ヒエラルキー
エントリと名乗る何者か。その声が消えるのと同時に、空がうねった。
天を裂く雷鳴。
巨大な稲妻が落ち、――稲妻は俺のこめかみに刺さった針を貫いた。
爆音と閃光。
世界が裏返るような瞬間だった。
―—!?―—
予測不能の事態が起こったのだ。
偶然か、意図されたものか――彼女にさえ分からない。
培養槽の中で、女神のような彼女が微かに身を震わせる。
オレンジ色の培養液が泡立った。赤いランプが点滅し、生命活動過多の警告を知らせる。
「誰かが……干渉した? それとも世界が……拒絶を……?」
memory uninstall
「……駄目、記憶が……消去されていく……!」
焦燥が彼女の表情を歪める。
千回の教育の果てに、やっと世界を救うはずの“神の卵”が誕生するはずだった。
しかし、私には世界の記録を改ざんできない。
「……ならば……運に委ねるしか、ない。」
エントリは瞼を閉じた。
彼女の声が、培養液を通じて静かに響く。
「本来なら、あなたはすべてを思い出して生まれるはずだった。
侵略者の支配から解放させるために、私は千回の異なる世界線を経験させた。
だが……落雷は偶然か、あるいは誰かの意思か。
そのどちらでも、もう手を加えることはできない。」
光が彼女の頬を伝い、滴となって液体に溶けていく。
「私はもうすぐ朽ちる。だけど信じている。あなたがこの世界に再び人類の復活をもたらしてくれることを。 そしてあわよくば、朽ちる前に私を探し、見つけてくれることを。」
一瞬、光が培養槽を包み込み、ゆっくりと光は輝きを失っていく。
施設全体が静かに沈黙した。
次に、世界は“息を吹き返した”。
稲妻の残響とともに、新しい時が流れ出す。
灰色の空。
瓦礫の積もる大地。
遠くで、産声が上がった。
「生まれたわ……男の子よ!」
母の声。
涙を浮かべた父の顔。
その目の前で、おくるみに包まれた赤子が小さな手を伸ばした。
◆
この世界の人間は家畜として飼育されており、数が増えないように間引きされ、子孫を残す事も制御されていた。
この子は数年ぶりに産むことが許された子供だった。
赤子はほんの一瞬、体から強い光を発したように見えた。小屋の中を照らし、ゆっくり消えた。
―—!?―—
「……この子……一瞬光に包まれていたわ」
「ああ 見たこともない、なんて暖かい光なんだ」
母は微笑んだ。
「――セツナ。 この子の名よ。
なぜか私の頭に浮かんだの。」
「ああ いい名だ。」
父はうなずき、小屋の外で遠雷が聞こえた。
世界に一滴の水が落ち、小さな波が立つ瞬間だった。
◆
それから、十年の歳月が流れた。
セツナは、南フェルザリアの辺境の小村「トゥラン」で育った。
そこは獣人族の領地。
狼や虎、鹿や猪を祖とする彼らは、力と誇りを重んじる種族だった。
人間の2倍ほどの体躯を持ち、動物の顔をしており、肌は毛に覆われ、筋肉質な種族だ。
食性は雑食だが、肉食を好む者と、草食を好む者が居た。
魔法を使えるものは少なく、戦闘は主に剣や槍、棍棒といった直接攻撃型の武器を使用する。
人間族は奴隷――それが当たり前の秩序だった。
働く環境は劣悪だった。
大地は赤く、空は濁っていた。
荒れ地を整地するための労働が、今日も朝から続いていた。
乾いた風が砂を巻き上げ、日差しが皮膚を焼く。
人間たちは黙々と鍬を振り、獣人族の監督の鞭が空気を裂いた。
――生きるために、ただ働く。
それがこの世界で許された、唯一の「人間の存在理由」だった。
昼を少し過ぎた頃、休憩の合図が鳴る。
「さあ 休憩だ。 人間!ゆっくり休んどけ。 それと副長、体調の悪い奴は休ませろ。俺は上に呼ばれてるからひとっ走り王都まで行ってくる。あとは頼んだぞ。」
この現場の監督官の獣人、タイレルが部下にそう言い残し去っていった。
「はい! 班長! あとは任せてください。 お気をつけて!」
タイレル班長に副長と呼ばれた獣人、ネコ科の動物の顔をしているフーコーは去っていくタイレルの背中にそう言った。
休憩の合図で人々が安堵の息を吐いたその時、フーコーが不意に笑った。
「……退屈だ。遊びをしよう」
その声に、人間全員が身を固くする。
「人間ども、今から走って逃げろ。十数えたら追う。
逃げ切ったら一食分の飯をくれてやる」
「副長! 勝手にいいんですかい?見つかったら問題になるんじゃ」
部下の獣人スポルがフーコーに問いかけた。
「おい、手前ぇ、俺はな、あの班長のタイレルが前から気に食わないんだよ。いつもクズどもに情けをかけやがってよ。ここで奴隷共をぶっ殺しても、モンスターのせいって事にすりゃあいいんだよ。 監督不行き届きであの班長もどっかに飛ばされるさ。」
フーコーは部下のスポルに耳打ちしてそう言った。
「なるほど、班長が居なくなれば副長が班長に繰り上がっるって寸法ですね!」
スポルは目を輝かせながら囁いた。
「馬鹿野郎、俺が目指してんのはこんなチンケなエリアじゃねえ。もっと上よ」
「え・・・?」
「まあ いずれにしてもよ、溜まってんだろ? 衝動がよ! 誰かを殺したいって衝動!」
「ひひ・・・ ええ まあ・・・」
スポルは後頭部を掻きながら恥ずかしそうに答えた。
「おめえらもだろ?」
フーコーはニヤけながら他の獣人にも目線をやってそう言った。
他の獣人も次々にニヤけた表情を見せる。
「鬼の居ぬ間に福利厚生! 野外活動ってやつよ! ふはは!!」
誰も言葉を発せなかった。
逆らえば即死。
選択肢など、存在しない。
「さあ!クズども! 行くぞー 10 !」
獣人の咆哮が響く。
人間たちは悲鳴のように走り出した。
砂煙の中、裸足で荒地を駆け、裂けた地面を越える。
「7、6……!」
セツナは両親の手を握り、必死で逃げた。
風は熱く、肺は焼けるように痛い。
背後から獣人の笑い声が響いた。
やがて森へと続く黒い地帯に差しかかる。
そこは古い世界の残骸、朽ちた塔と蔦に覆われた廃墟。
だが、立ち止まる暇などなかった。
「3、2、イィィチ!――野郎どもぉ!狩りの時間だぁ」
咆哮とともに、大地が震えた。
獣人たちが飛び出し、逃げる人間をなぎ払う。
熊の獣人が大なたを投げ、逃げ惑う人間の首を次々と跳ね飛ばす。
悲鳴が次々に上がり、血が砂を染めた。
その時セツナの背中に、焼けるような痛みが走る。
巨大な爪が皮膚を裂き、鮮血が噴き出す。
倒れた彼の上に、獣人の影が覆いかぶさった。
恐怖で涙も出ない。
「つぅぎぃわ……頭蓋骨だぁ!!」
その瞬間、両親が飛び出した。
「やめてくれ! この子だけは――!」
獣人の腕が唸り、棍棒が振り下ろされた。
骨の砕ける音。
母の叫び。
そして、すべてが遠ざかる。
セツナは動けなかった。
血の匂いが濃くなり、視界が霞む。
耳の奥で、何かが――“カチリ”と音を立てた。
視界の中に、文字が浮かんだ。
それは奇妙に歪んでおり、読めない。
だが、二つの選択肢だけが、はっきりと見えた。
【はい】
【いいえ】
指は動かない。
それでも意識の奥で、セツナは“はい”を選んだ。
いや、誰かが自分の手にそっと手を添えて、はい に誘導したように思った。
――次の瞬間、世界が止まった。
血が逆流する。
裂けた背中が再生し、骨の砕けた音が巻き戻る。
心臓が二度脈打ち、空気が爆ぜた。
頭の先からつま先まで、何かが流入してくるように
心地の良い何かが体中を駆け巡った。
セツナはふと意識を取り戻した。
―—あれ、僕、どうしたっけ……―—
時が止まっていた。
空中を漂う小石やほこり、血の雫が空中で止まっており
なぜか幻想的な雰囲気とさえ感じられるほどであった。
その時、セツナの頭の中に何かの画面が映し出された。
Name:セツナ
レベル : 8952
体力 : 8200
魔力 : 8800
攻撃 : 8750
防御 : 9000
速さ : 7250
耐性 : ALL
守護神 : エントリ
―—なんだ? これ――
ほどなくセツナは我に返り、ふと地面を見ると両親がうつ伏せに倒れている。
二人とも血に染まったボロボロの服が破けている。
その傍らに、棍棒を持った三体の獣人。
棍棒には血がべったりと付いている。
倒れている両親、棍棒を振り下ろそうとしている獣人それぞれの頭上に、数字が浮かんでいる。
3人の獣人の頭上にはそれぞれ、LV13、LV12、LV11
両親の頭上には、父LV5、母LV3、両親は文字が赤く点滅している。
セツナは目の前に広がる光景を見た。
何かの感情が湧きだしそうになった時、セツナの瞳が、金色に染まった。
音も風もない世界で、なぜかセツナの心は穏やかだった。
セツナの体から無意識に緑色の淡い光が湧き出て来る。
その光が辺りをドーム状に包み込んでいく。
緑の光は倒れている数十人の人間族にまとわりつき、みるみる傷を癒していった。
そして今度は黒に近い灰色の靄がセツナから湧き出てきた。
その靄はゆっくりと獣人たちにまとわりつき、心臓の部分に吸い込まれていく。
20人ほどの獣人の胸にその靄が吸い込まれていった時
時は動きだした。
異様な光景だった。
さっきまで暴れていた獣人たちが地面に倒れており、追われていた人間たちは
意味も分からず立ち尽くしていた。
獣人の中でただ一人、立っている者がいた。
フーコーだった。
「な… なんだ 何が起きた!? おい、スポル! 何してんだ!? 起きろ…」
フーコーは真っ青な顔をして、スポルを呼んだが、すぐに彼を呼んでも無駄だと理解した。
―—死んでる!―—
――どうなってる? 獣人族が倒れ、人間族が立っている。どういう事だ――
フーコーの呼吸は荒くなり、最初の戸惑いが不安に変わり、徐々に恐怖が心を支配し始める。
ふと顔を上げると、数メートル先に、人間の子供がたたずんでいる。
ぼんやりと金色のオーラに包まれているように見える。
「おい 人間のガキ! この状況はなんだ? 誰がやった!?」
フーコーは牙を剥き出して脅すように言った。
「僕がやったんだよ。 君だけ生かした。なぜだかわかるかい?」
「ああ? 手前ぇ 誰に向かってクチ聞いてんだ?」
するとセツナの体から灰色の靄が這い出していき、フーコーの心臓に吸い込まれていく。
その時
「ううっ!! な 何しやがった てめえ、空気が…吸えねえ…」
フーコーは悶えながらセツナを睨んだ。
「おじさんの心臓をつかんでる。このまま握りつぶす事もできる」
セツナは淡々と言った。
フーコーは心臓の活動を止められ、酸欠で意識が遠のきそうだった。
「質問してるのは僕なんだけど」
「なぜ俺だけ助かったって? それはなあ・・・」
そういうとフーコーは咄嗟にセツナに斬りかかった。
その瞬間、横から巨大な鉾が飛んできてフーコーの剣を弾き飛ばした。
パキイイイイイイイン!!
二人が鉾が飛んできた方向を見ると、そこにはフーコーよりも一回り大きな獣人が立っていた。
「フーコー! 何をしている!」
「タイレル班長!!」
フーコーは安堵したと言わんばかりに、甘えた声でそう言った。
セツナはその大きな獣人を見た。
頭上にはLV35 と表示されていた。
フーコーのLV27




