アルハジル
石壁は湿り、鉄格子の隙間から冷たい空気と微かに焦げた匂いが流れていた。
灯りは一つ。
揺れる魔晄灯が、影を長く引き伸ばす。
壁を挟んで向かい合うように座るのは、
クリシュとヨム。
鎖の擦れる音だけが、静かに響く。
「この牢獄には私達しかいないようね」
クリシュは粗末なベッドに腰かけながら言った。
「命があっただけマシさ。ヒムリーは一瞬でやられた。
あのデケー女に。クソッ…バケモンだぜありゃ。」
ヨムは吐き捨てるように呟いた。
しばらく沈黙が続いた。
「……覚えてるか」
ヨムが低く言った。
「士官学校の時のあいつは、何をやっても駄目だった。 いつもオドオドしてよ」
クリシュは目を伏せる。
「あの頃の私は……自分で何かを決めたことが無かった。いつも言われた通りだった。」
「お前はあいつの許嫁だったな。」
「ええ。私の事は全て父が決めた。
その事に何とも思わなかった。」
ヨムが鼻で笑う。
「俺も似たようなもんだ。親父は文官。
代々ンディマ家に仕えてきたんだ。
将来は決まってた。だけど俺は勉強ができなかった。」
握った拳をトンと膝に落とす。
「期待に応えられねぇ。落ちこぼれた。
気づけば、ガラの悪い連中とつるんでた。」
沈黙。
「ある時ヒムリーが声をかけてくれたんだ。
俺を掃きだめから拾い上げてくれた。」
その名に、クリシュが顔を上げる。
「“自分で考えろ”って言われたよ。何度も
テメーの人生なんだからってな。」
ヨムは苦笑する。
「結局、最近まであいつの言ってた意味がわからな
かったけどな。」
クリシュは静かに言う。
「私にとって……サイラスは…違ったのよ」
その名が、空気を変える。
「真面目で、自分に厳しくて……
何かに向かってひたむきだった。」
――あの頃のキルヒードは、肩書に押し潰されていた。
弱虫だった。――
少なくとも、クリシュの目にはそう映っていた。
「私は、あの時、必要だったのよ。強くて、迷わない誰かが」
ヨムは天井を見上げる。
「だからクーデターか」
「……初めて、自分で決めた。
それが自分の親に刃を向けるとしても。」
だが、その選択が正しかったかどうかは分からない。
その時、ドンという音と呻き声が聞こえた。
かすかな足音が、近づいて来る。
石を踏む、乾いた音。
二人が顔を上げる。
鉄格子の向こうに、人影がある。
「……サイラス?」
灯りの下に姿を現したのは、サイラスだった。
牢番の姿はない。
サイラスは無言で鍵束を取り出し、ヨムへ放り投げた。
「出ろ」
ヨムが一瞬、息を呑む。
「助けに……来たのか」
「……」
ヨムは震える手で鍵を差し込み、足かせと扉を開ける。
扉はギギギと軋んだ。
続けてヨムは鍵をクリシュの牢へ放り投げた。
サイラスが一歩近づく。
ヨムは苦笑した。
「会いたかったぜ、兄弟!」
そう言ってサイラスは手を広げてヨムを抱きしめ
肩に回した手をトントンと叩いた。
次の瞬間、ヨムに鈍い感触があった。
「?」
鍵を開けたクリシュが首をかしげる。
「ヨム?」
サイラスがヨムの腹に刃を突き刺していた。
「うぐっ…げほっ…!?」
口から血が溢れる。
視界が揺れる。
「……サイラス……?」
サイラスはヨムを抱いたまま、耳元で低く言った。
「甘ぇ」
「なっ!?…おま…サイ…」
サイラスはナイフをさらに深く刺しこみ、ひねりを加えた。
ヨムの口からさらに血が溢れる。
「……ヒムリー…………」
力が抜ける。
サイラスは崩れ落ちるヨムの身体を
ゆっくりと床に下ろした。
床に血が広がっていく。
クリシュは立ち尽くすしかなかった。
「どうして……」
サイラスがゆっくり顔を上げていく。
笑みを浮かべた口、だが瞳は底の無い暗闇に
沈んでいた。
その目が、丸腰のクリシュを捉える。
サイラスはクリシュに一歩にじり寄った。
血のついた刃が持ち上がる。
だが――
その手が、わずかに止まる。
その瞬間
石の階段を数人が駆け下りる音がした。
そして鉄の扉が吹き飛んだ。
「そこまでだ!」
キリアンが先頭をきって踏み込んできた。
魔法のせいか少し焦げ臭い。
サイラスは舌打ちする。
「……ちっ」
刃を引き、じりじりと後退する。
サイラスは光学迷彩を使い、一瞬で姿が消える。
一瞬の静寂…
次の瞬間、キリアンの後ろの兵士が
壁に叩きつけられた。
(反応できない…)
キリアンがそう思った時
サイラスは煙と魔力の残滓の中へ溶けていった。
そこには血だまりの中で横たわるヨムがいた。
クリシュは膝をつき、ヨムを抱く。
温もりは、まだ残っている。
だが、戻らない。
遠くで、進軍の号令が響いていた。
◆
アルハジルはもうすぐ夜が明ける。
地平線に紫色の筋ができ始めている。
そこは土埃だけが舞っていた。
身をかがめ透明になったギモンが、小さくひゅっと口笛を吹く。
光学迷彩により姿を消したギモンの斬り込み隊100人は
気配を消し、半開きになった門を通り抜けていった。
ギモン達が入ってすぐ、幾らかの剣戟の音が聞こえたが、
ほどなくして巨大な扉が音を立ててゆっくりと開いていった。
ナシャシャが叫ぶ
「時間が勝負だ。一気に行くぞ、王宮までのルートを間違えるな!
阻む者は切り伏せよ!」
ドーンという音と共に扉が開き切った瞬間、
ナシャシャ率いる騎馬隊が次々と門になだれ込む。
「いいか各隊! この街の中を跋扈するのは人ではない
情けは命を縮める、迷うな! 殲滅せよ!」
シシルは咆哮する。
シシル率いる重装歩兵たちも後に続く。
「行くか」
「ハッ!」
キルヒードは剣を掲げ、切っ先を前方に振り
騎馬の横腹をかかとで押した。
馬は嘶き 一気に駆けだす。
キルヒードに続き、兵達が一気にアルハジルになだれ込んでいった。
街の中は地獄の様相であった。
かつて市民だった異形がそこら中から湧き出して、
女、子供、年老いた者。
市民は兵達に噛みつこうと襲って来ている。
しかし殆どの異形は簡単に切り伏せられた。
しかし、兵達の中には涙を流しながら、剣を振るう者も
少なくなかった。
「すまない…」
「ごめん…」
「なんて事を…」
そう言いながら、人々を切り伏せていく。
「キルヒード様、戦意を失いかけている兵も散見されます
急ぎましょう!」
シシルが言った。
「龍脈を阻害しているものがどこかにあるはずだ。
俺はそこに向かう。」
「2、3手練れをつけましょう」
「いや、俺一人で大丈夫だ。」
(龍脈に触れるかもしれないからな)
シシルは少し考えたが
「……承知した。お気をつけて!」
「ありがとう」
そう言ってキルヒードは、メインストリートを
外れ、人気の無い未舗装道路を駆けていった。
しばらく行くと、急こう配の下り坂になった。
(龍脈が滞留している…)
キルヒードは進むにつれ、息が詰まる感覚が
強くなってきているのを感じていた。
ただ、目的地に確実に近づいていた。
やがて、道が平坦になったところで90度の角を
曲がった瞬間
突然馬が嘶き、前足を大きく掲げた。
「青いドラゴン……」
そこには巨大なドラゴンが落ち着かない様子で
右往左往していた。
首に鎖がまかれており、鎖は地面から出た突起に
繋がっている。
あの時のドラゴンか—
「あの突起…あの辺りで龍脈が止まっている。」
(どうすれば…)
その時、ふいに声がした。
「なるほど。」
いつの間にかキルヒードの真横に
仮面をつけた小柄な人物が立っていた。
(!? いつのまに)
「誰だ」
キルヒードは落ち着いて問うた。
「名のる程の者ではありません。」
その人物は手を振って謙遜の仕草をした。
「ここで何をしている」
「……」
「あの突起が龍脈に干渉していると思うか?」
キルヒードは唐突に聞いた。
「君はドラゴンを」
その人物はドラゴンを指さしながらそう言った。
「?」
キルヒードは訳がわからず固まっている。
するとその人物はふわりと浮き上がり
突起の横に着地した。
そして、ドラゴンに巻かれた鎖を一瞥すると
スパッと鎖が断たれた。
鎖から解き放たれたドラゴンは
その人物ではなく、真っすぐキルヒードに向かって
突進し始めた。
「殺しちゃだめだ。仲間を呼ぶから。」
その人物は突起に手をかざしながらそう言った。
キルヒードは見た光景の情報整理する事をやめ
剣と盾を構えた。




