再生
城の廊下は、静まり返っていた。
戦の匂いはまだ残っている。血と焦げた鉄の匂い。
遠くでナシャシャとギモンを称える歓声が聞こえる。
キルヒードが第6の間に向かい歩き出そうとした瞬間
「待って…」
振り返るとクリシュがよろよろと起き上がろうとしていた。
キリアンは剣の柄に手をかける。
しかしキルヒードは手でそれを制した。
クリシュは続ける
「あなたの両親は無事よ…」
「ああ」
キルヒードはそれだけ言って再び歩き出した。
6の間に入ると、数人の死体が転がっていた。
見回すと、奥のソファで母が横たわっている。
「母さん!」
急いで母の元へ駆け寄った。
「ああ キルヒード……酷い夢を見ていたわ。」
「もう心配いらないよ。」
キルヒードはビビの前髪をかき分けてやり
毛布を掛けなおした。
「父さ…王はどこに?」
「多分、玉座の間じゃないかしら…」
その時、キリアンが部屋に入ってきた。
クリシュがキリアンの肩を借りて、うなだれている。
「キルヒード、ここは私に任せて。」
キリアンは微笑んでいるが、目は笑っていない。
「すまない姉さん。何人か兵を寄こすから」
キルヒードは姉に少し微笑んだが、入り口に向きなおると
厳しい表情に変わった。
キルヒードと入れ違いに数人の兵士がどかどかと
部屋に入っていった。
キルヒードは最後の兵に目くばせし、兵はコクっと頷いた。
キルヒードはひとり、玉座の間の奥へと続く扉の前に立った。
軽く押すと微かに蝶番が軋む音がした。
窓辺に、ジャヒードが座っていた。王冠は卓上に置かれている。
背中は丸く、夕陽がその影を長く引き伸ばしていた。
「終わったか」
父は振り向かずに言う。
「まだです」
キルヒードは答える。
沈黙が続く。
「私は……何も守れなかった」
ジャヒードは窓の向こうを見つめながら言った。
キルヒードはしばらく言葉を探さず、ただ父の背中を見ていた。
そしてキルヒードが口を開く。
「あの時……父上は、どこにいた」
冬の訓練場。
学生たちの嘲りの声。
蔑んだクリシュの目。
ジャヒードの手が、わずかに震えた。
「……知っていた」
それだけだった。
キルヒードは目を閉じる。
大きく長く息を吸った。
「私も、弱かったのです」
静かだが、その言葉には力があった。
ジャヒードが目を閉じた。
「俺から奪え。王座を」
父の声はわずかに震えていた。
キルヒードは首を振る。
「奪いません。」
ジャヒードはキルヒードを見た。
「継ぐのです。」
キルヒードは低く静かに父に向かって言った。
夕日に照らされた息子の瞳は、父ジャヒードには
とても眩しく映った。
世代が、そこで入れ替わったのだ。
誰も見ていない。だが、確かに。
◆
城の中庭に、違う兵団が整列していた。
鎧は土にまみれ、長征の疲労が残っている。
その先頭に、シシルが立っていた。
帰還の報を受けたのはつい先刻だ。
シシルはゆっくりと兜を外す。
視線は真っ直ぐ、キルヒードを射抜く。
「……王宮の混乱は収まりましたか」
王とは呼ばなかった。
シシルの猛禽のような目は、キルヒードの一挙手一投足
を見逃すまいとしているようだった。
キルヒードは一歩前へ出る。
「ご苦労だった。シシル、色々あったと聞いた。」
シシルは頭を下げる。
「このシシル、不覚を取りました。何卒罰を……」
「罰する相手はお前ではない」
キルヒードは剣を抜きアルハジルの方角へ指した。
夕日が刃に反射する。
「東に進軍する。」
誰も何も言わない。
バタバタと風が旗を鳴らす。
「陛下は」
シシルが口を開く。
「退いた」
キルヒードはシシルの目を真っすぐ見て一言そう言った。
周囲の騎士たちから小さくざわめきが起きる。
シシルの瞳が、わずかに細まる。
「……お変わりになられましたな」
「ああ」
キルヒードの瞳は変わらなかった。
そこには不安も、恐怖も、憎しみも、歓喜も
無かった。
ただ事実を漫然と受け止める空気が流れていた。
シシルは、ゆっくりと片膝をついた。
「我が剣は、リザード国に捧げる」
キルヒードは頷く。
俺ではない―――
「この国を守ってくれ。」
その瞬間、シシルの中で何かが確定する。
あの幼い日の王子の目。
折れなかった。
あれは、消えていない。
「……御意」
兵達が一斉に膝をつく。
この時、キルヒードの元、リザードの軍の兵士達の瞳に再び炎が宿った。
そしてすぐに軍は再編された。
「初めまして、シシル殿」
ナシャシャはそう言って、腕を胸の前に置き
一礼した。
「そなたは?」
「私はナシャシャと申します、姓はありません。
これまで私は叔父……ムフティールの
秘密部隊、黒いスカラベの部隊長をしておりました。」
「どうりで…見かけたことが無いと思っておった。
全ては聞くまい。 お主がここで、こうして居る、という事が答えという事だ。」
「以後、お見知りおきを…」
そう言うとナシャシャはもう一礼し、兵達の中に紛れていった。
シシルは、フフと口角が上がったが、すぐに戻した。
「ギモン!!」
小さな小屋の中でキセルを吹かしていたギモンは
驚きの余り、キセルを落としそうになった。
ギモンはめんどくさそうに、シシルの前に姿を現した。
「ああ……ご無沙汰してます、教官……」
ギモンはシシルを真っすぐ見ずに言った。
「わしがここに着いたら お前が一番に来んか!
バカたれ!」
「いや、色々処理がありまして……」
「煙草を吸う時間はあるのにか!?」
「え!? 何で…」
「あとで手合わせをするぞ。ぬるま湯生活で
腕が落ちとりゃせんか確認する!」
「げえ……」
かくして
ギモン、ナシャシャ、シシル。
それぞれの持ち場が決まった。
「この軍を3隊に分ける。
騎馬隊1、歩兵部隊2、大きく3部隊に分け
それぞれの部隊を50名から100名に分け
指揮官をつける。」
キルヒードは大きな声で言った。
「騎馬隊900の大将はナシャシャ
重装歩兵部隊の大将はシシル
そして、軽歩兵部隊の大将はギモン」
3人とも片膝をつき、キルヒードの前にいる。
「総大将はシシル」
「光学迷彩を使える者はできるだけギモンの隊へ
振り分けろ。」
かくして軍は成った。
キルヒードの王としての最初の命令が下る。
「これよりアルハジルへ進軍する」
誰も異を唱えなかった。
鬨の声が地面を揺らす。
◆
進軍は静かだった。
軽口を叩く者は誰一人いなかった。
兵士たちは去来する思いを胸に秘めながら
歩を進めた。
龍脈が戻ったことで、兵たちの身体は軽い。
呼吸は深く、視界は澄んでいる。
龍脈の変化に気が付いているのはキルヒード
だけだったが。
アルハジルが近くなった時、前方から漂う匂いが変わった。
甘い。
腐っている。
花の匂いだ。
丘を越えた先に、アルハジルが見える。
かつて栄えた城郭都市。
今は、街全体がピンク色の靄がかかっているようだ。
「皆、マスクをせよ。吸うと肺がやられるぞ」
城壁に赤黒い蔓が絡みつき、花弁が風に揺れている。
門は半開きのまま止まっている。
中から、呻き声。
最前列の兵が顔をしかめる。
門の隙間から、影が這い出た。
兵達はのけぞって狼狽したが
先頭のギモンが一太刀のもと切り伏せた。
「許せ…」
ギモンが呟く。
「臆するな!この街の人々はもはや人にあらず。
噛みつかれる前に切り伏せよ!」
キルヒードは叫んだ。
皮膚が崩れ、口元から花弁が垂れ下がる。
花中毒の末期。
元は市民だったもの。
軍は更に奥に進む。
城壁の上には
四肢を異様に伸ばした者たちが張り付いている。
眼球は赤黒く濁り、背から管のようなものが脈打っている。
完全に使徒と同化した異形の存在になり果てていた。
ナシャシャの痣が、じわり、と疼く。
シシルが低く言う。
「正面突破は危険です。罠があるかもしれません」
キルヒードは城門を見上げる。
ここは龍脈の流れが歪んでいる。
この場所だけ龍脈の影響がほとんどない。
(龍脈の流れを阻害する何かがあるのかもしれない…
あの会所で感じた物と似ている)
「……ここから行こう」
キルヒードは静かに言った。
「御意に」
シシルが静かにうなずいた。
「ギモン、切り込みを頼めるか?」
「今更何言ってんだ。あんたは命令だけすりゃあいい」
「よし、ではギモンの隊で入り口付近の確保を頼む。
敵影が薄くなったら、門を開いてくれ。
門が開いたらナシャシャの騎馬隊で一気になだれ込む」
ギモンが叫ぶ
「よっしゃ聞いたかお前ら! 気合入れろ!」
オオ!!――という声で地面が揺れる。
そしてギモンを先頭に、光学迷彩により姿が消えていく。
キルヒードは一歩、前へ出る。
キルヒードはナシャシャを見た。
コクっと頷くナシャシャ。
風が止む。
花弁がはらりと落ちる。
「ここからだ」
キルヒードは抜刀し、天高く掲げた。
軍が静かに構えた。
半開きの門の向こう、暗闇が口を開けていた。




