土槍。
氷塊。
炎の槍。
百を超える攻撃がセツナへ殺到した。
「セツナ!!伏せ――!」
タイレルの絶叫と同時に、
セツナの目の前に突如、巨大な魔法陣が“自動展開”された。
黒と金に輝く幾何学紋。
同時に、小魔法陣が連なり、五十以上が連結していく。
空気が止まり、
時間が止まり、
あらゆる攻撃が触れた瞬間――
すべてが反転し、倍の威力で城壁に返った。
轟音。
閃光。
炎柱。
フェルザリアの城壁が半壊する。
騎士たちは硬直する。
タイレルも言葉を失っていた。
「……セツナ。今の……お前がやったのか……?」
セツナは震える手を見つめた。
「怖かった……本当に死ぬと思ったら……勝手に……」
ガルマンの甲冑の隙間から、
黒い眼球のようなものがいくつも覗いた。
「文明を持つ者は滅すべし。
それが我が“使徒”の御心だ」
騎士たちは絶望で膝をつく。
セツナの足元に金色の靄が揺らめき、
ゆっくりと空へ吸い上がっていく。
それは――
誰にも理解できない 神のごとき光景だった。




