53話 紅蓮の解放作戦開始
とうとう決行の日になった。
広間の空気が重い。汗と油と、研いだ刃の金属臭が混ざってる。
誰も無駄口を叩かないのに、人が数百二んも集まると息の音だけでうるさく感じる。
鎧の革がきしむ音、剣帯の金具が触れる音、どれも小さいのにやけに刺さる。
松明の火が揺れて、壁に映る影がでかくなったり縮んだりする。
広間の前方にいるのが、今回戦場に向かう総勢二百名。武器を握って、鎧を締めて、足元の感触を確かめてる。
息が荒いのを抑えるやつもいれば、逆に妙に静かなやつもいる。
その後ろには、戦う術を持たない連中と、戦場に向かうやつらの家族が固まっていた。
子どもを抱えた腕が強ばってる。誰かの手を握ったまま離せないやつもいる。
泣くのをこらえてる顔も、普通の顔を作ろうとして失敗してる顔もある。
きっと、家族や戦えない人間はこの数時間もしくは数日は生きた心地がしないだろう。
計画がどれだけ綺麗でも、戦う以上、死傷者は出る。
それは分かってる。分かってるのに、俺の中の嫌な部分が、妙に静かだった。
胸の奥に、怖さがないわけじゃない。
ただ、波が立たない。揺れそうなところに、薄い膜が張られてるみたいに、感情が引っかからない。
視界の端で、誰かの手が震えてる。喉を鳴らして唾を飲む音がする。
その全部が見えてるのに、心だけが落ち着きすぎてる。
きっと生前の俺だったら、情緒不安定になってるだろう。
命のやり取りなんて正気の状態で出来るわけがなかった。
きっと神が与えた精神防御の一環なのだろう。
エレナが俺の方に近づいてきた。
金髪はいつも通りきっちり編まれてるのに、今日だけはその編み目が少し乱れて見えた。
気のせいかもしれない。けど、祈りの癖みたいに指先が小さく動いてるのが分かった。
「シビさんは遊撃隊だと聞きました」
「まあな。新参者が命令するのもよくないだろう?」
俺の声は、思ったより冷たく響いた。自分でも分かる。戦闘の時の冷たく冷静な自分になっているのがよくわかる。
「ですが一人でなんて。わたくしは足手まといですか?」
「本部を護るのは大変なんだぞ。俺より厳しいかもしれない」
エレナは唇を結ぶ。反論したいのに、言葉を探してる顔だ。
彼女は本部の医療担当に当てられた。高位の僧侶っていうのはなかなかいないからそれは仕方ない事だった。
「ですが、わたくしはシビさんと一緒に行きたかったですわ」
「エレナが隠密の技能が使えるなら頼んでたさ。それに」
「それになんですの?」
「怪我したやつが、エレナの治療を受けたら、多分もう少し頑張ろうと思うよ」
エレナの眉が少しだけ上がる。怒ってるというより、見抜いてる。
慰め方が雑だって分かってる顔。
「そうやって言葉ばかりうまくなるんですの?」
「今の俺は戦うことしかできないから」
そこで一回、喉が詰まる。普段なら飲み込めるのに、今日は変に引っかかった。
「私の戻る場所を護ってもらえないかな?」
自分で言って、自分で驚いた。
この地に来て初めて「私」という言葉を使った。生前、散々使ってきた一人称。
俺と言ってたのは、この姿で舐められないためのやせ我慢もあった。
本当は誰も戦争なんかに連れて行きたくはない。
出来ることなら俺一人出方がつけれるのならきっと一人でやってただろう。
エレナがびっくりした顔をして、そのあと、今までより柔らかい笑顔を見せてくれた。
「シビさんは卑怯ですわ。こんな時に普段使わない女性言葉を使うなんて。でも危険だと思ったら助けに行きますわ」
本当にこれでよかったのか、ずっと自問自答していた。
魔物の街を奪い返すという大義名分は立派だ。けど、恋人や家族が死んでも、残された人は、よかったって思えるんだろうか?
「一人で背負う必要はありませんわ」
「背負ってなんかない。背負うのは多分、あそこにいる全員だ」
エレナは、俺の視線の先を追う。広場にいる全員が多分背負うことになるんだろうと思う。
「作戦を考えてる時も、ずっと『これでよかったのだろうか』って悩んでますわよね。もちろん戦争はよくないことですわ。でも尊厳を踏みにじられる時や、生きていくのに仕方ない時は、神様は戦うことを拒否いたしませんわ」
その時、ヒルダが赤髪を翻して壇上に立った。
松明の火を受けて髪が揺れる。燃えてるみたいに見えた。
彼女が一歩踏み出しただけで、広間の空気が変わる。
ざわつきが吸い込まれて、息の音までそろう。誰もが、次に来る言葉を待っていた。
ヒルダは一度だけ、広間をゆっくり見渡した。
数百人の視線が刺さる。その全部を受け止めたまま、声を張る。
「今日まで約三か月。よく準備してくれた」
誰かが拳を握る音がして、鎧がきしむ。誰も喋らないのに、確かに熱気が、士気が上がっているように感じる。
「多少トラブルもあった。裏切りも、迷いも、怖さもあったはずだけど、ここまで来た」
ヒルダの声は大きくないのに、広間の奥まで届いた。言葉が飾られてない。だから刺さる。
松明の火が揺れて、壁に影が伸び縮みする。鎧の金具が一つ鳴っただけで、そこだけ妙に響いた。
誰かが短く息を吐いた。
それに続くように、あちこちで呼吸が動く。吸って、吐いて、また吸う。
さっきまで固まってた空気が、ほんの少しだけ流れ始める。
裏切り。迷い。怖さ。
その単語だけで、頭の中に浮かぶ顔がある。言葉にしないだけで、ここにいる全員が一つか二つは抱えてる。
それでも今日まで準備して、ここに立ってる。立ってしまってる。
誰かが剣の柄を握り直した。革がきしむ音。別の誰かが、胸当ての紐を引いて締め直す。
祈りの言葉は聞こえない。けど、口が小さく動いてるやつはいる。
ヒルダは一度だけ間を置いて、広間を見渡した。
「……ここまで来た。今日、グランベルグの町を開放する」
瞬間、どっと歓声が爆発した。
床が震える。松明の火が揺れて、影が跳ねる。喉が裂けるほど叫ぶ声が重なって、広間が一つの獣みたいになる。
「おー!!」
ヒルダは歓声が落ちるのを待たない。その熱を、次の言葉で叩き込む。
「作戦通りだ。部隊長の指示を聞け。勝手に動くな。指示が途切れたら、本拠地に戻れ」
最後の一言が、刃みたいに鋭かった。
「生きて戻れ。そして勝利をみんなと分かち合おう」
誰かが、ごくりと唾を飲む音がした。
ヒルダは短く頷いた。
「行くぞ」
ヒルダの後にイヴァンの演説が続き、士気は上々みたいだ。
二百人みたいな大人数が固まって動いたら、奇襲も何もない。だから本拠地予定地まではグループで移動して、そこで集結する予定だ。
集まる時間も込みで、俺を含めた隠密にたけた連中が先に街へ入り、潜伏する。
同時に下水道から入る部隊が動き、各所で煙をたく。混乱や騒動が広がってる間に、本陣が突撃して街を奪い返す計算だった。
理屈は単純だが、難しいのは、全部が予定通りに行く可能性がないってことだった。
その後、広間の熱が少し落ち着いた頃。俺たちは動き出した。
まずはグランベルグから数時間離れた本拠地予定地にたどり着いた。
俺は石の壁の呪文を使って、最低限の防壁を組んだ。
地面の奥で何かがうなるような感覚がして、次の瞬間、石がせり上がる。割れた岩が押し出され、組み合わさっていく。指先から伝わる振動が、腕の骨まで響く。
壁が形になるにつれて、胸の奥が少しだけ落ち着く。
防壁が完成したぐらいにイヴァン達第一舞台がここに到着したらしい。
イヴァンが近づいてきて、気まずそうに頭をかいた。
「あの時は、ひどいこと言った。悪かった」
「普通だろ。数か月しか一緒にいない奴より、数年とか数十年の仲間を信じる方が自然だ。急にどうした」
「戦いの前に言っとかないとな。モヤモヤしたまま行くのは、よくない」
イヴァンは息を吐いて、いつもの顔に戻った。
笑ってるのに、目だけは真剣だ。
「気にするな。今は目の前に集中しよう。詫びの気持ちがあるんだったら、この作戦が終わったらいっぱいおごってくれ、それでチャラだ。」
ほかの事に気を取られるのもよくない。俺は返事の代わりに、それだけ言った。
「街の中は俺たちが荒らす。奇襲の方、頼んだ」
「任せろ、そちらも頼んだ」
短い握手だけして、俺はエレナのところへ向かった。
本拠地の隅で、エレナは薬箱と包帯を整えていた。
手元は落ち着いてるのに、肩の線だけが少し硬い。
「エレナ。行ってくる」
言った瞬間、喉の奥がむず痒い。こういうのは慣れない。だから俺は、わざと軽く笑った。
エレナが少しだけ目を丸くして、それから、いつもより柔らかく笑った。
「行ってらっしゃいませ。武運を祈っておりますわ。無理は、なさらないでくださいね」
「了解」
俺は背を向ける。遠くで火がはぜる音がして、その一回がやけに大きく聞こえた。
俺は、グランベルグの街に潜入した。
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