40話 魔物の街を目指して
町を出て北へ向かう道を進むと、すぐに異質な広大な森が広がっていた。
西側は荒れ地、北西は湖のある方向、そして北には日の光がほとんど届かないような、深い闇に包まれた森が続いている。
木々は空を覆い尽くすほど高く、枝葉が絡み合って天蓋のように陽光を遮り、地面には薄い霧が立ち込めている。
空気は湿り気を帯び、土と腐葉土の匂いが濃く鼻をつく。
遠くから獣の遠吠えが聞こえ、時折木々がざわめく音が響く。
この森は、ただの森じゃない。生き物の息遣いが感じられる、生きている迷宮だ。
「どうする? 日数は少しかかるが、湖方面から回るか?」
俺はエレナに尋ねた。地図を広げて確認する。湖方面から回れば途中までは安全かもしれないが、遠回りになる。
「3日分はロスすると思いますけど、大丈夫ですか?」
エレナが少し心配そうに答える。金髪の三つ編みが風に揺れ、聖衣の裾が軽く翻る。
「向こうにつくのは早くて7日で、トラブルがあったら9日、下手したら10日になるのか」
今回は、日数制限が10日しかない。この時点で選択肢が途切れてしまうのは痛い。
確かにあの湖まで瞬間移動で行けば、1日ぐらいしか得にならないのか……。湖まで当日中に行けるんだから、そこまで変わらないのか……。
メリットはすぐに湖まで行ける。デメリットは魔法の消費が激しいから、予想外な事がおきたら大変なことになる可能性がある。どのみち途中からはこの森を抜けないといけないみたいなんだよな。
この森があるから魔物たちも街へ攻めてこないのかもしれない。人と魔物のデッドライン。ちょうどこの深い森が、自然の障壁になってるんだろう。
「回り道って言っても、どのみちこの森を超えないといけないから、このままいくか」
「そうですわね。シビさんと初めて会った森よりも、深くて暗いですわね」
「ああ。森の中で獣と戦うのは分が悪いな。負けないにしても苦戦する可能性がある。それに、あまり自然を破壊したくないしな」
「はい、自然の恵みは神様たちの恵みでもございます。このまま進めることを信じていきましょう」
エレナが優しく微笑む。その笑顔に、俺は少し胸が温かくなった。
この森は、散々だった。
最初は、獣道のような細い道を慎重に進んでいた。木々の根が地面を這い、苔むした岩が転がる道は、足を置く場所を一歩間違えれば滑りそうだ。周囲は湿った空気に満ち、腐葉土と湿地の臭いが濃く鼻を突く。
虫が顔の周りをブンブンと飛び回り、時折耳元をかすめて不快な羽音を立てる。気づいたら、底なし沼に足を取られかけた。ぬかるんだ地面が靴底をぐいっと吸い込み、抜こうとするとズブズブと沈む感触が伝わる。泥が飛び散り、ズボンの裾が重く濡れる。抜くのに苦労し、バランスを崩しそうになるたび、木の幹に手をついて体を支えた。 エレナも聖衣の裾を汚さないよう気を使いながら、俺の後ろを歩いている。
金髪の三つ編みが少し乱れ、額に薄い汗が浮かぶ。彼女は時折、足元のぬかるみを避けるように小刻みにステップを踏み、聖衣の裾を軽く持ち上げている。
その仕草が、なんだか可愛らしくて。おっと、こんな場所でそんなこと思う俺もおかしいが。
「シビさん、大丈夫ですか?」エレナが心配そうに声をかける。
「ああ、何とか。……お前も気をつけろよ」
俺は息を吐き、立ち止まって呪文を唱えた。
「「水の精霊ウィンディーネよ、澄んだ雫で、清めたまえ浄身」
ウィンディーネの力を借りて、水の霧がふわっと俺たちの身体を包み込む。淡い青い霧が肌を優しく撫で、汗や泥、血の汚れ、軽い臭いをすべて洗い流していく。霧が晴れると、体が清潔になり、服の汚れもほとんど落ちていた。心地よい清涼感が残り、疲れが少し和らぐ。
「ふぅ……これで少しはマシだ」
エレナも霧に包まれ、金髪が少し湿って輝く。彼女は満足げに笑った。
「とても気持ちいいですわ。シビさんの呪文、いつも助かります」
「まあ、便利だからな。この森みたいに汚れやすい場所じゃ、特に重宝する」
なぜか魔法というと攻撃呪文ばかり目が行きそうになるが、冒険となるとこういった呪文の方が重宝する場合が多い。
「このような呪文使うやつはいないのか?」
「いますけど、少ないんですわ。攻撃呪文や罠を探す呪文、明かりを灯す呪文などはよく覚えられるんですけど、こういった身の回りの汚れを落とすような呪文をわざわざ習得する方は、ほとんどいらっしゃいませんの」
これも、首都に居た時に聞いた話なのだが、魔法使いの魔法というものは師匠筋から渡された魔法の本には数々の呪文が書かれているようだ。それから自分で研究したり、魔法の巻物を購入したり、遺跡で見つけたりして魔法の本に記載して覚えるらしい。
その後、エレナが転んだと思った瞬間、木の化け物が蔓を伸ばしてエレナの足を捕らえ、逆さ吊りにした。蔓がきつく巻きつき、エレナの体が宙に浮く。聖衣がめくれ上がり、恥ずかしそうな悲鳴が上がる。
「きゃっ! シビさん!」
俺は慌てて剣を抜き、蔓を一閃で斬り払った。エレナが地面に落ちるのを抱き止め、すぐに立ち上がらせる。彼女の頬が真っ赤で、金髪が乱れている。
「だ、大丈夫か?」
「は、はい……ありがとうございます。恥ずかしい格好を見せてしまって……」
エレナが顔を覆う。確かに、逆さ吊りでスカートがめくれ上がってたのは、ちょっと刺激的だったが、それにしても、下着の色はピンクだったとは……。レースの縁取りまでついてて、聖女とは思えない可愛らしさ。
金髪が乱れて地面に垂れ、頬が真っ赤に染まってる姿は、普段の凛とした聖女とは別人で、なんだか妙に生々しくて……。
今はそんなこと言ってる場合じゃない!! 俺は慌てて視線を逸らし、咳払いして剣を収めた。心臓がバクバク鳴ってるのが自分でもわかる。中身がおっさんだからって、こんな状況でドキドキするなんて、俺も相当おかしくなってるな……。
エレナはまだ両手で顔を覆ったまま、小さな声で呟いた。
「……見、見えてないですよね……?」
「見てねえよ!気にするな。あれは不可抗力だしな」
俺の弁解に、エレナの耳まで赤くなるのが見えた。彼女は聖衣の裾を直し、地面に座り込んだまま上目遣いで俺を睨む。
「シビさん。」
「悪かった!お前が逆さ吊りになってるんだから、目に入るのは仕方ねえだろ!!」
エレナは「うぅ……」と小さくうめいて、ますます顔を覆う。
でも、指の隙間からちらちら俺を見てるのがわかる。……可愛すぎて罪だな、こいつ。
「もう……絶対に忘れてくださいまし。わたくしの恥ずかしいところ、見たなんて……」
「忘れる努力はする!! ……でも、ピンクだったよな……」
「シビさん!!」 エレナが立ち上がり、錫杖で俺の脛を軽く叩いた。痛くないけど、照れ隠しの攻撃だ。俺は笑いながら手を上げて降参ポーズ。
「わかったわかった! 冗談だよ。もう言わないから、許してくれ」
エレナはまだ頬を膨らませてるけど、ようやく顔を上げてくれた。金髪が少し乱れたまま、朝の光に輝いている。「……本当に、忘れてくださいね?」
「ああ、約束する」
俺は真面目にうなずいた。……でも、正直なところ、忘れられる自信はねえな。俺たちは気を取り直して、再び森を進み始めた。
さらに進むと、怪しい鳥の群れが襲ってきた。鋭いくちばしと爪を持つ、黒い羽の鳥達だった。
俺は剣で数羽を切り落とし、エレナが聖光で残りを怯ませる。落ちた鳥を回収して、昼食の肉を確保した。焚き火で焼いて食べると、意外に美味かった。
そうして2日目の昼過ぎくらいまで来ていた。ふと、人の罠が設置されていることに気づいた。
「エレナ、この森に人が暮らしてるぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。多分狩りのためだとは思うが、罠が設置されてる。
人型の大きなものも倒せる太い矢があそこにあるしな」
俺が指差した場所は、俺たちがあと数歩歩いたらあの弓矢が俺たちに当たる位置だった。巨大なバリスタのような仕掛けだった。古代ローマ時代にもあった攻城武器級の矢だ。あんな太い矢に当たったら、即死だ。
隣のエレナも、あれを見て喉を鳴らす音が聞こえてきそうだった。顔が少し青ざめている。
俺は慎重に罠を外し、先に進んだ。
森をさらに進むと、奥から薄い煙が見えてきた。
「どうやらあそこみたいだな」
「そのようですわね」
そのまま先に進むと、木で作成されたログハウスが現れた。頑丈な丸太を積み重ねた小屋で、屋根は苔むし、煙突から白い煙がゆらゆらと立ち上っている。
家の前では、40代後半くらいの男性が手斧で薪を割っていた。がっしりとした体躯で、肩幅が広く、腕の筋肉が盛り上がっている。顔は日焼けで浅黒く、短く刈った髪と髭に白いものが混じり始めているが、まだ初老とは言えない年齢だ。目は鋭く、遠くを見据えるような癖がある。
服は漁師のような実用的なもの。厚手の麻のシャツに革のベスト、膝まであるズボンに長靴。腰にはナイフを吊るし、首元にはエレナと同じ鈴をモチーフにした銀のネックレスが光っている。ただ、シャツの袖やベストの裾に、黒ずんだシミがわずかに残っているのが目に入った。……あれは、血の跡だ。洗っても完全に落ちなかった古い染み。
この男が、ただの隠遁者じゃないことを、俺の勘が告げている。
「エレナ」俺は小声で囁いた。
「大丈夫ですわ。アウリス様の信者です」
エレナが穏やかに微笑む。確かに、首元の鈴は本物だ。だが、俺の警戒心は解けない。アウリス神の信者だったら警戒する必要はないはずなのだが、どうも危険のベルが鳴っていた。
「こんにちは」
エレナが明るく声をかけると、男性が斧を置いてこちらを向いた。薪の破片が飛び散り、斧の刃が朝陽に光る。
「若いのがこんなところで何をしておる」
声は低く、少しかすれている。訛りがあって、遠方の出身かもしれない。
「この先に行こうと思いましたところ、家の煙突の煙が見えましたので、寄らせていただきました」
「それはそれは。そなたはアウリス様の信者で」
「未熟者ですが、アウリス様の信者をしております」
男性はエレナの聖衣と鈴を見て、わずかに表情を和らげた。
「とても疲れたことでしょう。この先に行くと魔物の街に行くことになります。若い女性二人では危険と思いますので、引き返した方がよろしいですぞ」
「ご心配いただいてありがとうございます。ですが訳ありで向かわないといけません。アウリス様の保護がありますので大丈夫ですわ」
「それでしたらどうぞ。今日はこの山小屋で休息をして、明日の朝向かうのがよろしいのではありませんか」
「ですが……」
エレナが俺の方をちらりと見た。ここはエレナに任せよう。同じ信者みたいだしな。俺はエレナの方を見て小さくうなずいた。エレナも理解したのか、俺の方を見てにっこり笑って納得したみたいだった。
「ではご厚意に甘えますわ」
俺たちはそのままこの男性の厚意に甘えるべく、ロッジの方に向かった。
男性は自分を「ガルド」と名乗り、俺たちを小屋の中に案内した。
俺たちはそのままロッジの中に入った。
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