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永劫のセツナ  作者: ALOE
35/45

未来の種

血と汗のにおい、剥がれ落ちた鱗。


罵声や怒声でごった返すンディマの西の広場に

ナシャシャは立っていた。


あのギモンとかいう兵士と剣を合わせた時

何か途方もない時間が流入してきた気がした。


それはギモンも同じだっただろう。

いや、周りの兵士もみな同じ体験をしたはずだった。


そして恐ろしい夢を垣間見た気がするのだ。


一瞬の記憶の残滓が残っていた。

だが夢かもしれない。


あの時、剣がお互いの首筋に迫りそうな時

あの男に数年ぶり、いやもっと遥かな時間を経て

再会した感覚だった。


現実は一瞬に過ぎなかったが。

多分…


ナシャシャは両手で顔を覆った。


これまでの事を振り返り、混乱していた。

「私はどうすればよかったんだ…」


ふと腕を見ると、赤い花の病が消えていた。


体の至る所に残った鱗の下の(あざ)だけが

その事を伝えていた。



--------------------------------



ナシャシャは戦争孤児だった。

まだ物心つく前に、両親は帝国のダークエルフに殺された。


彼女は程なく国の運営する孤児院に収容された。

しかしそこは表向きには人道支援施設として運営されていたが

裏では子供を利用したビジネスや工作員の育成などで

莫大な収益をあげていたのだった。


しかし、当時ンディマ軍の将軍であった

ムフティールは、その事にとても心を痛めており、

そこから逃げ出した子供や

落ちこぼれた子供の噂を聞くと、裏で手を回し、助け出し

独り立ちするまで面倒を見るなど、熱く優しい心を持った

人物であった。


一方ナシャシャは生まれつき他の子供よりも

体が大きく

国家の秘密部隊の要員候補として

特別な訓練を施されてきた。


13歳の時には暗殺のスペシャリストとして

頭角を現し

腐敗した上流社会においては引く手数多(あまた)の存在にまで

成長していた。


14歳になった時、ナシャシャは

ムフティールの目に留まる。


ある時、ムフティールは一人の少女を見かける。

檻に入れられ、鎖につながれた

ボロボロの着物を着た表情のない少女。


暗殺の仕事をする時以外はこの状態で、食べ物は

最低限の量。


彼女に関する説明を受けたムフティールはそれから

なぜか彼女の姿が頭から離れなかった。


ある時、ムフティールは暗殺対象となった。


寝込みを襲われたのだ。

その暗殺を止めたのは、デモニウスだった。


その頃ムフティールは、悪政を貴族の腐敗が原因だと

議会に強く訴える事が多かった。

貴族にとって都合の悪い事象を暴露したのだ。


そのためムフティールは秘密裏に粛清対象となったと

噂がたったのだ。


ムフティールが提唱した

貴族に不利な法案が可決するまでの数日間の間に

暗殺が起こる事が予想され、当時、ムフティールの

近衛(このえ)隊長だったデモニウスが寝ずの警備を

買ってでてくれたのだった。


その頃のデモニウスは国内最強の剣士とされ

真面目で誠実な好青年であった。


かくして、忍び込んだ暗殺者はいとも簡単に

デモニウスに捕らえられた。


ムフティールが確認すると、それは先日見たあの少女だった。


この時のデモニウスは彼女について

「荒削りだが、あの太刀筋はいずれ

私をも凌駕するかもしれません。」

と言わしめた。


この一件で表向きには暗殺者を排除した事になったが

暗殺の失敗のニュースは闇に葬られていった。


一方ムフティールはこの少女を殺さず

自分が面倒を見るといって聞かなかった。

結局、反対意見を押し切り、少女を養う事になる。


最初はまったく懐かない、獣の様な状態だったが

ムフティールの粘り強い世話のおかげで

彼女との距離を少しずつ縮めていった。

そして様々な教育を施し、教養も身につけ

ていった。


そんな生活が10年ほど続いたが、その間に

ナシャシャはムフティールの秘密部隊の指揮官に抜擢された。


その頃のリザード国は、政治も経済もガタガタで、各地でデモや

暴動が起こっており、国を退去する人々も後を絶たなかった。


同じころ、正体不明のローブを着た一団が

ンディマに流れ着き、痛みを取る薬の行商と称して

特別な丸薬をジャヒード王に献上した。

その対応をしたのがムフティールであった。


ムフティールはローブの一団を大層気に入り、

彼らはムフティールの屋敷に入りびたった。


ついにはムフティールは近しい者以外の人物

との面会を避けるようになっていった。


クーデターの話が出たのはそんな頃だった。


計画は秘密裏に着々と進められた。

ジャヒードの悪政を説き、同士を集め、

やがてもう一つの都市アルハジルを占拠した。


「武力で制圧するのではなく、

対話で民の信用を取り戻す。」

ムフティールはナシャシャにそう説明した。


ナシャシャにとってはムフティールの言う事が全てだった。

クーデターによって国が正常になるならば

命じられるまま命をかけて仕事をするだけだった。


ある日、ムフティールの体から甘い匂いがするのを感じた。


そして数日後、自分にも甘い香りが漂いだし

ひと月も経たないうちに、背中に赤い花が生えて

きたのた。


それから時折、恍惚感と無力感が発作のように

襲ってくるようになった。

それはまさに麻薬であった。


そして、ムフティールも次第に変わっていった。


食事の量が尋常ではない事。

まったく睡眠をとらなくなった事。


近しい者にも会いたがらず

今では衝立(ついたて)ごしの会話になってしまった事。


しかし、このような変化はムフティールだけではなかった。


街中がおかしくなっていた。

街の至る所に赤い花が咲き、甘い腐臭が漂っていた。

路地裏では人が倒れ、虚ろな目でぼんやり空を見上げる者


商店はほとんど休業しており

住宅の窓は硬く閉じられていた。


まるでゴーストタウンそのものだった。



そんな中、ナシャシャに命が下る。


「首都ンディマをジャヒードから奪取せよ」


「対話ではなかったのか…」

ナシャシャは呟いた。


なんとか兵をかき集めたが、兵の多くは赤い花の病に

感染していた。


(これではまるで……)


それでもナシャシャはムフティールの命を忠実に

実行していった。


今自分があるのは紛れもなく彼のおかげなのだから。


「だが同じ国の民を……」





城門前は、重い空気に包まれていた。


投降兵たちは武器を地に置き、黙って立っている。

その前に、ひと際大柄な女が一歩出た。


鱗の間に走る赤黒い痣が、陽の光を鈍く反射する。


ギモンが、キルヒードに低く言う。


「こいつらを連れてきたのはあの女だ」


キルヒードは視線を向けた。


ギモンは続ける。


「ムフティール軍からの離脱だ。裏切りかどうかは知らん。

だが、こいつが言った。“意味を失った”と」


投降兵たちは動かない。皆うなだれている。

言い訳も弁明もない。


女が口を開く。


「処分を」


その声は静かだった。


「戦犯だ。あたしは――」


「必要ない」


キルヒードの声がそれを遮った。


一瞬、風が止まる。


ンディマ兵がざわつく。


キルヒードはその女を見ていた。


ほんのわずかに、その視線が頬の痣に触れる。


だが何も言わない。


「お前の名は?」


「ナシャシャ」


「連れてきた兵は、お前がまとめろ」


それだけだった。


ナシャシャは目を細める。


それは赦しではない。

信頼でもない。


役目だった。


「従えるか」


キルヒードは続ける。


「ここに立った時点で、全員同じ側だ」


兵たちの間に小さなざわめきが走る。


「俺たちの敵は内輪ではない」


その声は大きくない。

だが、揺るがない。


ナシャシャの胸の奥が、わずかに震えた。


――あの瞬間。


時間が止まったときの、あの一瞬。


世界が裏返った感覚。


叔父(ムフティール)の未来がもうすぐ終わると理解した、

あの感覚。


そして今。


キルヒードの魂に、叔父とは違う“流れ”を感じる。


言葉にできない。


説明もできない。


だが、確かにある。


「……了解した」


ナシャシャは短く答えた。


振り返り、兵たちを見る。


「聞いたな」


その声に、迷いはない。


投降兵たちの瞳に光が戻る。

そして皆静かに頷く。


ギモンは腕を組み、鼻を鳴らした。


「三割しか残らんかもしれんがな」


キルヒードは言う。


「全員生きて戻る」


一瞬、空気が変わる。


ナシャシャは、はじめてわずかに息を吐いた。


処刑を覚悟していたはずの自分が、

いま、生きる側に立っている。


赤黒い痣が、かすかに疼いた。


だがそれは痛みではない。


この時を心に刻む境界の印。


ナシャシャは前を向く。


「隊列を組め」


兵たちが動き出す。


流れは、方向を変え


ゆっくり動き出した。



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