88話 理想郷の誘いと慈愛のゆがみ
倒れているエレナを抱きかかえると、体温があり、胸も上下していた。
腕に伝わる彼女の体重が柔らかく、温かく、息遣いが微かに感じられる。
法衣越しに胸の膨らみが俺の腕に押し付けられ、ゆっくりと上下する感触が、生きている証拠として心に染み込む。
しっかり生きていることに俺はほっと安心する。
胸の奥が熱くなり、緊張が一気に解けて、肩の力が抜けた。
先ほどの事をさせるためにエレナを誘導したのか?
山の声が、エレナを囮に使って俺の欲望を抉り出そうとしたのか?
それとも、エレナ自身がこの山の影響で動かされたのか。
頭の中で疑問がぐるぐる回るけど、今はそんなことより彼女の無事が優先だ。
彼女の身体をゆさゆさ揺らして起こすと「う……うん」という声が漏れた。
小さな呻きが、俺の胸に響く。
体が軽く揺れ、銀色の髪が俺の腕に絡まる。
まぶたがゆっくり開き、瞳がぼんやりと俺を捉える。
「あ……シビさん」
声が掠れ、弱々しいけど、ちゃんと俺の名前を呼んでくれた。
瞳に光が戻り始め、焦点が合っていく。
「目が覚めたのか?」
「わたくし……どうしてここに」
声がまだ震え、喉が詰まったように掠れている。
彼女の指が俺の腕を弱く掴み、頼りなげに力を入れる。
「この山の主が誘ったんだろうな」
俺は静かに答えた。
声もしっかりしている。
見た目に異常もないみたいだ。
法衣は乱れなく、髪も少し乱れているだけ。
肌の色も正常で、息遣いも安定してきている。
本当に良かったと俺は安心して、涙を流してしまった。
目頭が熱くなり、視界がぼやける。
涙が頬を伝い、ぽたぽたとエレナの肩に落ちる。
マジで歳になると涙もろくなる。
エレナが無事で、生きていて、俺の腕の中にいる。それだけで十分だった。
「どうしたのですか?心配おかけしました」
エレナの声が穏やかで、いつもの優しい響きが戻っている。
俺の胸が少し緩み、肩の力が抜けた。
「いや、俺も警備が万全だと思い込んでいて気を緩め完全に寝てしまった。こんな怪しい場所で警戒を怠った」
声が少し掠れ、喉が乾いている。
頭の奥にまだ軽い痛みが残り、今までの呪文の反動が体に染みついている。
パーティーが三人以上なら二人が見張りで交互に寝るって出来るんだけど、二人だったらどうしても一人だ。
こうなったら単独行動と変わらない。
何かあっても連絡できなければ崩壊する。
俺は、簡易的なゴーレム等を作成しておけばよかったと深く後悔をした。
頭の中で、昨夜の声の嘲笑が蘇り、胸がざわつく。
ゴーレムなら、自動で警戒してくれたのに……
今更悔やんでも仕方ないけど、俺の甘さがエレナを危険に晒した。
「体とか大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫ですわ。ご心配おかけしました」
エレナの声が柔らかく、頬にわずかな赤みが残っている。
瞳が少し潤んでいて、俺の顔をじっと見つめてくる。
法衣の裾が少し乱れ、金髪が肩に掛かって静かに揺れる。
彼女の体温が近くに感じられ、安心と同時に胸が熱くなる。
エレナの準備が出来たみたいなので、俺はエレナの荷物を渡し先に進もうとした。
荷物を渡すとき、指先が軽く触れ合い、エレナの指が冷たくてびくりとする。
彼女の目が俺を追うように見つめ、唇がわずかに開く。
「あの、シビさん」
「どうした?」
いつもの穏やかなエレナの声が後ろから聞こえて凄く安心をする。
声の響きが優しく、胸の奥が温かくなる。
昨夜の恐怖が少し薄れ、彼女の存在が俺の支えだと改めて感じる。
「ここにわたくしと一緒に残りませんか?」
「何を言っているんだエレナ」
声が一瞬止まり、俺の背中が凍りつく。
エレナの言葉が、先ほどの声と重なるような気がして、胸がざわついた。
ゆっくり振り向くと、エレナの瞳が俺をじっと見つめている。
穏やかな笑みの中に、どこか甘い影が混じっているように見えた。
視線を合わせた瞬間、心臓がドクンと鳴った。
いつも変わらない、いつも通りの彼女だった。
白い法衣をきちんと整え、金色の髪が肩に掛かり、穏やかな瞳が俺を映している。
何かに操られているわけではないと思う。
昨日までの妙に熱っぽい顔もしてない。
娼婦のような色っぽい誘惑でもない。
俺が知っている、いつも通りのエレナだった。
それが逆に、胸の奥をざわつかせた。
「もう、ここから逃れられません。だから私は貴女と一緒に暮らしたい。男性でも女性でもどうでもいいんです。ここで永遠に過ごして二人だけの楽園を作りましょう」
そう言いながら、エレナは俺に抱き着いてきた。
柔らかな体温が一気に伝わり、胸の膨らみが俺のおっぱいにむにゅっと押し付けられる。
法衣越しに感じる彼女の心臓の鼓動が、俺のものと重なるように速い。
腕が俺の背中に回り、指先が背中をぎゅっと掴む。
甘い残り香が鼻をくすぐり、髪が俺の頬に触れてくすぐったい。
とっさの事とエレナだったからだろう。心が、本能が避けるのを忘れて条件反射的に抱きしめてしまった。
腕の中に収まった彼女の体が、熱く柔らかく震えている。
腰のくびれが俺の手にぴったり収まり、胸の谷間が俺の胸に深く押し込まれる。
吐息が首筋にかかり、熱く湿った息が肌を撫でる。
「抱きとめてくれたという事は了解してくれたのですの?」
声が甘く、耳元で響く。
俺は抱きしめた手を外して、一歩後ろに下がった。
腕の中の温もりが離れる瞬間、胸の奥が冷たく締め付けられる。
エレナの瞳が俺を追うように見つめ、唇がわずかに開く。
「エレナみたいな素敵な女性から言われたら光栄だけど、ここに残ったら、俺達を待っている船の中にいる人たちはどうなる」
「仕方ありませんわ。ここにいればもう不安を感じることなく。人は産めよ、増えよ、地に満ちよと原初の神が伝えた事がなされますわ。そのための犠牲になるのならきっと、船の方たちも納得してくださいますわ」
声が穏やかで、優しい笑みを浮かべながらも、どこか冷たく響く。
瞳に光が宿り、俺をまっすぐ見つめてくる。
「原初の神?お前はアウリスの信者だろう」
確か原初の神というのは全ての物を作り出した創造神だったか?
あまり詳しくは無いのだが、全ての神々を産んだのち、人や動物を創造し終えたんだっけ?
確かそういう説明を聞いた記憶はある。
「わたくしとシビさんがここに残れば、それが叶いますわ。地に人が増え慈愛の心が増えて行けば、アウリス様の教えにも反していませんわ」
エレナの声は穏やかで、優しい微笑みを浮かべながらも、どこか冷たく響く。
瞳が俺をまっすぐ捉え、金色の髪が静かに揺れる。
法衣の胸元がゆっくり上下し、息遣いがわずかに荒い。
「だからって手が届く人を見捨てるのは違うだろうが」
そう言いながらも、胸の奥が締め付けられる。
船で待っている人達の顔が頭に浮かび、罪悪感が込み上げる。
エレナの瞳が一瞬揺らぎ、唇が微かに震える。
「シビさんは本当にまっすぐなお人ですわ。呪文も使えないし、教えも変に解釈している教会の人達よりも神官に向いていますわ」
声が甘く、俺の耳元で囁くように響く。
彼女の指が法衣の袖を軽く握りしめ、頬がほんのり赤く染まる。
瞳が潤み、俺をじっと見つめてくる。
その視線に、優しさと、どこか諦めのような影が混じる。
「あいにく、その教会というシステムが嫌いだからな」
俺は静かに答えた。
声が低く、喉の奥が詰まる。
エレナの瞳が少し伏せられ、唇がわずかに開く。
「残念ですわ。わたくしの誘いを断るのですね」
エレナの右手が、キラッと光ったと思ったら腹部に痛みを感じた。
鋭い冷たい痛みが、みぞおちの辺りを突き刺す。
視線を下げると、短剣の刃が俺の腹部に深く埋まっていた。
血がじわりと染み出し、布地を黒く濡らす。
痛みが遅れて爆発し、息が詰まる。
「なぜ?」
驚きの言葉が、喉の奥から絞り出される。
エレナの瞳が、冷たく俺を見下ろしている。
「だって、わたくしを拒否することは、神も拒否することですわ。それは重罪ですの。覚悟してください」
エレナが錫杖をトンと地面に突いた。
その瞬間、不可視の衝撃波が牙を剥く。
空気が爆ぜるような音が響き、目に見えない力が俺を押し潰す。
彼女の攻撃は予想ができず回避は間に合わない。
凄まじい衝撃が、音の波となって粉砕しようと牙を剥いた。
鈍い衝撃が全身を突き抜けた。
いや、それは衝撃なんて生温いものではない。
骨が砕け、肉が爆ぜるミシミシという不快な音が、脳内で直接鳴り響く。
自分の体が羽毛のように軽くなった気がした。
地面を叩いた錫杖の澄んだ音だけが、耳の奥で残酷に反響していた。
きりもみ状に上空に飛ばされた俺は、飛翔呪文で体勢を取ろうとした瞬間。
重力がかかったように重くなり、急降下して地面に叩き潰された。
ぐわはぁ
俺の身体は二転三転と地面にバウンドして吹き飛ばされた。
背中が石床に叩きつけられるたび、骨が軋み、肺の空気が押し出される。
視界がぐるぐる回り、吐き気が込み上げる。
フラフラになって立ち上がった瞬間また衝撃が走った。
それをもろに食らい大きな部屋の壁に叩きつけられた。
背中が壁にめり込み、岩が砕ける音が響く。
肺の空気が一気に抜け、息ができない。
視界が暗くなり、意識が遠のく。
彼女の姿が、ぼやけて二重に揺れている。
ミスリルソードを杖代わりにして立ち上がり、エレナの顔を見た。
その顔を見て俺はぎょっとした。
いつものような慈愛の顔をしながら、慈しむような目でもう一度錫杖を叩いた。
瞳に優しい光が宿り、唇が穏やかに微笑むのに、俺に向けられた視線が冷たく鋭い。
金色の髪が静かに揺れ、法衣の裾が微かに翻る。
その穏やかな表情が、逆に不気味で背筋が凍る。
俺は回避をしようとしたのだが、音速を回避できるわけなく、人形のように二転三転と転がるようにまた吹き飛ばされた。
体が宙を舞い、地面に叩きつけられるたび、骨が軋み、肺の空気が押し出される。
背中が石床に打ちつけられ、衝撃が全身を突き抜ける。
息が詰まり、視界がぐるぐる回る。
泥と岩の破片が顔に飛び散り、口の中に土の味が広がる。
「エ……エレナやめろ」
喉が焼けるように痛む。
エレナの瞳が俺を捕らえ、優しい笑みが深くなる。
「それはシビさん次第ですわ。わたくしも苦しいのですよ。神の教えを伝えるためにわかってもらえるように、わたくしは心を鬼にして努力をするのですよ。」
錫杖が横に薙ぎ払われた。
放たれた真空の刃が俺を襲う。
視界の端で風の乙女が軌跡をなぞってくれたおかげで、辛うじて相手の狙いは見えた。
だが、あまりの速さに、俺はミスリルソードを横に立てて防御に徹するのが精一杯だった。
ガキィィン、と。金属を叩き折るような甲高い音が、洞窟の静寂を切り裂く。
打ち込んだ側の細腕からは想像もできない衝撃が、剣を伝って手のひらを痺れさせた。
振動は腕から肩、背中へと突き抜け、俺の体は無様に後退を余儀なくされる。
鳴り止まない残響が、耳の奥に残った。
「やめろ」
「シビさんが神の僕になり、わたくしとこの地を治めてくださるのなら」
そんなことは絶対にないのだが、かなり譲歩してアウリス神の弟子になるのならまだしも、こんな怪しい神の従僕になるつもりはない。
エレナの瞳が俺をまっすぐ見つめ、唇が優しく微笑む。
金色の髪が静かに揺れ、法衣の裾が微かに翻る。
彼女の声が甘く、俺の耳元に届く。
胸の奥がざわつき、さきほどの声と重なるような恐怖が込み上げる。
「エレナとか」
「わたくしと一緒に幸せな理想郷を作りましょう」
慈愛の顔から男を惑わせる遊女のような顔に変わり俺に聞いてくる。
全くエレナには似合わない顔だった。
エレナの瞳が甘く潤み、唇が湿って微かに開く。
金色の髪が肩に掛かり、頬がほんのり赤く染まり、息遣いが少し荒い。
法衣の胸元がゆっくり上下し、布地越しに胸の膨らみが柔らかく揺れる。
彼女の指先が法衣の裾を軽く握りしめ、膝が内側に寄って足がもじもじ動く。
いつもの聖女らしい穏やかさが、どこか歪んで、誘うような色香に変わっている。
その変化が、俺の胸をざわつかせ、吐き気と一緒に欲望が込み上げる。
「お前と一緒なのは賛成したいけど、だが断る」
俺ははっきりと、喉の奥が熱く締め付けられながらそう伝えた。
エレナの瞳が一瞬揺らぎ、唇がわずかに震える。
彼女の指が袖を強く握りしめ、膝がぶつかり合うかすかな音が響く。
今のセーブされた状況で何とかなるのか?
エレナを救うにはどうしたらいいのか?
もし指輪の力を使うとしたら、あと何回使えるのか?
頭の中で疑問がぐるぐる回り、胸の奥がざわつく。
体が震え、汗が額から滴り落ちる。
色々な不安要素はあるが、エレナを何とか出来るのは、俺しかいないという事はわかっている。
彼女の金色の髪が揺れ、瞳が俺をまっすぐ見つめてくる。
その視線に、優しさと、どこか冷たい影が混じる。
俺は深く息を吐き、ミスリルソードの柄を握りしめた。
さて、寝坊助な聖女をたたき起こし、目を覚まさせようか。
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