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永劫のセツナ  作者: ALOE
31/45

脈動する

水が、いつもと違う味がした。

リザード領の外れ、古い井戸の傍で、少女は桶を

引き上げた。

手の甲と背中に鱗が残る程度の混血で、

名を問われても答えない。


「おい! 勝手に水を()むんじゃねえ 

あっちへ行け!」

そう言って男は少女に石を投げた。


石は当たらなかったが、少女の顔や腕は

傷だらけだった。

少女は腰をかがめて走って逃げていく。


「また来てるわ あの混血。気持ち悪い」

「人間の女に産ませた子らしいのよ……」


住人の(ささや)きを背に受けながら少女は

駆けて行った。

理解しているかどうかはわからないが――

桶の水面は静まり返っていた。

周囲の風に揺れる草。はためくぼろ布。

なのに水だけが、まるで石のように静かだった。


そんな事は誰も気に留めないが


今日は水がおとなしい 


と少女は感じていた。


少女は水を口に含む。

次の瞬間、喉が熱くなった。

熱ではない。痛みでもない。言葉にする前の、

もっと深いところ――

魂を揺さぶられるような感覚だった。


いつの間にか空が、青い。

それだけで胸が詰まった。


青い空が、なぜこんなにも恐ろしいのか。

怖いのは青さではない。

青さの奥に、途方もない“時間”が

見えた気がしたのだ。

それはとてつもない恐怖だった。


少女の視界に、いくつもの光景が流れ込んだ。

これは…遥か昔…?

山がまだ若いころの姿。

川がまだ名を持たないころの音。

そして、鱗の民が笑っている。

人間族も一緒に笑っている。


――そんなもの、見たことがない。


なのに、知っている。

少女は膝をついた。

桶が倒れ、水が土に吸われる。

吸われた水が、地の奥に戻っていく。


耳鳴りがした。

頭の中の風景が高速で逆再生していく。

世界が、何かを見せようとしているように。


「……戻る」


誰に言うでもなく、少女は呟いた。

少女は生まれて初めて“言葉”を発した。


その瞬間、頭の中が真っ白になった。

見えていた光景がすべて消え、代わりに、

吐き気だけが残る。

胃の奥がひっくり返るような感覚に、

少女は嘔吐し、どさりと倒れた。


何を見たのか、思い出せない。

だが、見たことだけは分かる。


同じように膝をつく者が、同時多発的に

各地で増えていく。


流浪の民も、兵も、村の子供も。

誰もがそれぞれの形で、呆然としていた。


それでも一人、井戸の隣に立っている者がいた。

同じ水を飲み、同じ空を見ているはずなのに、首を傾けている。


まるで――何も起きていないかのように。


その者は一瞬、人の形をしていない気がした。

少女は薄い意識の中でその姿を見て、理由もなく確信した。

あれは、違うものだ と。





時間は少しだけ(さかのぼ)る。


セツナはもう一つのエネルギー溜まりを

見つけていた。


そこはキルヒードのたどり着いた場所より

まったく困難を要する事のない場所にあった。


人の行きかう生活道路から少し藪に入った場所に

小さな岩が祭られていた。


何故か、もう長い間、その場所に人の訪れた気配は

無かった。

恐らく何百年、何千年と。


岩の周りをよく見ると、リザード人の白骨がいくつも

散らばっている。


岩に手を置き、ゆっくり息を吐く。


すると、岩の上に黒い(もや)が立ち込め

楕円形の、精巧に模様が彫られた“輪”が出現した。


その輪の中心が赤く光ったかと思うと、いきなり巨大な

鎌がセツナめがけて振り下ろされた。


しかし鎌は空を切った。

その場所にはすでにセツナは居なかったから。


「……使徒」


一瞬でセツナは鎌を持つ何者かの手をつかみ

強引に引き抜いた。


引き抜かれたそれは

巨大な骸骨の様な姿をしていて。

何十本もの肋骨のような骨が(うごめ)いていた。

後頭部からチューブの様な管が輪の中に伸びている。


セツナが一瞥(いちべつ)すると、その管はすっぱりと切断された。


グギャーーー!!――


叫び声とも、咆哮ともとれる声を出すと

使徒の体はみるみる(しぼ)んでいく。


しまいには、ウナギのような姿になり

ポトリと地面に落下した。


使徒はのたうち回っていたが、やがて細かい

粒子に分解され始めた。


「我だけを(ほふ)ったとて……」


しゃがれ声のその言葉を最後に

使徒は風に溶けていった。


消える寸前、使徒はニヤついているように見えた。


セツナは岩の前に膝をついた。

手を伸ばし、岩に触れる。

触れた瞬間、この岩は見えている部分は

ごく一部だとわかる。


はるか地下深くまで刺さっているのだと。


その瞬間、体の内側に冷たいものが走った。

冷たいのに熱い。熱いのに痛くない。


 ――苦しんでいる。


龍脈が、そういう“性質”を持っているのが分かった。

怒っているのではない。善悪でもない。

ただ、自分に合わないものを通したくない。

刺々(とげとげ)しく、拒絶しているのだろう。


セツナは目を閉じ、岩の上に置いた手に

少しだけ力を込める。


すると、岩に亀裂が入り、岩の表面がポロポロと

砕かれて、中身が(あらわ)になった。


そこに、なまめかしい銀色の物体が現れた。

表面にはいくつもの溝があり、光の点が

心臓の鼓動のように溝を行き来していた。


セツナは少し後ろに下がり

両手をその物体にかざした。

地面が少し揺れたかと思うと、その物体は

ゆっくりと持ち上がり始めた。


セツナの目の前を、細長く巨大な銀色の物体が

立ち上がっていく。


(しばら)く、物体の上昇は続いたが、やがて終わりが見えた。

てっぺんは雲の高さを超え、もはや肉眼では

見えない長さだった。


かざした両手の右手を外し、別の場所にかざす。

すると、空間に亀裂が入り真っ暗な空間の入り口が現れた。


セツナは左手を動かし、その物体を空間の亀裂に差し込んだ。

物体は空間の穴にみるみる吸い込まれ、やがて

全部収まると、空間は滑らかに閉じられた。


セツナは息を止める。

ほんの一瞬、世界の音が遠のいた。

次に来たのは、膨大な圧だった。


詰まっていたものが堰を切ってあふれ出した。

地の底で行き場を無くした力が、ようやく解放された。

使徒による栓を取り除かれた龍脈は


猛々しく流れを取り戻した。

塞がれていた流れが、自分の形を思い出す。


セツナの腕の中を、何かが通った。

血でも魔力でもない。

言葉にできない。


だが確かに、身体を媒介として「戻っていく」。


セツナは歯を食いしばった。


これは癒やしじゃない。

祝福でもない。

ただ、当然のことが当然に戻るだけだ。


――そして当然は、人を壊す。


誰かが膝をつく気配が、遠くから伝わってきた。

泣き声。嘔吐。祈り。怒鳴り声。笑い声。


忘れ去られた記憶、欠けた意識が。

奪われていたもの…

思い出そうとしていないのに、

体が勝手に“やり方”を思い出していた。


そして、自分がこれから取る行動によって起こる事も

映像が流入してきた。


死や、病や、

それでもなお続いていく感覚。

セツナは目を閉じた。


「……忘れろ」


小さく呟く。命令ではなく、願いでもない。

その言葉を龍脈に流す。

そうでなければ壊れる、と理解しているだけの言葉だった。


当然の(ことわり)

だが、いきなりは耐えられない。


次の瞬間、流れが整った。

塞がれていた龍脈が、呼吸を取り戻す。

地が、息を吸う。


空気が変わった。

肺の内側の淀んだ膜が剥がれ、呼吸が深くなる。


セツナは立ち上がり、土を払い

フッと 姿を消した。


ここで起きたことは、無かった事なのだ。


「決めるのは…僕じゃない」


それでいい。


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