32話 出られない檻
バステルの巨大な城塞の城門を抜けた先には、広大な荒れ地が広がっていた。
「エレナ、見てみろよ」
俺はエレナの方へ顔を向けて言った。
遥かに広がる地平線の向こうに、うっすらと大きな城塞が見える。
その間に、いろいろな建物や自然が俺たちの行く手を防いでる気がしてきた。
かれこれ数時間、荒野をある程度進んだ時だった。
視界が開けた先に、かつての凄惨な争いの爪痕を今に残す「古戦場」が姿を現した。
地面は赤茶けて乾き裂け、風が吹くたびに血の匂いが混じったような土埃が舞い上がる。
そこかしこに錆びついた剣や槍、風化した盾、折れた兜が突き刺さったまま放置され、朽ちた骨が白く露出している。
遠くには、巨大な獣のものと思われる骸骨が転がり、かつてここでどれだけの命が散ったかを物語っていた。
空は灰色に曇り、陽光すら弱々しく、全体に死の静けさが覆いかぶさっている。
その荒廃した大地の端に、リュイア族と呼ばれる獣人たちがたむろしていた。
狼や豹のような耳と尾を持ち、毛皮の鎧を纏った連中だ。
俺たちの姿を認めると、彼らは野卑な笑みを浮かべて、ゆっくりと近づいてくる。
鋭い牙が覗き、目には獲物を値踏みするような光が宿っている。
話を聞くと、この古戦場の地面には目に見えない「魔法の機雷」が無数に埋め込まれているのだという。
迂闊に足を踏み入れれば、その瞬間に爆発の餌食となる死の地帯。
獣人たちは、その機雷がどこに設置されているかを正確に記した手書きの地図を持っていると言い出した。
「ここを通りたいなら、金貨五十枚で売ってやるぜ」
足元を見るような言い草だが、命には代えられない。
俺は舌打ちしながら金貨五十枚を支払い、地図を奪い取るようにして受け取った。
俺は一歩一歩、周囲の魔力の揺らぎを探り、地面の微かな変化に神経を尖らせて歩き続ける。
確かに、地図が示す場所を確認すると、不気味な魔力の塊が土の下に潜んでいるのがわかった。
俺はそれを慎重に避け、エレナの手を引いて誘導しながら、戦場の中央あたりまで差し掛かった。
その時だった。
一瞬、本当にわずかな一瞬、気づくのが遅れた。
地図には何もない。安全なはずの空白地帯。
だが、俺が踏み出した右足の裏に、嫌な感触。土のわずかな盛り上がりが伝わった。
「エレナ、離れろ!」
叫ぶと同時に、俺は隣を歩いていたエレナの身体を、全体重をかけて安全な場所へと突き飛ばした。
次の瞬間、足元から凄まじい轟音とともに、目も眩むような赤黒い爆炎が噴き上がる。
熱風が顔を炙り、土煙が視界を覆う。
「シビさん!!」
エレナの悲鳴が、乾いた古戦場に空虚に響き渡った。
だが、爆炎と煙が渦巻くその中心で、俺は冷静に指を編み、その名を口にしていた。
「水膜球!」
発動した呪文が、俺の身体を包み込むように透き通った水の球体を展開する。
爆風と熱を遮断する水の膜のおかげで、俺は何とか致命的な被害を受けずに済んだ。
煤と土を払い、よろめきながら立ち上がる。
肌に軽い火傷の痛みが残るが、命に別状はない。
唖然とするエレナを連れて、俺は爆心地を通り抜け、向こう岸へと辿り着いた。
そこにはまた別のリュイア族の集団が、暇そうに座り込んでいた。
俺は苛立ちのまま、彼らに向かって苦情を叩きつけた。
「おい、どういうことだ! 地図にない場所に機雷があったぞ!」
俺の剣幕にも動じず、一人の獣人は耳を掻きながら平然と言ってのけた。
「ああ……。俺たちが機雷を解除したり、場所を調べて地図を更新したりしてるのは、夜中の二十四時から五時までの間だけなんだ。それ以外の時間に勝手に増えた機雷については、書きようがないのさ」
夜通し作業をしているとはいえ、それ以外の「生きた時間」に増えた罠は自己責任だという。
あまりに理不尽な言い分に、俺は奥歯を噛み締めた。
「……たく。本当にこの場所は、全てをそのまま信じるのは地獄を見るようだな」
俺は独り言みたいに愚痴をこぼした。
情報の鮮度すら死に直結する。
バステルの外の世界もまた、一寸先は闇、いや爆死につながる。
エレナが心配そうに俺の腕を掴み、火傷を癒やそうと鈴を鳴らし始める。
火傷の熱が、エレナの治癒魔法でじわじわと引いていく。
柔らかな白い光が肌を包み、痛みが溶けるように消えていくのを感じながら、俺は赤茶けた荒野を見渡した。
急速に夜の帳が下り始め、遠くの地平線が紫色に染まり、冷たい風が土埃を巻き上げてくる。
「夜をどうする?」
俺が尋ねると、エレナは周囲の不気味な静寂を見回した。
古戦場の残骸が、夕闇の中で不気味な影を落としている。
「……そうですね。普通に考えれば野宿ですけれど」
「昼間は怪物に合わなかったとはいえ、夜だと危険度が増すな?」
「はい。一応防御結界の呪文は張りますけれど、この場所では……効果が薄い気がしますわ」
「できるかわからないが、少し唱えてみるか」
「何を、ですか?」
俺は深く息を吸い、両手を広げて静かに力ある言葉を発した。
「星の紡ぐ糸よ、空間の裂け目を穿て!悠久の門、エルシードの名の下に開かん!光と影の狭間、我を導き、瞬きの彼方へ!」
呪文の詠唱とともに、周囲の空気が微かに震えた。
足元から淡い銀青色の光の粒子が無数に浮かび上がり、それはまるで夜空から零れ落ちた星屑のように、ゆっくりと回転しながら上昇していく。
粒子たちは俺の前方で縦長の楕円形を描き、光の糸が星の軌跡のように輝きながら絡み合い、輪郭を形成していった。
それは、星屑で編まれた半透明の門だった。
内部は深い宇宙のような暗闇に包まれ、無数の星が瞬き、その奥にぼんやりと今朝までいたバステルの黒い城門の風景が浮かび上がっている。
『星移門』
高位の空間転移呪文。
場所のイメージが明確なら、遠距離でも一瞬で移動できる。
「どうやら、帰れるみたいだな」
確信を得た俺は、隣で呆然と立ち尽くしていたエレナの手を、迷わずギュッと握り締めた。
その瞬間、エレナの身体がびくっと大きく跳ねた。
突然、力強く熱い手のひらに指先を包み込まれたことに、心底驚いたっていう感じだった。
彼女は戸惑ったように俺の横顔を見つめ、何かを言いかけようとしたけれど、俺に引かれるまま、大人しく門の中へと踏み出した。
しまったな。一言いうべきだったかもしれないと俺は少しだけ後悔した。
門をくぐった瞬間、軽い浮遊感と冷たい風が吹き抜け、星のきらめきが一瞬強く輝いてから静まる。
次の瞬間、俺たちの目の前には、確かにバステルの巨大な城門がそびえ立っていた。
夕闇の街灯が灯り始め、遠くから喧騒が聞こえてくる。
「これは、集団転移呪文ですの? 初めて見ましたわ!」
エレナが目を丸くして驚きの声を上げる。
彼女の純粋な反応に、俺は少し得意げに肩をすくめた。
「まぁ、高位呪文だからな。魔力の消費も馬鹿にならんけど」
俺はふと思い立ち、もう一度同じ呪文を唱えてみた。
首都エリシオン、あるいはメイティアの村。かつて過ごした場所を強くイメージして。
だが、何度唱えても、門の中に現れるのはバステルの外の世界だけだった。
星屑の奥に、荒野や古戦場の風景しか浮かばない。
「まじかぁ……」
「どうなさいましたの?」
「転移呪文があるのなら、首都エリシオンやメイティアの村にも行けるはずだと思ったけど、……何度唱えても行けないな。この大きな城塞の外には、出られないようにできているらしい」
やはり、この街は呪文ですら脱出を阻む檻だということか。
入るのは簡単でも、出るのは不可能。噂通りだった。
「そういえばエレナ、お前の帰還呪文はどうなんだ?」
「わかりましたわ。少しお伺いいたします」
エレナは静かに目を閉じ、鈴を握って深く祈りを捧げた。
白い光が彼女を包み、神聖な空気が漂う。
だが、しばらくすると彼女の顔色は目に見えて悪くなっていく。
額に汗が浮かび、息が少し乱れる。
「……一度は使用できそうですが、多分、連続使用はできないみたいな感じを受けました。神様の奇跡も、この呪われた地では制限がかかっているようですわ」
「まじか」
神聖呪文は神の奇跡ゆえに、この街でも一度は道が開かれる。
だが、人の身ではその奇跡を連続して引き出すことはできない。
マジで絶体絶命の時以外には使えない、たった一枚の切り札だということだ。
瞬間移動呪文は便利だが、弱点も多い。
場所のイメージができなければ移動できず、戦闘中などの混乱した状況では使えない。
魔力の消費も激しい。
「でも、夜は宿屋で休んで、昼間は探索ができるのはうれしいけどな。消費も多いし、これもどうにか考えないといけないよな」
せっかく戻ってきたのだ。
俺は今日の探索はここで終えようと提案した。
エレナは気前よく了承し、少し疲れた笑顔を浮かべた。
「ええ、そうしましょう。今日は本当に……いろいろありましたわ」
俺たちは並んで、見慣れた宿屋へと向かった。
バステルの夜の喧騒が、遠くから聞こえてくる。
この街は、脱出を許さない檻。
それでも前に進んでいくしかないと覚悟を決めた。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
もし「続きが気になる」「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!




