52話 後顧の憂い
エレナが寝静まったのを確認してから、俺はゆっくり動き出した。
寝息は静かで、呼吸のたびに胸が小さく上下してる。
こんな時に、起こすのは嫌だった。
エレナはずっと、こっちの面倒ばかり見てる。だから少しでも休ませたかった。
靴音を殺して、アジトの外へ出る。
夜の空気がひやりと頬に刺さった。
俺はその場で指を鳴らす。
魔力が皮膚の下を流れて、身体の輪郭を薄くほどいていく。
姿隠し。
闇に溶ける感覚が来た。
目の前の世界はそのままなのに、自分だけが世界から消える。
続けて、飛翔。
地面が遠くなる。
上に上がるほど、アジトの灯りが小さくなっていく。
風が耳元を流れて、マントの端を引っぱった。
奪還する街の付近まで来たあたりで、気配が固まってる場所が見えた。
人が集まってる。火の明かりもちらついてる。
そして、その中心に、嫌な重さ。
やはりこういうことになったか。俺はがっかりした気持ちとこれからやらないといけないことを決めた。
まずこのモンスター質を逃がしたら終わる。
俺は空中で一度だけ息を吸って、力ある言葉を発した。
「虚空よ、枠になれ、逃走を断つ。踏み越えを許すな」
声を落とした瞬間、空気が変わった。風が止まったように感じ、風の流れが途中で切られた。
地面に見えない線が走っていく。
円を描いて広がり、すぐに閉じた。
「檻」
完成した瞬間、内側の全員が理解する。
見えないのに、逃げ道だけが消えた。
ホブゴブリンの一匹が反射で走り出した。
何もない場所で、突然止まる。
身体が弾かれて転び、地面を爪で引っかいた。
「ギャッ…!」
別の一匹が槍を突き出す。
槍先が空間に吸い込まれるみたいに沈んで、そこで止まった。
押しても押しても進まない。
壁があるわけじゃないのに、通れない。
人間の方も、青ざめて後ずさった。肩が境界に触れた瞬間、冷えた顔になる。
見えない氷を撫でたみたいな感覚が残ってる。
俺は檻の上へ飛び降りる。
着地と同時に砂が舞い、音が短く響いてすぐに沈んだ。
姿を解く。
「なにをしてる?」
集団の中で、男が目を見開いた。
焦りと恐怖が混ざった顔。
「て…てめえはシビ…! なんで? しっかり休んでたはず…!」
「質問を質問で返すの、よくないだろ」
男の喉がひくついた。
「こ……これは……違うんだ……偵察してた時に、こいつらと出会ってしまって…」
「キダマ…何を言ってるんだ」
ホブゴブリンが五匹。
その奥に、巨大で醜悪な外見。緑の皮膚に鉤鼻の化け物。
背中が盛り上がって、腕が太すぎる。
トロルか。
ホブゴブリンが喉を鳴らした。
「ゴイツ…シッテル…でも、おでだじに倒された…」
「俺たちは……」
炎の民がそう言ってきたのでさえぎってやった。
「てめえらの処遇は俺は知らない。まずは、こいつらを退治する」
次の瞬間、俺は踏み込む。迷いは無い。躊躇も無い。
魔力が指先に集まり、刃みたいな鋭さを持つ。ホブゴブリンが槍を構える前に、距離を潰す。
一匹、二匹、三匹。動く前に落としていく。
トロルが吠えた。
唾を飛ばしながら腕を振り上げる。
その一撃だけは重い。まともに食らったら骨が砕ける。
俺は地面を蹴って横へ滑る。空気が鳴る。風圧が頬を削る。
隙ができたので俺は一気に魔力を叩き込んで、トロルの膝を折った。
巨体が崩れ落ち、地面が揺れる。
残りを一掃して、動ける人間だけが震えて立っていた。
俺は周囲の木に精霊魔法を流す。枝葉がきしみ、蔓が生き物みたいに伸びていく。
縄になる。しかもほどけない。
「動くな」
抵抗する暇も与えず、全員まとめて縛り上げた。
呻き声が上がる。言い訳が混ざる。泣き声も出る。
全部、聞く価値がない。
瞬間移動。
視界が一度、白く跳ねた。
アジトの入口に戻った瞬間、見張りの連中が固まった。
縛られた仲間を引きずって戻ってきたら、そりゃそうなる。
「幹部を呼べ。今すぐだ」
俺はそのまま作戦室へ向かった。
数分後。
扉が開く音がして、ヒルダ以下、幹部全員が入ってくる。
その中央に、縄で縛られたエレナが連行されていた。
一気に血が熱くなる。
「シビ、これはどういうことだ」
ヒルダの声は強いのに、少し揺れてる。
冷静になり切れてない。
「それは俺の台詞だろ。なんでエレナを縛ってる」
「お前が反逆したと聞いてな」
「こいつらは、俺たちのアジトの場所を敵に報告してた。俺が見つけて捕まえた」
俺は縛った連中を指差した。
ヒルダは首を横に振る。
「あいつらは反対のことを言ってる。シビが敵と相談してるところを見た。恐れて捕まえて帰還した。ってな」
「無茶苦茶だな」
俺は吐き捨てる。
「どちらを信用するかは好きにしろ。俺と敵対するならそれでもいい。ただし戦うなら覚悟を決めろ」
胸の奥で、魔力がうずく。抑えてるのに、漏れそうになる。
「制限ありなら俺は勝てないかもしれない。でも、なんでもありなら……勝つ」
俺の殺気が、部屋を満たした。空気が重くなって、誰かが息を呑む。
「エレナに手を出してみろ。今すぐてめえらのアジトを全滅させる」
「おいおい、喧嘩腰すぎるだろ」
ジグが割って入った。
「俺たちは真実を知りたいだけだ」
イヴァンが悲しみの声を上げて俺に言いきった。
「真実のためにエレナを人質か。城壁の中の人間らしいやり方だな。城壁の外じゃ、脅迫って言うんだよ」
「もうやめろ。調べれば済むだろ」
ジグが俺とイヴァンを交互に見る。
「どうやって調べるんだよ!俺の弟分が俺に嘘をつくはずがねえ!」
イヴァンはどうやら身内が嘘をつくはずがないと判断しているみたいだ。冷静ではないことがはた目からでもわかった。
「こいつはエレナに今から指一本でも触れたら、誰か死ぬ。闇夜の断罪を撃てる状態だ」
ロジャーズが俺が使用としていることを完全に把握していた。こういう時の盗賊は本当に抜け目がない。すごくやりづらくて仕方がない。
俺は黙って肩をすくめた。否定する気はない。今この場で、エレナを守るためなら俺はここ医いる奴ら全員血祭りにあげてやる。
「やめな」
ヒルダが手を上げた。止めようとしてるのに、声が硬い。
「こちらにも非はある。もしシビが裏切ってないとしたら、私たちは飛んだ恩知らずだ。でも白黒つけないと、全体が崩れる」
俺はエレナを見る。
縛られてるのに、目だけは俺を見てる。心配してる顔。……自分の心配だけしてろよ。
「ならどうする。力が勝利っていうなら、いつでも相手になってやるよ」
ヒルダが静かに言った。
「シビ、お前なら知ってるだろ。嘘を見抜く呪文のことを」
「あぁ。俺は使えない。でもあるのは知ってる」
その時、アーガイルが前へ出た。
「私の役目ですね」
至高神アルディアの奇跡。
神の専用呪文。細工できないやつだ。
俺は頷いた。
「それなら賛成してやる。抵抗はしない」
イヴァンが苛立ちを露わにする。
「そんな呪文なんて関係ねえ!何年も一緒にやってきた仲間なんだぞ!」
「ならシビとエレナは仲間じゃないって言うのか」
ジグが即座に返して、イヴァンが言葉に詰まっていた。
「確かに外から来た奴らだ。でも、この数か月こいつらは必死に手伝ってくれた。違うか」
ジグが続けて、それを聞いたイヴァンは顔を歪めた。
「それが奴らのやり方かもしれねえだろ…!一対一じゃ俺たちの誰にも勝てねえのに、魔物の軍団と戦って生きて戻れるわけがねえ!やらせだったんだよ…俺は…信頼してたのによ…!」
俺は隙を探した。でも動けない。他の幹部もいる。下手に動いたら、エレナが危ない。
アーガイルが静かに口を開く。
「イヴァン、気持ちはわかります。けれどアルディア様の奇跡なら、どちらが嘘を言っているかわかります。ここで曖昧にしたら、もっと崩れてしまいます」
「今後ってなんだよ」
「シビさん達を信頼している方も多いんです。根拠もなく罪を決めたり解いたりすれば、仲間たちの心が折れます。わかりますね」
イヴァンは唇を噛んだ。俺は心の中で舌打ちした。
今回は完全にミスだと思う。ヒルダに先に言うべきだった。エレナに相談しておくべきだった。
誰にも傷をつけたくなくて黙ったのに、その黙り方が最悪だった。
「わかった。私が決める。炎の民のリーダーだからね。アーガイル、その奇跡を使ってくれ。シビもだ。抵抗しないな」
「しない。受ける」
ヒルダはエレナに視線を向ける。
「白黒がつくまで拘束させてもらう」
エレナが小さく頷いた。
「わたくしは構いませんわ。ただ、シビさんも一言くらいは言ってほしかったですわね。シビさんを信用しておりますから、抵抗は致しません」
そうして俺と、縛った連中は集会場へ連れていかれた。周りには炎の民がぎっしりいる。
噂はもう回ってるみたいでうやむやにはできないらしい。空気がざわついてた。
アーガイルの奇跡が降りる。嘘は剥がれて、真実だけが残る。
俺の潔白が証明された。ヒルダが眉を寄せて辛そうにしていた。
解放されたエレナはすぐに俺の方にやってきた。
「あれほど一人で行動するなって言いましたのに」
「えっと……エレナもずっとフォローしてたし、休ませたくてな」
エレナが冷たい目を向ける。
「その優しさで、起きたらロープで縛られたのですが」
「……すまん」
俺が素直に謝ると、空気が一瞬だけ和らいだ。
でも、横は地獄だった。イヴァンが泣いてた。
あいつが泣くところ、初めて見た。声も出ないみたいに顔を歪めて、ただ涙を落としてた。
後から聞いたはなしなんだが、情報の見返りは
『城塞から出してもらうことだった』
情報を渡して、仲間の動きを売って、襲撃の日時まで流してた。
処刑されていく連中を、俺は黙って見ていた。
胸が冷える。怒りもある。でも、どこかで虚しい。
その時、エレナが前へ出て、俺を抱きしめた。
「優しいですわね。シビさんは」
「恥ずかしいからやめろ」
「泣きたい時は泣いてもいいですわ。胸、貸しますわよ」
「遠慮しとく」
後顧の憂いは消えた。
だけど空気は重い。士気が落ちてるのが肌でわかる。
作戦決行の日は近い。これじゃ失敗する確率が高い。
俺はヒルダに言った。
「アジト内は完全自由にしよう。それと夜は宴会をしたい。このままの指揮だと怖いからな」
ヒルダは少しだけ目を細めて、頷いた。
「わかった。信用できなくて済まない」
「俺とあいつらでは年季が違うからな仕方ないさ」
もう今日は考えたくなくて、俺は自分の寝床で横になった。
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