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ANgelic of the Dead  作者: 書庫
二章--新たな息吹--
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第七夜:包み込む者

死者の街、ノルディグラード。

異様な瘴気に包まれ、生存者の気配すらない。


謎の女性が街へと降り立つと、そこには異形の天使と、うごめく死者の群れがいた。

「これは救済? それともただの死?」


静かに刃が煌めく時、夜の闇にひとつの答えが導かれる――

夜闇に包まれた街の中央、高くそびえる時計塔の上で、彼女は静かに街の様子を見下ろしていた。


遠くから響く、かすれた呻き声。暗がりの中で蠢く無数の影。ノルディグラードはすでに死者の街と化していた。


――だが、おかしい。


彼女は薄く目を細めた。街全体を覆う濃密な瘴気。まるで意図的に閉じ込めるように、霧のように漂い、外へ逃れる道を塞ぐかのようだった。


(……実際、降りるまで気づかなかった)


普通の瘴気とは違う。天を覆うほどの濃度があるなら、もっと早く気づくはずだった。だが、ここに降り立つまで、それほど強くは感じなかったのだ。


彼女はそっと瞼を閉じ、短く呪文を唱える。


「Claritas oculorum (クラリタス・オクルオルム)」


視界の明瞭化魔術。

次の瞬間、彼女の瞳に淡いオーラが灯り、霧のような光が揺らめいた。


――夜の闇が晴れ、瘴気の中でも鮮明に視界が広がる。


だが、どれだけ視力を高めても、瘴気の存在は薄ぼんやりとしたままだった。

目に映るものすべてがぼやけるような錯覚を覚えさせる。


(……見えづらい、か)


不快感を覚えながらも、再び街を見渡した。


遠目には、大量のネクロスが蠢いているのが見える。

ナグリスの姿もある。死の街には相応しい光景だった。

だが、それだけではない。


(何故だ?)


彼女の眉が僅かに動いた。


(先ほどの町で聞いた話では、一昨日から連絡が途絶えたと言っていた……だが、これはおかしい)


――仮に、今日で三日が経過していたとする。


三日もすれば、死体は腐敗し、街の至るところで腐臭が満ちるはず。

しかし、嗅覚を研ぎ澄ましても、そこまでの悪臭はしない。


(それに……街の門が全て閉じられている)


本来ならば、感染が広がれば人々は逃げるはずだ。

道の途中で避難する者と出会ってもいい。

だが、この街にはそうした形跡が一切なかった。


(パンデミックが起きたのなら、街の至るところに死体が散乱しているはず……だが、ここはまるで”閉じ込められた”かのようだ)


彼女は静かに息を吐く。


(瘴気が原因なのは明らか。だが、こんなにも作為的な瘴気を発生させる者が……?)


僅かに眉を寄せ、彼女は大剣を背負い直した。


「……降りてみるか」


呟くと、時計塔の縁へと歩み寄り、迷いなく飛び降りた。


彼女が時計塔の屋根から軽やかに降り立つと、周囲の瘴気がゆらりと揺れた。

通常ならば、この濃度の瘴気を浴び続ければ数分と経たずに呼吸が苦しくなり、最悪の場合は肺や血液が侵され、死に至る。ネクロスやナグリスの発生源ともなり得るこの瘴気は、人々にとって最大の脅威のひとつだった。


だが――。


彼女は何の影響も受けていないように見えた。


「……濃いわね」


彼女は軽くため息をつきながら、顔の前で手を振る。

漂う瘴気の濃度を確かめるような仕草をしながらも、その様子には焦りや警戒の色はない。


普通の人間なら、こんな場所に立っているだけで耐え難い苦しみに襲われるはずなのに。


「やっぱり、これは尋常じゃない……瘴気が『街を包む』ように広がっているなんて……」


そう呟きながら、ふと自分の手のひらを見下ろした。

――なぜ、自分はこの瘴気の影響を受けないのか?


その問いの答えを知る者は、まだ誰もいない。

彼女自身でさえ、まだそれを明確に理解してはいなかった。


彼女はいったい何者なのか?


その疑問だけが、夜の静寂の中に溶けていった。


音もなく、広めの街道に着地する。ゆっくりと立ち上がる彼女を、まるで生者の匂いを嗅ぎつけたかのように、無数の影が動き始めた。


――ネクロスとナグリス。


建物の陰から這い出し、闇の中から無数の死者が蠢く。

闇夜の中、彼女の前に広がるのは地獄絵図だった。

生きた人間の欠片すらない街の中で、ネクロスたちは、既に息絶えた人々の肉を貪り続けていた。


暗い路地の奥で、呻きながら地面を這う死者の群れ。

瓦礫の間で蠢くネクロスが、血まみれの肉塊を口に押し込み、歯を立てる。


――ぐちゃ……ぐちゃ……


腐敗した肉を噛み潰し、飲み込む音。

どこかで、肉を裂く乾いた音が響いた。


(……手遅れか)


眉一つ動かすことなく、彼女は静かに歩を進める。

その瞬間、まるで獲物を察知したかのように、周囲に蠢く影が一斉にざわめいた。


「グゥ……アァ……ガァ……!」


呻き声が増え、どこからともなくネクロスたちがゆっくりと顔を上げる。


血に濡れた目が彼女を捕え、次の瞬間、群れが一斉に襲いかかってきた。

建物の影から、路地裏の闇から、腐りかけた四肢を引きずりながら、無数のネクロスが押し寄せる。


だが、それだけではなかった。


上空から、影が音もなく滑空する――ナグリス。

その姿は、より強靭な肉体を持ち、爪は鉤爪のように鋭く発達し、獲物を狙う捕食者の眼光を持つ。


「なるほどね……」


彼女は静かに呟いた。


「ただのネクロスだけならともかく、ナグリスまでいるのね」


ナグリスは天井や壁を駆け、まるで獲物を追い詰めるように、音もなく彼女の死角へ回り込む。


だが、彼女は微動だにしなかった。


――次の瞬間、光が弾けた。


「千光剣」


彼女の腕がかすかに動いたかと思うと、周囲のネクロスが細切れになって吹き飛ぶ。

斬撃の余韻すら残らない。

そこにいたはずの死者たちが、一瞬で”塵”へと変わる。


「ッ!!」


背後から迫っていたナグリスが、異変を察知し、即座に跳び退る。

しかし、その動きですら遅かった。


彼女の大剣は、一閃で空間を裂き、ナグリスの右腕を切り飛ばしていた。


「ゴカアアアア!!」


怒りの感情が残っているのかだろうか、叫ぶナグリス。

その叫びを皮切りに、さらなるネクロスが周囲から押し寄せる。

四方八方から無数の死者が迫る。


「ふぅ……キリがないわね」


彼女はわずかにため息をついた。


「千光剣・連舞」


その言葉とともに、閃光が舞う。

剣が走るたびに、ネクロスが一体、また一体と斬り裂かれていく。

ただの一振りではない。一瞬の間に、幾重もの斬撃が巻き起こる。


まるで”光の網”が張られたかのように、視界に映るネクロスが次々と断ち切られていった。


――スパァンッ!!


ナグリスの頭部が宙を舞う。

ミナは無駄な動きをせず、ただ淡々と、敵を斬り伏せていく。


もはやこの場には”戦い”など存在しない。

あるのは、一方的な”処理”。


そうして、彼女が数歩を進むたびに、地面には細切れの死体が転がっていく。


「……生き残りは、いない?」


彼女は血の海を見渡しながら呟いた。


次の瞬間――


――カン……カン……


妙な音が響いた。金属が触れ合うような、不気味な音。

彼女は大剣を構え直し、音のする方へと目を向けた。

その視線の先に、“何か”が佇んでいた――。



耳を劈くような音に混じり、かすかな声が聞こえた。


「……安らかに……」


――魔法詠唱!?


瞬間、彼女は本能的に動いた。


「降り注げ、闇の剣、ダークセイヴァー!!」


目の前に広がる闇の剣 。

膨大な魔力が凝縮され、彼女を飲み込むように迫ってくる。

刹那、闇が降り注ぐ。


ドォン――!!


大地が抉れ、闇が拡散する。


しかし、その中心には誰の姿もなかった 。


――刃のような疾風が闇を切り裂く。


「スラッシュウィンド!!」


風の刃 が奔流となり、闇を引き裂いた。


霧が晴れ、闇が薄まる。


視界が開けたその先―― 男が、そこにいた 。


獣人種ヴィスカレン 。

灰色の毛並み、柔和な瞳。

柔和であるはずなのに、どこか虚ろな輝きを放っていた。


しかし、彼の背に生える二対の翼こそが、最も異質だった。


彼は天使だった。


「——いらっしゃいませ、異邦の天使よ」


彼女は剣を構え、彼を睨みつけた。


「お前が、この街をこうしたのか?」


その問いに、天使は穏やかに頷いた 。


「ええ、そうですとも」

「私はロクス・レナード、この街で安らぎを与える者です」


彼は祈るように手を組み、静かに言葉を紡ぐ。


「私はただ……安らぎを与えただけですよ」


「安らぎ……?」


彼女は眉をひそめた。


「お前の言うそれは、死と何が違う?」


ロクスは穏やかに目を細める 。


「違いますよ、これは真の救済です」


ロクスは静かに手を広げた。

彼の背にある翼は、すでにかつての天使のものではない。

それは瘴気に染まり、朽ちかけた漆黒の羽。


「あなたも感じているでしょう? この街の静けさを。

——もう、何も争う必要はありません。

——もう、誰も苦しまなくていい。

これは、私が与えた安らぎ。

だからあなたも、包みましょう。この救済の中に——」


彼女は一歩踏み込んだ。

その眼差しは鋭く、ロクスの言葉を、歪んだ幻想だと断じていた。


「それが救済なら、なぜ人々は倒れている?」


「彼らは眠っているだけです」


「あなたの“救済”は、ただの“死”よ」


ロクスの笑顔が、わずかに揺らいだ。


「……いいえ、それは違う。

これは、“死”ではありません。

これは……救済、安らぎなのです。

私の、そして……世界の……」


彼の手が、ゆっくりと胸元に当てられる。

自分の心臓が、まだ鼓動を刻んでいることを、

ロクス・レナードは、確かめるように。


彼の“天使”としての信念が、どれほど歪んでいようとも、

彼にとって、それは疑いようのない真実だった——


「はぁ……」


彼女は呆れたように息を吐く 。


「貴方は何を言っているか理解しているの?」


ロクスは笑みを崩さない。


「……貴女は……“理解” できないのですね」


彼は慈悲深くさえ見える眼差しを向け、語る。


「この世界は痛みと苦しみに満ちている。私は、それに安らぎを与えただけです」


彼女は冷笑する 。


「安らぎ?違うわね、お前はただ目を背けただけでしょう?」


ロクスの柔和な笑みに微かな影が落ちる。


「……目を、背けた?」


彼女は、彼の姿を見つめながら、静かに考察する。

ロクスの穏やかな微笑みに、彼女は皮肉げな笑みを返す。


「その格好……お前、司祭だろう?」


ロクスの瞳がわずかに揺れた。


「――」


「だとしたら、お前は”緩和型”の天使だったんじゃないか?」


彼は言葉を発さない。


「苦しみを和らげることを使命としながら、何もできなかった。

いや、むしろ、“何度も見送るだけ” の役割を担わされていたんじゃないか?」


ロクスの口角がわずかに引きつる。


「……」


「違うか? 祈っても、癒しても、“死” という結果は変わらない。

何度も何度も、傷ついた人々を看取ってきたんだろう?」


彼女の言葉は淡々としていた 。

それが真実だと確信しているかのように。


「そう。救うのが嫌になったんだろ?」

「目の前で何度も死ぬ人間を見て、疲れたんだろ?」


「でも、辞める勇気もなかった。

だから”安らぎ”なんて綺麗事で誤魔化してるだけだ」


“図星” だった。


ロクスの微笑がわずかに揺らぐ 。


「……私は、彼らを救ったんです。痛みも、苦しみも、もうない世界を与えたんです」


「“生きる” ことは、傷つくことです……。ならば、いっそ――」


「“眠れない人々に安らぎを”」

「“痛みと苦しみからの解放を”」

「“争いのない、静寂の世界を”」


――彼は、信じていた。

それが正しいことだと。

それが唯一の救済だと。


「私は、“神” に祈った。“サリエル” にも問うた」

「だが、彼らは “答え” をくれなかった。ならば、私は “新たな導き” を求めただけです」


ロクスのまだ残っている白翼部分が、闇を孕んで揺れる。


「“ルーメン・ドミトール” が、私に答えをくれた。

“彼” は言った。“救いを望むなら、光の檻に閉ざせ” と」


(ルーメン・ドミトール……?)


彼女には聞き覚えのない名前だった。


「だから、私は”この街”を包んだのです」


「瘴気とともに、安らかな世界を……」


彼女は表情を変えずに聞いていた 。


そして――


大剣を強く握る。


「……戯言はもういい」


その静かな声は、まるで張り詰めた刃のように鋭かった。


「お前の行為は”救い”じゃない」


「ただ逃げたんだよ、ロクス・レナード」


その名を口にした瞬間、ロクスの顔から微笑が消えた 。


彼女はすでに間合いを詰めていた。


「ッ――」


ロクスが何かを言う間もなく、彼女の大剣が閃光のごとく突き出された 。


その一撃は、躊躇も容赦もない。


――“天使” に堕ちた男を貫く、一撃の閃光。


ロクスの身体は、胸の中心から鮮血を噴き上げた。


彼の唇がわずかに動く。


「……それが、あなたの……答え、ですか……」


彼女は何も答えずに、 剣を深く突き刺したまま、ただ静かに言葉を聞いていた 。


「離反した天使は処罰される、安らかに逝きなさい」


彼女の剣は迷わない。

貫くべきものを、ただ貫く。


ロクスの瞳が、微かに揺れた。

鋭く突き出された大剣の切っ先が、彼の胸を貫いていることを理解するのに、時間はかからなかった。


「……そう、ですか……」


彼は、微笑んでいた。

血を流しながら、まるでそれこそが 「救済」 であったかのように。


彼女は、静かに目を細めた。


「あなたは……最初から、求めていたのでしょう?」


「……私にも、安らぎを……」


ロクスの声は、震えていた。

それは痛みによるものか、それとも最期に得た安堵によるものか。


彼の翼が、崩れ落ちるように散っていく。

瘴気に染まりきった羽根は、

まるで救済の証のように、ゆっくりと夜空に溶けていった。


「——これで、眠れます」


ロクス・レナード。

かつて、神の意志に仕えた男。

今は、道を違え堕ちた天使。


彼は、穏やかに目を閉じた。


「……これこそが、私の、救済……」


その言葉とともに、

彼の身体は灰となり、静かに霧散していった——。


彼女は剣を納め、

沈黙に包まれた街を見渡す。


ロクスは倒れた。

だが、この街の静寂は、まだ終わらない。


「……ここからが、本当の仕事ね」


冷たい夜風が、彼女の藤色の髪を揺らす。

ノルディグラードの“夜”は、まだ終わらない。


彼女は突如声を荒げた


「姿を現せ!!ルーメン・ドミトール!!」

ルーメン・ドミトール

"それ"はいったいなんなのだろうか――

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