覚悟
セツナが目を覚ましたとき、そこは見慣れた天井だった。
粗末な梁と土壁、湿った藁の匂い。――自宅の寝床。
頭が割れるように痛む。
喉の奥が焼けるように乾いていた。
「セツナ……!気がついたのね!もう目を覚まさないのかと……」
母が飛び込むようにして抱きついてきた。
そのあとを追うように、父が声をかける。
「良かった……本当に、良かった……」
しばらくは泣きながら抱きしめられた。
セツナは何も言えず、それを受け入れるしかなかった。
やがて母は涙を拭き、ようやく言葉を発した。
「倒れたあと、タイレル班長さんがここまで運んでくれたの。
あなたを抱えて。それからあなたは3日眠り続けたわ。」
父が続ける。
「それでな、人間の作業はしばらく中止するって班長さんから通達が来た。
お前が治るまで、全員休みにするそうだ。こんなこと、初めてだ」
信じられない話だが、父の表情からこの場を取り繕う嘘だとは感じなかった。
「……それと、班長さんが言っていた」
母が少し声を落とす。
「あなたを王都へ連れていきたい、と。
“確かめなければならない”って」
セツナはしばらく黙っていた。
声を出すのも億劫だったが、その沈黙を破ったのは父の言葉だった。
「今になって理解したよ。お前が生まれた時の事をだ。」
母は震える声で言った。
「あなたが生まれたとき……村中が光に包まれたの。
夜だったのに、昼みたいに明るくて……
あなたを抱き上げたら、あたたかくて。
あれは、神様が来たんだと思ったのよ」
セツナは答えられなかった。
当然何も思い出せないが。ただ、なぜか突拍子もない話だとは思わなかった。
——神…―
ふと視線をずらしたとき――気づいた。
棚の上に、薄く赤く発光するような“本”があった。
それは古びた赤表紙で、擦れた金色の文字が背に刻まれている。
セツナにははっきり見えている。
――あれは、何だ?
「母さん、あれ……本が、あるだろ」
「え? 本? どこに?」
母は目を凝らして見渡すが、何も見つけられない。
父も同じだ。
「セツナ、お前はまだ意識が混濁しているんだろう。あんな事があったんだ。もう少し安め な?」
――見えていないのか。
そもそも、認識できないのか。 俺の気のせいか…――
その問いと不安が胸に沈殿したまま、セツナはまた深い眠りに落ちていった。
◆
タイレルは村外れの見張り塔の上に立っていた。
乾いた風が砂を巻き上げる。遠くには荒れ果てた大地が続いている。
かつてここには森林があり、湖があり、収穫祭が行われていたと伝え聞く。
だが今は――荒廃と腐敗しかなかった。
「……あの子供を今ここで殺しておくべきか……」
タイレルは腕を組み、低く呟いた。
立ち合いの時、見えなかった。
軽く触れられただけで、意識が飛びかけた。体が揺らいだ。
「たしかに化け物だ。しかし解せないのは――あの瞳だ」
最近の王族や貴族と話すたびに思う。覇権や利権を奪い合う事だけを考えている。
彼らの瞳は濁り、淀み、死んでいる。まるで泥水の底の光。
そして、奴隷である人間たち。生気を失い、全てを時に委ねている。 ただ時間が過ぎるのを待ち、繁殖し排泄するだけ。
その状況が不可抗力だとはいえ、正直反吐が出る。
だがあの子は違う。
人間の子供であるにもかかわらず、その目の奥には炎が宿り、未来が色濃く映る。
そしてこの村の人間たち。 以前とはまるで変った。生気に満ちている。
あれは希望の光なのか、それとも嵐の兆しか。
「この国は、もうダメなのかもしれない」
タイレルは拳を握った。
現状、国は二分している。
現国王派と第二王子派だ。この状況で他国に攻め入られたら、国は滅亡しかねない。
王の変質。王宮での病。無視できない死者の増加。
そして空も空気も淀み始めている。
第二王子の告発は正しいかもしれない。
だが王国の忠誠に生きてきた者として、第二王子を支持するわけにもいかない。
――だが、それでも。
あの人間の少年が現れた。
あの力、不思議なオーラ。あれが天災でなければ、もしかすると――
「……賭けてみる価値があるか……」
そう思った瞬間、胸の奥がわずかに熱くなる。
それが希望なのか、恐怖なのか、タイレル自身にも判断がつかなかった。
彼は大きく息を吐き、決断した。
「王都に行くか」
決して軽い選択ではない。
だが、セツナという異物を使えば、何かが変わるかもしれない。
水面に小石が落ち、波紋ができるように。
忠誠か裏切りか、それはまだ決まっていない。
ただひとつ――このまま何もしないわけにはいかない。
◆
翌朝――
セツナは鳥の声と共に目を覚ました。
まだ少しぼんやりするが、昨日よりは格段にすっきりしている。
――鳥……ヒバリだ――
セツナははっとした。
この荒れ地で鳥など見たことがない。
なのに“ヒバリ”という名を知っている自分に、セツナ自身が驚いていた。
その単語が、どこから来たのかわからなかった。
まるで誰かの記憶が、ふっと頭に流れ込んできたかのように。
「……ヒバリ? どうして俺は、そんな名前を……?」
おーい!!
外から声が聞こえる。 そういえば外が騒がしい。
そこに父が入って来た。
「セツナ! 目覚めたか? 外を見てみろ!」
「え? ちょ…… なんだよ父さん」
言われるままに、セツナは寝ぼけ眼で玄関をくぐった。
その光景は今まで見たことがなかったが、なぜか懐かしいと感じた。
セツナの家を中心にして、緑色の絨毯が出来上がっていた。
小さな植物が辺り一面に生えていた。
――何?これ……――
頭上ではヒバリがせわしなく鳴いていた。
タイレルは村の様子が変わっている事に驚きを隠せなかった。
村全体に広がった緑。
昨日まで枯れた地面しかなかった場所が、まるで別世界のように息づいている。
タイレルは息を呑んだ。
理解できない。だが――理由を思いつけるのは一人だけだ。
「……はは。やっぱり、あの子か」
セツナの顔が脳裏に浮かび、自然と笑みがこぼれた。
セツナと両親の前に、タイレルは再び姿を現した
いつもと同じ鎧、同じ無愛想な顔。だが、その声だけは違っていた。
「――セツナ。支度をしろ。お前を連れ王都へ行く。」
その声には、恐怖も驕りもなく、ただ一つの覚悟が宿っていた。
ここから先の道は、何が起こるかわからない。そして間違いなく危険だ。
だがセツナは、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
それだけだった。
気負いも恐れもない。ただ、言葉が口から零れ落ちた。
「あの……タイレル班長」
「なんだ?」
「村のこの様子の事は聞かないのですか?」
「聞かずとも…どうせお前の魔力の影響だろう。もはや何が起こっても驚かんよ」
タイレルはしたり顔でそう答えた。
その時、淀んだ空が少しだけ明るく見えた。
雲の奥に、かすかに青空が滲んでいた。




