第六夜:訪問者
ユグドラシルの大地に、新たな訪問者が降り立つ。
藤色の髪を靡かせたその女性は、ただの旅人ではない。
気品と威厳を纏いながら、彼女が向かう先は?
彼女は何者なのか?
今、新たな物語が静かに幕を開ける。
青空はどこまでも澄み渡り、鳥が高く舞っている。
青空から下へゆっくりと視点が移動すると、小さな川が穏やかに流れていた。
その水面に、波紋のような揺らぎが生まれる。
――次の瞬間、そこにぽっかりと歪みが生じた。
空間にひび割れたような亀裂が走り、ゆっくりと開いていく。
その中から、ひとりの女性が静かに降り立った。
彼女はゆるやかに足を踏み出し、辺りを見渡す。
藤色の長い髪がそよ風に揺れ、陽光を浴びて淡い紫の光彩を帯びる。
その気品ある髪色は、まるで高貴な花のように美しく、風に舞うたびに優雅さを際立たせていた。
「……ユグドラシルに来るのも、久しぶりね」
独り言のように呟きながら、ふと微笑む。
彼女はいったい何者なのか――
その問いは、まだ語られることはない。
女性はすでに何かを把握しているようで、迷うことなく歩き出した。
目指す先は、この近くにある町――エルヴィルダ。
◆
町の入り口に着くと、門番の姿はなかった。
小規模な町とはいえ、昼間に門を開け放しているのは少し珍しい。
中へと進むと、通りには活気があった。
露店が立ち並び、果物や焼き菓子を売る店員たちの声が飛び交う。
子供たちが駆け回り、鍛冶屋の前では職人が炎と向き合っていた。
そんな中、女性は近くを歩いていた一人の女性に声をかけた。
「すみません。ここはエルヴィルダであっていますか?」
「え? あぁ、そうですよ」
声をかけられた女性は驚いたように振り向いた。
藤色の髪の女性を一目見て、その気品漂う雰囲気に少し気圧されたようだった。
「ありがとうございます」
女性は軽く微笑み、お礼を述べたあと、再び歩き出す。
目指すは、町にあるセイヴァーズギルド。
通りを進みながら、彼女の特徴がさらに際立っていく。
立ち居振る舞いには気品があり、静かな仕草にも上品さが滲んでいる。
しかし、その背にはまるで場違いなほどの大剣が背負われていた。
やがて、ギルドの看板が見えてきた。
彼女は躊躇することなく扉を押し開ける。
ギルドの中は、外とは違い、どこか荒々しい空気が漂っていた。
剣士や弓使い、鎧をまとった者たちが談笑し、酒を酌み交わしている。
中には酔い潰れてカウンターに突っ伏している者までいた。
そんな喧騒の中、カウンターに立つ女性がひと際目を引く。
フェリシアンテの女性だった。
特徴的な猫耳と、長くしなやかな尻尾を持つ彼女は、カウンター越しに煙草をくゆらせていた。
女性は静かにそのカウンターへと向かう。
そして、少しだけ首を傾げながら問いかけた。
「ネクロス狩りの仕事はありませんか?」
煙草をくわえたまま、フェリシアンテの女性はその言葉を聞き、すぐには答えなかった。
じろりと視線を向け、軽く顎をしゃくる。
「ゾンビ狩りねぇ……お嬢ちゃん、ギルドは初めてかい?」
わずかにくすりと笑いながら、少し馬鹿にしたような口調だった。
しかし、目の前の女性は特に気にした様子もなく、淡々と応じた。
「お嬢ちゃん? ああ、私のことか」
どこか他人事のように、納得するように頷く。
「ここのギルドには初めて来ます。誰かの紹介が必要でしたか?」
彼女の反応に、フェリシアンテの女性は軽く目を見開いた。
あまり嫌味が通じるタイプではないらしい。
「……ったく、箱入り娘ってやつかい?」
ぼやきながら煙草を灰皿に押し付け、指で弾くように灰を払う。
そして、やれやれとため息をつきながら、ギルドのルールを説明し始めようとした。
ギルドのカウンターで説明を受けていると、不意に背後から声が飛んだ。
「おい、あの嬢ちゃん……」
「はぁ? ギルド入ってきたばっかのやつが、いきなりゾンビ狩りだと?」
「いいご身分だな」
そう言いながら、三人組の男たちが近づいてきた。
酒の匂いを漂わせ、肩を揺らしながら足を運ぶ。
完全に絡んでくる気満々の、性質の悪い男たちだった。
フェリシアンテの受付嬢が「やめときな」と制止するが、男たちは聞く耳を持たない。
「なぁ、嬢ちゃんよ。お前みたいな細っこい女がネクロス狩りなんざ、危ねぇんじゃねぇの?」
「そうそう。剣なんか持ってたって、扱えなきゃ意味ねぇしな」
「試してやろうか?」
男たちは下卑た笑いを浮かべ、彼女の背負う大剣を指差した。
しかし、彼女は一切動じなかった。
そして――次の瞬間。
シュンッ!
まるで音もなく、大剣が抜き放たれた。
男たちが気づいたときには、すでに彼らの服が無惨に裂かれていた。
「……なっ……!?」
「は?」
彼女は静かに大剣を構え直し、微かに首を傾げる。
「私の剣を試したいなら、まずは自分の身を守る術を心得たほうがいいわ」
男たちは唖然とし、その場に立ち尽くした。
フェリシアンテの受付嬢は、それを見て呆れたように溜息をつく。
「……アンタ、なかなか派手にやるねぇ」
「いえ、ただの訓練の一環です」
「はは……こりゃ面白い新人が来たもんだ」
フェリシアンテの受付嬢は笑いながら、改めてギルドの説明に戻った。
カウンターの上に肘をつきながら、煙草の煙をゆっくりと吐いた。
「さて、お嬢ちゃん。アンタ、ギルドの仕組みは知ってるかい?」
彼女は静かに首を振った。
「いえ、詳しくは」
「だろうねぇ。じゃあ、ちゃんと教えてやるよ」
受付嬢は軽く指を鳴らし、カウンターの奥から木製のタグを取り出した。
「まず、セイヴァーズギルドは基本的にランク制だ。
ランクが上がるほど難しい依頼を受けられるし、報酬も増える。
ただし、昇格には相応の実績が必要ってわけさ」
彼女はタグを手に取りながら、じっとそれを観察した。
「このタグは……?」
「アンタみたいな新人は、最初は 歩哨 だ」
受付嬢は軽くタグを弾いた。
「最初の仕事は、村や町を巡回してギルドへの報告をする。
要するに、各地の情報を集めるのが役目だな。
モンスターの発生状況、廃墟の異変、ゾンビの発生なんかも含まれる」
「なるほど……。では、その上のランクは?」
「次が防人 。ある程度の危険地域の巡回を任される立場だ。
野盗やネクロスと戦うのも仕事に入る」
受付嬢は指を折りながら、さらに説明を続けた。
「その次が衛士 。ここからは単独じゃなく、小隊を組んで依頼を受ける。
魔物の討伐や村の警護がメインの仕事だね」
「それ以上は?」
彼女の問いに、受付嬢は小さく笑った。
「まぁ、ここから先はそう簡単になれるもんじゃないけど……」
「副団士 は、ギルドの中でも精鋭扱い。
重要な作戦に参加し、隊を指揮する立場になる」
「そして団士 。このランクになれば、ギルドの一部隊を統率できるほどの実力者だ。実際、ネクロス討伐隊の指揮官を任されることも多い」
彼女は頷きながら、タグを指でなぞった。
「それが最高ランクですか?」
「いや――最上位は楯聖 さ」
受付嬢の声が、わずかに低くなる。
「この称号を持つ者は、ギルドの象徴みたいなもんだ。
数は少ないが、国や王都でも顔が利くレベルの戦士たちがなるんだよ」
彼女はタグを見つめ、静かに思案した。
「……つまり、今の私は歩哨 。
まずは情報収集の仕事から、ということですね」
「そういうこと。お嬢ちゃん、話が早くて助かるよ」
受付嬢は再び煙草をくわえながら、タグを彼女に押し戻した。そして、もう一枚の紙を手渡す。
「これは巡回報告書 だ。
立ち寄る村や町のギルドに持っていって、しっかりハンコをもらってきな。
提出しないと、報酬も出ないからね」
「……なるほど、確認のための証明書ですね」
彼女は紙を一読しながら、受付嬢の言葉に頷いた。
「最初の任務は北東の大きな街、ノルディグラードだ。
そこまでの間に、小規模な村や町が二つある。
その様子も確認しながら向かっておくれ」
「了解しました」
彼女はタグと巡回報告書をポケットにしまい、すっと立ち上がった。
「それじゃ、行くとするわ」
扉に向かおうとした彼女に、受付嬢がひとこと声をかける。
「待ちな、今から出ると一つ目の村に着く頃には日が暮れるよ?」
彼女は振り返り、わずかに口角を上げる。
「親切なお言葉、痛み入ります」
そう言い残し、彼女はギルドを後にした。
ギルドを出た彼女は、迷うことなくスタスタと町の外へと向かった。周囲の人々が物珍しそうに彼女を見送るが、本人はまるで気にしていない様子だった。
町の外れに出ると、地図を広げ、軽く風に揺れる髪を押さえながら方角を確認する。
「……北東、ね」
静かに呟くと、慣れた手つきでマントに魔法を施した。
「Veltr fljúga (ヴェルトル・フリューガ)」
マントがほんのりと輝き、ふわりと彼女の周囲の重力が変化する。彼女の体が軽くなったかと思うと、次の瞬間にはすでに地面を離れ、空へと舞い上がっていた。
澄んだ青空と眼下に広がる緑の大地。
「……やっぱり、いい景色」
少しだけ目を細め、気持ちよさそうに風を感じながら、目的の方角を見やる。遥か向こうに、小さく次の村の姿が見えた。
「あそこだな」
そう呟くと、マントをなびかせながら、一気に空を馳せた。
(……歩哨の仕事って、こんな感じだったかしら?)
そんな疑問を軽く抱きながらも、速度を緩め、村の上空で高度を下げる。やがて地上に降り立った彼女は、何事もなかったかのように歩き出し、そのまま村の中へと足を踏み入れた。
フレースホルン村
この村は比較的小規模ながらも、しっかりと整備された道があり、生活の息遣いが感じられた。
「……セイヴァーズギルド駐屯所、か」
彼女の目の前には、そう書かれた建物があった。特に装飾もなく、簡素な造りの建物だが、外壁にはセイヴァーズの紋章が掲げられている。
中へ入ると、受付らしきカウンターがあり、男性のギルド員が事務作業をしていた。
「ああ、歩哨か。巡回報告書だな」
「ええ」
彼女は手早く巡回報告書を取り出し、差し出す。ギルド員はそれに目を通すと、村の印を押し、返してきた。
「ご苦労さん。特に異常はない……って、あんた、一人でやってるのか?」
「そういう任務なので」
「そりゃまた、ずいぶんと勇ましいお嬢ちゃんだな」
彼女は軽く微笑み、手続きを終えるとそのまま建物を出た。
空を見上げると、まだ日が高い。
「……まだ次へ行けるわね」
再び地図を確認すると、村の外れへ向かい、誰もいないことを確かめると、再びマントに魔法をかけた。
「Veltr fljúga (ヴェルトル・フリューガ)」
マントが輝き、体がふわりと浮かぶ。
次の目的地、ヴァルヘイドを目指して、彼女は再び空を馳せた。
ヴァルヘイドのギルド
ヴァルヘイドの町に着いたのは、フレースホルンを出てからそれほど時間が経っていない頃だった。
この町はフレースホルンよりも規模が大きく、人々の往来も活発だ。ギルドもそれに合わせて、それなりの大きさの建物となっていた。
中に入ると、カウンターにいる男性が顔を上げた。
「歩哨か? ちょうどいい、話がある」
彼女は無言で頷き、巡回報告書を差し出す。
男性は受け取り、印を押しながら話を続けた。
「実は一昨日からノルディグラードと連絡がつかないんだ」
「……」
「昨日の時点では、商人が向かったはずだったんだが、戻ってきてない。
天使やセイヴァーズの派遣要請を出すべきか検討してるところだが……
情報がないことには動きづらい」
彼女は少し考え、口を開いた。
「なら、私が様子を見てきます」
「いや、それは危険だ。
今日のところはこの町に泊まって、朝になったら慎重に向かってくれ」
「……忠告、感謝します。でも私は、今すぐ行くわ」
男性は驚いた表情を浮かべたが、彼女の目には迷いがなかった。
「はぁ……ったく、無茶するなよ」
彼女は軽く微笑み、カウンターを離れる。
ギルドを出ると、すでに太陽が傾き始めていた。
「……急がないと」
次の目的地、ノルディグラードへ向かうべく、彼女はすぐさま空へと舞い上がった。
北東の街、ノルディグラード
空を飛びながら、徐々に不穏な気配を感じ始めた。
町が近づくにつれ、辺りは宵闇に包まれ、しかし――街には明かりがまるで見えない。
「……?」
通常、夜になればどの街も灯火が灯る。
しかし、ノルディグラードには、その気配がなかった。
そのまま高度を下げながら街へ近づいていく。
遠目に見えてきたのは、荒れ果てた町並み。
そして、そこに跋扈するネクロスたちの群れ。
「こんな大きな街が……いったい何が?」
彼女は空中で静かに視線を巡らせた。
目に映るのは、かつて人々が暮らしていたはずの街の残骸。
無残に横たわる死体、崩れた建物、そして広がる静寂――まるで世界が息を止めたかのように。
だが、その沈黙の中に、確かに何かが潜んでいる。
この街で、何が起きたのか――。
そして彼女の正体は――。
約一時間後に第七夜、更に第八夜を投稿いたします。
今しばらくお待ちください。