27話 バステルの入り口
首都を離れ、平原を数日進み山岳地帯を超えた俺たちの前に、ついに「それ」は姿を現した。
三つの国の国境が交わる地点にまたがり、天を突くようにそびえ立つ巨大な城塞。
それはもはや、単なる防壁と呼べる規模ではない。現在のどの国家が総力を挙げたとしても、これほど精緻で巨大な建造物を作り上げることは不可能だと思う。
もし作ったとしても邪魔が入ると予想できるしな。
滑らかな黒い石材は、継ぎ目ひとつ見当たらないほど完璧に積み上げられ、数千年の月日を経てもなお、鋭い威厳を放っている。
恐らく、人類が今の歴史を刻み始めるよりも遥か以前、失われた文明の絶頂期に築かれたものだと推測された。
遠くからでも、その黒いシルエットは空を切り取るように浮かび上がり、地平線を支配していた。
風が乾いた土埃を巻き上げ、俺の喉を乾かす。
馬の砂利を噛む音だけが、静かに響いていた。
その威容に圧倒され、俺たちは言葉を失ってただ立ち尽くしていた。
平原の風が冷たく吹き抜ける中、黒い巨壁が空を覆うようにそびえ立っている。
まるで生き物のように、静かに息を潜めて俺たちを見下ろしている気がした。
静寂を破ったのは、隣に立つエレナの震える声だった。
「……シビさん、あそこを見てください」
エレナの視線を受けて俺もそこを観察してみた。
巨大な城門の脇に、古びた掲示板が立てられていた。
いや、掲示板なんて生易しいものじゃない。
あれは墓碑銘だ。風雨にさらされ、苔むした木板に、冷徹な文字が深く刻み込まれている。
『この先に入る者、一切の希望を捨てよ。ここは法も秩序もなく、ただ血と暴力のみが支配する場所なり』
文字の溝には、かつて誰かが血で塗り込んだのか、どす黒く変色した跡がこびりついていた。
それを見た瞬間、エレナの顔から血の気が引いていくのがはっきりわかった。
彼女は俺の袖をぎゅっと掴み、縋るような視線を向けてくる。
指先が冷たく震えている。
「シビさん。本当にひどい場所なんですね。昔、司祭様から聞いたことがあります。はるか昔、この場所でひどい『最厄』が起きて、それ以来、ここは呪われた場所として閉じられたんだって……」
震えるエレナの言葉を聞きながら、俺は脳裏に浮かぶ残像を追っていた。
それは俺の経験ではない。この身体に刻まれたアヤの記憶だ。
『いつか凄腕になって、あの土地へ行きたい。誰も帰れない場所で、真実を掴みたい』
俺の中に残る彼女の記憶が、静かに、けれど熱くそう語りかけてくる。
かつてアヤが抱いた無謀な野心も得られるのならちょうどよかったかもしれないな。
それにしても最厄か、それが具体的に何だったのか、記録には残っていないらしい。
だが、この異様な城壁の厚さ、完璧すぎる石組みが、その爪痕を物語っていると思う。
昔、ここで何かとんでもないことが起きて、世界から隔絶されたんだろう。
俺は彼女の震える肩をそっと支え、重厚な城門に手を掛けた。
予想に反して、門は軋む音ひとつ立てず、滑らかに開いた。
その先に見えたのは、街じゃなかった。視界を埋め尽くすほど広大な「川」。
水面は静かに流れ、対岸は薄い霧に包まれて、朧げにしか輪郭が浮かばない場所だった。
「……川? 街へ行くには、ここを渡るしかないのか」
岸辺へ近づくと、一艘の流し船が手持ち無沙汰に揺れていた。
そしてその傍らには、一人のいや、一体の番人が立っていた。
「人族。女性二名。……乗るのか?」
ぎり、と金属が擦れる音を立てて首を回し、こちらを見たのは、全身が未知の合金で覆われた人型ゴーレムだった。
現代の魔導技師が作るような、石や泥をこねた代物とはわけが違う。
関節部は滑らかに動き、表面には微細な回路のような淡い光が走っている。
その双眸には、命令を待つだけの人形とは違う、冷徹な理性が宿っているようにも見えた。
……もしかして、こいつには『AIコア』でも入ってるのか?
そんな疑問が、ふと頭をよぎった。
「シビさん、ゴーレムが話しますわ?」
「多分、旧時代の失われた魔道技術だろう?」
「シビさんもできるのですか?」
「さすがに無理」
材料とPCとプログラム技術があればできるかもしれないけど、今の俺では全くできない。
多少のプログラム技術はあってもそんなのは多少だ。
こんな自立で動くプログラムなんてその道のプロだけだろう。
「軽い気持ちで、ここから先へ入るというのなら、今のうちにやめておけ」
ゴーレムの声は、感情を排した無機質な合成音だった。
「これが最終警告だ。……もし、泳いで渡ろうなどと考えているのなら、愚かさの極みと言わざるを得ない」
ゴーレムは腰のポーチから、見たこともない乾燥した肉のような塊を取り出した。
そして、それを無造作に川の中央へと放り投げる。
次の瞬間。静かだった水面が、爆発したかのように激しく盛り上がった。
「――っ!?」
水しぶきの中から飛び出したのは、巨大な顎を持つ異形の海獣だった。
体長は優に五メートルを超え、無数の鋭い牙が肉塊を空中で粉砕する。
バシャン! という凄まじい着水音と共に、再び水面は静まり返ったが、そこにはもう肉の一片すら残っていない。
「……あんなのが、あちこちにいるのか」
冷や汗が背中を伝う。あれに襲われれば、どんな熟練の泳ぎ手だろうと一瞬で餌食になるだろう。
「帰るのなら、回れ右をして立ち去るがいい。それでも進むというのなら、乗り込め」
ゴーレムは機械的な動作で船を指し示した。
俺は内心で改めて驚愕していた。先日探索した遺跡の技術も凄まじかったが、このゴーレムの自律判断能力、そしてこの城塞の維持管理システム……。
滅んだとされる旧時代は、この世界の常識が想像できないほどの「ハイテク」文明だったのかもしれない。
俺とエレナは、言葉少なに船へと乗り込んだ。
船が動き出すと、川の流れは驚くほど穏やかだった。
透明度の高い水面を覗き込むと、美しい魚たちが群れをなして泳いでいるのが見える。
先ほどの怪物が潜んでいるとは信じられないほど、それは平和な光景だった。
もしかしたらこれが最後の癒しの風景になるかもしれないと頭の中によぎったぐらいだ。
三十分ほど、ゆったりとした時間が流れた。
船はほとんど揺れず、まるで水面を滑るように進んでいた。
船酔いは絶対に起きないほどの完璧な運航だった。
距離にして一キロ、あるいはそれ以上か?。
流し船が霧を切り裂いて進むにつれ、対岸の全貌がゆっくりと、だが圧倒的な質量を持って迫ってきた。
まず見えてきたのは、川の桟橋を飲み込むようにして築かれた小さな城塞だ。
石造りの家々が密集し、そこだけを見れば活気のある一つの街に見える。
だが、本当の異常はその背後にあった。
その小さな城塞を包囲するように、さらに奥へと広大な森林や平野が延々と続いているのだ。
城壁の内側にこれほど広大な自然が保存されているなど、普通では考えられない。
そしてその遥か彼方、地平線の先には、雲を突くような巨大な塔や内側の重厚な城塞がうっすらと見えていた。
流し船の船底が、対岸の湿った土を鈍い音を立てて叩いた。
三十分の静寂な船旅は終わりを告げ、俺たちはついに、悪名に彩られた「悪厄の都」の土を踏んだ。
俺が先に降り、震える足取りのエレナの手を取って支える。
彼女の手は、朝の冷気のせいだけではない冷たさを帯びていた。
「ありがとうございます、シビさん……。ここが、本当に……」
エレナが言葉を切り、街の入り口を見上げる。
俺たちが船を降り切ったのを確認すると、船頭のゴーレムは、オールを操る手を止めてこちらを振り返った。
その無機質な眼が、俺たち二人の姿をスキャンするようにゆっくりと動く。
そして、金属が擦れるような低い音で、彼はこう告げた。
「……幸運を。ここから先が『天国』か、あるいは『地獄』になるかは、お前たちの力量次第だ」
皮肉めいた響きを帯びたその言葉は、プログラムされた定型文とは思えないほどに、重く、粘り気のある余韻を残した。
ゴーレムはそれ以上何も語らず、流れるような動作で船を反転させる。
漕ぎ出された船は、俺たちがやってきた霧の彼方へと、音もなく滑るように戻っていった。
唯一の退路が、白い霧の中に消えていく。完全に退路を断たれた。
俺たちは、この巨大な城塞都市の中に、たった三人で取り残されたのだ。
「……力量次第、ですか。随分と含みのある言い方をするゴーレムですね」
エリスがいつもの穏やかな口調で言ったが、その瞳には鋭い警戒の色が宿っている。
軽く見ただけで、道ゆく人々は誰もがマントの下に武器を隠し持ち、鋭い目で周囲を窺っていた。
異種族の影もちらほら見え、蛮族らしき大柄な男や、怪しげなローブの術者たちが、平然と行き交っている。
俺たちが街の入り口に入った瞬間、背筋に走るような値踏みする視線を、複数感じた。
生理的な悪寒が肌を刺す。隣のエレナも、わずかに体を震わせているのがわかった。
路地裏からは時折、獣のような低い唸り声や、押し殺した悲鳴が風に乗って聞こえてくる。
誰も振り向かない。誰も助けを求めない。ここでは、それが日常らしい。
法も、騎士団の守りも、神への祈りも、この場所では紙屑ほどの価値も持たないのだろう。
あのゴーレムの言ったとおりだ。圧倒的な力を持つ者にとっては、誰からも咎められず、あらゆる欲望を満たせる「天国」だろう。
だが、持たざる者、守る力のない者にとっては、ただ搾取され、捨てられるだけの「地獄」でしかない。
もし信仰があるとしても 欲望と自由を司るヴァルグ神なんだろう。
エレナとは正反対の位置にする神様だよな。
「シビさん、私、離れないようにします。……絶対、離れないように」
エレナが俺の服の端を強く握りしめる。
その握りの強さに、俺は胸の奥で渦巻いていた不安を、無理やり押し殺した。
ここで俺が揺らいだら、エレナを守ることはできない。
「ああ。行こう、エレナ。油断するな」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷たく響いた。一歩、足を踏み出す。
石畳を踏む靴音だけが、異様に大きく、周囲の喧騒に吸い込まれていった。
ここが、悪厄の都。
法も神も届かない、地獄の一丁目らしい。
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