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永劫のセツナ  作者: ALOE
10/42

本性

重たい空気が謁見の間を支配していた。


 セツナは一歩、前に出た。

 赤い絨毯の上、王族や高官たちの視線が一斉に突き刺さる。

 そのすべてを正面から受け止めながら、短く息を吸い込んだ。


「……私は、皆さまがご存じの通り奴隷です。ここよりはるか西の辺境の村から来ました。名をセツナと申します。 セファルド殿下にお願いがあります。 我々人間を奴隷から解放してください。」


 静かな声が大理石で覆われた広い静寂の空間に響き渡った。

 叫びではない。だが、その一言は確かに場の温度を変えた。


「なんだと……?」


「解放だと?」


「こいつ、自分がどこに立っていると思っている……」


「立場をわきまえろ! 奴隷め!」


 ざわめきが広がる。

 獣人たちの怒りと嘲りと、理解不能という色が渦を巻いていた。


 セツナは続けた。


「ここに来て見た光景。鎖に繋がれ、荷車を引かされていた人たち。

 的当ての的にされていた子供たち。

 檻に詰め込まれて、番号で呼ばれていた人たち。

 しかし少なくとも僕の村ではこんな扱いはされなかった。だけど先日、狩りの標的にされました。

 遊び半分で。ただの暇つぶしに殺されかけたのです。だけどそれでも今までならばそれも受け入れていたでしょう。でも今は……」


 胸の奥で、何かがゆっくりと軋む。

 それは、灰色の霧の奥から漏れてくる古い怒りの残響のようだった。


 セファルドが、わずかに目を細める。


「タイレル。お前が連れてきたこの小さな客人は、随分と大胆な要求をする」


「はっ……」


 タイレルは膝をついたまま、額を床につける。


(おもて)を上げよ、タイレル」


「殿下。私が幼き頃は人間との距離はもっと近かった。少なくとも会話がありました。いつの頃からかそれも無くなった。それはこの国の民の心根が原因もあるのではと。 このままでは、分断や内紛が起き帝都の崩壊へとつながるのではないかと危惧する次第です。」


 それは進言であり、同時に懇願だった。


 セファルドはしばし沈黙し、やがてため息をつく。


「……今すぐ答えを出せと言われても、それはできぬ」


「殿下!」


 思わず声を荒げたのは、玉座脇に控えていたガルマンだった。

 その金色の瞳が、燃えるような光を宿している。


「人間どもを解き放てば、帝都の秩序はどうなるのです。

 人間は重要な労働力であり資源。軍事力も、経済も、一夜にして崩れましょう、それにタイレル殿が語るには我が民が原因であると。こやつら人間、矮小なゴミどもの為に我ら高貴なる一族に妥協しろという事でしょうか?」


「分かっている」


 セファルドは短く言った。


「だからこそ、“今すぐ”はできぬと言っている。

 だが、変えなければならぬということも、私は理解している」


(チッ……)

 ガルマンははっきりと舌打ちをして見せた。


 しかしセツナはセファルドのその言葉に、少し目を見開いた。

 完全に拒絶されると思っていたからだ。

 意外だった。

(……この人は、少なくとも話が通じるかもしれない。)


 セファルドはセツナを見据える。


「セツナよ、仮に人間を全て解放したとしてどうするのだ? 今まで従う事でしか生きられなかった者が自由を手にした瞬間、路頭に迷う者たちが彷徨い始めるのだ。そして、労働力としての人間の抜けた穴をどうやって埋める?その責任はだれが取るのだ?」


「私は、人間の国を作ります。そして、労働力を買ってもらいます。」

 獣人たちがざわつく。


 セファルドは右手を前に出し、場を制した。

 一瞬でざわめきは静寂に変わる。

「人間。

 先ほどお前が使った力。お前には我々には知り得ぬ巨大な力が眠っているのだろう。

 だが、お前一人が力を持っていたとしてもどうにもならぬ。

 帝都、いや他の種族を含むこの世界を維持している枠組みを一度に崩せば、真っ先に犠牲になるのは――お前が守りたいと言った人間たちだろう」


「…………」


「何百年もかけて固まった構造だ。

 一言で壊し、一言で作り直せるような、軽いものではない」


 正しい。

 理屈としては、セツナにも分かった。


 だが、今日見たあの光景――

 鎖、鞭、檻、路地裏の死体のような人間――

 それらを胸の中に置いたまま、「ゆっくり考えよう」と言われても、飲み込みきれない。


 そんなセツナの葛藤を見透かしたように、セファルドは続けた。


「……答えはすぐには出せぬ。

 だが、お前の要求を無視はしない。

 時間をくれ」


「どれくらいですか」


 自分でも意外なほど、声は冷静だった。


「一月……いや、まず兄である王にも報告せねばなるまい。

 ただ……いや、気にしないでくれ。

 “人間の立場を改善する方向で動く”ことだけは約束しよう」

 また、謁見の間に囁きあうざわめきが起こった。


 その約束がどこまで本気なのか、今のセツナには判断できない。

 ただ、セファルドの目は冗談を言う目ではなかった。


 その時だった。

 セファルドの横に控えていたガルマンがにやりと笑った。


「殿下。

 その約束が“現実的かどうか”――試してみましょうか」


 嫌な笑い方だ、とセツナは思った。


 セファルドが不審げに眉をひそめる。


「……どういう意味だ?」


「ちょうどいい奴隷が中庭におります。

 人間解放などと言う者が現れた時、帝都の兵や民がどう反応するか。

 試してみるのも一興かと」


 ガルマンの声には、妙な熱があった。

 タイレルがわずかに身を固くする。


(嫌な予感がする)


 セツナはその感覚を、飲み込めずにいた。


 中庭は、戦の訓練にも使われる広い石畳の広場だった。

 兵士たちが簡易的に集められ、上階の回廊には見物人の獣人たちが群がる。


 その中央に、一人の人間が(ひざまず)かされていた。

 痩せた青年。

 両手は背中で縛られ、首には鉄の輪。

 目だけが、乾いた絶望を湛えている。


(……さっき、檻の区画で見た顔だ)


 セツナはすぐに気づいた。

 こちらをじっと見つめていた、あの男だ。


 ガルマンがゆっくりと青年の後ろに立つ。

 腰には長剣。

 その刃はすでに抜かれていた。


「この者は、反抗的な奴隷だ。

 監督の命令に従わず、荷を放り出し、殴られても笑っていたという」


 ガルマンの声が、中庭に響く。


「人間解放を叫ぶ者がいる。

 ならば問おう。このような奴隷にも、自由を与えるべきか?」


 視線がセツナに集まる。


 セツナは歯を食いしばった。


「……その人は、ただ殴られたくなかっただけだ」


「殴られるのが嫌なら、逃げればよかったものを」

ガルマンは見下す目でセツナを見た。


「逃げた先も、地獄という事を知っていたんでしょう」


 口から出た言葉が、自分のものではないような感覚があった。

 霧の奥で、何度も似た会話を繰り返してきた記憶が疼く。


 「殺せー!」

 「用無しのごくつぶし!」

 どこからともなく容赦のない声が飛んできた。


 ガルマンは肩をすくめた。


「小僧、これが我々の普通の反応だよ。なんとも思わないんだよ。わかるか? お前たち人間にはなんの権利もない。貴様ら人間は我が種族よりも弱い。たとえ解放されたとしても、捕らえられ、また元の木阿弥(もくあみ)だろう。」


 その瞬間だった。


 ガルマンの剣が、青白い光を帯びた。


 セツナだけが、その“何か”をはっきりと見た。

 剣から、細い魔力の線が枝分かれし、彼の足元まで伸びてきている。

 まるで、(お前らなどすぐに殺せるぞ)と言わんばかりに。


(……俺に見せるためにやってる)


 そう理解した瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 ガルマンは青年の肩に手を置く。


「見ていろ、人間。

 お前が守りたいと口にした“ゴミ”が、どう扱われてきたかを」


 そして、何のためらいもなく、その首を刎ねた。


 ボトリと落ちた首が少しだけ転がって止まる。その顔は空を見上げていた。

 目からは血の涙が流れていた。


 ガルマンに拍手が沸き起こる。

 ガルマンは胸に腕を当て、一礼した。


 セツナは一瞬、時間が止まったように感じた。


 青年の首から血が噴き上がる。

 だが、セツナの目には、血の赤よりも、青年の瞳の最後の光が強く焼き付いた。


 ――助けて。

 ――もう嫌だ。

 ――生きたくない。


 無数の感情が、言葉にならないまま、胸に叩きつけられる。


 膝が震えた。


「……なんで」


 自分の声が、自分のものではない。


「なんで、笑ってるんだ」


 ガルマンは、静かに笑っていた。

 誰にも気づかれない程度に、わずかに口元を吊り上げて。


「これが現実だ、人間。

 お前の願いは、ここでは“おとぎ話”だ」


 その笑みを見た瞬間――

 胸の奥で、何かが、ぷつりと切れた。


 音は、たぶん自分にしか聞こえなかった。

 だが次の瞬間、世界が白く弾け飛んだ。


 視界が、真っ白になる。


 音が遠くなる。

 風が止まり、空気が震えた。


(……あ)


 何かを考えるより先に、ただ胸の奥から“力”だけがあふれた。

 灰色の霧の向こうに積もっていた膨大な何かが、一気に決壊したようだった。


 体の表面から、見えない炎が吹き上がる感覚。

 骨が軋み、肉が振動し、心臓が爆発しそうになる。


「セツナ!!」


「皆伏せろ!! 殿下を!!」


 誰かの叫びが、遠くに聞こえた気がした。

 タイレルかもしれない。

 フィオラかもしれない。

 もう判別がつかない。

 

 セツナは両手で顔を覆った。

「あ ああああああああああああああああ!!」

 

 次の瞬間、轟音が帝都全体を揺らした。


 王都フェルザリアを中心に、巨大な衝撃波が走った。

 王宮の外壁が崩れ、塔が折れ、街の家々の屋根瓦が一斉に吹き飛ぶ。

 石畳が波打ち、人も獣人も、みな地面に叩きつけられた。


 爆心地――中庭の中心には、ひとつのクレーターができていた。

 その中心に、セツナが倒れている。


 周囲には、うめき声が満ちていた。

 骨折、打撲、出血。

 兵士も市民も区別なく倒れ、空を見上げている。


 誰かが叫んだ。


「……大丈夫か!?」


「重傷者は早く宮殿へ!」


 傷の浅い者達がバタバタとせわしなく足りまわっている。


 タイレルの妻ラシェルはこの惨状を注意深く観察していた。

 ――瓦礫や粉塵はあっても、潰された肉塊はどこにもない。

 重傷者はいても、致命傷で即死した者が、ひとりも見当たらない。――


 だが、その事実に気づく余裕がある者は少なかった。


「人間がやりやがったんだ!」


「見たか、あの光! あいつが()ぜたんだ!」


「怪物だ!」


「化け物め!」


 罵声が、恐怖が、怒りが、渦を巻く。

 セツナは意識を失ったまま、何も知らない。


 タイレルは砕けた石柱にもたれかかりながら、苦しげに息を整えた。

 骨が何本かいっている感覚がある。それでも視線だけは、クレーターの中心の少年をとらえていた。


(……こいつ、やっぱり……)


 恐怖と、同時に、妙な安堵があった。

 あの規模の力で、この程度の“被害”で済んでいること自体、常識では考えられない。


 フィオラは倒れた兵士たちの間をすり抜け、必死にセツナへ手を伸ばそうとしていた。

 ラシェルは血を滲ませながら彼女の腕を掴む。


「まだ近づくな、フィオラ! 何が起こるかわからない!」


 ラシェルの声も震えていた。

 夫も、妹姫も、王も、この場の全員が、“未知の力”の前で足を止めている。


 その時だった。


 クレーターの底、セツナの胸のあたりから、ふっと柔らかな光が漏れた。


 淡い緑色の光。


 最初はかすかな揺らぎだった。それが、じわじわと大きくなり、やがて中庭全体を満たし始めた。


「……なんだ?」


 誰かが呟く。


 緑の光は、煙のようにゆらめきながら王都全体へと広がっていった。

 崩れかけた家々、割れた窓、粉々になった瓦礫……その隙間にも入り込んでいく。

 そして、地面に倒れていた人々の体を、優しく包み込んでいく。


「傷が……」


 最初に声を上げたのは、足にひどい裂傷を負っていた兵士だった。

 痛みがすっと引き、破れた皮膚が一瞬で塞がっていく。


「腕が……動く……!」


 折れていたはずの腕が、元どおりに。


 誰もが驚愕する中、緑の光はさらに遠くへ届いていく。

 城下町の路地裏、薄暗い部屋の中、病床の上――


 そのひとつに、青白い顔で横たわる獣人の女がいた。

 痩せ細り、呼吸も浅い。

 ベッド脇で看病していた者が、思わず息を呑む。


 窓の隙間から差し込んだ緑の光が、女の体を包んだ。


「……オリヴィア様?」


 女の瞼が震え、ゆっくりと開いた。


   

     ◆



 暗闇の中で、セツナは立っていた。


 床も壁も天井もない、何もない空間。

 無数の光の粒だけが、遠く近く、漂っている。


(……ここは)


 何度か来たことがある気がした。

 はっきりした回数は思い出せない。ただ、“繰り返し”という言葉だけが、妙に馴染んでいる。


「やっと、ここまで来たね」


 背後から、声がした。


 振り返ると、そこに少女が立っていた。

 年齢不詳。

 髪の色も瞳の色も、虹のように色んな色に変わる。見るたびに少しずつ違って見える、不思議な存在。


 彼女の名を、セツナは知っていた。


「君は……その声は……エントリ?」


「うん。久しぶり、かな。

 こっちは、何百回ぶりって感じだけど」


 エントリは苦笑した。


「君、怒ったね」


「俺は……見ていたのか」


「ずっと、見てるよ。だって、それが私の“役目”だから」


 エントリは迷いなくセツナに歩み寄ると、彼の胸の中央にそっと手を置いた。


「ここ。

 君が千回、万回、何度壊れても残った、“核”みたいなところ」


 触れられた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 温かい。

 それでいて、痛い。

 懐かしい匂いがした。

 血と、涙と、笑い声と、焚き火と、雨の匂い。

 母のぬくもり……


「……今何を?」


「ちょっとだけ、君の“本当の色”を表に出しただけ。

 今までずっと、灰色の霧で覆われてたからね」


 エントリは微笑む。


「怖がらなくていい。

 君は“壊す力”だけじゃなく、“戻す力”も持ってる」


「戻す……?」


「うん。

 壊れたものを、元に戻す。

 本来あるべき姿に。破壊と再生。」


 その言葉と同時に、セツナの体から緑の光があふれ出す感覚がした。

 外の世界へ、何かが一気に流れ出ていく。


 セツナは思わず身を固くする。


「待って……また、誰かを傷つけるかもしれない」


「大丈夫。今度は逆。

 傷ついたものを、癒してる」


 エントリの声は、やわらかかった。


「ただし――

 隠れていた“醜いもの”も、表に出ちゃうけどね」


「……醜い、もの?」


「それが君の宿命だから。」


 エントリがそう言うと、視界が再び白く揺らいだ。


 緑の光が王都全体を包み込んだ瞬間――

 いくつかの場所で、異変が起きた。


 王宮の一角。

 魔術師団の詰所で、ガルマン配下の魔術師たちが次々と苦鳴をあげて倒れ込む。


「体が……!」


「う、うわああああ!」


 それと共に、バザール(商店街)や住宅の道端にいた町中の獣人の何人かが同じように苦悶の表情を浮かべ始めていた。


 彼らの皮膚が裂け、骨が軋み、内側から何かが這い出ようとしている。

 緑の光は傷を癒すが、“異物”にとっては毒だったのだ。


 やがて、骨だけになった手足が床をかき、骸骨が立ち上がる。

 人間と獣人の区別がなくなった、純粋な“骨の怪物”。


 中庭の一角では、ガルマン自身が膝をついていた。


「ぐ、ぅ……!」


 全身から黒い瘴気のようなものが吹き出し、緑の光が触れた部分は焼けるように煙を出し、異臭を放っていた。

 そのせめぎ合いの中で、ガルマンの体は引き裂かれ、歪な影が姿を現した。


 高さ十メートルはあろうかという、異形の存在。

 骸骨に似た頭部だが、目の穴は縦に裂け、いくつもの光の玉が蠢いている。

 胴体は細長く、肋骨が外側に反り返り、背中からは棘のような骨が何本も突き出ていた。


 右手には、巨大な大鎌。

 刃は黒く、その周りの空間が歪んでいるように見える。

 腰のあたりから伸びた太い尾の先には、太い針のような突起。


 それは、誰も見たことのない生物だった。


 その足元には――しなびた獣人の躯。

 ガルマンの本来の身体が、糸の切れた人形のように横たわっている。


 その生物は空を仰ぎ、甲高い叫びをあげた。


「――――――!」


 その声は音にならず、ただ世界を震わせた。


 次の瞬間、配下の骸骨使徒たちが各所から跳び出す。

 人間大の骨の体に、筋肉も皮膚もない。

 だが動きは信じられないほど素早い。


 一体が口を開いた。

 そこから、白い光線が放たれる。


 光線が触れた石壁が、一瞬で溶けて消えた。

 熱も、臭いもない。

 ただ、そこにあったものが跡形もなく消えていく。


「な、なんだあれは……!」


「撃て! 撃てぇ!」


 セファルドがタイレルに耳打ちする。

 「タイレル、使徒という存在を知っているか?」


 「噂だけなら……」


 「あれは恐らく使徒と呼ばれる存在であろう。 あれらは、兄に取り入っていると聞く。」


 「あれが…」


 兵士たちが矢を射かけるが、骸骨使徒たちは軽々と躱し、あるいは手の骨で掴み砕く。

 そして、口から白い光を吐き、王宮の壁や塔を次々に溶かしていった。


 人々の悲鳴が、今度こそ本物の地獄絵図となって王都を満たす。


 タイレルは、癒えたばかりの体に力を込めて立ち上がった。


「ガルマン……あれが、本性か」


 目の前で振るわれた大鎌が、数十メートル先の塔の上部を滑らかに切り落とす。

 風圧だけで、地面が(えぐ)れる。


 タイレルは落ちていた槍を拾い構えた。

 かつてその名を帝都中に轟かせた、獣人軍の将としての顔に戻る。


 タイレルは槍を構え目をつぶり集中する。

 体中にエネルギーが充填されていく。タイレルの覇気で地面が揺れる。

 小石が浮き上がるほどに。

 赤いオーラがタイレルを覆う。まるで炎に包まれているがごとく。


「ラシェル。 フィオラ様を連れて下がれ」

冷静な声だった。


「一人で行かせないわ!」


 どこからともなく兵士の叫ぶ声がする。


「魔人だ!! 魔人タイレル!!」


「タイレル様が帰って来たぞ!!」


「タイレル様に続け!!」


兵士たちは次々に剣を抜き、威勢を取り戻していく。


 ラシェルも剣を抜いた。

 フィオラは唇を噛みしめながらも、住民たちを安全な場所へ誘導しようと走り回っている。


 骸骨使徒の数体が、タイレルめがけて飛びかかってきた。

 その動きは音を置き去りにするほど速いが――


「ぬん!」


 槍の一閃。

 使徒達は束のように弾き飛ばされ、空中で粉々に砕け散る。


 タイレルは続けざまに二体、三体と薙ぎ払った。

 その動きは、全盛期を上回る鋭さだった。

 癒しの光が、かつて失ったものまで取り戻しているのだろう。


(いつぶりだろうか、この感覚は。エネルギーが満ちる……いける。

 これなら――)


 そう思った瞬間、空気がねじれた。


 巨大な影が頭上から降ってくる。

 主たる骸骨使徒が、大鎌を振り下ろしていた。


ガ――ン!!


「くっ!」


 槍で受け止めた瞬間、腕が悲鳴を上げる。

 槍身がきしみ、地面がめり込んだ。


 重い。

 単純な力だけで言えば、自分の何倍もある。


 大鎌が押し込まれ、タイレルの膝が砕けそうになる。

 辛うじて横に転がって回避したところへ、尾の先の針が地面を貫いた。


(だめだ……この槍では……)


 針に触れた石が、静かに溶けて消えていく。


(……あれに刺されたら、終わりだ)


 タイレルは冷や汗をかいた。


 何度か槍と大鎌を打ち合わせる。

 最初こそ押し返せたが、やがて分かってきた。

 最初、骸骨使徒は本気を出していなかったのだと。


「あなた!」


 ラシェルの叫びが聞こえる。

 彼女もまた、小さな骸骨使徒たちを切り伏せながら必死に足場を確保していた。


 だが、主の一撃だけは、彼女には重すぎる。


 骸骨使徒――“それ”は、ちらりともタイレルたちを見ていなかった。

 空洞のような眼窩は、ただ一点を見つめ続けている。


 クレーターの中心。

 そこに横たわるセツナの体。


 尾が、ゆっくりとその方向へ向けられた。


「させるかぁっ!」


 タイレルは全力で飛び込んだ。

 槍の穂先を、骸骨使徒の横腹に叩き込む。


 骨が軋み、ひびが入る。

 だが、それだけだった。

 致命傷にはならない。


 次の瞬間、巨大な手がタイレルを薙ぎ払った。


 視界が回転し、体が石壁に叩きつけられる。

 肺の空気が一気に抜け、意識が飛びかけた。


「タイレル!」


 ラシェルの悲鳴。

 フィオラもセツナの方へ駆け出そうとするが、目の前に骸骨使徒が立ち塞がった。


「退いて……!」


 フィオラの爪が骸骨の頭を切り裂く。

 だが、他にも何体もいる。

 すべてを相手にしている余裕はない。


 巨大な骸骨使徒の手が、セツナの首を掴み上げた。


 意識のない体が、ぶらりと宙に浮かぶ。


 尾の先の針が、ゆっくりとセツナの腹部へ向けられた。


「やめろおおおお!!」


 タイレルの叫びも虚しく、針はセツナの体を貫いた。


 血は、ほとんど出なかった。

 代わりに、針の内部へ何かが流れ込んでいるのが見えた。


 緑色の光。


 使徒の体内を駆け巡り、その骨の隙間から漏れ出していく。


 骸骨使徒の動きが、一瞬、ぴたりと止まった。


 次の瞬間、全身が痙攣し始める。


「……計算、外れ、か……」


 誰かの声が、骸骨の口から漏れた気がした。


 それは、聞き覚えのある声だった。

 ガルマンの声に、よく似ている。


「こ、この力は……多すぎる……

 それに、質が……違いすぎる……!」


 骸骨使徒が、よろよろと後退する。

 尾を抜こうとするが、針が外れない。

 緑の光の流入量が速くなり、骨の一つ一つを内側から押し広げている。


「やめろ……! やめろォォォ!」


 叫び声の中に、確かに“ガルマン”がいた。


 タイレルは、息を切らしながら立ち上がる。

 足は震えている。それでも、槍を握り直した。


 骸骨使徒の胸部――

 その中央に、黒い宝玉のようなものが脈打っている。

 先ほどまで気づかなかったそれが、今ははっきり見えた。


「タイレル様……」


 低い声が、頭の中に直接響いた。


 足元を見れば、しなびた獣人の躯――ガルマンの顔が、わずかに動いていた。

 半分朽ちたその目が、タイレルを見上げる。


「頼む……あれの核を……砕いて……

 俺は……乗っ取られていました……

 全部……俺の弱さだ……破壊してくれ 核を」


 涙を流すその瞳には、後悔と、それでもまだ残っている誇りが見えた。


「ガルマン……」


 タイレルは槍を握る手に力を込めた。


 かつての戦友。

 共に戦場を駆けた男。

 帝都の未来を語り合った夜のこと。


(俺に……お前を殺せというのか)


 その葛藤が一瞬で胸を締め付ける。

 だが、迷っている時間はない。


 骸骨使徒はゆっくりと、再びセツナを引き寄せようとしていた。

 緑の光と黒い瘴気が、互いに食い合っている。


 タイレルは吠えた。


「――馬鹿野郎がぁ!」


 全力で跳び上がる。

 重力が消えたかのように、体が軽く感じた。

 槍の穂先が、一直線に骸骨使徒の胸へ向かう。

 


 その瞬間、骸骨の中から、確かに“ガルマンの声”が聞こえた。


『頼みました、タイレル様……!』


「うおおおおおお!!」


 槍が核を捉えた。


 硬い手応え。

 だが、砕けない。


「まだだぁっ!!」


 全身の筋肉が悲鳴を上げる。

 昔ならとうに折れていたはずの骨が、それでも耐えている。

 緑の光が、彼の体内にも満ちていた。


 ひびが入る。

 黒い宝玉に、細かな亀裂が走った。


 次の瞬間、それは粉々に砕け散った。


 骸骨使徒の体が、びくんと震える。

 大鎌が手から滑り落ち、尾が力なく垂れた。


「――――」


 声にならない悲鳴とともに、骸骨の巨体が崩れ落ちていく。

 骨は灰色の粉となり、風に舞って消えた。


 王都各地で暴れていた骸骨使徒たちも、同時に崩れ落ちる。

 白い骨が粉となり、緑の光に溶けていった。


 ガルマン(使徒形態)が持っていた大鎌は消えずに地面に横たわっていた。

 すると突然オレンジ色に輝きだした。

 それが空中を漂い、セツナに吸い込まれていった。


 戦いが終わったあとには、奇妙な静けさが残った。


 瓦礫と、溶けて消えた空白だけが、そこにあった。


 タイレルは地面に膝をつき、その場に倒れ込んだ。

 槍を支えにしていなければ、立っていられない。


「タイレル!」


 ラシェルが駆け寄ってくる。

 フィオラも、泥だらけになりながらセツナの元へ走った。


「セツナ! セツナ、しっかりして!」


 セツナはまだ目を覚まさない。

 腹部の傷は、緑の光で塞がっていた。

 だが、その表情は苦しげだった。


 タイレルの視線は、別の場所で止まっていた。


 骸骨使徒が立っていた場所に、ガルマンが倒れている。

 今度は、元の姿。

 だがその体は、やせ細り、瀕死の状態である事はうかがい知れた。


「ガルマン!」


 タイレルが槍を杖代わりにしてなんとかたどり着くと、ガルマンは薄く目を開けた。


「……タイレル殿」


「馬鹿野郎……勝手な真似を……!」


 怒鳴りたいはずだったのに、声は震えていた。


 ガルマンはかすかに笑う。


「申し訳ありません……全部、俺の……弱さなのです……

 オリヴィアが……死の病にかかって……

 あいつは……“治してやる”と……囁いた……」


 その“あいつ”が誰なのか、ガルマンは言わなかった。

 言葉にすることすら、恐ろしかったのかもしれない。


「“殿下を懐柔し、この国を手渡せ”……

 その代わりに……妻の命と、“力”をくれると……

 俺は……飛びついた……」


 ガルマンの目から、涙が一粒零れた。


「どれも……俺の選択だ……

 言い訳の余地なんか……どこにも、ない……

 全部、俺の……罪だ……殿下を民を危険にさらしてしまった。」


 タイレルは、何も言えなかった。


 すぐそばに、セファルドが立っていた。

 彼もまた、ガルマンを見下ろしている。

 怒りとも、悲しみともつかぬ表情で。


「……ガルマン」


 セファルドの声は、驚くほど静かだった。


「殿下……申し訳……」


 謝罪の言葉は、最後まで続かなかった。


「あなた!!」


 甲高い叫び声が、中庭に響いた。


 皆が振り向くと、そこにひとりの獣人の女が立っていた。

 痩せてはいるが、その瞳にははっきりとした光が宿っている。


 オリヴィアだった。


「お前……どうして……ここに……」


 ガルマンが呆然と呟く。


「目が覚めたら……。

 体が軽くなって……信じられないくらい息が楽で……

 みんなが“緑の光が町を包んだ”って……」


 オリヴィアはふらつきながら歩み寄り、ガルマンの手を握る。


「あなたは……ずっと帰ってこなくて……

 どうしても、会いたくて……」


 ガルマンの目から、もう一度涙がこぼれた。


「……オリヴィア……」


 かすれた声で妻の名を呼ぶ。


「俺は……とんでもないことを……

 お前の命をだしに、国を売りかけた……

 タイレルにも……殿下にも……」


「もういいの」


 オリヴィアは首を振った。


「“あの光”が、私をここまで歩かせてくれた。

 きっと、誰かが……あなたにも、もう一度……」


 彼女の言葉は、そこで途切れた。

 ガルマンがそっと目を閉じたからだ。


 死んだわけではないようだ。

 かすかに胸が上下している。


 だが、その意識は深い闇の底へ落ちていった。


「……生きている」


 ラシェルが脈を確認して、そう告げた。


「今すぐ運ばないといけないけど、まだ間に合うわ」


 タイレルは大きく息を吐いた。


「ガルマン……

 お前には、まだ“贖う場”が残っているらしいぞ」


 セファルドは、しばらく黙って二人を見下ろし、やがて小さく呟いた。


「……後で話を聞かせてもらう。

 お前が知っていることを、すべてだ」


 その視線は、一瞬だけセツナへと向いた。


 中庭の中心で、少年はまだ眠ったままだった。

 だが、その胸の奥からは、かすかな緑の光が消えずに灯り続けている。


 タイレルは、その光を見つめながら思う。


(こいつは……世界そのものを変えてしまうかもしれん)


 それが救いになるのか、それとも新たな災厄になるのか。

 今はまだ、誰にも分からない。


 ただひとつだけ確かなことがあった。


 帝都フェルザリアは、もう二度と“昨日までの帝都”には戻れないということだ。


 そして、その変化の中心には――

 眠り続ける、人間の少年がいる。


 彼は奴隷である。


 その事実だけは、誰も否定できない。

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