魔法使いと羽ペン
三十年ほど前に、日本に魔法大学が設立された。初めは胡散うさん臭いと見向きもされなかったが、現在では通信教育課程で、自宅に居ながら魔法を学ぶ者も増えている。
勤め先を辞めて求職中の俺は、この期間に、魔法大学を卒業し、魔法使いの称号を取得しようと目論もくろんでいたのだが。
魔法地学のレポートを書き上げ、提出の注意事項を読んで叫んだ。
「あぁん? このデジタル時代に手書きでレポートを提出しろだとおぉぉぉぉ!」
デジタル化が進んだ現代、手書きの需要など殆どないと言っても良い。それでも、極稀に手書きを求められるので高校くらいまでは手書きも並行して学ぶ。
魔法スクロールも、今ではタブレットなどの端末を使う。他の科目は、パソコン等で作成したレポートをオンライン提出できるというのに、この教授は、手書きで書いたレポートを郵送しろというのだ。自慢じゃないが、子供の頃から字が下手で、小学校の担任には『宇宙人が書いたような字』と言われたくらいの悪筆だ。
(どうするよ、俺)
俺がどんなに頑張って丁寧に書いても、多分、教授には判読不可能だろう。
(かーちゃんに代筆をしてもらう?)
いやいやと首を振る。そんなことを頼んだ日には、家から追い出されかねない。
家に置いてもらっている立場で、そこまではお願いできない。
困った俺は、先日、魔具屋のネットショップで見かけた羽ペンを思い出した。確か、こんなことが書いてあった。
【これさえあれば、悪筆の貴方も、〇ペンの〇子ちゃんのように美しい文字が書ける! ※要・自動書記魔法】
自動書記魔法は、先日習得した。俺は藁わらにも縋る思いでポチッた。
さすが、〇マゾン。翌日には届いたが、ネットに掲載されていた写真と同一の物とは思えなかった。
「本当にこれなのか?」
俺は写真と実物を交互に何度も見比べた。どう見ても別物に見える。納品書の品番は一致しているのだが。
薄汚れた鳥の羽で作られたペンとインク、ペン立て、取説が化粧箱に収められていた。
「……お前、写真写りの良い奴なんだな」
写真写りの悪い俺は羽ペンを羨ましく思うも、返品はせず、このまま使うことを決めた。
早速、覚えたての自動書記魔法を使ってみることにした。
羽ペンに命令する。
「レポートを手書きしろ!」
羽ペンの羽の一部が『ラジャー』と敬礼したように見えた。次の瞬間、ペン先をインク瓶に突っ込むと、右に置いた俺の原稿を、左に置いたレポート用紙に書き写し始めた。
筆跡は、ペン習字を習ったかのように美しい。
「ふふん、楽勝だな」
良い買い物をしたと思う反面、普通にオンラインで送信出来たら、余分な金を使わなかったのにと悔しくなってきた。
「何だよ、あの教授。きっと、アイツのかーちゃん、デベソに違いない」
羽ペンがピクッと反応したが、気に留めなかった。
「時代に逆行してるよ。コピペ対策なんだろうけれど、あんまり意味ないし」
「ホームページのプロフィール写真、どことなく七面鳥に似てらっしゃる」
教授の悪口が後から後から飛び出してきた。
羽ペンは、カリカリと微かな音を立てながら、レポートの清書を続け、手持ち無沙汰の俺は、ベッドの上で漫画の続きをタブレットで読んでいる。
漫画を読み終わった頃、羽ペンの様子を見る為に机の上の清書済みのレポートを手に取った。
どれどれ、何処まで清書できたかな。俺は羽ペンが書いたレポートを確認するように音読する。
「ハビタブルゾーンとは、恒星の周囲にある生命お前のかーちゃんデベソが生存できる領域です……」
何だ、これは。俺は心配になって他の箇所も読んでみる。
「地球の質量は、どことなく七面鳥に似てらっしゃる」
これは、俺がさっき口にした教授の悪口。羽ペンの奴、それに引き摺ずられたか。
「間違ってるぞ。書き直せ」
手に持ったレポートを机に置く時、机の天板に『お前のかーちゃん、デベソ』と書かれているのを見付けた。
羽ペンの奴、こんなところまで。
「何処へ行った?」
気が付くと、机の上に羽ペンがおらず(おらずというのもおかしいが)、俺は辺りをキョロキョロと見回した。
「んな! 何やってんだ、お前」
羽ペンは、俺の部屋の白い壁に『お前のかーちゃん、デベソ』とか『どことなく七面鳥に似てらっしゃる』などと書きなぐっていた。言葉だけでなく、デベソの棒人間や、七面鳥の落書きなども描いてある。
「おい、やめろ!」
だが、羽ペンは俺の言う事を聞かない。
「ちょっと、困るよ。やめてくれ!」
書くのが止まらないので、俺は羽ペンを掴む。羽ペンは俺の手から逃げようと暴れた。魔法が暴走しているようだ。
「止まれったら、止まれ!」
しかし、羽ペンは俺の手をすり抜け、再び床に落書きを始めた。
飛び付いて掴み、動きを止めようとしたら、羽ペンはパキッパキッパキッと折れた。想定外だったが、これでもう、書くことは出来ないだろう。更に細かく折って、ゴミ箱に捨てる。
「あーあ、どうしてくれるんだよ。かーちゃんが買い物から帰ったら、怒られるだろうが」
ぼやきながら、雑巾でインクの落書きを消し始めると、ゴミ箱の辺りでカサカサ音がした。そちらを見ると、羽ペンがゴミ箱の縁に這い上がっている。ちっちゃい。
「一、二、三、……九、十。ふ、増えてる!」
何故か折ったはずの羽ペンが十本、小さくなって復活していた。
「ひっ」
見る間に、十本の小羽ペンは部屋中に散り、壁と言わず、床と言わず、手当たり次第に落書きを始めた。
さっきの十倍の速さで落書きが広がって行く。家中に絵を描いたアーティストが居たが、これは罵詈雑言と下手な絵。俺の部屋を飛び出して、廊下や階段、一階の部屋にまで書き始めた。俺は二階の自室で慄おののいた。
もうすぐ、かーちゃんが帰って来る。絶体絶命!
どうする、俺。
ガチャリ
一階の玄関の鍵が開く音がして、ドン! とドアが閉まる音がした。荷物を置いたら、きっと二階に上がって来るだろう。
心臓がバクバクし、口が渇く。
ノシノシノシ
かーちゃんの足音が階段を上り、一瞬立ち止まる。
壁の落書きを見ているのだろうか。
次の瞬間、俺の部屋のドアが勢いよく開かれた。
バン!
「ちょっと! あんた!」
窓ガラスが震えるほどの大声、激オコの御様子。
俺は恐怖に身も心も縮こまり、次の言葉を待った。
「あたし、デベソじゃないし!」
(そ、そこ?)
「っていうか、何なのこれ!」
俺に詰め寄る。
「実は……」
俺は、魔法の羽ペンが暴走して止まらないのだと涙ながらに訴えた。
「……まぁ、あんたの悪筆じゃあ、読めないよね」
かーちゃんは、理解を示しつつも、インクで散々落書きされた部屋中を見回した。
「羽ペン、ちょっと、ここに来て座れ!」
小羽ペン達は、ビクンと身を震わすと、集まって、俺が正座している横に一列に正座した。
(何だ、お前達。俺の言う事は聞かないくせに!)
目の前には、かーちゃんが鬼の形相で両手を腰に当て、仁王立ちしている。
「あんた達、家中汚して、どうしてくれるの! 元に戻して頂戴! 返事は?」
「は、はい」
「声が小さい!」
「はい!」
小羽ペン達は床に『はい!』と震えながら書いた。また、落書きが増えてしまい、かーちゃんにギッと睨み付けられる。
「じゃあ、よろしく。おやつに豆大福買ってきたの」
かーちゃんは一階に降りて行った。
俺は、どうやって元に戻そうかと、一縷いちるの望みを託し、まだ読んでいなかった取説を確認してみた。
【きれに、暴走止まらなにことあるます】
「はあ? 日本語がおかしい」
【無問題。洗濯機、消去魔法】
「洗濯機って何だ? 消去魔法?」
そんなものは、まだ習っていない。自動書記の魔法だって、ご覧の有様だ。
小羽ペン達は、大人しく正座したまま待機している。俺の命令を待っているのだ。
そうだ、ネットで検索してみよう。
【羽ペン 自動書記魔法 暴走】
あれ? もう誰かが検索しているみたいだ。
【某サイトで購入した羽ペンに自動書記魔法を掛けたら暴走して……】
似たような相談がたくさんヒットした。
これって、つまり、この羽ペンが不良品ということなのかよ。
俺がなす術も無く頭を抱えて考えていると、再びかーちゃんの足音がノシノシ近付いて来た。豆大福を堪能したらしい。口元に白い粉が付いているぞ。
「なぁに? 全然消えてないじゃない!」
「そ、それが、まだ消去魔法を習っていなくて……」
「消去魔法? ああ」
かーちゃんは、思い当たったというように割烹着かっぽうぎのポケットから、何気ない感じで魔法の杖を取り出した。
ショッキングピンクにラインストーンがデコられて、やたらとキラキラしている杖。
「えっ! 魔法の杖持ってんの? てか、それ本物?」
魔法の杖は魔法教育課程の全課程を修了した者に与えられる卒業証書のようなものだ。
「ウン十年前、あたし、魔法少女だったのよ」
かーちゃんは、三段腹をポンと叩いた。
それを見て、俺の頭の中の魔法少女が音を立てて崩壊する。
「じ、じゃあ、魔法使えるってこと?」
「何、当たり前のこと言ってんの。あたし、魔法大学を首席で卒業してるのよ」
(なにっ!)
「じ、じゃあ、最初から自分でこの落書き消してくれれば良かったじゃん」
「あんた、自己責任って言葉知ってる? 自分でやらかした事は自分で後始末しろ! とはいうもの、まだ習っていないなら仕方ない」
かーちゃんは、スゥーッと大きく息を吸い、静かに細く吐き出した。
「スピリトゥス アエリス ダ ミヒ ウイレス トアス エラセ エピストラス シイラ スクリプトゥス!」
キラキラデコデコの杖を空間に向けて一振りした。
(えっ、ええ?)
羽ペンが書いた落書きが、壁や床から剥がれ、クルクルと羽虫の群れのように渦を巻きながらかーちゃんの杖の先に集まり、吸い込まれて消えていく。
(ん? ちょっと待て、このまま行くと、せっかく書いたレポートも)
「と、止まれ! 止まってくれ」
言う間もなく、レポート用紙からも羽ペンが書いた文字が剥がれて吸い込まれた。
「レディゴ!」
かーちゃんが杖を羽ペンに向ける。
正座していた十本の小羽ペンは、ビデオの逆回しのように、パキパキに折られゴミ箱に捨てられた状態になった後、一本に戻った。一本になった羽ペンは、机の上の真っ白なレポート用紙にパタリと倒れて消失した。
「ふふふん」
かーちゃんはドヤ顔で階下に去った。
「甘い物の次は、しょっぱい物」と呟きながら。
レポートは白紙になってしまった。
〆切は明日、当日消印有効。
今から、新しい羽ペンを探す時間はない。
書きゃいいんだろ、書きゃ。
やけくそ気味の俺は、えらく時間をかけて書いた手書きのレポートを大学に郵送した。
宇宙人の字なめんなよ。手書き指定したのだから、しっかり読んでくれよな。
どことなく七面鳥に似てらっしゃる教授は、受け取ったレポートを見て「読めん! 何故、自動書記魔法を使わんのだ」と言うと、清書魔法を唱えた。