34話 弱点
一瞬、風が吹いた。――いや、それは風などではなかった。
カインが放った、あまりに鋭すぎる影の刃だった。空気を裂くかすかな音すらなく、闇そのものが俺の胸を抉った。直後、熱い衝撃を体の芯から味わった。
胸から赤い血の雨が噴き出し、視界が激しく揺れる。肺が焼けるような痛み。息が詰まり、膝から力が抜ける。
冷え切った砂の上に崩れ落ち、砂粒が傷口に食い込む感触が、妙に鮮明だった。
「なぜ……俺の方がスピードも、武器も上のはずなのに……」
溢れ出す鮮血を抑えようと手を当てるが、指の間から熱い命がどんどん逃げていく。体温が急速に奪われ、指先が冷たくなる。
カインは背後で静かに立ち尽くし、冷徹な声を響かせた。
「同じ条件に立てば、俺の方が勝つ。それだけだ」
「なぜだ……?」
「その状態なら魔法も使えないだろう。冥途の土産に教えてやる」
俺は途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止め、奴の言葉に集中した。死ぬにしても、この敗北の理由を理解せずには死ねなかった。血の味が口の中に広がり、視界の端が暗くなっていく。
「技量だ」
「技量なら……俺だって……」
「同じ技は使える。だが、こうは思い至らなかったか?確かにお前は脅威だ。戦士技能に盗賊、魔術まで精通している化け物だ。だがなぁ、お前の技術はある一定の高度な技になると、技量が格段に落ちるんだよ 武器も体術も、お前が言った通りお前の方が上だ。だが、この勝負は『闇夜の断罪』という一点に絞った技量の勝負だ。俺とお前では、その積み重ねに天と地の差があったのさ」
その瞬間、脳裏にあいつの声が蘇った。神と名乗る、あのふざけたジジイだ。
『言い忘れてた、格闘と魔法の勉強はしておくのじゃ。あくまでもわしがおぬしに渡すのは知識と素質じゃ。最低限の技術はあるかもしれないが、全てが何でもできる事ではないぞ。わしが手を貸せるのはここまでじゃからの』
自嘲の笑みが漏れる。確かにそう言っていた。俺はある程度何でもこなせる自分に、調子に乗っていたというのか。極限まで一撃を磨き上げた本物の暗殺者と、その技を、使えるだけの未熟な俺。……ああ、やるまでもなく、俺の負けだったんだ。
「納得いったみたいだな。それじゃ、さらばだ」
カインが細身の剣を振り上げ、俺の胸にトドメの一撃を突き刺そうとした。
その瞬間。夜の闇を裂いて、神々しい黄金の輝きが爆発した。キンと高い金属音が響き、俺の周囲に強固な結界が展開される。黄金の光が俺の周囲を照らし、砂塵を払い、俺の命を奪おうとする闇の刃を完全に拒絶した。
聖なる力が、空気を浄化するように満ちていく。
「間に合いましたわ、シビさんの命は取らせませんわ!」
霞む目を必死に向ければ、そこにいたのは寝巻き姿のエレナだった。
薄い布地が夜風に揺れ、金髪が乱れているのに、いつもの鈴がついた錫杖を握りしめ、凛とした表情でカインを睨みつけている。
カインの瞳には怒りと決意が燃え、手がわずかに震えているのがわかる。
「なぜ……そこにお前がいる……!」
カインが、初めて動揺を含んだ声を上げた。冷徹だった顔に、明らかに焦りの色が浮かんでいた。
「シビさんの服の中に、これを忍ばせておきましたの」
エレナが掲げたのは、一枚の古びた紙札だった。
黄金の光がその札から溢れ、結界を支えている。
「アウリス様は愛と守護を司る神様です。大事な人が危険な時に、その場に転送されるお札ですわ」
「……アウリスの転送符か。そういえば聞いたことがあるな」
カインが苦々しげに吐き捨てる。
黄金の結界は、夜の闇を完全に拒絶するように輝き続け、奴の剣を弾き返す。
「この守護結界がある限り、あなたは攻撃ができませんわ。わたくしはこのまま、シビさんを回復させますわ!」
「やはりお前が最大の壁となるのか? 鈴の聖女」
黄金の結界に剣を阻まれたカインが、忌々しげにその二つ名を口にした。
「なるべくその二つ名はやめてほしいですわ。恥ずかしいので」
エレナは頬を微かに赤らめながらも、凛とした態度でカインを見据え、一歩も引かない。
寝巻きのままなのに、聖女の威厳が満ちていた。
「……あの時と同じで、二対一では分が悪いか。勝利の余韻で話しすぎたのが、私の敗因か」
「どんなお話をしていたか分かりませんが、時間があったおかげでこのように助けられましたわ。これもアウリス様のご加護のなせる業ですわ」
カインは小さく肩をすくめ、鞘に剣を収めた。
「今度は、お前が必ずいると考えて動く。サラバだ」
奴はそれだけ言い残すと、夜の闇に溶けるようにして姿を消した。俺を放置して、勝手に完結して去っていきやがった。
静寂が戻ったコロセウムで、エレナは俺に駆け寄り、必死な面持ちで回復呪文をかけてくれた。温かな白い光が傷を包み、痛みが急速に引いていく。失った血が補われ、息が楽になる。
「ありがとう」
死の淵から救われた感謝を口にした、その瞬間。ぱしぃん、と。乾いた音が、静かな闘技場に響き渡った。一瞬、何が起きたのか分からなかった。
俺は、熱を持った左頬を押さえながら呆然とエレナを見上げた。エレナは、大きな瞳に涙を溜めて、俺を叩いた手を震わせていた。
「……なにが、『ありがとう』ですの。わたくしは、そんなに頼りないのですか?」
「そ、そんなことは……」
「確かに、昼間みたいなことがあって頼りないかもしれませんが……わたくしは、何ですか? わたくしは、ただ護られるだけの存在じゃありませんわ。馬鹿にするのもいい加減にしてくださいまし!」
悲鳴のような叫びだった。声が震え、涙が頰を伝う。
「そんなつもりは……」
「なら、なんでいつも一人で行こうとするのですの?そんなに頼りになりませんの?」
「いや、頼りにしてるだろ……」
俺はいつだって、彼女に頼ってきたはずだ。魔狼の群れに囲まれた時。デュラハンの呪いに蝕まれた時。ミスリルゴーレムとの激闘や、劇場跡でのカインの襲撃。エレナがいなかったら、俺はとっくに死んでいた。そんなことは、俺自身が一番よく分かっているはずなのに――。
「シビさんが、亡くなったパーティーメンバーの件で心を痛めておられるのは、存じております。……ですが。わたくしは、貴方のパーティーメンバーで、対等な立場の『相棒』ではないのですか?」
エレナの搾り出すような問いに、俺は言葉を失った。
俺はいつの間にか、彼女を「護るべき弱者」として、下に見ていたのだろうか。
過去のトラウマが、俺を一人で抱え込ませていたのか。
「くしゅんっ!」あんなに激しく怒っていたエレナが、急に可愛らしく小さなくしゃみをした。
そりゃそうだ。薄い寝間着のまま夜風に吹かれていたんだ、風邪をひいてもおかしくない。
俺は思わず、エレナの肩を抱き寄せた。彼女の体は、夜の寒さで驚くほど冷えていた。震えが伝わってくる。
「……帰るぞ」
俺は瞬間移動呪文を唱え、一気に宿屋の自分たちの部屋へと戻った。
暖かな灯りと、柔らかなベッドの感触が、二人を優しく迎え入れた。
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